聖女ですが職場がブラックすぎてもう限界です。せめて感謝してくれればいいのにむしろ馬鹿にされたし。後がどうなっても知りません、自分たちで頑張ってください。
大勢の方にお読みいただき、また感想や評価なども多々頂いております。本当にありがとうございました!
誤字報告ありがとうございました! 修正しました。
「もう無理です! 休ませてください!」
少女たちは泣きながら叫んだ。
しかし聖女を監視する男たちの目は冷たかった。
ロディニア王国は聖女の魔法によって守護されていた。守護というより維持だろうか。
王国の中心の神殿と呼ばれる場所で四人の聖女は国家と国民のために祈りを捧げていた。
その祈りは象徴的なものではなく実効性を持っている。
例えば『移動の聖女』と呼ばれる少女の魔法は物流や旅客をつかさどる。
彼女の魔法で作られた「ポータル」と呼ばれるポイントに荷物を置けば、あるいは足を踏み入れれば、聖女の魔法の力で他の任意のポータルに移動することができる。
人も荷物も国境の町から反対の国境の町まで一瞬で移動できるのだ。
他の三人の聖女たちも同様の魔法を駆使する。
聖女たちの魔法によってロディニアは大いに繁栄していた。
しかし、その繁栄を維持するための聖女たちの負担は凄まじいものがあった。
全身から魔力が抜けていく倦怠感、魔法を使う集中力を維持する疲労、しかもそれを睡眠以外のすべての時間続けることを強要されていた。
神殿の壁にはさまざまな標語がそこかしこに貼ってあった。聖女たちを激励する目的だ。
曰く
『欲しがりません、引退までは』
『胸に愛国、手に魔法』
『権利は捨てても義務は捨てるな』
『愚痴を出すより魔力出せ』
などなど。
……これでも激励しているつもりらしい。
まだ十代半ばの少女である聖女たちが泣き言をいうのは毎日のことだった。
魔法を使いながら移動の聖女が叫んだ。
「もう無理ですううう!」
「無理という聖女は嘘つきなんですよ」
「……え?」
「途中で止めてしまうから無理ってことになるんです。止めなければやっぱり無理じゃなかったってことでしょう?」
男は平然とうそぶいて壁を指さした。
そこには『胡麻の油と聖女の魔力は絞るほど出る』などと書かれていた。
「お願いです、週に一日でいいので休ませてください」
土下座して懇願する『活力の聖女』を見下ろす男の目はやはり冷たかった。
「『今を人並みに』というのは贅沢だ。ここを出たらお前たちには人並み以上の生活が待っているのだから」
「それは……」
「これまでの聖女たちに恥ずかしくないのか?」
「うう……」
力を使い果たした聖女は引退となる。
引退後は高位貴族たちとの幸福な結婚とそれに伴う高い地位、そして何不自由のない暮らしが待っている。
聖女たちは子供の頃からそう言い聞かされてきた。
「今辞めたらこれまでの苦労がすべて無駄になるぞ?」
「でも、疲れが溜まりすぎて……全身が痛くて辛いんです」
聖女の涙交じりの言葉に男はスッと壁を指さした。
そこには『痛いのは生きてる証拠だ感謝しろ』という標語が掲げてあった。
「トイレに行ってきます……」
聖女たちは肩を落として部屋を出た。見送る男が声を掛けた。
「クソする間も魔法は絶やすなよ」
トイレに入った聖女たちは顔を見合わせて頷いた。
次の瞬間彼女たちの姿が消えた。移動の聖女の力で移動したのだ。
別に神殿の中にいなくても魔法は使える。男たちは気にしない。
最近の聖女たちは気晴らしのためこっそり街に出るようになっていた。
今日の彼女たちは中央広場にいた。
いつも何を見ても珍しいのだが、今日はいつにもまして変わったものがそこにあった。
街の人たちが笑いながらそれを指さしている。
「ひっ……」
聖女は小さく悲鳴をあげた。
一人の中年女性が首を吊られて死んでいた。人々はそれを見て笑っていたのだ。
「まったく、聖女だった癖してふてえ野郎だぜ!」
「え……?」
聖女たちは耳を疑った。
聖女が力を使い果たすとその魔法は国内のどこかの少女に移ってただの人となる。
彼女はつまり先代の移動の聖女だった。
「な、なんで……?」
「え? パンを一個盗んだからよ」
「パンを盗んだだけで……?」
罪と罰とがどう見たって釣り合っていない。
それにこの国は活力の聖女の魔法で食料は潤沢なはずだ。貴族の奥様がパンを盗まなければならないほどの貧困ってどういうことだろう?
