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-親義(シンギ)-











真夜中のジャンハン繁華街に、一人の赤ん坊の泣き声が響いていた。


一歳にも満たないその赤ん坊は、青いゴミ箱の上でひたすら泣き続けていた。



恐らく、繁華街中にその声は聞こえているだろうに、誰一人として赤ん坊に近付くことはない。


皆、安易に手を差し伸べて、一生その子のお守りをすることになるのを恐れているのだった。




「おっ!人間の赤ん坊じゃねえか。こりゃ、いい獲物だぜ!」



「兄貴……純粋な赤ん坊のハートはきっと価値が高えですぜ。壊しちまいやしょう!」



そんな中、二人の男性ハートブレイカーか赤ん坊に近付いてきた。



ジャンハンで一般的に“ギャング”と呼ばれる者達だ。


耳や鼻に派手なピアスをはめ、金色のモヒカン頭やスキンヘッドのてっぺんに盛りかつらをするなど奇抜な髪型を好んでいる。




「よしよし、俺達がいい夢見せてやるからな……ニヒヒヒ。」



「怖くない、怖くない。一瞬で終わるからねえ…クハハハ。」



二人が、赤ん坊に手を触れられるほどの位置まで近づいた時。




「……その赤ん坊には、手を出すな。」



どこからか、諫めるような低い声が聞こえてきた。




「だ、誰だ……うあっ!?」



“兄貴”と呼ばれた男の方が、鈍い悲鳴を上げて地面に仰向けに倒れる。


胸の真中に矢が突き刺さっていた。




「あ、兄貴!大丈……ぐあっ!?」



続いて、子分らしきもう一人の男も倒れる。


こちらは、左肩に矢が突き刺さっていた。




「………。」



ギャング二人が倒れて動かなくなったのを確認し、一人の青年が姿を見せる。


顔の右半分を覆い隠す黒髪と青い瞳が印象的だった。


背中には、弓矢……雷上動。



彼はギャング達には見向きもせず、赤ん坊に向かって一直線に歩いて来た。



赤ん坊は相変わらず、えーんと泣き続けている。




「さて……どうしたものか。」



青年は赤ん坊を優しく胸に抱くと、赤い月を見上げて呟いたのだった……。










「かっわいい!何、その子?誰の子!?」



山茶花の部屋に入って来ての椿の第一声はその言葉だった。


部屋には、主の山茶花とトランプ四重奏の四人と桃華が円を作るようにして座っている。


“その子”と呼ばれたのはその中の誰でもなく、蒼影という青年に抱かれた赤ん坊だ。




「蒼影の子らしいぜ。」



あまり赤ん坊が好きでないのか、苦々しげに口を歪めて白薙が答える。




「えっ!?蒼影って、子供居たの?」



「違うよー、つきちゃん。蒼影がジャンハンで見つけたってだけなのー。」



誤解させないようにと、紅羽がすかさず説明する。




「そ、そうだよね……本気でびっくりした!ねえ、蒼影?私にも抱かせて!」



「構わないが……」



蒼影は両手を伸ばす椿に、赤ん坊を渡す。




「かっわいい!お母さんですよー、なんてね。」



数秒間はきょとんとして大人しく抱かれていた赤ん坊だったが、徐々に表情が強張っていく。




「やっぱり……無理だったか。」



「えっ、何が?」



黄涙の言葉に椿が聞き返した瞬間。




「あっ……うっ……うえええーん!!」



「きゃっ!?また泣き出しちゃったわね……。」



桃華が思わず耳を塞いでしまうような大音量で、赤ん坊が泣き出したのだ。




「な、なんで!?な、泣かないでよ。」



「蒼影以外の人に抱かれると、泣いてしまうらしいんだ。」



「うん、椿だけじゃなくて私が抱いても泣かれた。」



困惑しながら蒼影に赤ん坊を返す椿に、黄涙と山茶花がフォローするように言った。



