序章
五月八日。
GWも終わり、観光シーズンから一転、世間は再びせわしない日常へと戻っていくこの時期。
俺たち学生もそれは例外ではなく、一か月しないうちに待ち受けている期末考査に向けて、まじめに勉強しなければならない日々が始まる。
……とはいえ、週も半ばになれば、もうそれほどでもないが。
「なんか、今日は結局一日中雨模様だったね」
「だねぇ。まぁ、天気予報通りと言えばそうだったんだけど」
「天気予報見たら明日には止むらしいな」
「それはよかった。明日は久々に俺ら三人でお前ん家に遊びに行く予定だったしな」
俺と一緒に歩いているのは、同じクラスの寺島秀樹に、西宮楓、平井奏の三人。
俺こと、島村陸も含めて、俺たちは中学校の頃からつるんでよく遊んでいて、それは高校生になっても変わらなかった。
幸いにも同じ学校に通えることになった俺たちは、学校で話したり休日に一緒に出掛けたりして、簡単には切り離せない仲になってきている。
かくいう明日も、三人そろって俺の家に遊びに来ることになっているのだが。
こう、雨が明日まで降り続いていたら、テンションも下がりまくりだろうからな。
「陸の家っていうか、フロア? とにかく、あそこって、広くていろんなことできるから、遊びに行くにはもってこいなんだよな」
「まぁ、遊びに行こうとするたびに、高級車とか、運転手さん付きのリムジンとか、そういうのに案内されるのはいつまでたっても慣れそうにないけどね」
秀樹が俺の家のことを自慢げに語れば、奏はよくそんな気楽なことが言えるよね、と口答えを返す。
「ていうか、さ。いまだに、考えられないよね。いいとこの坊ちゃんが、あたしたちに交じって騒いでるって」
そして、二人の話を聞いた楓は胡散臭いものを見るような目つきで、俺のことをジト目で見つめてきた。
つか、可愛い顔してなんてこと言ってくれてるんだ。俺だってな、俺だって普通の人なんだぞ。
そら、家は確かに大金持ちかもしれないけど、俺の心は一般人なんだぞ!
「私、陸のメイドさんやってみたーい!」
「やめとけって。うちのメイドやるなら、英語は必修だぞ?」
というか、俺自身、英語はスパルタ教育で覚えさせられたし。
「うぇっ……ほんとに?」
「あぁ。この前無理やり参加させられたパーティなんかでも外国人の人それなりに来てたし」
いや、うん。俺はそういうの嫌なんだけどねぇ。どうしてもって、参加させられることはある。
この前も結局はそういうパターンで、無理やり本家に連行されたっけ。
格式の高い家はこういうことがあるからなぁ。
「パーティなんて。私からすれば、きれいなドレス来て、おいしいものがいっぱい食べられて。そういうイメージしかないんだけど、違うの?」
「そうそう。ドレスコードっていうんだっけか?」
まぁ、そう思われることもあるんだろうけれどな。
実際には、立食パーティなんてそんな気楽なものではない。
柔和な笑みを浮かべながら話しかけられたかと思えば、その裏で行われる腹の探り合いや副音声による交渉。
気を抜いていれば、あっという間にぱくりと食われてしまう恐ろしさがそこにはあったりする。
――と。そんな感じで、和気藹々と話しながら学校の最寄り駅へ向けて歩いていると、不意に何か、女性の声らしきものが聞こえた気がした。
《――――、》
周囲を見てみる。が、この場に女性と言えば、楓と奏くらいしかいない。
しかし、二人の声らしき声とは違っていた気もする。
「まぁ、俺たちからは考えられないようなことがあるのは違いねぇから――ん? 楓、なんか言ったか?」
「なにも……そういえば、奏、あんた今何か面白いものでも見つけたの?」
「え? なに? 私何も言ってないよ? 今の、楓ちゃんじゃないの?」
どうやら、他の三人にも聞こえたらしい。
今のはいったい何だったんだろうか。
首をかしげながら、とにかくここを放れたほうがよさそうだ、と思い、みんなに先を急ごうと言おうとしたところで、
「…………ん? なんだこれ?」
足元に、何か光るものが落ちているのを見つけた。
淡く紫色に光っているそれは、
――宝石? へぇ、これはアメシストかな。道端に落ちてるなんて、誰が落としたんだろう。
とりあえず、ハンカチでつかんで拾い上げた。駅の交番に届ければいいだろう。拾った場所もラーメン屋の目と鼻の先でちょうどわかりやすいし。
などと考えていたら。
――なんだ、これ。光って、いる……?
拾い上げた宝石は、落ちていた時とは比べ物にならないほどまばゆい光を放ち始めた。
まるで、それ自体が光っているかのように。
「なに、これ――」
「知らねぇって! くそ、なんで沈んでくんだ! コンクリートなのに!」
「いやあ! このまま死んじゃうの!?」
「誰か、誰か助けて!」
誰に聞くでもなく呟いた声、しかし近くにいた三人から焦ったような声が返ってきて、現実に引き戻された。
というか、沈んでいく?
どういうことかと振り返ろうとして、しかし足は動かない。
なんで、と思いながら足元を見てみれば――なるほど、これは沈んでいる。
ていうか、それ以外にも物申したい光景がそこには広がってたんだけど。
――まぁ、そんなことを冷静に考えている場合ではないのも確か、か。
「あはは……本当に、なんなのさ、これ」
私の口から出たはずの声は、しかし俺のものとは程遠い、女の声といったほうがしっくりくる性質になっているし。
本当に、わけわかんないね、これ。
考えることを放棄した私は、そのまま説明できないこの状況に、ただ流されるだけだった。
――こうして私たち四人がいざなわれたのは、ここ最近のネット小説ではありきたりの、邪神に侵略されて滅びつつあるファンタジー世界。
――これは、私たちがわけのわからないまま異世界に召喚されて勇者として祭り上げられて、四苦八苦しながら邪神を倒すまでの物語…………てはなく。
そして。三年の時が流れ。
唐突に、そしてほぼ強制的に始まった私たちの旅は――三年の月日を経て終わることになる。
『ク……ヨモヤ、我ガ脆弱ナ人間共ニ破レルトハ……』
「これで、終わり!」
『グワアアアアアアアアアァァァァァ…………』
すでに瀕死で、あと一撃でも加えれば死に体となるだろう邪神に、一撃を加える。
これでいい。これで、少なくともこの世界は滅びの運命からは救われたはずだ。
そして、私たちをこの世界に連れてきた女神様は、私たちが使命を果たせば、何をするでもなく、もとの世界に戻れるようにした、と言っていた。
つまり、これで私たちは元の世界に帰れるということになるはず。
「お……。あれは女神さんだな」
「おー、あれかな。使命ご苦労様、お迎えだよーみたいな」
「たぶん、そうでしょう。この世界に来た時も言われたことだしね」
「やっと、帰れるんだね……」
私たちが、やっともとの世界に帰れる、と涙を流しながら抱き合って喜んだのは、いうまでもないだろう。
そうして、私たちの三年間ほどの旅は、無事に終わりの時を迎えたのであった。
――そう。これは、私たちが異世界に召喚されて、無事にその使命を果たしてからの物語。
――私が俺に戻って、失踪したことで発生した諸問題を片づけた後の物語である。