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御宅訪問

 睦月の家の最寄り駅は私の最寄り駅の一つ隣になる。自分が降りるはずだった駅をなんとも言えない気持ちで車窓から見送った。自分んちのお布団が恋しい。


 そういえば睦月の部屋に行くのは引っ越し作業を手伝って以来初めてだ。睦月の勤める会社では家賃補助が手厚く出るそうで、私よりよっぽど良い部屋を選んでいる。



「睦月んち行く前にコンビニ寄っていい?」


 ジェントルマン睦月が持ってるカゴにぽいぽいとお泊りスキンケアセットや歯ブラシセットを放り込んでいく。


 睦月は明日の朝ごはんにするのか食パンの袋に手を伸ばした。


「お!ちょっといいお値段のする食パンを選びますね睦月さん。高級志向ですね。私はまだそれ食べたことないんすよ」


 そんな私を華麗にスルーして睦月は問う。


「朝はパンでいい?今からご飯炊くの面倒くさくって」

「いいよー」

「明日の朝は美味しいコーヒー入れてあげるよ」

「じゃあ牛乳も買わないと」


 ぎゅーにゅーぎゅーにゅーと口ずさみながら冷えた飲み物の棚に向かう。


 大人になればコーヒーをブラックで飲めるようになると思っていたのに、27歳になってもブラックで飲めるようにはならなかった。どうしても私には苦すぎる。


 故郷から随分遠くまで来たはずだが、趣味嗜好は大きく変わることは無いようだ。年ばっかり無駄に重ねて味覚的な成長も精神的な成長も置き去りになってる気がする。


 睦月と私の関係だって名前が少々これから変わるかもしれないが中身は大して変わんないんじゃないだろうか。知り合ってからこれだけ長い期間が経っているのだ。何かしら劇的な化学変化がこれから起こるようなそんな気配なんぞどこにも無い。


 結局変わらないままどん詰まりまでいって私が苦しくなって放り投げるでしょう、と脳内に帰還を果たした理性が冷ややかに断じる。


 放り投げた後はまた幼馴染みという関係に戻るけれど、きっと中身はスカスカになる。一歩進んだからこその気まずさが枷になって、きっとこうやって会うこともなくなるだろう。



 ああ、それはちょっと寂しい。



 さっきまでの高揚感は鳴りを潜め、私は振り返ってお酒を選んでいる睦月の背中を見た。その背中はもうその辺にわんさかいるスーツに包まれた大人の背中だ。何を思ってこんな事を言い出したんだろう。


 私はまたぎゅーにゅーと小さく呟きながら成分無調整の小さなパックを手にした。けれど明日の朝、睦月の家で目を覚まし、この牛乳で作ったカフェオレを飲む時間まで睦月といるのが正解なのかどうか不安になってきた。


「むつきぃ……」

「あ、それも?」


 近寄ってきた睦月は手を伸ばして私の手から牛乳パックを受け取り、そのままカゴに入れてしまった。私の逡巡に気付かない睦月はせっせとカゴの中身を増やしていく。


「見て、ともちゃん。これちょっと美味しそうじゃない?」


 カゴから取り出したパックにはスモークタンとちょっとしたサラダが付いている。ちょっと分厚めに切られたタンが「美味しいよ」って私を誘っている。


「あとこれも好きじゃない?」

 

 そこには何種類かのチーズが綺麗に盛られていた。クラッカーにのせて食べたい。


「おお何それ美味しそう!最近のコンビニは優秀ですねぇ」


 前言撤回。ちょっとだけお邪魔させてもらう。せめてこのお夜食たちを食べるまでは。


ただお酒は控える。




「お邪魔しまーす」


 入ってすぐの玄関ボードには睦月が撮ったお気に入りの風景写真が飾られている。海辺や山、空など。睦月の琴線に触れた風景たち。その写真の色はとってもクリアで、一瞬風が通ったような爽快感を感じた。いいセンスをしてる。


「さすが睦月だね。いきなり人を呼んでも大丈夫な部屋だね」

 