赤ん坊は蒼影の腕の中に収まると、何事も無かったかのようにキャッキャッと笑っていた。




「蒼影君のことを父親だと思っているみたいなのよ。」



と、桃華。


鮮やかな赤い瞳が蒼影のことを羨ましそうに見つめている。




「蒼影も育てようと思ってるみてえだしな。俺様の言葉……間違ってねえだろ。」



「本当の親子みたいだよねー。蒼影って、“お父さん”って感じがするしー。」



白薙は相変わらず口元を歪めたまま、紅羽は赤ん坊に笑顔で手を振りながら言った。




「育てるとは言っても、それはあくまでこの赤ん坊の両親が見つかるまでの話だ。」



「正論だね。赤ん坊にとってもその方がいい。」



赤ん坊の茶色い髪の毛を撫でながら淡々と話す蒼影に、黄涙が頷く。




「うーん……。」



「んっ……?どうかした、椿?」



「両親のところに返すまで、蒼影が父親なんでしょ?でも、母親は誰になるの?」



椿の唐突で予想外の質問に、山茶花はえっと少々呆れたような顔をした。




「いきなり、何を言い出すかと思えば……。」



「父親だけだったら、赤ちゃんが可哀想でしょ!ねっ、蒼影?」



「う、うむ……それがしには何とも言えぬが……。」



蒼影は左手人差し指で額をかきながら、助けを求めるように黄涙に視線を向ける。




「悪くはない考えかもしれないけど……シングルファザーも最近は少なくないから、こだわる必要はないんじゃないかな。」



やんわりと意見を却下する黄涙に、必要はあるよと椿が食い下がる。




「絶対、母親も要るって!そう思うよね、紅羽?」



「ぼ、僕?えっと……んと……し、白薙はどう思うー?」



紅羽は右手人差し指で頬をかきながら、白薙に質問を流す。




「俺様に聞かれても知るかよ。キハルの気が済むようにすりゃいいだろうが!」



やや苛立ち混じりに、白薙が意見を返す。




「よっし、決っまり!じゃ、選んで蒼影!」



「……選ぶ?何をだ?」



「もう!話の流れから察してよ。あたしと山茶花と桃華さんの三人で、母親役は誰がいい?」



「なっ……。」



蒼影は面食らったような顔で、しばし言葉を失ってしまった。


山茶花と桃華も、えっと目を丸くしている。




「あのさ……椿?少し悪ノリしすぎなんじゃ……」



「あたしは真面目に言ってるよ!事情知ってるのは、あたし達だけじゃん。赤の他人に頼むわけにもいかないしさ、これが一番自然な流れでしょ?」



「お、お姉ちゃんは選んじゃダメよ!お姉ちゃんには白ウルフちゃんが居るんだから……。」



両手人差し指を突き合わせてもじもじし始める桃華に、変なこと言うんじゃねえよと白薙が怒鳴る。




「俺様と桃華姉は姉弟きょうだいだろうが!別に桃華姉が誰とどうしようが興味ねえっつうの!」



「まあ、ひどい!白ウルフちゃんは、お姉ちゃんが悪い人に引っかかって不幸の道を歩めばいいって言うのね……。ひどいわ、ううっ。」



「そ、そんなことは言ってねえだろうが!泣くんじゃねえよ、桃華姉……。俺様が泣かしたみたいで罰悪いだろ……。」



さめざめと泣き出す桃華を、必死で宥めようとする白薙。




「……何、この空気?」



「うーん……桃華さんは予約済みか。あたしと山茶花ならどっち選ぶ、蒼影?」



呆れるを通り越してどうでも良くなってきた山茶花と、笑顔で問いかける椿。



「う、うむ……」



「椿嬢。君も山茶花嬢も学校に行くだろ?俺達四人も桃華嬢もやるべきことがある……。ここは誰かに任せっきりじゃなくて、全員で育てていくってことでどうかな?」



熟考する蒼影を横目に、黄涙は和やかな笑みを向けて椿に提案。



赤ん坊が何を悩んでるのと言わんばかりに、たあと無邪気に首を傾げた。




