第1話
夜。
勤務時間が午後以降の人でもなければ、時間多くの人が帰路についているだろうこの時間帯に、とある閑静な住宅地の付近にある神社で妙な発光現象が起こった。
ただ、どういうわけかその不可思議な現象を気にする人はいなかったようだが。
その発光現象の原因は――まぁ、言わなくてもわかるだろうが、私たちだ。
女神の力により、私たちは地球へと戻ってきたのだ。
向こうの世界で三年間……長かったなぁ…………。
「ふぅ。無事に戻ってこれたみたいね……」
「…………そうみたいだね」
「おぉ! スマホに電波が届いてる!」
「マジ!? やった! ママたちに後で連絡入れなくちゃ!」
私の発した言葉を皮切りに、他の三人もとりあえずは一安心、といった具合に気が緩んだようだ。
ただ、確認しないといけないこともある。
それは、今日が何年の何月何日であるのか、だ。
とりあえず私もスマートフォンを取り出し、時報サービスにかけてみる。すると、今日は2月21日であることが分かった。
それも、私たちが召喚された翌年――つまり、まだ一年経っていない。
私たちが召喚されたのは5月のGWが終わった直後くらいだから――まぁ、九か月くらい? それくらい行方知れずになっていたことになる。
「……どうする? さすがに九か月なんて、私たち全員、どれだけ使う魔力を調整しても逆行できないよ? もらって資料の中で役立ちそうなの、年単位での時間逆行用のやつだし」
私たちも、帰ってこれるまでに年単位で時間が経過していた時の対策は打っていた。
厳密には、私たちのことを知った腹黒い貴族から、とある計画の肝となる時空魔法の資料を頂戴しただけなのだが。
――ちなみにその計画、どこかの世界から人を召喚して、勇者という名の勝手のいい奴隷を作り上げよう、というとんでもなくはた迷惑な計画だったのだが……閑話休題。
しかし、さすがにこうも中途半端な結果になろうとは予想だにしていなかった。
行方不明になって、生還が絶望的と言われるには十二分すぎる時間。しかし、準備してきた対策では経過していた時間が最低単位にも満ちておらず、使用できないと来た。
――どうしようか。
私たちが研究をして、もっと短い単位で逆行できるようにすることもできるだろうけど、多分、それだと普通に今の状況を受け容れて、逆行せずにこのまま日常に戻ったほうが速いだろうし。
「どこぞの山奥にでも隠れ住んで、術式の使用条件を満たすまで待つ?」
「そうね。そうしましょうか」
「ちょっと待て、そうなると食料はどうするよ。さすがに3か月分も食料は持ち合わせてねぇ」
「あぁ……その問題があったかぁ……」
三人は、亜空間に物をしまい込む魔法も身につけてはいた。が、その中にも三か月分の食事というのはさすがに入っていない。
私も使えるが、糧食は節約をしたとしても、もって一人分換算で一か月分くらいである。
シェイプシフトの魔法を使って別人に成りすます、という方法もなくはなかった。
しかし、そうしたところでたかが高校生の私たちにとって、所持金などはかなり限りがあるし、向こうの貨幣などはこちらと同じ信用貨幣が中心となっており、そもそも帰還物のファンタジーでおなじみの異世界金貨などは持っていない。金銀財宝などならあったが、向こうにおけるそういった鉱物類は魔石としての価値も併せ持っていて、こちらの世界に下手に持ち込ませるわけにはいかない、と帰るときに取り上げられてしまった。
力あるものは力あるものを招き寄せ、厄介ごとをも引き寄せるとはその女神の言。だから、向こうで使っていた武器防具の類だけは持ち帰らせてもらえたが――私たちでなければ扱えず、手元から離れれば自前の収納空間に転移するというおまけをもれなく付与されている。
こちらの世界では宝剣としても価値があるものだし、見聞を無視すればお金に換えられそうではあったのだが――その付与された特殊効果のおかげで、それもできない。
――つまり。向こうの世界のもので、こちらの世界でも売れそうなものは実質持ち合わせていないのだ。
結論からいえば――
「詰みだな」
「詰んでいるわね」
「打つ手なし。覚悟を決めるしかない、か」
「…………不安しかないけどな……」
そういうことであろう。
換金アイテムがない以上、一高校生の所持金などたかが知れている。
食料が一か月分しか確保できておらず、用意していた時間逆行の魔法を使用可能になるまで3か月弱かかる。そのうえ、短期間用のものを研究するには時間が足りず、新しく術式を組むことも難いと来れば、もう詰んでいることは明白だった。
