第14話 ポリチャント
リディアの師匠自慢を聞き流し、そろそろアグナリア火山に向けて移動を再開しようとした時だった。
不意に、俺の鼓膜が嫌な音をとらえた。
パタパタなんて生易しいものじゃない。
もっと力強い羽ばたきの音が、前方のはるか上空から、明確な殺意を孕ませて俺の銀髪を巻き上げた。
(……来たか)
バサバサと目にかかる髪を掻きあげて空を見上げると、黒く妖艶ともいえる影が、太陽の光をさえぎってちかちかと旋回している。
──10匹近いフォレストパピヨンの群れ。
そもそもあの魔物は群れで行動するからこそ恐ろしいのだ。
慣れてきた初心者がようやく一匹を仕留められたとしても、あとから湧き水の様に湧いてくるあの群れの物量に圧されれば、次の準備をする間もなくやられてしまう。
だからこそ、それも込みで相手をするときは防御系のスキルや魔術を展開しておく必要があったのだ。
彼女の魔力量では、連射できたとしたってあの群れを相手にすると枯渇してしまう。
仕方ない、ここは俺が引き受けよう。
俺はすかさずワンドを構え、彼女の前に出た。
「リディア、下がって──」
「はぁ? 下がる? どの口が言ってるのよアイアンのくせにさぁ?
ちょっと魔力が多いからって調子乗ってんじゃないの?」
ぐ、それを言われると否定できない……。
リディアが俺を押し退けて、不敵な笑みを浮かべて杖をカシャンと回転させる。
「ポリチャントの本領は詠唱時間の短縮だけじゃないってところ、見せてあげるわ──」
フォレストパピヨンの群れが旋回しながら距離を詰めてくる。
薄紫の鱗粉がちらちらと雪のように降っていて、まるでこの森自体が毒を吸い込んでいるように見えた。
「瞬きしないで、ちゃんと見ておくことね──ッ!」
カシャン! と杖を地面に突き刺し、呪文を唱え始める。
呪文に呼応して魔力が練り上がり、大気中の魔力がうねりを上げて杖にまとわりつき、次の瞬間──。
「■■■■!」
呪文が口を突いて出た瞬間、フォレストパピヨンの群れに霜が降りた。
重なりあう詠唱が、まるで多重奏の旋律のように空間を満たし、大気中の熱を奪って、鋭い冷気が放射状に解き放たれたのである。
風属性の魔力がそれを包み込み、拡散──正面にいた数匹の巨大な蝶が、羽根の途中からバリバリと凍り、悲鳴も上げられずに氷像となって空から落ちた。
──魔力反応だ。
風属性の魔力は、触れた属性の魔力を周囲に拡散する付随効果がある。
それを利用して、氷の魔法の効果範囲と威力を強化したのだろう。
なるほど。
ポリチャントは同時に複数の言葉を発音することこそが肝の部分なんだ。
だから当然、詠唱の短縮だけでなく複数種類の魔法を同時に唱えることだってできるというわけだ。
そこを応用してさらに複数の属性で連鎖反応を起こす……。
どうやら、天才は口だけではないらしい。
地面からせりあがる魔力の奔流が、杖を通してリディアの体内に流れ込み、彼女のMPが徐々に回復していくのを観察しながら頭の中で推測を立てる。
だが──。
高い位置にいた数匹のフォレストパピヨンが氷の気配に気づいたのだろう。
リディアの魔法発動とほとんど同じタイミングで急上昇し、紫がかった鱗粉をばらまき始めた。
チラチラと雪のように降り注ぐその粒子を、息継ぎの拍子にリディアが吸い込んでしまう。
「けほっ、けほっ!」
たった一瞬、咳き込んだだけ。
それだけで、魔法の旋律が止まる。
詠唱することによって発動する魔法という形式の弱点だ。
舌がもつれる。
発声を阻害される。
息継ぎを邪魔される。
たったそれだけで致命的な隙が作られてしまう。
フォレストパピヨンはその弱点を、こざかしくも把握していたのである。
蝶の群れが、リディアに向かって突進する──!
