第1話 目醒め
大幅に内容を修正しましたが、ストーリーの進行には影響しません。
ユーリの初期装備がちょっと見た目変わったくらいです。
修正日:10/10
──胎児よ
──胎児よ
──なぜ踊る
──母親の心がわかって
──おそろしいのか
***
怒号と雄叫び、そして悲鳴と絶叫がヘッドフォン越しに蝸牛を揺らす。
モニターいっぱいに点滅する光の嵐に、チカチカする視界をしばたかせながら、俺──鑑悠理は最小限の動きでキーボードを叩いていた。
現れては消える魔法陣。
爆発と閃光が瞬き、それらを一蹴するようにレイドボスが得物を振り回す。
シナプスが悲鳴をあげ、連続プレイ100時間を突破した俺の喉が、水分を欲して痙攣する。
今唾液を飲み込めば、きっと咽せてしまうだろう。そうなると総勢約100名のレイドメンバーに迷惑をかけることになる。
──それに何より、俺自身がこの手を止めたくはなかった。
「……っ」
引き攣りそうになる腕の筋肉に眉を顰めながら、自分の残りMPとレイドボスのHPゲージを一瞥する。
(あと少し……!)
あらかじめ組んでいたタッグのヒーラーに、エモーションで合図を出す。
黄金の魔法陣が積層構造に展開し、俺のMPが一瞬で回復。同時に複数のバフが付与される。
──条件が整った。
俺はエモーションを出して合図すると、今回のレイドで試したかったオリジナルの魔術スキルの詠唱を開始した。
副作用でヘイトが一気に集中し、ボスが大技を放とうとするのをタンク組が受け止める。
「……っ!!」
全身が悲鳴を上げるのを無視して、追加のコマンドを入力し──直後。
モニターに映る天空に、無数の光り輝く虹色の魔法陣が展開し、そこから大量の黄金の光がレイドボス目掛けて集中砲火された。
『これが元帥の、最新の戦略級極大魔術〈星降る夜の霹靂〉ですか……』
『綺麗……ッスねぇ……』
虹色の閃光がレイドボスのHPをガンガンと削る中、メンバーの歓声が鼓膜に気持ちいい。
まるで、ぬるま湯に浸ったような気分だ。
やがて、レイドボスのHPが完全に消滅し、レイド戦の終了を伝えるファンファーレが鳴り響く。
(やっと……終わった……)
緊張の糸が切れたせいか、どっと疲れが押し寄せる。
乾いた喉を潤そうと、机のエナジードリンクに手を伸ばそうとする──が、腕が重くて持ち上がらない。
(くそ、耳鳴りが……眩暈が……)
頭が重い。脳が揺れる。しかし体は言うことを聞かない。
この後にまだ戦利品の分配も残っている。
ここで気絶するのは──。
視界を光の筋が無数に走り抜ける。
光視症なんて比にならないそれが眩しくて、俺は数度瞬きをする。
(力が抜ける……)
もうこれは、耐えることなんて不可能に違いない。
もういい、分配はまた明日に回して、今はただ、この眠気に身を任せようか……。
霞む視界に映る、何かのウィンドウ。
俺は特に何かを気にすることなく、ただ重力の赴くままにキーボードに突っ伏して、そのまま意識を手放した。
***
揺蕩うような浮遊感に身を任せながら、暗闇を泳ぐ。
ごぽごぽと音を立てながら泡沫が耳元で弾けるのを聞きながら、俺はさっきまでのことを思い返していた。
(四徹は、さすがに無謀だったな……)
どうしてこんなことになったのかと言えば、それは自分のせいだ。
とるべき大学の単位をすべて取り終えた俺は、ようやく時間を気にせずゲームができると息巻いていた。大好きな魔術を、時間を惜しむことなく操れることの高揚感に抗い切れなかった俺は、寝食と言う生命活動に必要な予定をすっぽかして没頭し続けた。
それがいけなかったのだ。
二徹三徹くらいなら普段からしていたが、4日目は流石に無謀だったと意識の暗闇の中で反省する。他人のせいにしていいというなら、いつもはすぐに集まる素材アイテムがなかなか集まらなかったとか、家族が事故で他界して以来一人暮らしの身には、夕食などのタイミングを告げてくれる人が身近にいなかったとか言い訳できるかもしれない。
でも一番の原因はやっぱり、いつもギルドの面々が集まる時間を忘れて、休憩のタイミングを逃したことかもしれない。
新しく追加されたレイドボスを、皆で狩りに行こうと約束していたし、何より俺はこのゲーム内では五指に入る高火力メイジでもある。戦力として俺が抜けるのはギルメンに対して申し訳ないし、何より自分自身がゲーム内で開発していた魔術系スキルの試し撃ちができるとしてとても楽しみにしていたのである。
というわけで先ほどまで約2時間ほどレイドに参加した結果が冒頭のことだった。
皆には悪いことしたなぁ。ドロップの分配前に寝落ちしちゃったし、起きたら軽く謝っておかなければ。
そんな風に暗闇に揺られていた時だった。
不意に、暗闇の中から光が現れた。
(なんだ?)