「仕方がない。おとなしく、九か月ぶりの自宅に帰ろうか」
「そう、するしかないよな……」
「あ、はは……もうちょっと、考えておけばよかったね」
「――とはいえ。さすがにすぐ帰るのは、それはそれで困ったことになりそうだけれどね」
「なんで?」
「考えてもみて? 私達、おおよそ九か月間は行方不明ってことになってるんだよ? たぶん、その中に私も含まれてるから、大々的に報道もされていると思う。そこへ何もなかったかのようにひょっこり帰ったらどうなると思う?」
これでも一応、私の実家は世界の資産家に名を連ねる名家だ。――実際には、ちょっとだけ違うんだけど、この際似たようなものなのでそのあたりはどうでもいい。
問題なのは、その私が行方不明者の四人に含まれるということが重要なのだ。
そして、先にも触れた通り、九か月という長い期間において、何の手がかりもなし、というのは世間的には実質的に死んだものとして扱われてもおかしくはないくらいだ。
他には、記憶喪失になっていた、とかそのあたりがあり得るか。
とにかく、騒がれることは必至で、だからこそある程度の用意はしておいて然るべきなのだ。
「……悪目立ちしすぎるな。さすがにこういうので連日テレビに取り沙汰されるのはいやだぞ」
「私もそれはちょっと、勘弁かな……」
「でしょう? まぁ、他力本願にはなってしまうけど……私の家を頼って、そこからある程度の規制線を張ってもらったほうがいいと思うの」
そうしないと、どれだけ面倒なことになるか分かったものではないし。
私の提案に、とりあえずはといった感じでみんなも従ってくれるそうなので、ここはまず私の実家――島村本家に来てもらうことにした。
「はぁ……ま、確かに、悠里の言う通り。ある程度予防線を張っておいたほうがいいのは確かだろうな」
「連日マスコミの取材地獄なんて、私も困るし私の親にも迷惑かけちゃうもんね」
「私んちの親なら多分、それだけじゃなくて、ストレス過多で倒れちゃうと思う……」
「この中で耐性がありそうなのは……たぶん、私の親くらいしかいないわね」
まぁ、私の親でも今回の件は受け入れられるか非常に難しいところだけど。
とはいえ、途中で人に出くわして行方不明真っ只中の人だとばれないように、実家につくまでは私も私のままでいないといけないのだけど。
「そういえば、悠里は認識阻害の魔法はかけなくてもいいんじゃないか?」
「どうかしら……」
指摘されて、少し考える。
私が私のままでいることに、今の状況で何かメリットがあるかどうか。
みんなそのままでも魔法を使えるから問題はない。
しいて言えば、女神様に力をもらっても魔法が不得意だった秀樹が自力でかけられそうもなければ、私が代わりにかけるくらいか。
私自身は、異世界に召喚される直前に拾ったあの宝石のせいなのか、向こうについたら性転換して男から女になってしまっていたから、現状では認識阻害魔法をかけても意味がない、と思えなくもない。
何しろ、今の私は、中身こそ(女性化した)島村陸だが、外見としては行方不明になっている島村陸とは全くの別人のだから。
けど、いえ、少し待って。もう少し整理して考えてみよう。
人々に認識されているのは――日本の戸籍に載っているのは島村陸という男子学生。あの宝石を拾った瞬間から島村悠里となってしまっている私は、陸の姿にならなければ外見からして怪しまれるだろう。
今の私は、濡羽色のロングストレートヘアに、黒い瞳と、日本人女性として見られてもおかしくはない外見をしている。しかし、同時に年恰好からして、どういう形であれ、この時間帯に外をうろついていれば怪しまれるだろう。行方不明になっていた四人のうち三人と、行動を共にしている私という構図は。
認識阻害の魔法も、一緒に行動している人が目をつけられれば意味はなくなってしまう。
私が法の上において不確かな存在である以上、下手に目をつけられれば面倒ごとは避けられないだろう。
なによりも、私達はこれから、全速力で私の実家に向かおうとしている。
そう考えると――うん、考える余地もなかったわね。認識阻害魔法はかけておいた方がいい。
「……、考えてみたけど、職質でもされたら厄介だわ。かけておくに越したことはないわね」
そうすれば、少なくとも人々に存在を認識されることもないし、そういった問題もなくなるだろう。
今すぐ陸に戻るメリットは少なそうではある。