「リディア!」
さすがにこのままではいくら詠唱を短縮できたとはいえ、物理的に反撃できまい。
俺は急いで白騎士を召喚しようと脳内の鍵盤に手を這わせようとして──
「舐めんな!」
リディアは杖を地面から引き抜き、そのまま突進してきた1匹のフォレストパピヨンの顔面をフルスイングで殴り飛ばした。
「ピギィィッ!?」
乾いた鈍い音。杖に残された魔力が殴打と同時に相手へ流れ込む。
リディアは回転し、地を蹴り、まるで舞うように群れの中へ突っ込んだ。
「ふっ!」
身をひるがえし、さらに続いて突進する何匹かのフォレストパピヨンを殴り、魔力を浸透させていく。
そうして残り数匹全部に杖を叩きつけた直後、彼女は雷管を刺激するように呪文を唱えた。
「■■■■〈チェインライトニング〉!」
直後、雷光が走った。
叩き込まれていた魔力が、まるで爆弾の導火線に火が走ったように術式へ変化し、空気が焦げる音とともに、雷光が1匹目から2匹目、3匹目と鎖のように連鎖していくのだ。
「「ピギィィィィィィィィィィ!!!!」」
爆音とともに、雷撃が群れ全体を飲み込む。
羽根が焦げ、鱗粉がはぜ、空が白い電撃で塗りつぶされる。
フォレストパピヨンたちはその場で焼かれ、地面へとドサドサと墜落していった。
「どんなもんよ!」
両腰に拳を当てて、どや顔を浮かべて見せるリディア。
俺はそんな彼女に心底感心した。
「すごいな。もしかして最後の魔術──じゃない、魔法。詠唱に魔力を流すという工程を逆にして、詠唱によって魔力に直接術式を書き込んだのか?」
俺の予想では、詠唱して魔法を使うこの方法は、詠唱と言う形に落とし込んだ術式に魔力を込めることで術を完成させている。
しかし最後にリディアが使っていた〈チェインライトニング〉はその工程が逆だった。
あらかじめ仕込んだ魔力に対して術式を書き込むことで、魔法を起動していたのである。
「あら、よくわかったわね」
頬についた鱗粉を袖で拭いながらリディアは驚いた表情で答えた。
「その通りよ。
ていうか、これは別にすごいことでも何でもないわよ。魔法使いとして基本中の基本。
あなた、本当に魔法使いなの?」
きょとんと首を傾げて見せる彼女に、俺は少し苛立ちを覚える。
ほんとにこの子は一言余計だ……!
「生憎、呪文を詠唱したことがないんだよ」
「は? ふざけてるの?
呪文唱えないでどうやって魔法を使うっていうのよ?
まさか、一度も使ったことがないなんて言うんじゃないでしょうね?」
まるで嘘つきでも見るような目でズイと顔を寄せるリディア。
「嘘じゃないし、使ったことだってあるよ」
「じゃあやってみなさいよ。
もし嘘ならあなたは街に戻りなさいよね、邪魔だから!」
そこまで言うのなら見せないわけにもいくまい。
俺にだって魔術師としての矜持がある。
魔術師なのに魔術が使えないと疑われるのは我慢ならなかった。
俺はリディアから数歩離れた。
ただ、頭の中にパソコンのキーボードを思い浮かべ、ワンドを構えてショートカットキーを打鍵する。
──直後、目の前の木の根元に魔法陣が出現した。
次の瞬間その魔法陣を起点にして、木が氷の結晶に変化。
文字通り、木が氷の彫刻と変化した。
『元素魔術』スキルレベル2で習得できる氷属性の基本攻撃魔術〈氷結〉。
正直、対象を凍らせるだけのこの魔術は、ほとんど使ったことがないものだ。
低レベルの魔物ならしばらく凍らせて動きを止められるというだけで攻撃力はほとんどない。
この世界に来た時、初日に撃った〈氷槍砲牙〉の威力があまりにも雑に強すぎたので、念のため強すぎる魔術を一通り、威力の弱い魔術に変更しておいたのだが──。
「ほ、ほんとに詠唱してない……」
「言った通りだろ?」
鼻を鳴らして見せる──が、俺も正直驚いていた。
ただ氷漬けにするだけの魔術のはずが、木を丸々氷像に変えられるほどの威力を持つだなんて想像していなかったからである。
せいぜい、薄く氷の膜が張る程度だと思っていたのに……。
「……そうね。疑って悪かったわ」
やけに素直な態度の彼女に、俺は一瞬面食らう。
てっきり、『こんなのは魔法なんかじゃないわ!』とかいって駄々をこねるかと思っていたのである。
「素直じゃないか、リディア」
だからだろうか。
自然とそんな風に、徴発じみたセリフが口から転び出てしまったのは。
「ムカ!