「そうしようよ、椿。」



「うーん……確かに一理あるかも……。わかった……そうしよっか!」



意外にもあっさりと納得した椿の様子に、山茶花以下六名は唖然としてしまった。




「んっ?どうかした?」



「どうかしたって……あんなに頑固に言ってたのに、本当に納得できたの、椿ちゃん?」



一同を代表して、桃華が目をパチパチさせながら訊く。


もちろんですと、椿は即答した。



理由について、彼女は




「よく考えてみたら、この中の誰かが世話するとしても、結局はみんなで見ることになりそうだし。母親役……あたしにも山茶花にもちょっと重荷すぎるかなって。」



右頬をかきながら苦笑いして、しれっと言ってのける。




「つきちゃんが納得したなら、問題無くなったねー。よーし、頑張って赤ちゃんを育てよー!」



一段落したのを悟った紅羽が右手を前に出して




「うん、頑張ろう。」



「乗り気じゃねえけど……。」



「了解だ。」



トランプ四重奏の残り三人が、それぞれ利き手を重ねる。


なぜか、赤ん坊までたいっと手を出した。




「オカルトマニアの香川 椿の名にかけて、やってやりましょうか!」



「……オカルト、関係ある?」



「お姉ちゃんが子育てかあ……。なんか、ドキドキするわ。」



椿、山茶花、桃華も手を重ねる。



かくして、赤ん坊育成アンド両親探しプロジェクトが開始された。




「……むっ?」



エイエイオーという掛け声の直後、蒼影が後ろを振り返る。


彼の後ろには、縦八十センチ、横百五十センチほどの開け放れた窓がある。




(気のせいか……?何か気配を感じたのだが……。)



電線と民家と灰色の雲に覆われた空に視線を向けながら、蒼影は青い瞳を細めたのだった……。









窓の外。



白い壁に全身を紺色服で覆った男二人が貼り付いていた。




「……気付かれたか?」



向かって右側の男が押し殺した低い声で、隣の男に尋ねる。




「ギリギリ見つかってないと思いますがね。何とも言えません。」



隣の男はどちらともつかない返事をした。


こちらの男の方がきっちりした服装と容貌で、右の男より年下に見える。




「煮え切らん奴だ、おまえは。」



「煮え切らないって言えば……おでんが思い浮かんできました。早く赤ん坊を手に入れて、帰りましょうよ。」



ふわああと大あくびをする左の男を見て、




「人選ミスだな、こりゃ……。」



右の男はため息混じりに呟いたのだった……。







「ねえ、これなんかどうかしら、白ウルフちゃん?」



「俺様に聞くなっつうの。赤ん坊背負ってる本人に聞きゃいいだろが。」



デパートのおもちゃ売り場。


桃華はもうこれで十一個目になるおもちゃを買い物カゴに放り込んでいた。



斜め後ろには、うんざり顔の白薙と、背中に追った赤ん坊をあやす蒼影の姿。




「相変わらず冷たいんだから、白ウルフちゃんは!いいわよ……もう聞かないから。」



「………。」



「蒼影ちゃんはどう思う?まだ足りないかな?」



「十分すぎると思うが……うっ。」



とあっと赤ん坊に肩を叩かれ、蒼影は顔を歪める。




「大体、なんで俺様が二人に着いて来なきゃならねえんだよ!子供じゃねえんだから、買い物ぐらいできるだろうが、桃華姉!」



「まあ!蒼影ちゃんと二人きりで何かあったらどうするのよ!白ウルフちゃんは心配じゃないの!?」



「何かって何だよ!?蒼影が桃華姉に変なことするわけねえだろうが!」



「そんなのわからないわよ?蒼影ちゃんだって男の子だもん。」



白薙の激しい剣幕に負けることなく、桃華も同じくらい激しく言い返す。




(これでは、一人で来た方がマシだ……。)



