第13話 ブラックフォレスト
ブラックフォレストは文字通り、真っ黒な針葉樹の森である。
葉の色は黒っぽく、地面を覆う腐葉土には、松や樅の落ち葉が、黒土に点々と残る雪の合間から顔を出していた。
(こっちの世界に来たときは、雪なんて気づかなかったな……)
遠く木の葉の切れ目に見える切り立った山脈の万年雪を眺めながら、白い息を吐く。
意識の外側では相変わらずリディアが自分の師匠であるヘンブリッツの自慢話ばかりしているが、同じ内容を二度三度と聞かされるこっちの身としては、なんというか、冬であるにもかかわらずセミの鳴き声のような鬱陶しさがあった。
「ねぇ、ちょっと聞いてるのかしら!」
「はいはい、すごいねー」
やれ、単独でリッチの群れを殲滅しただの、凶悪な魔導犯罪グループの首魁を討伐しただの、その首魁が元名うてのゴールドランク魔法使いだっただの、それが理由で魔法使い殺しの魔法使いなんて物騒なあだ名がついただのなんだの……。
もう耳にタコができるほど聞かされて、正直俺の精神は疲弊していた。
「いいかしら。魔法使いの強さは、どれだけ強力な魔法が使えるかじゃないのよ。
生物たるもの、頭を潰されれば死ぬし、呼吸できなくなれば死ぬわ。
だから、どれだけ早く呪文を詠唱できるかが、魔法使い同士の戦闘では重要になってくるの」
「はいはい、そうだねー」
紫がかったピンクのツインテールを揺らしながら、得意げに語る。
体を大きく揺らすたび、そのゴシックでロリータなフリルが舞い、手に持っている身長ほどもある巨大な杖の装飾がかしゃんかしゃんと音を立てた。
長い柄に、金属製の円環。
その円環にまた金属製の円環が何枚も通されていて、まるで西洋版の錫杖のようである。
イメージするような仏具の錫杖と違うのは、その先端にいただく大きな赤い真球状の魔石だろうか。
──それにしても、呪文ねぇ……。
何度もリディアが言うから半強制的に覚えてしまったが、どうやら俺の予想通り、この世界では呪文の詠唱が魔術の発動──彼女らの言葉で言えば魔術より魔法と呼ぶのだろうがさておき──に重要で且つ不可欠なのだとか。
「でも、どれだけ早口で呪文を唱えたって限界があるの。そこで師匠が開発したのがポリチャントって技術よ」
「ポリチャント?」
無意識に聞き流そうとしていた俺の鼓膜が、聞き覚えのない用語に反応して森を先行するリディアに問いかけた。
「そ。アイアンランクのあなたにはまだ難しいかもしれないけれど──ちょうどいい小物がそこにいるから、実演して見せましょうか」
杖を一回転させて、その先端を数メートル先を浮遊する魔物に照準させるリディア。
幅一メートルほどはあろうかという巨大なサイズの蝶型の魔物、フォレストパピヨンである。
広範囲の鱗粉攻撃は強力で、更に群れで行動するタイプの魔物だ。
近接系のスキルしかないプレイヤーにとって最初の強敵となることはもちろん、その接近速度も素早く、魔術師系でも最初に防御系の魔術を発動して詠唱時間を稼がないと厳しい相手だった──が。
「■■■■〈アイスフラワー〉!」
フォレストパピヨンがこちらに気づいて突進、その射程圏内に入るよりも早く詠唱を終えた直後。
魔物の全身が氷の結晶で覆われ、ボトリとその場に崩れ落ちた。
「と、まあこんなものね!」
「は?」
俺は、思わず目を疑った。
いや、疑ったのは耳だろうか?
