第30話 ■■の力
首が跳ねて仰け反るのを追いかけるようにして、白目を剥いたその眼球、砕けた頬骨の上に乗るその一点に向けて、俺は更にもう一度〈穿旋〉を叩きこんだ──直後だった。
「……え?」
何か硬いものにぶつかったような感触と同時に、腕が弾かれる。
反動で右肩がわずかに後ろへ引かれ──次の瞬間、視界の端を何かが飛んでいくのが見えた。
「……ッ!?」
雷にでも打たれたかのような衝撃と、焼けただれるような激痛が肩口を襲う。
熱い。痺れる。何かが流れ落ちていく感覚。
指先を動かそうとして──存在しないことに、やっと気づいた。
「なん……!?」
胸の奥がざわつき、鼓動が耳の奥で爆ぜるように響く。
呼吸が速く、浅くなっていく。
脳が現実を拒む。受け入れを拒む。
熱と痛みに思考が引き裂かれ、何も考えられない。
耳鳴りがひどく、心臓の音だけがやけにうるさく鳴り響いていた。
それでも、正面からこちらを睨みつけるその殺気だけは、異様なほど鮮明に感じられた。
――動いている。
眼球が勝手に追う。
えぐれたはずの頬骨から、例の黒い水晶が生えていた。
結晶が生き物のようにうごめいて、傷を埋め尽くしていくさまを、俺は茫然と眺めることしかできなかった。
──大きな口が、目の前でガパリと開いた。
「ッ!」
直後、唐突な浮遊感。
すぐ頭の上を、太い光線が駆け抜けていく。
「ッハァ、ハァ、ハァ、ハァ……ぐぅッ!」
白騎士が心配そうに肩を揺らされて意識が現実をとらえなおした──と同時に、肩口を襲う酷い熱にうなされるようにして、俺は止まっていた呼吸が再開したような荒い深呼吸を繰り返した。
(まずいまずいまずいまずい!?)
俺は肩口を抑えて何とか止血を試みながら、アグナリアから距離を取りつつ黒騎士たちにアグナリアの相手をさせる。
このままでは出血多量で死にかねない。
急いでHP回復用のポーションをストレージから左手で引っ張り出すと、口を使って強引に蓋を開けて中身を飲み干した。
腕は……再生しないか。
だが痛みは治まった。掻痒感はあるが、これくらいは無視できる範疇だった。
「畜生、何が起きた……?」
全身にちらほらと生えていた黒い水晶がアグナリアの全身をむしばみつつある光景を観察しながら、俺は歯噛みした。
おそらくアグナリアは今第二形態に移行している。
何が原因でそうなったかはわからないが、さっき起きたことを冷静に整理してみるとさっきのはたぶん──
「魔力反射ってこれのことか……!」
魔力反射はてっきり誤解だと思っていたが、もしあれが誤解でなかったとするなら、さっきの現象は俺の〈穿旋〉が反射されてそのまま返ってきたということになるのだろう。
くそ、これで頼みの綱だった攻撃手段がなくなってしまった。
ワンドが俺の右腕ごとなくなった今、魔術の攻撃力も大幅にダウンしてしまっている。
俺の力じゃまず倒せはしないだろう。
「聖アグナリア大聖堂で聞いた太陽龍の逸話。
たしか、神ゴトシャは魔力反射に苦戦したが、最終的には黄金の鎖でなんとか従えさせることに成功した……んだっけ?」
賭けるとすれば、あの物語にあった黄金の鎖だけ。
あるとしたらその所在はたぶん──。
俺は、眼科で赤く燃える火口を見下ろした。
ふつふつと煮えたぎるマグマは、今もなお限界ギリギリのところでぼこぼこと沸騰している。
「あの中か……」
飛び込めば十中八九どころか確実に死ぬ。
つまりこれは……万事休す、というやつではないだろうか。
そんなことを考えていた時だった。
突然、開いてもいなかったメニューウィンドウが勝手に開き、続いて勝手にGMコール画面が開いた。
「わ!? えっ、こんなときに何!?」
突然のことに驚いて、思わず悲鳴を上げる。
GMコール。
この世界に来た時に試しに開いたことがあった。
当時はラジオの砂嵐のような音しか聞こえてこず、たまに何か、粘性のある液体の中から泡がぶくりと現れて破裂するような音がするばかりで、気味が悪いからと、2度と開くことはしなかったものである。
それが、今になって急に、ひとりでに開き、その真っ暗なウィンドウをこちらに向けていたのである。
『■■のチかラが欲シいカ?』
「なんだって?」
ラジオの砂嵐のような音の中から、粘液質な男とも女とも取れないような声が耳朶を打った。