 リビングはすっきりとしていて、あまり生活感が無い。テレビの横には観葉植物の鉢まである。手をかけられているのか葉も青々としている。


 そんな洒落乙男子睦月に対して私はサボテンすら枯らせる女である。女子力は行方不明。

 

「今度ともちゃんの部屋にも行ってみたいな」

「あーそれは来世にならないと無理かもしれない」

「掃除も一緒にしてあげるのに。あ、ここに座って」


 テーブルにコンビニで買ったものを広げる。睦月は冷蔵庫から自分が飲むビールの缶を出してきた。


「「かんぱーい」」


 ぷしゅ、と開けた缶に口をつける。あまり酔っ払っては判断を誤るのでアルコール度数の低い可愛いチューハイにした。やけに甘ったるい桃の味が広がる。


「ところで何であんなこと言い出したの?」


 ぐずぐずになってはいけないので初っ端から追求させてもらう。今まで保っていた距離をどうして変えようとしているのかも知りたい。


 睦月はスモークタンのパックのフィルムをめくりながら私の目をじっと見た。

 

「んー……確認だけど、ともちゃんは結婚願望はあるけど生活を一緒にできる人じゃないと嫌なんだよね」

「そうだね。厳密にはそこに恋愛感情はあってもなくてもどっちでもいいかも。結婚って残りの人生を一緒に乗り越えていくパートナー探しだと思うんだよね」


 スモークタンを一枚箸で摘む。


「それなら俺で試してみて欲しいな。俺だっていい歳だし、ともちゃんのことはよく知ってるから変なことはしないと思うんだ。それとも、ともちゃんは俺のこと生理的に受け付けないくらい無理だったりする?」


「それは無いけど……でもそういう対象として睦月のことを見た事がないから戸惑ってるというか何というか」


 宙ぶらりんのスモークタンは口の中に入れてもらえずに箸の先で途方に暮れている。


「今好きな人はいる?」

「それもいないけどさ」


 睦月はちょっと笑ってチーズのフィルムも開けた。


「じゃあとりあえず3ヶ月一緒に暮らしてみよう。3ヶ月がともちゃんにとっていつもリミットだったでしょ?ここ二部屋あるから片方ともちゃんの部屋にしてさ」

 

「をいをい、早速同棲とかちょっと心の準備イロハのイも終わってないのですが」


「心の準備は3ヶ月ありゃできるでしょ。それに俺年末にかけて結構仕事が忙しくなるからなかなか会う時間取れないだろうし、ともちゃんは筆無精でしょう?試しに付き合ってみるっていうのに没交渉でハイお仕舞いってなっちゃいそうで」


 うーん。私の性格もよく分かっていらっしゃる。


「部屋も寝る場所も別だし、ちょっとした期間限定のシェアハウスだと思ってくれていいよ」


 ぷらぷらしていたスモークタンをパクリとしてやった。続けて付け合わせのワカメとリーフレタスもパクリだ。



 睦月のことは嫌いじゃない。親愛の好きという気持ちはある。現時点では仲がいい友達…よりもちょっと遠いけど知りあってからの年数は誰よりも長い。


 これから全く知らない人と知り合って、探り合って、思いを交わし合って、家族になるにはとても膨大なエネルギーがいるだろう。睦月が相手なら、それ程多くの労力はかからないのではないだろうか。


 正直30歳も目前になり、なりふり構わない恋愛はもう体力的に厳しいとも思っていた。恋愛に伴う感情の揺れにはエネルギーがいる。案外睦月と穏やかな関係を育んでいくのもいいかもしれない。


 一緒に生活出来るかどうか、そこから試してみる。いい考えに思えてきた。


 もぐもぐもぐもぐ。チューハイも一口飲んで咀嚼したスモークタンを喉に流し込んだ。


「うん。やってみる」

「ほんと?!」

「ただし私に家事能力はあまり期待しないで」

「大丈夫、俺もそんなに得意じゃないから」


 睦月はほっとしたように柔らかく笑った。


 ちょっとその睦月の顔に直視できないものを感じて、私はクラッカーの袋のギザギザに集中した。1、2、3。今日のラッキーナンバーの3つ目のへっこみで切って、クラッカーを引き出す。指でブルーチーズを摘んでのせた。