何その言い方!
ちょっと無詠唱で魔法使えるからって調子乗らないでよね!」
ビシッ! と人差し指を突きつける。
「いい? 次に私が凄い魔法を見せたら、素直に土下座しなさい!」
「土下座!?」
「当然よ! 師匠の名にかけて負けられないんだから!」
「何の勝負だよ!?」
確かに彼女は師匠であるヘンブリッツを、狂信と呼んでいいほど敬っていた。
リディアにとって俺の魔術の存在は、そんな彼を否定するものに思えたのだろう。
「……わかった。
その時は土下座でも何でもして──」
と、言いかけたその時だった。
地面の奥深くから、ズン、ズン、と嫌な低音が響き、俺たちは思わず耳を澄ませた。
まるで、この森そのものが何かに怯えているように、木々がざわめき、枝葉が震えている。
「……地鳴り?」
「違う、この足音……っ!」
リディアが杖を握りしめ、目を見開いた。
直後──それは起きた。
森の向こう側、木々の間をなぎ倒して、大きめの家具ほどもありそうなサイズの丸太が飛んできた。
標的は──リディア。
「──〈白騎士〉!」
俺の叫びと同時に、白い魔法陣がきらめき、白銀の騎士が出現。
タワーシールドが閃き、巨大な丸太を受け止める。
──ダン!!
重い金属がぶつかるような鈍い衝撃音が森に炸裂し、地面が揺れた。
リディアが驚愕した顔で振り返る。
「何これ!?」
「俺の召喚獣!」
「召喚!? あんた召喚魔法まで使えたの!? ずるくない!?」
彼女の驚きに応えるように、森の奥から一際大きな咆哮が轟いた。
そして、木々の隙間が裂けた。
ただの生き物ではない。
その登場は自然の景色を無理やり変形させるような、暴力的なまでの異質だった。
一本、また一本と太い木々が揺れ、倒れ、やがてそれが姿を現した。
まず目に入ったのは、全身を覆う鉄のように硬そうな青い肌。
ぼさぼさの黒い髪が目元を覆い、獣のような息づかいが空気を震わせている。
額には、ねじれた白い双角。
顔はまるで飢えた獅子の様で、口を開ければ鋭い牙が並んでいた。
その手には、さっき投げたと思しき樹をそのまま握りこんだ丸太──。
「リアルで見るのと、画面越しに見るのとでは迫力が違うなぁ……!」
思わず口から漏れた感想は、その存在の圧力に自然と体が強張るほどだった。
──ブルーオーガ。
ゲーム時代からこのブラックフォレストに君臨してきた、徘徊方型エリアボス。
DFHサービス開始当初、右も左もわからないプレイヤーたちを何度も全滅させてきた恐怖の象徴が、今、俺たちの前に実体を伴って現れたのである。
ここで突然の魔術豆知識!
古代ギリシャの魔術儀式では、もっとも重要なのが 「言葉」=ロゴス。
言葉には世界を動かす力が宿るとされ、呪文や詠唱は単なる言葉ではなく、「宇宙の秩序を揺さぶる鍵」と考えられていました。
特に有名なのが、「ヴォカブルム・マギクム」と呼ばれる意味不明の言葉の連なり。
これは「アブラカダブラ」や「アブラクサス」のように、意味よりも音の響きや文字の並びに力があるとされた呪文です。
魔術師たちは神々や霊的存在と繋がるため、これらを長く反復し、声そのものを振動させて「力の場」を作り上げていました。
また、ギリシャでは 七母音(α, ε, η, ι, ο, υ, ω) に特別な力があるとされ、母音を引き伸ばしながら唱えることで、宇宙の階層や惑星の力を呼び寄せる儀式も行われていました。
「イーーーーオーーーーウーーーー」など、響き自体が呪文となるのです。
そして詠唱は、しばしば 星の運行や月の位相と結びつけられました。
言葉を放つ時間やリズムがずれると力を失うとされ、魔術師たちは暦を読み、夜空を観察しながら最適な瞬間を選んで呪文を唱えたのです。
つまり、古代ギリシャの詠唱は――
「意味のある言葉」ではなく「響きとタイミング」で宇宙を揺さぶるための術式だった、というわけですね。
以上、魔術豆知識でした!
次回は来週です。
お楽しみに!