どこかの教会のように見える。
礼拝堂の中央には黄金の杯が置かれていて、中には赤黒い汚泥が湛えていて、ブクブクと泡立っている。
昔から魔法が好きで、ファンタジー作品をよく読んでいた俺は、その杯を見て、まるで聖杯の様だと思った。
円卓の騎士だとかが出てくる、中世ヨーロッパの寓話だか何かに出てきた、願いを叶える聖杯。あるいはキリスト教のミサにおける、神の血を模倣した赤いワインが注がれたゴブレッドのような。
しかし、俺にはどうもそこから神聖な雰囲気は微塵も感じられなかった。
どちらかと言えばもっと禍々しくて、狂気的な、名状しがたい恐怖のようなものを孕んでいる気がして、俺は目を逸らした。逸らした先にあったのは、巨大な七つの眼球だった。
「ッ──!」
俺は跳ね起きた。
冷たい空気。濡れた服。風の匂い。虫の羽音。
見上げた空は木々の隙間から見える、曇った昼。
まだあの巨大な目に見られているような視線と気配を感じて背中を振り返るが、そこに立っていたのは大きな針葉樹だった。
「夢……?」
荒い息を整えて呟いた声に、違和感を覚える。
視界に垂れる銀色の糸束に訝し気な視線を送って掴んでみると、どうやらそれは自分の髪の毛らしく、頭皮を引っ張られる痛みに俺は顔をしかめた。
「……どういうことだ?」
呟いた声は、やはり高い。頭蓋に響く甘いカワボに混乱するが、同時にあることが脳裏をよぎっていた。
「いやいやまさか」
まだ夢の続きを見ているのか。
俺は立ち上がって──思いのほか低くかった視線のせいで、ぐらりとふらついて、尻もちをついた。
「わっ」
運悪く尾骶骨のあたりを打ち付け、痛みにもだえ苦しむ。
さっき髪を引っ張ったときにも思ったが、夢の中なのになぜこんなにもリアリティが高いのだろうか?
背後の木を支えに、ゆっくりと立ち上がって自分の体を見下ろした。
全身を覆い隠すほどの真っ黒なフーデッドローブ。
その中は白いブラウスに黒いノースリーブのベストを着ていて、ワインレッドのネクタイとエメラルドのブローチをつけている。
下は黒いハーフパンツと白いソックス、黒い革靴が装備されており、腰の革のベルトからは一本の細いワンドが差しこまれていた。
「これ……」
見覚えのあるデザインだった。
まぎれもない。俺が寝落ちする寸前までプレイしていたゲーム『Das Fest der Hexen』──通称DFHのアバターの姿そのものなのである。
「ははは、夢の中でまでゲームって……。もしかして、ステータスなんて言ったら本当に開くんじゃないだろうな?」
半ば乾いた笑みを浮かべながら口にした、その時だった。
ヴン、と小さな振動音を立てて、目の前に四角い窓──ステータス画面が表示されたのである。
「ひゃっ!?」
思わず、情けない声が飛び出て、恥ずかしさに耳が熱くなる。
しかし周囲を見回しても誰もいない。俺は安堵の息を吐いて、『まじかよ』と一人言ちた。
デザインの端から端まで、何もかもがDFHの通りに再現されているのを見て、これがもし転生なら、ゲームの世界に迷い込んだ系なのかな、と一人納得しながら苦笑いを浮かべる。
「まあ、一致してるのはデザインだけみたいだけど」
軽く目を通すだけで、ゲームのものとは大きく異なっている点が複数見受けられる。例えば名前だ。俺はゲーム内ではアリスと言う名前を好んで使っていたが、ここには俺の本名であるカガミ・ユーリに変更されている。
変化がある部分はまだある。
例えば種族欄と性別欄だが、『人間』や『女』の下に『(?)』が追加されているし、MPはゲームでは2000だったものが9999になっている。
ゲームでは2000がカンストで、課金アイテム『神朱の妙薬』を使うことで最大値の三倍──計算上、MAX6000まで引き上げられ、それが上限に設定されていたが、今やそれを上回っている。
これだけあれば、俺が開発した戦略級極大魔術〈星降る夜の霹靂〉が連続で四発も打てる計算になってしまうが……なんだこのぶっ壊れ性能は?