背中の赤ん坊をあやしながら、蒼影は深いため息をついた。


周りに居た親子や夫婦が、白薙と桃華の口ゲンカに好奇の視線を向けている。




「大体、白ウルフちゃんはねえ……」



「それは桃華姉だろうが!!」



「むっ……?」



どうするかと考えていた蒼影だったが、不意に視線を感じて振り向く。




「あうう……。」



赤ん坊はうるさいなあと言いたげに、両手で両耳を塞いでいる。




「蒼影はどっちの味方だよ……って、何を見てんだ?」



「どうかしたの、蒼影ちゃん?」



蒼影の様子に気づき、白薙と桃華は一時ケンカを中断し、視線の先を追う。


ぬいぐるみコーナーの後ろ。


何か紺色の物体が動いていたが、三人の視線を感じたようでピタリと動き止めた。




「何かしら、あれ?」



「……頼んだ。」



「頼んだって……えっ?ちょっと、蒼影ちゃん!」



蒼影に赤ん坊を手渡され、桃華は戸惑いの表情を浮かべて赤ん坊を抱く。




「おい、蒼影!」



白薙の呼び止める声は聞こえていたが、蒼影は振り返ることなく紺色の物体に向かって歩み寄る。



と、次の瞬間。


紺色の物体が凄まじい速度で走り出したのだ。




「わっ!?なんだ!?」



驚いた買い物客達が空けた道を、その物体は縫うように逃げていく。




「待て……!!」



蒼影も全速力で紺色の物体を追う。




「あ……う……えーん!!」



「蒼影……」



「どうす……」



白薙と桃華の声、そして赤ん坊の泣き声が遠ざかっていく。




ベビー服コーナーを通り過ぎ、ゲームコーナーの角を曲がった先にある布団コーナー。


紺色の物体は布団の後ろにサッと身を隠した。




「そこか!」



蒼影は闊歩しながら近付くと、布団に手をかける。


だが、布団をめくり紺色の物体の正体を突き止めることはできなかった。




「動くな。」



ドスの利いた低い声が耳元で聞こえ、蒼影は一瞬にして動けなくなった。




「……っ。」



低い声の人物に後ろから羽交い締めにされ、首に刃渡りサバイバルナイフを突きつけられたのだ。




「叫んでも無駄ですよ、黒髪のあにさん。今、自分達が居る空間は、人間には見えませんからね。」



布団の後ろから紺色の物体が正体を見せた。


全身紺色の服で身を包んだ二十代前半ほどの若い男性だ。



白いマスクで口を覆っているため、顔はよくわからない。




「……目的は何だ?」



「へへ、話がわかりますねえ、兄さん。心配しないで下さいよ。自分達が欲しいのは、兄さんの命じゃありません。赤ん坊の身柄ですから。」



「赤ん坊……。」



「兄さんが背負ってたあの赤ん坊ですよ。ただの赤ん坊じゃありません。幼いハートブレイカーとして未知の力を秘めた赤ん坊なんです。」



ベラベラしゃべんなと、蒼影を拘束する男が彼を叱りつけた。




「たくっ……だから、おまえと組むのは嫌だったんだ。おい、黒髪の坊主……赤ん坊はどうした?」



前半はパートナーである若い男性に、後半は蒼影に対しての質問。


サバイバルナイフの刃先が蒼影の首に当たり、少量の鮮血が首を沿うように流れ落ちる。




「……人に預けている。」



蒼影は全く動じる風もなく、毅然とした態度で答える。




「今、そいつはどこに居る?」



「………。」



「だんまりか、まあいい。一時間後に赤ん坊を連れて山女海岸まで来い。断ってもいいが、その場合赤ん坊を連れてる奴の身の保障はできねえ。関わった奴ら全員の口封じをしてやる。……いいな?二度は言わねえからな。」