それに、私の体面という問題もある。大した負担じゃないかもしれないけど、やはり自分でできることは自分でやりたいものだ。
というのも――
「元の姿に戻ったら本当に普通の人になっちゃうから、今の状況じゃ戻れないしね……」
私は、陸として行動しているときはほとんどの魔法を使うことができない。それどころか、身体能力も男子高校生としては中の下くらいしかないほどになってしまう。
これでも、転移前は中の上くらいはあったんだけどね。
一方で、私――まぁ、この姿の時は悠里として名乗っているが――の時は、魔法の力を中心に、常人では考えられないような身体能力も発揮できるようになっている。
こうなってしまったのは、女神様が言うには、彼女がくれた力が、なにか別の力の働きによって歪んでしまったからなんだとか。
それは、あっちに行く直前に拾った、アメシストに秘められていた力なんだとか。
そのアメシストに秘められていた力の影響で、私は今の姿――女の状態でないと、女神さまからもらった力が扱えないのである。
まったく、妙な拾いものをしたせいで、おかしな制限が加わってしまったものだ。
まぁ、家に着く直前に、認識阻害魔法を解くと同時に、シェイプシフトの魔法で陸に戻る予定ではいるが。
どのみち、陸の姿でないと親には帰宅を信じてもらえないだろうし。
「まぁ、それならそれで、私か楓がかけたげるから、問題ないけどね」
「そうね。それくらいなら、大した不安にならないから気にすることないのに」
「そうなんだけどね。やっぱり頼りきりは嫌だからさ」
「やれやれ……難儀だな、悠里のその性格は」
「だから放ってはおけないんだけどね」
「えぇ。悠里には、あちらの世界で色々助けられたもの。せめて、もう少し頼ってほしいわ」
まったく、頼れる友達である。
これだから、気を抜くとすぐに任せきりにしてしまいそうになる。
私はそれほど遠慮しているわけではないというのに。
まぁ、そのあたりは認識の差、というやつなんだろうけど。
「それじゃあ、いきましょうか」
「だな」
「少しの間だけれど、ご自宅にお世話になるわね」
「あはは、楓は気が早いよ。まだ悠里の実家にも着いていないのにさ」
認識阻害魔法を全員が発動したのを見届けると、私は一路、実家に向かって歩き始めた。
普通だと、ここからだと正直、電車とかタクシーで行った方が無難な距離にあるんだけど……今の私達には無縁のものだ。そもそも、身体能力が一般人のそれとは違うのだから。
認識阻害魔法をかけたことをいいことに、私達は、女神さまからもらった力をフルに発揮して、東京の街並みを駆け抜けていく。
途中にいくつもの店やビル、駅舎などを視界に入れながら。
「なんというか、こっちの世界でこうして走ると、私達、すごい存在になった感がひしひしと感じられるわね」
「ええ。なんというか、なまじ向こうで三年間、常人離れした力を日夜ふるってたせいか、すっかりこの速さも慣れちゃったけどね」
まぁ、力加減もその分慣れてるから、こっちでの日常生活も問題なく遅れるだろう。
と、周囲を見ると、いつの間にかほかの二人――秀樹と奏がいつの間にかいなくなっている。
さっきは一緒に走っていたはずだけど……あれ?
「あ~、いたいた。少し前のコンビニのところで、立ち止まってるみたいね」
「何やっているのかしら、あの二人は……」
気配を探ってみると、少し離れた場所にあるコンビニのところで立ち止まってるようだった。
あ、動き出したみたい。
まぁ、この距離ならあの二人ならすぐに追いつける範囲だったからよかったけど。
数十秒後、合流してきた二人に、何かあったのかと問いかけると、聞いたことのないアイドルユニットのライブ告知が張り出されていた、とのことだった。
「なるほど。そういったイベントには、二人とも目がなかったもんね」
「そうだったのね……。なんていうユニット名だったの?」
「Sparkle Jewelries、スパークルジュエリーズだってさ」
「煌めく宝石、ね。…………?」
何かしらね。なぜかはわからないけど、その名を聞くと私の中で何かが疼くわね。
Sparkle Jewelries、か。ちょっと気に留めておこうかな。
「さて。んじゃ、余計な寄り道しちゃったし、さっさと行くか」
秀樹の一声に誰が答えるでもなく、全員が再び風となる。
この後は誰も足を止めることもなく、無事に郊外某所に存在する高級住宅街の奥、島村本家の敷地の近くまでたどり着いた。