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おんな  作者: ようこ
8/10

8(完結)


 じりりりり…と壁越しになんとなく聞こえてくる音で、私は目を覚ました。

 今にも雪崩を起こしそうな荷物を脇に寄せて無理矢理眠っていたせいで、えらく首が痛い。

 山のような段ボール箱に囲まれ手暮らしていた数週間も、その日で終わりとなると、なんだかおかしいかもしれないけれど、さみしい気がしたのだった。


 引越し会社のトラックが来るのは昼過ぎだったし、引っ越し前日だというので、家族総出で一晩中荷造りしていたとあっては、みんなが死んだように眠っているのもしょうがない。

 隣の家から漏れる大きな目覚まし時計のベルの音から、今は大体7時過ぎなのだと分かる。

 みんなはしばらく起きてこないだろうけれど、なんだかもう一度寝る気にはなれなくて、仕方なくよいしょ、と身体を起こした。

 ガムテープや散乱する新聞紙やゴミを踏んでしまわないように注意しながら、私はなんとか玄関までたどり着いた。

 この間、お母さんが新聞の営業所に電話したので、今日の新聞受けは空っぽだ。

 金属のドアに足をぶつけて、カーン!と音が響く。

 思ったより音が大きく、みんなを起こすんじゃないかと思ってびくびくしていたけど、みんな身じろぎひとつせずに眠っている。

 できるだけ音をたてないようにそっと、チェーンを外し、外へ出た。

 汗でビニールひもが腕に張り付いていたみたいで、変な跡がついている。

 あーあ。

 そっとドアを閉めると、ドアノブにビニル袋が下がっていた。

 昨日の夜、最後にお母さんとゴミ出しに行って帰ってきたときには、こんなものなかったから、その後か、今日の朝早くに誰かがかけていったのだろう。

 中にはラッピングされた箱が入っていた。

 バリバリとおよそ容赦なく包装紙を引き裂いて、箱を開けた。

 中から出てきたのは、黄色いチューリップの形をした小さな置時計だった。


 お母さんに聞いて知ったことだけど、玄関に黄色い花を飾っておくと幸運がやってくるんだって。

 風水か何かでそうなっているらしい。

 私にはよく分からなかったけど。


 でも、あの日、私はそっとあの時計を自分だけのものに決めた。

 だって、それは私たち家族の誰かに、この場所から去っていっても幸運でありますように、っていう願いが込められたもので、そんなことする人は、どう考えてもあの彼一人くらいしか思いつかない。


 あの時計は玄関でなく、私の部屋に今もある。

 私に幸運が訪れますように、と誰かさんの願いを込めて、今日も律儀に時を刻む。




 

 最近ほのかに色がのるようになった小夜の唇をじっと凝視していると、小夜は大岡から離れるように椅子を引いた。

「何。海苔?口に海苔でもついてる?」

 相も変わらず色気もへったくれもない物言いに、大岡はあからさまなため息をついた。

「ついてないですから。…唇。それ、色きれい。どこの?」

「ケイトの。プチプラなのに結構いいでしょ」

 小夜が取り出したグロスはあまりにも鮮やかな赤で、淡く色づいている唇とはまったく別の色に見える。

 大岡が眉間にしわを寄せていると、小夜が噴き出して、

「これ、色が濃いのはチューブに入ってる間だけだから」

「へえー…、そうんなんだ。じゃあ私も今度買ってみよ」

 そうしなさいそうしなさい、と小夜がつぶやく。


「小夜ちゃん」


 ちょうど大岡の頭の上から声が降ってきて、振り向くと転校生だった。

 ちらりと、小夜の顔を確認してみるが、いつも通りで、特別変わった様子はない。

「今日放課後、図書館だって。委員会」

「分かった。ありがと」

 テトラパックにささったストローをくわえたまま、小夜が軽く片手を上げ、じゃ、と転校生が笑って去っていく。

 そのやり取りがなんだか男の子の友達同士みたいな気軽さで、大岡は思わず微笑む。


(小夜ちゃん)


 あれ?


(私、女ばっかりの家で育ったから、あーいうの慣れないんだよね。)


 そういえば、前に彼氏の友人を紹介したとき、人から名前で呼ばれるのには慣れてないとかなんとか言っていたような気がするな、と大岡は記憶を手繰り寄せる。

 大岡自身も、初めて名字ではなく名前で小夜の事を呼んだとき、えらく驚かれた気がする。

 もしかしたら、自分が心を許した人にしか、名前で呼ばれたくないという気持ちが、無意識に小夜の中にあるのかもしれない。

 だとしたら、あの転校生はもう小夜の引いた線の中にいるということだろう。


 ふうー…ん。


 なんだか面白くない。

 今のところ、大岡が知っている限りでは小夜を名前呼びするのは自分くらいなものだったのだ。


「何、大岡」

 またもじっと凝視していたらしく、怪訝気に小夜から声をかけられる。

「いや、別に」

 なんだそれ。と文句をいう小夜をよそに、大岡はパックに入っていた最後のサンドイッチを口に詰め込む。

 サンドイッチを飲み込み、お茶を注ぎこみ、小夜の視線の先を追う。

 その先はやっぱり転校生で、食べ終わった大岡に気づくとなんでもないように視線をそらす。

 それを待っていたかのように今度は新たに視線を感じて、顔を上げると転校生がそっと小夜を見ていた。

 お互いがお互いを見ていたことに気づいた様子はない。


 やれやれ、と大岡は嘆息する。


 なんだか今日は無性に彼氏に会いたい、と思った。

 自分も大柄な彼に名前を呼んでもらいたい、と思った。


 窓に切り取られた四角の中の真っ青な空には、触れられそうなくらい厚い雲が浮かんでいる。


 今年もこうして、夏が来た。



 -The END-


本編完結です。最後までありがとうございました。

この後は番外編となるので、ごゆるりとお付き合い下さい。

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