『■■のチかラが欲シいカ?』
「いや、だからなんの力なんだよ!?」
聞き取れたのは、力が欲しいか、という一文だけ。
中二病の好きそうな内に秘められた何かが、少しだけ力を貸してやろうとしているみたいな、よくある文言に一瞬感動を覚えるものの、現実で出くわすともなるとそれによるリスクなりなんなりを考えてしまって、聞き取れなかった冒頭の部分が嫌に気にかかった。
『■■のチかラが欲シいカ?』
しかし、画面から聞こえてくる声はただ機械的にそれを繰り返すだけで答えてはくれない。
力を得れば、この状況を打開できる……。
テンプレート的に考えればその通りなのかもしれないが、この世界に俺を呼んだ可能性がある存在がゴトシャ教で、それが魔族とつながっているかもしれないということから考えると、無責任に許容することは難しかった。
そんな俺の思考を読んだのか何なのか。
黒い画面に、謎のテキストウィンドウが出現した。
『回答時間終了。沈黙は即ち肯定也や。よって、■■の力を一部貸与する』
「は!? ちょっと待て、さすがにそれは横暴──」
言い終わるかどうかというタイミングだった。
ブー、という警告音が鳴り、テキストが切り替わった。
『信仰心が不足。■■への不適合を確認。代償として左眼球を申請』
「ちょっと、勝手に進めるなよ!?
え、これどうやって止めればいいんだ!?
キャンセル! フリーズ! 頼む! 止まって! ストップ! ウェイト!」
左の眼球が代償、などという不穏な文章を目にした瞬間、俺は焦ったようにウィンドウを叩きながら、思いつく限りの言葉を吐きだした。
が、努力虚しく次の瞬間、俺の視界が半分失われた。
「!?!?!?!?」
瞼を閉じていないはずなのに、急に暗闇に落ちた視界に、俺は脂汗をかいた。
「くそが! 勝手に俺の体を持っていくな!!!!!!」
叫ぶ。
が、慟哭虚しくテキストウィンドウが切り替わる。
『代償を承認。疑似的に信仰心を1獲得。■■の力の一部貸与を開始』
「だから何なんだよその伏字!!!!!!
持ってくならせめて教えろよクソが!!!!!!」
ああ、イライラする。
こっちはさっき利き腕消し飛んだばっかりだっていうのに、眼球まで持っていきやがって!
それもこれも、全部あの龍のせいだ!
──そう叫んだ、次の瞬間だった。
俺の失われた右腕の断面がぼこぼこと泡立ったかと思うと、蛸の触手のようなものがでろんと急速に成長してきたのである。
「うぇ!? なにこれ気持ち悪っ!?」
急速に生えてきた触手は、まるでそれ自体が意識を持って生きているかのようにうねうねとねじれると、やがて元の細い少女の腕を形成した。
皮膚の色は触手と同じく黒っぽい紫色をしているが……その形自体は、この数日の間で見慣れた、自分の腕であった。
「腕が再生した……!?」
理屈はよくわからなかったが、気が付けば失われた左側の視界も復活している。
視界が僅かにグリッチ加工された写真ようにぶれてはいるが、ふつうに見る分にしては全く問題はなかった。
「何が起きて……?」
突然の出来事に眉を顰めて混乱していると、テキストウィンドウが切り替わった。
『■■の力:効果時間;09:59/10:00』
効果時間?
制限時間があるのか!?
「ていうかそんなの与えられても詳細がわかんなかったら何もできないじゃないか!
あの龍は火口の中にある金色の鎖がなければ抑え込めないんだぞ!?」
俺は困ったように両手で頭を抱えた──が、次の瞬間右腕がばらけて、触手の先端から金色の鎖に変化し、じゃらじゃらと伸びていくのがわかった。
「金色の……鎖?」
その鎖が、左目の視界に入った瞬間だった。
俺は、直感的にこの能力の使い方を察した。
この力は、一言でいえば擬態だった。
今自分が必要だと思っているものの姿に、一瞬で姿を変える擬態能力。
最初にあの触手が腕の形になったのは、俺が失った右腕を欲していたから。
鎖に変化したのは、俺がそれを必要としたからである。
いったいなぜこんな力があるのかは謎だったが──今は時間が惜しい。
俺は息を整えると、背後にいる白騎士に目配せして、それから左手でグリフォンの首をしっかりとつかんだ。
「行こう。今なら何とかなりそうな気がする!」
次回の投稿は明後日の正午です