「な、なんで……? 聖女って貴族と結婚するんじゃなかったの……?」
「なんだお嬢ちゃん、外国人か? あのな、魔法が使えなくなった聖女なんて何の価値もないんだよ」
「ずっと神殿の中にいて世間知らずだしな」
「貴族と結婚ったって、そんなの正妻にするわけにいかないだろ? 妾だよ」
「妾としても無能で大抵は追い出されちまうんだけどな」
「そんな女に何ができるかっていったら、まあ体売るしかないわけだが……」
「あんなババアになっちまったら買う男もいねえよな!」
「それでパンを盗んであえなく御用ってわけよ」
「汚物が消えてせいせいしたぜ!」
男たちは、いや女たちも、聖女たちを除くその場の全員がゲラゲラ大笑いした。
聖女たちは最初呆然として、次に怒った。
「酷い……!」
「聖女の魔法にお世話になってたんでしょう? 感謝とかないんですか?」
聖女の抗議に対して、男は口をひん曲げてせせら笑った。
「感謝? 聖女なんて国体を維持するためだけの使い捨ての道具だろ」
その言葉は聖女の誇りを打ち砕くのに充分な威力を持っていた。
「……嫌ああああああっ!」
移動の聖女の魔法がほとんど暴走じみた勢いで発動した。
この異常な場所から一刻も早く逃れたかった。遠くへ、なるべく遠くへ……。
移動の聖女の魔法は一瞬のうちに四人を西隣の国に移動させていた。
国境の向こうの丘の上だった。四人は一本の大樹の陰で膝をついて泣いた。
「うっ……」
「ううっ……」
四人は泣いた。
泣いて泣いて、泣き続けた。散々辛い思いをした末路があれだなんて……。
一時間も泣いていただろうか。
泣き疲れて、これ以上は涙も出ないほどに泣いた聖女たちの思いは一緒だった。
──もうあそこには戻りたくない。
泣きやんでからさらに一時間。その間、聖女たちの心の中にはさまざまな思いが去来していた。
そして口を開いた守護の聖女は「私はこの国に残るわ」と言った。
「みんなはどうする?」
守護の聖女の問いかけに他の聖女たちは少し考えて、それぞれの意見を口にした。
移動の聖女は「私は西の国へ行くわ。あそこからなるべく遠く離れたいの」と言った。
清浄の聖女は「私は南の国へ行くわ。寒くて眠れないのはもう嫌だから」と言った。
活力の聖女は「私は北の国へ行くわ。私は寒くても平気だから」と言った。
そして移動の聖女はその力でそれぞれを希望する地へと運んだ。
「十年後の今日ここで」
「またみんなで会いましょう!」
そう誓い合って、聖女たちはそれぞれの未来へ向けて歩き出した。
ロディニアの国民たちは、いやロディニアという国家は即座に混乱に陥った。
町の中からポータルが消滅した。
これまで国内の移動と流通はすべて移動の聖女の魔法で行われていた。
他国のような荷馬車すらろくにない、というか牛馬がほぼいない。牛は食用牛しかいなかったし馬は貴族の見栄のための移動用しかいない。
彼らは重い荷物も自分たちで背負って移動しなければならなくなった。これまで町の中くらいの距離しか歩いたことのなかった国民たちにとっては隣の町すら異国よりも遠く感じられた。
活力の聖女の魔法は国内の一切のエネルギーを賄っていた。燃料から照明まですべてだ。
街角から明かりが消えた。かまどの火も暖炉の火も溶鉱炉の火も消えた。
活力の聖女の魔法はまた植物や土の中の微生物にもエネルギーを与えて食料生産に一役も二役も買っていた。
元々岩だらけの荒野の上に無理矢理作った国だ。肥沃な農土は見る間に砂に還り農作物は小麦から牧草に至るまで死滅した。
ロディニアのありとあらゆる生産は数日のうちに停止した。
清浄の聖女の魔法は治癒と浄化をつかさどる。これまでは国内で怪我をしても即座に治っていた。それがなくなった。
どうせすぐに治るからとロディニア人たちは無謀な行動に出る癖がついていた。例えば高いところの物を取るために椅子を積み重ねてその上に乗るような。
各地で事故が頻発した。しかしその傷が癒えることはもうない。
またこの国では各家庭に上水道が引かれていたが、その水を飲めるように浄化していたのも清浄の聖女の魔法だ。これまでと同じ調子で不潔な生水を口にした国民たちは腹を下した。
