第10話 交渉
それから俺は、サリエルの休日に付き合った。
教会の中をいろいろと見て回ったりしたし、近くの喫茶店で甘いものを食べたり、アクセサリーを選んだりして楽しんだ。
お金はカラクさんからもらった数万円分の軍資金があったので、俺も色々買ったりしたんだけど……。
「明日から働かないとちょっとまずいな……」
サリエルに紹介してもらった、個室風呂付きの宿、その角部屋の一室は、2日の滞在費で大銀貨2枚。
日本円の価値換算で約2万円相当である。
お風呂がついていない部屋だとこの半額で、さらに部屋に鍵がついていないとさらに半分になると言われたが、流石に今は女の身。
白騎士がいるとはいえ、寝ている間も起動し続けてくれるかわからない現状、それを試すのは憚られたし、腐っても俺は日本人だ。毎日お風呂に入らないというのは正直嫌だった。
「入浴の文化があったおかげで助かったけど……出費がなぁ」
きちんとベッドメイクされた白いシーツの上に銀貨やら銅貨やらをじゃらじゃらだして、残金を数えながらため息をつく。
「生活必需品は揃えたから、宿代さえ支払れば向こう1ヶ月は安泰……だけど、1泊2日で大銀貨2枚ということは、1ヶ月で60万円くらいだからえーっと……金貨6枚か……」
家賃月60万円は、流石に無理が過ぎる。
とても稼げる金額には思えない。
だけど毎日お風呂に入ったり、安心して生活するには絶対に必要……。
「何か売れるものは……あ」
そんなわけでアイテムストレージを漁っていると、ふとあるものを見つけた。
「そっか、これがあれば当分暮らせるか……?
あ、いやむしろこれを担保にして家を買うという方法も……」
顎先に指を当ててプランを立てる。
あらゆる最悪の事態を想定し、それでも成立可能かを現状持ちうる情報を総動員して考える。
「……うん、いける。
この方法なら……まぁ、ちょっと目立つかもしれないけど、そこはカラクさんを信用しよう」
俺はそう結論づけると、1日の汚れを落とすべくお風呂に向かった。
***
翌日。
出掛けにまた同じ部屋を借りるよう、チェックインを済ませると、俺はカラクの店に直行した。
カラクの店は商業地区の隅にある小さな道具屋だった。
石組みの3階建てで、木製の看板には『梟印のカラク商店』と彫刻されている。
シックな扉を開けて中に入ると、20畳ほどの店内に、所狭しと棚が並べられ、雑多なアイテムが陳列されているのが目に映った。
ポーション類をはじめとして薬草や鉱石などの錬金術で使うような素材や、ロープやカバン、雨除けのマントなどの冒険者用のキャンプ道具などが並んでいる。
「これはこれは、ユーリ様。
本日はどのようなご用件でございましょう?」
店に入って、そのファンタジックなデザインに心を奪われながら見物していた時だった。
店の奥から、見覚えのある恰幅のいい商人が歩いてくるのが見えた。
カラクである。
「例の金貨のことで相談があってね」
俺は手に取っていたカンテラを元の位置に戻しながら用件を口にする。
「例の金貨!
承知しました。ここではなんですので、話は奥で致しましょう。
ウェンティ! 少しの間店番を頼む!」
「へーい」
例の金貨、と耳にした瞬間、きっと色々なことを察したのだろう。
店頭で話すのはまずいと判断したカラクは、カウンター奥で一服していた金髪の少年に一声かけると、2階の商談室へと招いた。
商談室は、薄緑色の壁紙の落ち着いた空間になっていた。
青い革が張られたソファは、実家にあったそれとは劣るが、宿にあったソファよりは座り心地が良かった。
「気づきましたか。
それは、エンデバン市の工房で作られた、高級ブルーオーガ革のソファなんです。
私、実は結構な家具好きでしてね……っと、失礼いたしました」
ぺこりと軽くお辞儀するカラク。
言われてみればこの部屋の調度品の質といい、デザインといい、なかなか男心をくすぐられる魅力のあるものばかりである。
「そういうことなら、いつか家具の選定をする際はお願いしようかな」
「お高いですよ?」
「資金ならある」
言って、懐から出すそぶりを見せながら、イニシエール古金貨をデスクに出した。
「そういえば、その金貨の件でご相談だったとか」
「あぁ。
結論から言うと、これを換金し、ついでにその金で俺が住むための邸の建築と、加えてその維持を頼みたいんだ。
カラクさんの店だけで無理なら、業者を仲介してもいい」
イニシエール古金貨は1枚で10億円相当。
屋敷を建てて家具をあつらえるだけなら、充分足りるはずだ。
足りなかったとしても、イェンの手持ちはまだまだあるし、追加も用意できる。
とはいえ、これは小出しにするべきだろう。
でなければ価値が落ちるし、そんなにホイホイ出していたのでは怪しまれる。
「畏まりました。
でしたら、まずは商業ギルドに仲介しましょう。
私のような弱小商店には荷が重すぎますので……」
「なるほど」
たしかに、彼の経営するこの店はかなり庶民向けの雰囲気がある。