 ああ。チューハイじゃなくてワインを買うんだった。渋い赤が飲みたい。


 

「ところで、一緒に暮らすにあたってこれだけは嫌だってことはある?これをされると耐えられないってことは最初に聞いておきたいな」


 期間限定といえど、お互いにルールは必要だろう。そういうことは最初に決めておくことが肝心だ。


「ええぇ。何かあるかなぁ…………あ、外泊をする時は連絡欲しいし、誰か他に好きな人が出来たら一番に言って欲しいな」


「オッケー!この3ヶ月で他にできる気はしないけど、もしそういうことがあったら正直に言うよ」


 睦月はさっきの店でも結構飲んでいたからか目がとろりとしており、いつもよりも無防備な顔をしている。


「ともちゃんは何かある?」

「そうだねぇ、一人で過ごしたい時には、扉に紙でも貼っておくから、ほっといて欲しい。私修学旅行の短い期間ですらずーっと誰かと一緒というのが辛くて、布団かぶってメソメソしちゃうくらい一人の時間大好きっ子なの」

「えええ?!そうなの?意外!ともちゃんって見るたびに周りが友達でいっぱいでワイワイするのが好きなんだと思っていたよ」

「ワイワイするのも好きなんだけど、一人でいるのもおんなじ位好きなんだよ。どちらかというと隠れネクラだよ」


 誰かといる時の自分ってどこか気張ったり頑張っちゃってる部分があって、何にも力が入っていない時間が無いとどうしても苦しくなってきちゃうのだ。誰と住んでもやっぱり四六時中一緒だと息がつまると思う。だから今までの人生で親兄弟以外と住んだことがない。

 

「洗濯どうしよう」

「俺んち乾燥機までついてるから順番こで使お」

「今日の布団はどうしよう」

「予備があるから出すよ」

「そうだ!天甦の包丁ってある?」

「突然だね!あるよ。全巻揃ってる」


 昔から睦月は少年漫画ファンタジーノベル推理小説担当だった。面白そうな少年漫画は大抵睦月んちに揃っていたものだった。


 ちなみに私は少女漫画児童書担当だ。お互いの本棚の中身は熟知していたし、それぞれの精神形成にこれらは多大な貢献をしたと思う。



「さすが睦月様!あれ見たいなーと思ってたんだ。買うほど見たいってわけでもないけどレンタルも面倒だし……と思い二の足三の足四の足ぐらいまで踏んでたんだよー」

「踏み過ぎでしょ。ともちゃんの部屋になるはずの部屋に漫画も本も全部置いてるから好きに読んでー」

「お!本棚見に行っていい?最近どんなの読んでるか見たい!」


 本棚というのはその持ち主の好みが赤裸々に反映される。自分にとって大事な本は何度も読み返したいから取りやすい位置に置くし、他の人に見せるのが恥ずかしい趣味は奥の見えないところに置いたりする。好きな作家の本は多くなるし、あまり心に訴えるものが無ければ入れ替え対象になり淘汰されていくのだ。

 本棚を置く場所にも人の好みは表れると思う。睦月は来客を通すことがあるリビングには置かずに、プライベートスペースに隠すように置く主義のようだ。人に自分の好みを大っぴらに話せる程オープンにはなれない内向性がそこに表れていると私は見る。


 対して私はリビングとプライベートスペース両方に置く。リビングに置くのはベストセラーだった本や最近の読みかけの本。プライベートスペースに置くのは本当に大事な本だ。来客が来るところに置くのは会話の中で話題になりそうなもの。ちょっとパラパラと手にとってみたくなる綺麗な表紙のものを置いてたりする。プライベートスペースに置く本はパッと見ジャンルはバラバラでも私の心に居場所のある本達だ。


 


 成長した睦月の頭の中はどうなってるのかドキドキしながら隣の部屋に入った。



次回は明日0時更新

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