第15話 ブルーオーガ - I
「リアルで見るのと、画面越しに見るのとでは迫力が違うなぁ……!」
思わず口から漏れた感想は、その存在の圧力に自然と体が強張るほどだった。
──ブルーオーガ。
ゲーム時代からこのブラックフォレストに君臨してきた、徘徊方型エリアボス。
DFHサービス開始当初、右も左もわからないプレイヤーたちを何度も全滅させてきた恐怖の象徴が、今、俺たちの前に実体を伴って現れたのである。
「べ、別に……怖くなんか、ないけど……! でも、でもあんなの……! 魔法、全部効かない相手なんて、無理に決まってるじゃない……っ!」
声が裏返り、言葉の端が震えている。
リディアはその場にしゃがみ込んで、杖を抱きしめるように胸元で握りしめていた。肩は小刻みに揺れ、唇は青ざめて噛みしめられている。
見るからに、足が震えて立てないのだ。
無理もない。
エンカウントして早々に丸太を投擲されるという、理不尽の塊のような初撃を受けかけたのだから。
幸い、俺の白騎士がそれを防いだことで彼女に怪我はなかったが──あの質量の塊が真正面から飛んできた恐怖は、純粋な後衛の彼女には酷な話だった。
しかも、相手はブルーオーガ。
ただでさえ高い攻撃力と異様なタフネスを誇り、極めつけに強力な魔法耐性を持つ。
リディアのような、魔法一本で戦う純粋な魔法職にとっては天敵に等しい。
この状況で腰を抜かしてしまうのは、責められることじゃないように思える。
いくら冒険者が命を張る仕事であるとはいえ、本来であれば前衛に守られているはずの後衛にあの攻撃に恐怖を感じるなと言うのが無理な話なのだ。
「……仕方ない、俺が行くしかないか」
軽く肩をすくめて、前に一歩足を踏み出す。
今の彼女には荷が重いことは、その怯え様からも明らかだった。
「白騎士、守りは任せた」
言うと、白騎士はわずかに頷いて、タワーシールドを正面に構えた。
これでリディアへの飛び火を心配する必要がなくなった。
こちらも遠慮なく相手をできる。
──とはいえ、こちらも実践らしい実践は初めてである。
ウォーデンとの戦いは全部黒騎士に任せきりだったし、ここまで来る道中でも、さっきのフォレストパピヨンの群れ以外の魔物には遭遇しなかった。
そんな風にして偶然にも運よく魔物にエンカウントすることなく、ブラックフォレストの中層域まで足を踏み入れてしまったのだから、致し方がないといえばその通りである。
ショートカットに設定した魔術スキルのレベルを60代にまで制限した今、果たしてどこまで戦えるか……不謹慎だけど、ちょっとワクワクしてきたな。
……とはいえ、リディアがあんな状態だ。ふざけてばかりもいられない。
でもまあ、この制限下でどこまでやれるか、ちょっとだけ──楽しみにしてる自分もいる。
仲間が命の危機におびえる中で楽しもうだなんて、飛んだサイコパスだな。なんて思いながら、俺は口角を吊り上げる。
それに何を思ったのか、ブルーオーガが一瞬、躊躇いだように見えた。
「おいおい、いいのか? 隙だらけだぞ?」
軽く杖を振り、さっきリディアに実演して見せたものと同じ魔術──〈氷結〉を放つ。
「グァ!?」
足元に展開する青白い魔法陣に本能的に危機を覚えたのか、大急ぎでバックステップを踏むブルーオーガ。
しかしその背後にはすでに白く輝く魔法陣が展開されている。
「──招聘〈白騎士〉」
魔法陣からぬるりと現れる白銀の鎧が、その身の丈ほどもあるタワーシールドを振り回し、ブルーオーガの背中に向けてシールドバッシュをくらわせる。
「グァァ!?」
が、すんでのところで気が付いたのか、片足を軸に回転し、脇に回り込むようにして回避すると、白騎士の兜に向かって噛みついた。
どうやら、その首を食いちぎろうとしているらしい。
「無駄だよ」
直後、ブルーオーガの体が宙を舞った。
硬く動きの制限される全身鎧を巧みにうねらせて、あの青い巨体を投げ飛ばしたのである。
「グァルルルルルルルル……」
四つん這いになって着地するブルーオーガ。
その瞳は赤く輝き、完璧にそのヘイトが白騎士に向かっていることを目視で確認する。
「いいぞ白騎士、そのまま〈挑発〉しろ!」
俺の指示に従って、白騎士がタワーシールドを叩いて大きな音を出す。
「グァルルルァアアアア……」
まるで赤いマントに踊らされる闘牛のように吠えるブルーオーガ。
その口には、チラチラと輝く青い炎。
(──ブレスか。
ちょうどいい、白騎士がどう防ぐか見て置こうじゃないか)
ゲーム時代、ブルーオーガノブレスは前方に扇状に展開される長距離範囲攻撃だった。
しかし白騎士を前に出して防御させると、どういうわけか攻撃範囲にいるはずのプレイヤーキャラには、一切のダメージが通らなかった。
ゲームではグラフィックの問題から描写がカットされていたが……はたして、リアルだとどういう表現になるのだろうか。
「白騎士、ブレスを防げ」
タワーシールドを前方に構える白騎士。
──直後。
「グァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
燃え盛る青い炎が、一直線に白騎士だけをとらえたではないか。
「なるほど、魔力の通り道を制限して、ブレスの進路を操作してたのか!」
新たな発見に心をときめかせる。
やはり、リアルになったことによる描写密度の向上には目を見張るものがあるな!