もっと大きな店に呑まれたりしたら、俺の計画も崩れるかもしれない。
だが、これは想定内の反応だった。
だから俺はもう一つ用意した作戦がある。
まだ焦る必要はないだろう。
「そのあとは?」
「そのお金を使って、石工ギルドに問い合わせてみます。知り合いにロックウェルというドワーフの石工がいるので、彼を交えて土地の購入とお屋敷の設計図など、話を進めていこうかと」
ドワーフ。
その言葉を聞いて、俺は内心目を輝かせる。
ドワーフといえば、この街に来た時にチラッと見かけただけだったが……やはり、何か作ると言ったら彼らに頼むのが一番だ。
そうに決まってる。
「いいね。
それでいこう」
「ありがとうございます。細かな手続きなどはこちらで済ませておきますので、差し当たって、委任状を認めていただければと」
「わかった」
机の引き出しから、一枚の羊皮紙と羽ペン、インク壺を取り出して手渡してくれる。
「委任状の書き方はご存知で?」
「いや、済まないが体裁を整えるのは手伝ってくれないか?」
「承知いたしました」
それから俺はカラクと話し合いながら、委任状の制作を進めた。
邸の建設に使っていい金額の上限とか、そこに家具を含むかとか、資金運用の範囲とか、再委任の可否とか、契約破棄の手順とか、諸々細かいことを話した。
お金が関係する難しい話は今まで縁がなかったせいで少し難航したが、カラクの説明がわかりやすかったので、お昼前には委任状の執筆が終わった。
「こんなに時間がかかるなんて思わなかったよ」
「こういうものは慣れでございますので」
笑いながら返すカラク。
今日はもう、何もする気が起きないや──とは、言っていられないのが現実である。
このあとは冒険者ギルドでの仕事が待っているのだ。
やらないと、明後日の分の宿がなくなってしまう。
「印刷機があれば、この委任状を2枚も手書きしなくて済むのにな……」
ぐっと伸びをしながら、ぽつりと呟いた。
「印刷機とは?」
「あれ、もしかして知らない?」
「はい、初めて聞きました」
不思議そうな顔をするカラクに、俺はニヤリと笑みを浮かべた。
今日仕事をしなくてもいい方法を思いついたのである。
「印刷機っていうのは、こういう書面を一瞬で複製できる道具のことさ。魔力がいらないから、魔力のない人間でも簡単に扱える便利な物なんだけど……」
「それが、印刷機……ですか」
顎に手を当てて考え込むカラク。
いいぞ、食いついた。
「これがあれば事務作業の効率化に繋がる。
材料も鉛と木材、あと接合に使う釘とかくらいだから安く量産できるし、もし印刷機が一般的じゃないのなら、これは結構売れるかもしれないなぁ」
昨日、サリエルが何年も休みなく働いているとか、残業がなくならないだとか言っていた話を思い出す。
その原因は、複製しなければならない証明書類が多すぎるせいらしい。
であれば、各種ギルドは印刷機を重宝するはず。
売れない理由がないだろう。
「なるほど、それは魅力的な話ですね……」
きっと、彼の頭の中にはいろいろな商談ルートがリストアップされているのだろう。
俺はニヤリと笑みを浮かべると、最後の一足を口にした。
「本来なら金貨6枚で教えようと思っていたが……今回はカラクさんにイニシエール古金貨の運用を代わりにやってもらうことになってるし、特別に半額の金貨3枚で作り方を教えよう。どうだ?」
「金貨3枚ですと!?
ぜひ! ぜひよろしくお願いいたします!」
こうして、俺はまた数時間かけてグーテンベルクの活版印刷機の知識を売り、ついでに特許料を得ることに成功したのだった。
ここで突然の歴史豆知識!
今回は「グーテンベルクと活版印刷機」についてのお話です。
15世紀、ヨハネス・グーテンベルクが発明したとされる活版印刷機。
それまで本は修道士たちが手作業で写本していたため、ものすごく時間がかかり、しかも高価なものでした。ところが活版印刷の登場によって、同じ内容の本を大量に、しかも比較的安く作れるようになったのです。
この技術革新がどれほどすごいかというと、現代でいうインターネットやスマホの普及レベルに匹敵します。情報が一気に広まり、学問や宗教、政治までもが大きく動き出しました。
特に有名なのが「グーテンベルク聖書」。印刷によって複製された最初期の大型書籍で、写本と並べても見分けがつかないほど精巧だったそうです。
ただし、当時のグーテンベルクは資金難に悩まされ、発明から得られた利益はむしろ少なく、生涯は波乱万丈でした。
それでも活版印刷がもたらした影響は計り知れません。ルネサンスの文化拡大、宗教改革の広まり、科学革命の加速…これらの大事件の“情報インフラ”を支えたのがこの技術だったのです。
まるで「世界を変えたチートアイテム」みたいな存在ですね。
もしグーテンベルクがいなければ、今の私たちが本を読むスピードや知識を得る速さは、まったく違うものになっていたかもしれません。
以上、歴史豆知識でした!
次回は正午です。
お楽しみに!