「起きたら皆にこの話しよっかな。覚えてたらだけど」
これがまだ夢の中であるという可能性を胸に抱きながら、俺はスキル画面を開いた。
「こっちは……なんか、見覚えのないスキルツリーが生えてるな?」
DFHで俺が習得していたスキルツリーは『元素魔術』『錬金術』『召喚魔術』『付与術』『魔女術』『数秘術』の6種類である。しかしそれに加えて新しく『異世界人』というスキルツリーが増えていたのだ。
「他のスキルは変化はなさそうだけど……」
異世界人。
その文言に、俺の脳裏に『やはり異世界転生なのか?』という不安がよぎる。
別に困る話じゃない。
元の世界に家族はもういないし、祖父母もすでに他界している。困ることがあるとすれば、ネットでつながったギルドメンバーたちくらいで、現実では希薄な人間関係しか構築してこなかった俺にとって、ある日突然異世界に転生してしまうことについては特に懸念はなかった。しかし、不安がないわけではないのである。異世界と言えばたいてい中世ヨーロッパ的な文化の上に成り立っている。大学で習ってきたことだが、当時の衛生観念はまあひどいものだ。そこに適応できるかと聞かれると、自信をもって是と首肯しがたいところがあるのである。
とはいえ、今までのことを鑑みると、これが夢であるという可能性はかなり低そうだ。であれば覚悟を決めて、このスキルツリーに異世界で快適な生活を送れる便利スキルが含まれていることを祈る以外、できることは何もなかった。
「使えるようになるスキルは……〈異世界言語完全習得〉〈情報操作解析〉〈■■■〉……ってなんだ? 伏字?」
上二つは何となくわかる。要は異世界の文字や言葉を完全に使いこなせるようになるっていうよくある便利スキルだ。そしてもう一つはこのウィンドウを開いたりできるようになる、いわば鑑定系スキルに違いない。
しかし、伏字になっているこの謎スキルだけは、内容が判然としない。説明を求めてタップしてみるが、文字化けした文章が開くばかりで、少し恐怖心すら覚える。かろうじて読み取れるのは、一番最後に書かれている『信仰心0/7』くらいだ。
いったい何に対する信仰心なのかわからないが……これがゲームなら、きっと何か重要な意味でも持っているに違いない。
などとそんな風に考えていた時だった。不意に、背後でがさがさと物音がしたかと思って振り返ってみると、六本脚の野犬が、角を生やしたウサギを咥えて藪から現れたのである。
「いや、犬っていうより狼──」
毛並みや威厳、目に宿る獰猛な眼光。警戒心マックスの野良犬ならぬ野良狼(足が六本)が、不意に現れた人間(俺)の視線とかち合った。
「ガウ!」
「ひゃ!?」
あわや戦闘か!? と思わず身構え、こちらも情けないながらのうなり声という悲鳴を上げて応戦する……と、なんということでしょう。狼は慌てたようにキャンキャン鳴きながら、口に咥えていたウサギをほっぽり出して逃げていった。
「えっと……何が起きたんだ?」
頭を抱えてしばらくして、ふとあることを思い出した。
「そういえばさっきの狼。ブルーハウンドじゃん」
DFHのMobの中でも、森系のダンジョンの浅い層では必ずと言っていいほど見かけるモンスター。
それに気づいた瞬間、俺はこの世界がもしかするとDFHの中なのではないか? という仮説に思い至った。
「もしそうなら──!」
俺はパーティウィンドウを呼び出すと、レイドの状態を確認する。
俺が寝落ちした時は、まだレイドが解散されていなかった。もしここがDFHの中なら、俺と同じようにこっちに来てる仲間もいるかもしれないと考えたのである。
……しかし、そううまい話はなかった。パーティは解散状態。フレンドリストをあさっても、そこには空欄ばかりが並んでいて、現実のセーブデータは引き継がれていないようだった。
「そりゃそっか」
突拍子もない仮説だとわかっていた。異世界に転生という現象がありうるのなら、と少しだけ期待していたといえばその通りだったが、やはりこうして現実を突きつけられると心が苦しい。
「GMコールも多分意味がないだろうなぁ」
試しに開いてみたが、ラジオの砂嵐のような音しか聞こえてこない。たまに何か、粘性のある液体の中から泡がぶくりと現れて破裂するような音が聞こえるが……気味が悪いのでこれからは開かないことにしよう。
「と言うことは、ゲームとよく似た世界、ってところが妥当かな。となるとギルドハウスに預けてた装備とかアイテムは消えてそうだなぁ」
自前のアイテム欄は無事だろうかと確かめると、そっちの方は全然無事なままだったのでほっと安堵の息を吐く。食料系の素材アイテムもあるし、この分ならしばらくは生きていけそうだ。
「元の世界に帰る方法も判らないし、戻ったところでこの体なら、戸籍関係とかややこしそうだし……よし、決めた! これからはこの世界で、自由気ままに生きてみよう!」
せっかく、前世のしがらみも何もない、まっさらな自分に生まれ変われたのだ。
多少の不安はあるが、前世で培った知識チートでやりくりすれば無問題なはず。
俺は決意を新たにすると、マップ画面を開いて森の出口へ向けて歩き始めた。