蒼影の返事を待たずに、紺色服の男二人は素早く走り去る。



自由になった蒼影が追おうとした時には、紺色服の男達の姿は見えなくなっていた。




(某としたことが……軽率すぎたか。)



首から流れる血を右手の平で拭いながら、蒼影はやや後悔の色を顔に出す。


空間が元に戻り、首を押さえる蒼影を数人の買い物客達が不思議そうに見ていた。




早足でおもちゃコーナーに戻った蒼影を、遅えぞと白薙が睨む。



泣き喚き、足をバタバタ動かす赤ん坊を桃華が必死にあやしていた。




「すまない……。」




蒼影は一言詫びを述べると、桃華から赤ん坊を抱き上げる。




「うええーん……たあ?」



その途端、何も無かったかのように赤ん坊は泣き止んだ。




「はあ……蒼影ちゃんが戻って来てくれて良かったわ。全然泣き止んでくれないから、途方に暮れてたのよ……。」



桃華は脱力したように、近くの柱によたれかかる。


額からは一粒の汗が流れ、立っているのがやっとのようだ。




「俺様と桃華姉がどんだけ苦労したと思ってんだよ?親になるっつうんだったら、責任持って抱いとけよな!」



「以後、気を付ける……。」



短く返すと、蒼影は自分の腕の中で笑い声を上げる赤ん坊を見つめたのだった……。








「お帰り。……蒼影は?」



主の好みで質素な内装になっている部屋。


山茶花は、桃華と白薙と熟睡中の赤ん坊とを見比べながら尋ねた。


隣には、ミステリー小説に没頭している黄涙の姿がある。




「何か用があるとかで、どこか行っちまいやがったぜ。」



と白薙。




「用事って?」



「そこまではお姉ちゃんも白ウルフちゃんもわからないわ。一緒に行きましょうって言ったんだけど、一人で行かなきゃいけないからって断られちゃって。何だか……思いつめたような表情だったわ。」



大丈夫かしらねと桃華が首を傾げながら言った。




「……放っておいていいのかな、白薙?」



「なんで、俺様に訊くんだよ?黄涙に聞きゃいいだろ。」



白薙は不快な色を顔に出し、黄涙の方を見やった。




「……黄涙はどう思う?本読んでないで何とか言って。」



「んっ?ああ……蒼影はさ、自分一人で解決できることは相談しないんだよ。関わってほしくないって感じなのさ。」



黄涙は、読み終えた小説を山茶花の本棚にしまいながらいつもの笑顔で答える。



「だけど……あっ。」



山茶花の言葉を遮るかのように、彼女のケータイから音楽が鳴り響いた。


ドビュッシー作の『亜麻色の髪の乙女』。




(メール……?)



登録されていないアドレスだ。


誰からだろうと小首を傾げながら、山茶花はメールを開く。



白薙と桃華はまだ何かお互いの欠点を言い合う口ゲンカ中で、黄涙は涼しい顔で二冊目の小説に目を落としている。




『突然のメール、ごめんね。見慣れないアドレスで警戒しているかもしれないけど、どうしても伝えたいことがあってさ。少し前に、蒼影からメールがあって、彼が山女海岸に居ることと何か重大な事態に巻き込まれていることがわかったんだ。このメールを見終わったら、誰にも気付かれないように外に出て。』