「……っと、いけないいけない。
まだやりたいことがあるんだった。ブレスを切らす前に準備しないと!」
せっかく実践らしい戦闘ができるのである。
今回は色々、こっちでの魔術の使い勝手を見ておきたいから、まだ試していないスキルを試したいと思っていたのだ。
俺はアイテムストレージに手を突っ込み、掌に収まるサイズのキューブ型アイテムをいくつか取り出す。
金属光沢を放つその立方体は、青白い幾何学的なラインがいくつか走るだけの無骨なデザイン。
近未来の工業製品といった趣だが、中身は錬金術で組み上げた精密魔術装置だ。
狙いをつけてブルーオーガの頭上へ投げると、キューブは空中でふわりと静止し、回転を始めた。
まるでルービックキューブの様に回転を始め、その構造を変形させていく。
やがてそこから姿を現したのは、鋭い歯列を備えたワニのような頭部と、羽音を立てて舞う蜂の胴体を併せ持つ、小型の遊撃型自律ゴーレムだった。
──〈鰐蜂〉。
『錬金術』スキルレベル10で製作可能な量産型ゴーレムの応用モデルで、俺の設計によるオリジナル仕様だ。
自動連携モードに入った〈鰐蜂〉は、指示を待たずして即座に行動を開始。
背後に回り込んだかと思うと、ガパッと顎を開き、内部の発光機構から赤い魔法陣が投影された。
次の瞬間、火線が奔る。
数本の細く鋭い火炎放射が、上空からブルーオーガを狙い撃ったのだ。
「グァルルルルァァアアアアアア!!!!」
唐突に襲いかかった炎に、ブルーオーガは激昂し、吠えながら頭を振り回す。
青い炎のブレスで周囲を薙ぎ払おうとするその動きに、怯えていた鳥たちが木々から一斉に飛び立ち、木の幹に潜んでいたスライムが熱にあぶられてボトボトと落下していく。
──ダメージは薄い。
魔術系攻撃力40%カットなんていうふざけた魔術耐性を持つ相手に、火力勝負で挑んでも意味はない。
だが、嫌がらせにはちょうどいい。
その嫌がらせで、周囲に火属性の魔力が散乱してくれればしてくれるだけ、こちらにとって有利に働いてくれる。
俺は鰐蜂の位置と周囲の火属性魔力の充満を確認し、ニヒルな笑みを浮かべた。
「……さあ、芸術の時間だ」
頭の中のキーボードでショートカットを入力。
それに応じて〈鰐蜂〉が火炎放射を停止し、新たに青い魔法陣を展開する。
口内の魔力機構が切り替わり、今度は高圧の水流を一直線に噴射した。
その水が青い火に触れたその刹那――
辺りの空気が膨れ上がるように歪む。
火炎放射と青いブレスによって充満していた火属性魔力に、〈鰐蜂〉の高圧水流が混ざり合い──
その魔力反応が、凄まじい衝撃を生んだ。
爆音とともに視界が白く弾ける。
「くっ……!」
想像以上の爆発に、耳がきぃんと鳴る。
白騎士が直前に察知して庇ってくれたおかげで無事だったが、もし反応が遅れていたら、ただでは済まなかっただろう。
……まあ、俺以外だったらの話だけど。
俺が身に着けているこの黒いローブ──『夜天外套』は、ため込んだMPを消費して、一度だけ物理攻撃と魔術攻撃を無効化できる仕様があるのだから。
『錬金術』スキルさまさまだ。
術式素材と構築理論さえあれば、こういった魔道具も作れてしまう。
(まあ、一度使ったらまた魔力を籠めるために、10分間のリキャストタイムが挟まっちゃうんだけどね……。しかも1日5回までという制限付きという。
使わないで済んで、本当に良かった)
リアルになった世界では何が起こるかわからない。
それこそ、さっきの魔力反応──水蒸気爆発の規模みたいに、予想を外れることがある。
ぶっつけ本番で試さなくていいように、ブルーオーガにはいい実験台になってもらったけど……この衝撃で、死んでくれてないといいなぁ。
???「芸術は爆発だ!」
次回は正午です。お楽しみに。