夜の空気
レジでは明朗会計ピッタリ割り勘で払う。以前「私先輩だから多くだす!」「いや俺男だから多く出す!」で仁義なき戦いを繰り広げた結果、2人で飲む時にはきっちり二等分にするということで決着がついている。こうして二人のルールが決まってしまうとお会計時にストレスフリーだ。
酔いでほかほかした身体に夜の風が気持ちよく頬を撫でる。気のおけない相手と飲む酒の旨さは格別だ。
「何て素敵な夜だろう。明日はお休み。お腹はいっぱい。私は自由!」
真っ暗な空を見上げて息を吸う。都会の夜は明るすぎて星は見えない。人の欲望の方がよく見える気がする。今日もそんな人の数だけネオンが光っているに違いない。
「あははは。いつもともちゃんは自由だよ」
好きな歌を気持ちよく歌いながら大きく手を振って歩く。気づけば私の鞄はさりげなく睦月が持ってくれている。
睦月も知っている歌だったのか、少し低めの声が私の声に重なる。柔らかいけど通りがいい睦月の声は、海底まで差し込む月の光みたいだ。その光は水面の揺らぎを静かに海底に降らせる。
不意に睦月の声が途切れた。
私はそれに気づいていたけれど、最後まで歌い切った。睦月の方を見ると問うような私の視線に気付いたのか愉しげに口元を緩めた。
「ともちゃんはさ、次付き合うなら、もっとどーんと構えた人の方がいいよ。好きに飛んでおゆき、でもちゃんと帰って来てねって言ってくれるような相手」
「私は小鳥ですか」
「オカメインコっぽいよね」
「それって貶してるの?褒めてるの?」
褒めてる褒めてる、と言いながら睦月の足先は落ちていた缶を大きく迂回した。私もそんな睦月に合わせて歩く。
「そういう人に好きになってもらった事ないからなー。私と付き合うと紐でも付けとかないと心配になっちゃうらしいよ。怖ッ」
大袈裟に我が身を抱きしめると睦月は声を出して笑ってくれる。
手をぶらぶらとさせながら、夜の散歩を楽しむ。駅まではまだ少し距離がある。
酔っぱっているからといって睦月との距離は変わらない。お行儀良く、パーソナルスペース、プラス、10cmの距離を歩く。
「んー……。2人ともフリーならさ……」
「ん?」
「お試しで俺と付き合ってみるのはどう?お互いに恋愛にまで発展したら正式に付き合うってことで」
「うん?!いきなりどーしたよ」
いつもと同じだと思っていたが、今日の睦月は一味違った。アルコールのせいで知能指数が低下した私の頭には睦月の言葉が上手く入ってこない。
「俺とともちゃんてずーっと仲がいいでしょう?結構相性がいいと思うんだよ。試してみてもいいんじゃないかと今ふっと思ったんだ」
「ほー……。」
「勿論正式に付き合うまで肌の接触はNGだし、無理にことに及ぶようなことはしないよ」
「うん、そこは信用してる」
何となく睦月の目を真っ直ぐ見ることが出来なくて、視線を下に落とす。道の白線の上にパンプスを乗せ、手を広げて一直線に進む。グラグラ身体の重心がブレる。うん、ふらついてる。酔いのレベルは7だな。人生における重大な決定は出来そうに無い。
「ともちゃん」
焦れたように睦月が私の名を呼ぶ。ちょっと待って欲しい。私の理性は極楽浄土からまだ帰還していないんだ。
駅近くになると足元の白線は途切れて、テラコッタとグレーのタイルで複雑な模様を描いた遊歩道になった。
「じゃあ、この道のここからあっちの途切れるとこまでグレーのとこだけ踏むことが出来たらやってみてもいーよ」
そう言いながら私もグレーのタイルにパンプスの爪先を合わせた。
「うわ何それ!ちょっと酔っ払ってる俺への挑戦なの?!」
「おうよ!」
睦月をビックリさせることが出来たようでちょっと胸がすーっとする。ビックリさせられっぱなしは良くない。一個下の睦月には今でも負けたくない気持ちがある。
「じゃあ出来たら、今日はこのまま俺んちに来てよ。何にもしないから泊まってって。もっとともちゃんと話したい」
「えええええええぇぇぇぇ!じゃあ完璧に渡りたまえよ。ちょっとでもふらついてこの赤いところを踏んだら終わりだからな!崖に落ちるってことだからな!」
「それ何か懐かしいね」
笑いながら2人でタイルを踏む。
1、2、3
1、2、3
不器用なダンスを踊っているみたいだ。私は私で自分のパンプスの行方を見るのでいっぱいいっぱいで睦月がちゃんと出来てるかなんて見ていなかった。
でも睦月はこういう時に嘘は付かない。彼は自分に厳しく、公正で公平なのだ。
結局私は睦月の部屋に向かうことになった。
次回は本日18時更新