送り主の名前は書かれていないが、山茶花には誰なのか何となくわかった。



彼女は、静かに立ち上がると足音を立てないように部屋を出た。



ドアを閉める時に黄涙と目が合ったが、彼はすぐに小説に視線を戻し、不審に思う素振りは見せなかったのだった。












山女海岸は、あまり人が訪れない寂れた場所である。


潮風は涼しいが、海は濁っているため、海水浴には適していない。



海という以外は何の見所も無いその場所に、全身を紺色の服で包んだ二人の男が立っていた。




「来ますかね、黒髪の兄さん。」



男の内の若い方がぽつりと呟いて、




「必ず来る。赤ん坊は連れて来ないだろうが。最近の若者は、天の邪鬼な奴が多いからな。」



年上の男の方が肩をすくめて答える。




「それじゃ、ここで兄さんを待っている意味はあるんですか?」



「意味は……おっ、主役のお出ましのようだ。」



若い男は、年上の男の視線の先を見つめる。


黒い髪と青い瞳を持つ青年……蒼影が、こちらに歩いて来るのが見えた。



彼は早足で男達の二メートル前まで来ると、ピタリと足を止めクールな表情で二人を見返す。




「時間ジャスト。なかなか几帳面な性格なんですね、兄さん。」



「………。」



「けど……おかしいっすね。肝心の赤ん坊は連れて来ていない。兄さん……何のために来たんですかい?」



蒼影はそれには答えず、無言のまま背中にくくりつけた雷上動を取り構えの姿勢をとる。



「ははあ……そういうことですか、黒髪の兄さん。後悔しますぜ。」



「……仕方ねえか。なるべく、穏便に済ませたかったが。」



やむを得ないと、二人の男達は各々の武器を構える。


年上の方が棍(細い木の棒)で、若い方がランス(槍の一種)だ。




「恨まないで下さいよ?俺達も仕事なんですから。」



「行くぜ?……はっ!」



その男の言葉を合図に、二人の男と蒼影は同時に動く。


波がサーッと貝殻を散らかして、また新たな貝殻を打ち上げる。




「間合いに入られちゃ、その弓は役に立ちませんよね?」



「……っ!」



横薙ぎに振られたランスの攻撃を、蒼影は反射的に後ろに飛び退いて避ける。




「やるじゃねえか、坊主。」



賞賛しながら、年上の男は棍棒を振り上げる。




「くっ……!」



蒼影は、弓の弦とは反対側の木の部分で受け止める。


ガキッと鈍い音が響き、鉛のような重圧が彼の腕にのし掛かる。




「ほう……受け止めたか。だが……」



「敵は一人じゃないんっすよ、兄さん。」



年上の男が素早く身を屈めると同時に、蒼影の後ろからランスを構えた若い男が向かって来る。


ランスの先端は日に照らし出されて、銀色にぎらついていた。



速度からいって、左右に避けることは不可能。


そう即座に判断した蒼影は、




「ならば……!」



地面を強く蹴り、高く跳躍する。


白い砂と桃色がかった貝殻が舞い散った。



ヒューと年上の男が口笛を吹く。




「おわっと!?」



勢いあまった若い男は、砂に足をとられ顔面から倒れ込む。




「いったた……。」



「ぼやっとすんな!上だ!」



「へっ……上……わわっ!?」



若い男は転がり込むように、年上の男の方へ駆けて行く。



その背中に狙いをつけて、蒼影が矢を二本続けて射る。




「どあっ!?」



その内の一本が、男の背中をかすめ紺色の服を二センチほど裂き、健康的な小麦色の肌が露わになる。




