第2話 襲撃
「ぐわあぁぁあああ!!」
鼓膜を震わせる絶叫が届いたのは、それからしばらくのことだった。
それは単なる悲鳴ではなかった。生存本能をむき出しにした、命が喉から飛び出すような声だった。
──人だ!
助けたい、というよりも、それ以上に人がいることを確かめたくて、俺は声のした方向へ駆け出した。
荒れた藪を突き抜けると、すぐに視界が開ける。そこは、森を抜けた街道沿いだった。
幌馬車が一台。
それを、さきほど見た六本脚の野犬──ブルーハウンドの群れが襲っていた。
護衛は二人。どちらも剣士らしいが、片方は左腕を押さえて蹲り、もう一人は顔をしかめながら必死で牽制している。馬は……びくともしていない。だがそれも信頼ではなく、固まって動けないだけに見えた。
(援護しないと!)
杖を抜き、戦闘態勢に入る。すると、視界の下あたりにショートカットに設定していたスキルの一覧が開いた。
(なるほど、そういうシステムなのね?)
ゲームの時と変わらない。俺は頭の中でキーボードを操作するようにしてスキルを選択した。
すると、選択したスキルに則って、体が自動的に動き、体内を魔力みたいな何かが杖を伝って迸った。
「どいて!」
魔術に巻き込まれないように叫ぶと、杖の先端から巨大な氷の槍が音速で駆け抜けた。
──ズドォン!
「わっ!?」
衝撃波でひっくり返った。
雷鳴のような破裂音とともに、丸太ほどの太さの氷の槍が射出され、音速で一頭のブルーハウンドを貫き──破裂させる。
巻き上がる土煙に紛れて、粉々になった肉片や臓物たちが馬車の幌に張り付く。
近くにいた二人の剣士は衝撃で数メートルほど吹き飛び、数匹の野犬は悲鳴を上げて森に逃げ、数匹は耳から血を吹いて気絶した。馬は──立ったまま気絶している。しかも白目をむきながら。
「なんだ、今の魔法は……?」
剣士の一人が、驚きながらこちらを見やるのに、俺は苦笑いを浮かべた。
俺も、彼と全く同じ感想を抱いていたからだ。
今の魔術は元素魔術スキルレベル5で習得できる氷属性遠距離単体攻撃魔術〈氷槍砲牙〉である。魔術系スキルの中で雑魚狩りにちょうどいい威力を持つスキルで、ゲームでは数が少ないMob相手によく乱用していた。
ゲーム内での描写はそんなに強力そうではなかったけど……そっか、『砲』ってついてるもんな……。そりゃこれくらいの衝撃にはなるか……。
えぐれた地面に突きささる、巨大な氷柱が消失していくのを眺めながら、俺は反省した。
次からは、もっと弱い魔術を使おう。
「助かったよ。援護ありがとう」
「小さいのに、なかなかやるなぁ」
気絶していたブルーハウンドたちも完全に絶命したことを確認するなり、二人はこちらに声をかけた。
「すごい魔法だった。君冒険者だよな? 階級は?」
「あ、いや、登録はまだ──」
「あれだけすごい魔法を使えるんだ、カッパーなんてことはないだろう。シルバーかゴールドはあってもいいんじゃないか?」
「あるいは、最年少で入ったって噂の教会騎士様だったり?」
「でもあれ確か男だろ?」
「いいや、ずっと鎧を着てるもんだから中身はもしかすると女かもしれないぜ?」
「まじかよ初耳だわ」
「ま、嬢ちゃんもそう思われるくらいすごいってこったな」
「あはは……」
思わず引きつった笑いが漏れる。
冗談めかした言葉の応酬には、緊張からくる高揚と安堵の入り混じった空気があった。
先ほどまで戦っていた相手が肉塊と化し、地面は血と氷でぐしゃぐしゃなのに、彼らの笑い声が、それを現実から切り離すように響いていた。
(こんなに評価されるのなんて、いつぶりくらいだろう?)
俺は、DFHでギルドに加入した時のことを思い出しながら、俺はぼんやりと、遠くにまで続く街道を見つめた。
異世界のはずなのに、どこか馴染みのあるゲームの景色。けれど、吹き抜ける風の匂いも、潰れた獣の生臭さも、あまりにも本物だった。
あまりにも本物だったから、やはり、ゲームとの違いがより鮮明に、俺の意識に刻み込まれる。
──この世界の魔術は、ゲームとは認識が違う。
──冒険者のランクも、アルファベットじゃなく金属名で分かれているらしい。
やっぱり、ここはDFHとそっくりらしいけど……完全に同じってわけじゃなさそうだな。
他にも何か違いがあるかもしれない。
たとえば、この世界における魔術の使い方とか。
(あのアイコンを指定する戦い方は、現実的な戦闘の仕方として考えるとやはり不便すぎるし、それにこのアイコンの表示はきっと、『情報操作解析』のスキルあってのことだろう)
俺は、新しく生えていた『異世界人』というスキルツリーのことを思い出していた。
このスキルは字面から察するに異世界人限定のユニークスキル。であるならば、現地人の戦い方はこんなに非実践的な手法であるとは考えにくい。なにか、もっと別のやり方があるのだろう。
──このスキルの構造そのものが、世界の見え方に違いを生んでいる。
俺は、空中に表示されたショートカット一覧の残像を視線でなぞりながら、しばし思案に沈んだ。
ゲーム的に便利すぎるこのUIも、今のところはありがたい。でも、これに頼りすぎるのは危険かもしれない。
(たとえば、もっと高速化した戦闘の只中なら? 相手が戦士職なら、距離を詰められる可能性だってないわけではないだろう。とするとこのアイコンにいちいちカーソルを合わせる暇なんてないかもしれない。それはすごく不便だ)
ありえないとは限らない。いや、ありえそうで困る。
ゲームとは違うんだ。生き残るためには、この世界の現地仕様に合わせていく必要がある。
「──おい、嬢ちゃん?」
声をかけられて我に返ると、剣士たちが不思議そうにこちらを見ていた。
どうやら黙り込んだまま、アイコンの消えた空間を見つめていたらしい。
「すみません。ちょっと考えごとをしてました」
「いや、謝ることはない。それに、まあ、なんだ。おかげで命拾いした」
「ほんとにな。あのままじゃ、二人まとめて犬のエサになってたかもしれん」
二人は笑いながら、だがそれは虚勢ではなく、どこか心から安心したような顔つきで笑いあった。