下水道の浄化も聖女の魔法によるものだった。河川には未処理の汚水が流れ込み飲料水を汚染した。町の中の窓に面した道路は投げ捨てられた大小便が撒き散らされ足の踏み場もないありさまだった。
あっという間に疫病が蔓延した。特に消化器系の感染症は都市部を中心に急速に広がって行った。
路上と言わず屋内と言わずあらゆるところに下痢便が垂れ流され、悪臭と病原菌とが目に見えない蒸気と共に国中に漂っていた。
ロディニア人たちは代わりの聖女を探した。しかし聖女の魔法は使い果たすことで次の聖女に移る。力を持ったまま逃げた彼女たちの代わりはいくら探しても見つからなかった。
生活と生産の基盤がすべて崩壊した。
麦の備蓄を食べ尽くすと人々は家畜を次々と殺して食肉にした。しかしその肉を配るためのポータルも停止してしまっている。せっかくの肉は国民に行き渡る前に大半が腐ってしまった。
「そのパンをよこせ!」
「ふざけるな!」
至るところで食料の奪い合いが始まっていた。ところが暴力に慣れていないものだから、この男は相手を一切の手加減なしで力任せに殴った。
「うっ!」
「ぐあっ!」
守護の聖女がつかさどっていたのはあらゆる害意からの防衛だった。一切の敵対的行動からの絶対防御だ。国内で喧嘩になったとしても双方傷つかないし、仮に戦争になったとしてもロディニアの兵士たちは国内にいる限り決して傷つかない。
しかしもう防御魔法はない。殴られた方はかつてない痛みを受けて倒れたし、殴った方も指の骨が折れてうずくまってしまった。そしてもう回復魔法はかからない。
今やロディニアは地獄の釜の底だった。
人々は飢えを満たすために草まで食べた。互いに奪い合い、殺し合った。殺した人の肉を食らう凄惨な場面があちこちで繰り広げられた。
政府はかなり早い段階で隣国への侵攻を決定していた。少なくとも食料を手に入れなければ支配者層すら飢えそうだった。
しかし不可視の壁に拒まれてロディニアの兵士たちは国境線を一歩も越えることができなかった。
また兵士たちだけでなく国民も壁を通り抜けることはできなかった。害意を持たない者には無効な結界だったのだが……。
これだけは幸いなことに、これを好機と侵攻してくる国はなかった。
何故なら無益、それどころか有害だからだ。
これまでのロディニアは周辺諸国から羨望の目で見られていた。
しかし今となっては得られるものは何もない。
資源はない、技術もない、あるのは怠惰で役に立たない国民くらいだ。
うかつに併合なんてしてしまった日には彼らを支援してやらなければならなくなる。むしろ重荷になるくらいなことだ。
どの国もロディニアの困窮から目をそらして見ないふりをしていた。
数知れない人々が路上に倒れ、そのまま放置されていた。
多くは疫病に倒れ、かろうじて病気にかからなかった人たちも飢餓は避けられない。飢えた人々が道端に横たわって、なるべくカロリーを使わないように身動きもせず、ただひたすらに呼吸だけを続けていた。
国境近くの丘の上の大樹の下に女性が一人いた。二十代半ばの高貴な身なりの女性だ。
彼女は木陰にテーブルとイスを並べて、古い友人たちが来るのを待っていた。
今日は十年前に約束したあの日だ。
かつて守護の聖女と呼ばれていた少女は自らロディニアの西隣の国に残ることを選択した。進退に窮したロディニアが攻め込んでくるのではないかと危惧したからだ。
彼女は誰に告げることもなくロディニアを覆うように防衛の結界を張った。
やがて彼女の危惧した通り武装した兵士たちが国境へと殺到した。しかし彼らは結界に阻まれて国境を一歩も踏み越えることができない。
怨嗟の声を叫ぶ兵士たちを隣国の国民たちは恐れの目で眺めていた。
この奇妙な現象はほどなく国中の知るところとなった。不思議に思った国王はその国の『知見の聖女』に尋ねた。
知見の聖女は正確に答えた。
「あの結界はロディニアの侵攻からこの国を守るため守護の聖女が作っているのでございます」
驚いた国王は彼女の助言に従って守護の聖女を探し出し、その前にこうべを垂れた。
乞われるままに王宮に上がった守護の聖女は求められて当時の王子と結婚、今は王妃となって国中から慕われている。