「………。」



蒼影はスタッと地面に降り立つと、再び射る構えをとる。


矢の矛先は、年上の男に向けられていた。




「た、退散しましょうよ、所長!」



若い男は、身震いしながら所長と呼ぶ年上の男の背後に隠れる。




「できるわけねえだろうが、そんなこと!!もういい!おまえはその辺で逃げ回っとけ!!」



年上の男は怒鳴りつけると、蒼影に向き直る。




「おい、坊主。おまえさん……何者なんだ?そこまでして、赤ん坊を守ろうとする理由はなんだ?」



「……トランプ四重奏の蒼影だ。親が赤ん坊を守ることに理由などない。」



蒼影は簡潔に答えると、二本の矢を放つ。




「ほう……その歳で父親気取りか。トランプ四重奏を名乗るだけのことはある。」



棍で器用に矢を叩き払いながら、感嘆したように声を漏らす年上の男。




「見所ありそうな坊主だが……こっちにも譲れんわけがある。決着をつけようか!」



「望むところだ……!」



年上の男は一気に距離を詰め、蒼影は黄色い光を帯びた矢を二本放つ。



両者の武器が触れ合いそうになった時、




「待った!」



何者かが二人の間に割って入った。




「おう!?」



「なっ……!?」



目を見開き驚いたような二人の視線が注がれる中、乱入者は年上の男の棍に飛び乗り矢を払い落とした。




「し、所長!今、援護に……うわっ!?」



若い男は年上の男に駆け寄ろうとしたが、何が何だかわからない内に身動きがとれなくなる。


縄のような物で、体をぐるぐる巻きにされてしまったのだ。




「ケンカ両成敗だよー。」



彼の頭上から間延びした少年の声が聞こえてきた。




「黄涙……紅羽……。」



蒼影は、乱入者と少年を交互に見ながら呟いた。




「やっほー、蒼影ー。来るなって言われると、余計来たくなっちゃったー。」



縄を操っている紅髪の少年……紅羽がおどけるように言って




「紅羽から連絡を受けて、仲裁に来たんだ。双方、誤解しちゃっているようだからね。」



和やかに微笑みながら、黄色髪の青年……黄涙が説明口調で言った。




「はあ……二人共、速すぎるんだってば。少しは、私のペースにも合わせてほしいんだけど……。」



二人より少し遅れてその場に駆けて来たのは、茶色いポニーテール髪とオッドアイの瞳を持つ少女。




「山茶花……いや、ZOKKAまで来たのか……。」



「……なんで、合っているのに言い直すわけ?」



名前を呼ばれた山茶花は不服そうに言葉を返す。




「何者だ、おまえら?男の真剣勝負に手ぇ出しといて、タダで済むと思って……」



「誤解ですよ、ジャンハン北区総合相談所の五鷹いつたか所長。」



「なっ……」



名前を言い当てられた年上の男は、面食らったように数歩後ずさった。



「相談所の所長……?」



「そうさ、蒼影。五鷹所長と部下の雁田かりたさん。さしずめ……あの赤ん坊の親から捜索依頼を受けて、保護しようとしていたってところかな。」



全くもってその通りですと、雁田が賞賛の意を示すように手を打ち鳴らす。




「依頼を受けて赤ん坊を探していたところ、君達が赤ん坊を抱いているとこれを見かけたんです。事情を話して返してもらおうとも思ったんですが、万が一君達が赤ん坊を狙う良からぬ組織だったらと思うと……念には念を入れて、反応を窺っていたんです。けれど、君はなぜ俺と所長を知っているんですか?名乗った覚えもないのに……。」