ここまで来る道中に彼女のステータスを覗き見たが、リディアのレベルはたったの35。
DFHがゲームだったころなら今の魔物に苦戦はしないが善戦するくらいの数値しかなかった。
最低でも初撃の防御からの攻撃、フォレストパピヨンの反撃と回避くらいの戦闘があってもいいはずのレベル差でしかない。
それにもかかわらず、リディアは一撃で、間合いへの侵入を許すことなく仕留めて見せた。
「今のがポリチャントよ!」
リディアが、自慢げな、というよりはなぜか恍惚とした表情で杖をくるりと回しながら胸を張る。
「簡単に言うと呪文をぱっくり半分に折って、同時に口から出すの」
「ぱっくり?」
「ぱっくりはぱっくりよ。呪文を前後で分割するの。
例えば『水よ、湧きいでよ』という呪文があったとしたら、『水よ』の部分と『湧きいでよ』を同時に発音するの」
言って、実際にやって見せるリディア。
なんというか、ごにゃごにゃ言っているようにしか聞こえず、本当に呪文として成立しているのか怪しく思えてくる──が、直後彼女の掌から冷たい水がちょろちょろと湧き出てくるのを見るに、確かにそのやり方で成立するのだろう。
魔力の流れもよどみがない。
むしろリディアの手から染み出した魔力が、急速に水属性に変化して収束していくさまは見ていて気持ちがいい。
「いや、でもそんな曲芸じみたことが万人にできるのか?」
俺にはむしろ、そんなことよりももっと多く使える魔術の量を増やした方が戦略的にいいのではないかとか、その詠唱を練習する時間がもったいなくはないのかとか、そんなことを思ってしまう。
「ちょっとコツをつかめば誰だってできるわよ!
あなたにはまだ難しいと思うけど」
どや、とばかりにツインテールを揺らして自慢気に言い放つのに、苦笑いを浮かべる。
(コツ……コツね……)
そんなものより、もっと別の要素が必要なのではないか、と、ポリチャントを語る彼女の蕩けた危ない表情を見て思う。
なんていうかもう、練習とかコツとかよりも狂信に近い何かがあってこそ成立するのではないかと疑いたくなってくる。
「師匠ってばすごいわよね……!
やっぱり天才を超える天才っていうか? もはや神よ、神!」
ゲーム時代、どうやってこの詠唱時間を短くするかというのは、俺の中でも大きな課題だった。
結局、魔術の効果時間を短くすることでキャストタイムを短縮する方法まではたどり着けたが、このやり方だと威力の低下を招くという根本的な問題が残ってしまった。
そのあたりを解決してしまったという点においてはおおむね同意するが、とはいえ俺にとっては少し問題がある。
俺の使っている魔術は、ゲームシステムの流用によって成立している。
脳内のキーボードを叩くことで、ショートカットに設定していたスキルを自動的に呼び出しているにすぎないのだ。
だから俺の場合キャストタイムは、自分で唱えるという行為によって短縮はできない。
この世界に来た当初より、この世界流の魔術の扱い方を習得して、実践に適した形に作り替えようなどと思っていたが……この点においては、残念だが詠唱という手段は使えないだろう。
もしかすると、『元素魔術』スキルの〈略式詠唱〉とか〈詠唱時間短縮化〉というスキルがポリチャントに相当するのかもしれないが……呪文を唱えなくても発動することを鑑みると、効果は似ていても非なるものと言う認識が近いかもしれない。
むしろ短縮率で言えばポリチャントの方が上位互換ですらある。
「あ、ちなみに今となってはシルバーランク以上は必修のスキルよ。
魔法使いならランクアップ審査の時に絶対課題として出されるわね。
今のあなたなら落第は免れないわ」
「マジか……」
その発言には少しだけ驚かされる。
つまり、俺がこれからシルバーを目指すなら、避けては通れない茨の道になるということである。
まあ、この世界の魔法と言うものにも興味はあるし、少しくらいは寄り道してもいいかもしれない。
ひょっとすると今使っている魔術を改良する、いいヒントにつながるかも。
「まあもっとも? 三つ折りにできるのは天才な私くらいかしら?」
困った表情を浮かべる俺に、どや顔でマウントを取るリディア。
悔しいが、その実力は素直に認めなければなるまい。
そのどや顔は少し鬱陶しいが。
「ちなみに師匠は四つ折りにできるわよ!」
「あの人曲芸師か何かなの?」
具とパンを分けて食べるような人はやっぱり常人とはどこか感性が違うのかもしれない。
あの胡散臭いおじさん冒険者の顔を思い出しながら、嬉しそうに自慢話を再開するリディアに苦笑いを浮かべた。
第七王子の呪文束って概念、いいですよね……。
広めたい、この概念……。
次回は18時です。お楽しみに。