その王妃の前に忽然と三人の女性が姿を現した。
昔の仲間たちだ。移動の聖女の力で飛んできたのだ。
「久しぶり!」
「元気だった?」
十年ぶりの再会を喜んだ四人はその後のことを報告し合った。
「──というわけで私はこの国の王妃をやっているの」
守護の聖女が自分の事情を説明すると他の三人は自分のことのように喜んだ。
「すごい!」
「貴族と結婚するっていうのが本当になったね!」
次に清浄の聖女が口を開いた。
彼女が移動した南の国は温暖で食料も豊富だったが衛生事情が悪かった。
そこで彼女は魔法で病気になった人々を治療した。彼女はすぐにその国の神殿に連れていかれた。
また治療するだけでなく、原因を取り除くために国を浄化した。それだけでなく上下水道を整備するように提案し、受け入れられた。
「──せっかく神殿を出たのにまた神殿で暮らしてるの。でも嫌だから、呼び方を病院って変えちゃった」
「あはは、何それ!」
「でも確かに、神殿はもう嫌だよね」
今度は活力の聖女の番だった。
彼女が移動した北の国は寒冷地でおまけに土地も痩せていた。人々は寒さと飢えと貧しさに苦しんでいた。
そこで彼女は魔法で家々を暖めた。土に活力を与えて農業生産力を向上させた。
北の国の人々は活力の聖女を崇め奉った。
「──それでね、そんなことをしてたら私何だか担ぎ上げられちゃって、今は女王様をやってるの」
「大出世だね!」
「女王様やるのも大変なのよー! お休みないし! 今日もここに来る時間を作るために仕事を前倒しで片づけてきたんだから!」
「あ、それは嫌かも……」
最後は移動の聖女だ。
「私はね──」
かつて移動の聖女と呼ばれていた少女は西隣の国のさらに西の国へと行った。元の国からなるべく遠ざかりたかったからだ。
彼女はほんの小さな頃に呼ばれていた名前を思い出してキアラと名乗った。
不法入国者、おまけに何の技術もないキアラにまともな就職先なんてない。
悩んだけど、おなかが空いて引き寄せられた食堂の入り口に貼られていた『バイト募集中!』の張り紙を見て中に飛び込んだ。
「いらっしゃいませー。あ、バイトの応募? すぐ入れる? じゃあお給料はこれこれで休日はこうこうで──」
驚愕した。
「えっ、そんなに休んでいいんですか? このお店大丈夫ですか?」
「えっ、休日は全ての労働者が持つ正当な権利だよ? というか従業員が一人休んだくらいで回らなくなるような会社なんてすぐに潰れるよ!」
衝撃だった。
慣れない仕事に苦労しながら頑張ったキアラはやがて食堂で知り合った男性と恋をして、結婚した。
結婚してから彼女は夫に自分が聖女であることを打ち明けた。
彼女の魔法について知った夫は新しい事業を起こした。その名も『キアラ郵便会社』。
キアラは夫の言う通り国内の町々にポータルを作って手紙を送った。
手紙が素早く確実に相手の下に届くというのは画期的だった。会社はすぐに評判となり、郵便物は増えた。
こうして利益が出たら夫は従業員を増やした。夫は配送網を構築して、郵便物はキアラの魔法ではなく馬車で町々に運ばれるようになった。
事業はどんどん大きくなって郵便から運送へと広がり、今度は旅客業も始めようとしている。
今のキアラはもう移動の魔法を使っていない。聖女の魔法がなくても同じことができることをキアラの夫は示したのだ。
「聖女の魔法がなくても人間は大丈夫だよ」
彼女の夫は笑って言った。
「──だから私、もうこの力を使わないで、持ったまま年を取って死んで、神様に言おうと思ってるの。『人間にはもうこんな力は必要ありません、お返しします』って」
「それは素敵ね!」
そうしたらいずれは聖女の魔法がこの世からなくなって、彼女たちのような思いをする者はいなくなるかもしれない。
それは彼女たちにとっての福音だった。
聖女たちが笑う丘の下に国境線が見える。かつては地図上のラインでしかなかった国境線は今では誰の目にもはっきりとわかる。
若草の優しい緑で葺かれたこちら側と、土の色も灰と炭をまぶしたように荒々しいあちら側。
守護の聖女の結界で隔てられた向こう側には、もはや誰一人として生きるもののない果てしない荒野が広がっていた。