「待て、雁田。よく見てみりゃ、見覚えある顔だ……。もしかすると、黄涙とかいうおまえさん、ジャンハン警備局の鴨池かもいけ局長の息子さんじゃねえかい?」



五鷹の質問に、義理のですけどと黄涙が修正して答えた。




「とにかく、五鷹所長も蒼影も武器を収めて。積もる話は、話題の中心の赤ん坊が居る山茶花嬢の部屋でしましょう。……いいかな、山茶花嬢?」



「えっ……まあ、断る理由はないけど。なるべく手短によろしく。」



山茶花の許可を得て、六人は彼女の家へと移動を開始したのだった……。










「たくっ……俺様はベビーシッターじゃねえっつうんだよ!」



山茶花の部屋で、桃華と共に留守番していた白薙は、大層ご立腹だった。



隣に座る桃華に抱かれた赤ん坊が、彼の頬をペチペチと触っている。




「髪引っ張られるわ、ほっぺた叩かれるわ、エンエン泣くわ……もう、懲り懲りだぜ!!」



「すまない……白薙、桃華殿。」



「謝らなくていいわよ、蒼影ちゃん。こう言ってるけど、白ウルフちゃんもまんざらじゃないんだから。」



イタズラっ子のように目配せする桃華に、勝手なこと言うなよと白薙の抗議が飛ぶ。




「たぁたんたいい。」



「むっ……?どうかしたか?」



「蒼影がいいって、言っているんじゃないかな。“たぁたん”は“父さん”って聞こえることだしね。」



自分に向かって小さな腕を目一杯伸ばす赤ん坊を、黄涙の解釈を聞いた蒼影は優しく抱き取る。




「あはは……すっかり懐かれたみたいですね、黒髪の兄さん。」



「……って、おまえは何和んでやかんだ、雁田!さっさと済まそうと言ったのは、他でもねえおまえだろうが!」



「いてっ!そ、そうでした、すいやせん……。」



叩かれた頭の右側を撫でながら、雁田は姿勢を正し、おほんと一つ咳払い。



「黒髪の兄さんには、ちょいと酷な話ですが……赤ん坊を俺と所長に引き渡してもらえませんか?責任持って、依頼者の元へ返しますんで。」



「依頼者……?言い回しが気にかかるけど、親じゃないってこと?」



山茶花が心に浮かんだ疑問をぶつける。




「それがその……赤ん坊の両親は既に帰らぬ人になっていて……母親のお姉さんが引き取るそうなんです。」



「帰らぬ人……か。何があったか気になるけど、赤ん坊の前で暗い話は止めたほうがいいよね。」



彼女は自分に言い聞かせるように言うと、それ以上の質問はしなかった。




「……心得た。もとより、この赤ん坊は育てる人間が見つかるまで預かると考えていた故、その人間が見つかったならば、某が育てる義理も由縁も無い。」



「いいのか、坊主?」



蒼影は深く頷くと、赤ん坊を任せるというように雁田の腕に預けた。



赤ん坊は泣きこそしなかったが、放心しているようにピタリと動きを止めた。




「我々には、やり遂げなければならないことがある。赤ん坊は、標的にされやすく邪魔になるからな。これで……良かったのだ。」



「蒼影……。」



「じゃ、確かに赤ん坊の身柄を預かりましたよ。」



雁田は赤ん坊を左腕でしっかりと抱き、三鷹は世話になったなと彼なりの礼を述べながら棍で空間に裂け目を作る。



空間の中に消えて行く二人の背中を見送る蒼影は、複雑そうに顔をしかめて微かに手を振っていた。




「またえ、たぁたん。」



「……達者でな。」



蒼影と最後の挨拶を交わすと、赤ん坊の体は二人共々空間の中へ消えて見えなくなった。




「けっ!邪魔になるなんて、心にも無えこと言いやがって……。寂しいならそう言やいいのによ。」



「意地悪言っちゃダメよ、白ウルフちゃん!蒼影ちゃんは必死にこらえてるんだから!」



桃華に注意され、白薙はフンッとそっぽを向く。




「寂しいんだ、蒼影?」



「……多少な。その反面、安心もしている。これであの赤ん坊が危険にさらされることは無くなったのだからな。」



「それもそうだね。君達と居ると、あの子までトラブルに遭いそうだし。」



「………。」



痛いところを突かれたとばかりに、口を噤む蒼影。


そんな彼を見ながら、でもさ……と山茶花は続ける。




「退屈しなくていいかも。それに、なかなか父親してたよ、蒼影。」



「僕もそう思うよー。」



「うん、俺もそう思う。」



黄涙と紅羽も山茶花の意見に同意するように頷いた。




「お姉ちゃんもそう思うわ。白ウルフちゃんもそう思うでしょ?」



「だーかーら!俺様に訊くなっつうの!」



「白ウルフちゃんもそう思うって。良かったね、蒼影ちゃん。」



違うっつうのと抗議する白薙を受け流しながら、桃華はふふっと優しげな笑みを蒼影に向けるのだった……。










-To be continued…-

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