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霊獣ノ巫女  作者: 紺野真夜中
第3章 獣憑
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40

「どこまで恩を返せば、過去から解放されるんだよ」

 大人の身の丈ほどの大口を開けて山犬の亡霊が迫る。生温い瘴気の風が吹いてくるそこはどこまでも空虚な闇がつづいていた。にわかにささやき声が聞こえてくる。義一にはそれが今まで生け贄にしてきた亡者の怨み言に聞こえた。

「もう十分だよ」

 突然一切の音が後方に流れ、少女の静かな声が鼓膜を打った。ハッと目を剥くと凰和が目の前にいて胸にぬくもりが触れていた。犬の牙が凰和の頭に重ねって見えた。義一は凰和の名前を叫び手を伸ばした。

 次の瞬間、視界が電波の悪いテレビ画面のように揺れ動いた。なぜかひざに力が入らず義一は凰和の服をかすめながら地面に倒れた。驚いた九尾が軽い足音を立てて駆け寄ってくる。だが目を向けた時そのもちもちと白い体は透けて、不安そうなか細い声を残し消えた。依代である義一が立てなくなるほど弱れば、獣も実体を保てなくなるほど弱るのは必然だった。

 義一は拳を握り締め歯を食い縛り、地面からなんとか顔を上げた。そして凰和の顔の左右に山犬の牙がある光景に目を見開く。しかし鋭利な牙は少女の肩に触れていながら、見えない壁でもあるかのようにそれ以上進まない。

 目をつむる凰和の胸からは青い糸が伸びていた。光り輝くそれはよくよく見ると古い象形文字のように見える。義一の胸は燃えるように熱かった。ひじをつき、自身を見下ろすと凰和に注ぐ文字は自分の胸から紡がれている。

「凰、和……?」

 俺になにをしたんだ、とつづけるはずだった声は最後の一文字が義一の中から引き抜かれると同時に奪われた。もはやひじをつく力さえ残っておらず再び地面に突っ伏す。巨岩がのしかかっているかのように体が重かった。頭の後ろがガンガンと痛む。肩に刺すような激痛が走り叫び声が歯の隙間からもれる。

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