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「早く! 凰和様早く。こっちです!」
鼓の音に急き立てられた友仁に手を引かれる凰和につづいて、義一は神社の裏手から山道を登っていた。例の渓流を跨ぐ橋に繋がる道かと思ったが、ここは道といってもただ踏み跡で作られただけの獣道に近かった。耳を澄ましてみても沢の音はしない。
「どうしたの友仁。どこに行くの?」
凰和が尋ねると友仁は歩みを止めずに振り返った。
「あの太鼓が鳴り終わったら川から花火が上がるんです!」
「なかなか本格的だな」
思ったことを素直に口に出すと、友仁は義一に向かって胸を叩いた。
「俺、絶好の穴場知ってんだ。毎年父ちゃんと母ちゃんといっしょに見てた。友だちにも言ったことないけど、凰和様に免じておっさんにも教えてやるよ」
それは光栄の至り、と皮肉を込めて言ったが友仁には効かなかった。さらに機嫌をよくして速度を上げる友仁に凰和が足をもつれさせる。とっさに腰を支えてやると凰和は目を逸らしながら礼を言った。
なんだよ、と義一の中に怒りに似た不満が小さな芽を出した。どうも射的屋の時から凰和の様子が変で調子が狂う。屋台巡りをしていた時は自分から義一の腕に抱きついて、胸が当たろうがお構いなしだった。こっちが何度指摘しようか気をもんでいたことなどみじんも知らずに無防備な笑顔を見せていた。なのに今の凰和は異性と手を繋いだこともないような顔をする。
なんとなく気まずくて、山道を行く三人の間には花火を楽しみにする友仁の声だけが響いていた。
「ほら、ここですよ凰和様。眺めいいでしょ!」
敬語が取れていることにも気づかないほどはしゃぐ友仁が連れてきたのは、森の窓だった。木々の枝葉がまるで示し合わせたかのようにそこだけ長方形に避けて、絵画の額縁となっている。その額に飾られた名画とは、平野に広がる町々と闇、そしてその向こうに煌々と輝く摩天楼だ。




