納豆男
「ほぼ物置きにしてるんだけど」
と言いながら部屋の中は私の部屋よか片付いていた。謙遜クンめ。
本は几帳面に作家ごとに並べられている。漫画4:本6くらいの割合だろうか。睦月のきっちりした性格そのままの本棚だ。ちなみに私の本棚は、持ち主の頭の中と同じように雑然としていて、作者も大きさもバラバラで混沌としている。人に見せられるようなモンじゃない。
「へー、ボリス・アクーニンとか見るんだ。面白い?」
「うん、最近はまってるんだ」
一番目につくとこにあったのはボリス・アクーニンの小説だ。あとはコナン・ドイルや横溝正史、江戸川乱歩がずらりと並ぶ。推理小説好きなのも変わってないらしい。
睦月は昔から好きになった作者の本は手に入る限りで全部集める。私の場合、初見は図書館で借りて読んで好きなやつだけ買うので余計に本棚のまとまりが無くなる。
睦月は好きになったものに対してとてもしつこいのだ。子どもの頃から好きな色は青で変わらない。今でも財布やネクタイはブルー系で統一されてる。カバンの中に入れてるガムのメーカーも変わらない。前に違うミント系のガムを買った時には私に丸ごとくれた。どれもミント系なんだから大して変わんないと思うけど本人曰く風味が違うそうな。
そして嫌いなものは徹底的に嫌う。嫌いな人間に対しては辛辣だし、過去にされた嫌なことは絶対に忘れないよう日記に書き残すらしい。ねちっこい。ブラックリストかよ。
睦月は納豆のようにネバネバした男なのだ。見た目はさらりと粘度が低めの爽やかビジネスマンに見えるだけに中身とのギャップを激しく感じる。
「ほっほっほ!」
早速『天甦の包丁』を見つけて一巻に手を伸ばす。
「よければこの座椅子でも使って」
と勧められた座椅子に腰を下ろし、ページをめくる。もうこうなると私の耳は飾り物になる。睦月が何か話しかけてきてたけど、適当に生返事してたらすぐに会話自体を諦めたようだ。「先に風呂入らせてもらうね」と言って出て行った。
「布団はここに敷く?それともリビングにする?」
「ここー」
「風呂は入る?部屋着は貸そうか?」
「入るー貸しテー」
睦月は上下のスエットを持ってきてくれた。
「タオルは適当に使って」
「んー」
片手を睦月に向けて伸ばしたが、睦月が立ったままなので、受け取る為に渋々自分も立つ。あったかいお風呂から出たての匂いが睦月からする。ワックスのついてない髪がふわふわだ。濃いブルーのパジャマを着ているのはとてもイイ。私は
「はい、浴室はこちらだよー」
と、あれよあれよという間に浴室まで誘導されちまった。睦月め、なんだか私の扱いが上手いじゃないか。ちょっぴし読みかけの漫画に未練を残しつつブラウスのボタンに手をかけた。
◆
さっぱりとして睦月から借りたスエットに袖を通す。自分ちと違う柔軟剤の香りにちょっと照れる。ダブダブのサイズ感に睦月の成長を感じた。
昔の睦月はすっごく小さかった。背が高めで男の子みたいなショートカットだった私に比べて、睦月は頭一個分くらい小さくて華奢で色素の薄いふわふわの髪の毛で女の子みたいだった。
それが今では身長も伸びて、早々に成長がストップした私の頭一個分上になっている。
「睦月ありがとー気持ちよかったよー」
リビングのソファに座って小説を読んでた睦月に声をかけると、なんだか難しい顔をして私を見つめてる。
「ともちゃん、ちゃんと髪乾かした方がいいよ。風邪ひくよ。ドライヤー出してたでしょ?」
「もうちょっと火照りを冷ましてから乾かしたいキブンなんだよ」
そう言って私は睦月の隣に腰を下ろした。睦月は納得のいってない顔で、鼻の上にシワが寄ってる。この顔は本当に小さい頃から変わりがない。
久しぶりに見たその顔になんだか笑いがこみ上げてきて、思わず昔みたいに手を伸ばして鼻の頭をすりすり撫でてあげた。
「ん、ともちゃんッッ……」
睦月はぶわっと顔が赤くなって目が潤んだ。
「んっっ??!!」
その様子にこっちも焦る。さすがにこの反応をされるとこちらも色々と勘付くものがある。
そうかゼロ距離だわ。
今まで睦月と私が保ってきたパーソナルスペース+10cmの距離を自分から詰めてしまった。
とりあえず睦月に異性として意識されているということが分かった。
うん、頭を冷やしに、いや乾かしに行こう。
「やっぱ早めに乾かしとくネー」
早口でそれだけ言って、立ち上がり、逃げるように洗面所に入る。「ちょ……」と何か言ってるのが聞こえたがまるっと無視して扉を閉めた。私自身も少し気が動転してた。睦月のあんな顔初めて見たのだ。長い睫毛に縁取られた大きい目が溢れそうに開かれて潤んでいた。色白の肌は朱が差して色づき始めた林檎みたいだった。変な例えだけどウブな少女のようだったのだ。
いや26歳の成人男性がそんな風に見えたとか私の目の錯覚かもしれない。
ぶぉぉぉぉぉぉぉぉお
熱風が私の髪水分を吹き飛ばす。深呼吸だ。さあ、鏡の私と会議を始めよう。目の前の鏡面に映る私はいつも以上にほんのり芋くささを感じるスッピンだ。
それに比べて睦月の顔は鼻筋の通った綺麗な顔をしていると思うし、性格も悪くない。仕事も出来ないわけではないだろう。別に私に手を出さなくても女性に困ることは無い。学生時代、恋人が途切れなかった彼は確実に恋愛強者だった。
それでもあえて私に共同生活の話を持ちかけてきたと言うことは、私の何かが睦月の希望に合致したんだろう。
成人男女が一つ屋根の下に暮らすというのはそりゃ何かしらの決意は必要だろう。ただの共同生活ではなく仮に付き合ってみるということも含まれているのだ。
私はリビングに戻り、睦月の前に正座すると直ぐに切り出した。グレー状態に置いたままにするよりもハッキリと分かっていた方がいい。
「睦月。私が今から聞くことに正直にイエスかノーで答えて欲しい」
そう言うと睦月はさっきとはうってかわってしょんぼりと説教を待つ犬のような顔をする。
「分かった」
居住まいを正したのを確認して、矢継ぎ早に質問する。
「睦月は好きな人はいる?」
「イエス」
「自意識過剰かもしれないけど一応聞くよ?それは私?」
「…………イエス」
「じゃあ私に恋愛感情を持った上で3か月共同生活の提案をしたわけだ」
「イエス」
睦月は私の様子を一瞬たりとも見逃さないように、それでいて怯えてるように目を見開いてる。前から思っていたけれど私よりも大きな睦月の目は感情の揺れをよく映す。
「分かった。とりあえず今日のところは寝るわ」
「え……ともちゃん」
私は問題を先送りすることに決めた。睦月の返答によって得られた情報を精査し、すぐに結論を白黒ハッキリつけられるほどの覚悟は今の自分には無かった。大体今日は普通に睦月と美味しいご飯と酒を飲み、終電前におうちに帰り、大好きなふわふわ布団に包まる予定だったのだ。想定外もいいとこだ。
何か言いたげな睦月を残して、扉を閉める。電気を消して用意されていた布団に滑り込むとすぐに思考はとろとろと夢の世界に溶けていった。
次回は本日18時更新