-美色-
「月は…赤い。月は…青い。ジャンハンは美しき色の世界…。けれど…この世界で最も美しい色は、赤でも青でもなく…紫色。そう思うだろ、光幻?」
改装中のため無人となっているジャンハン警備局の屋根の上。
少年は、赤い月をじっと見つめながら訊いた。
年の頃は、十代前半ほどか。
月に照らし出された瞳の色は紫で、髪はクリーム色のふわふわパーマがかかっていた。
上半身に羽織った白ポンチョの紐が、風にゆらゆら揺れていた。
「はい、紫月様。あなた様のお名前と同じ…紫色こそがジャンハンを灯す美しき色です。」
彼の隣に座っている女性が事務的な口調で答える。
長い藍色の髪に紺の瞳。
整った顔立ちの美人だが、その顔に表情は無かった。
まるで執事のように、黒いスーツをビシッと着こなしている。
「光幻…ジャンハンとよく似た世界に“日本”がある。醜く汚い色にまみれた世界…。自分は今からその世界に行こうと思う。」
「………あなた様の思うままに。」
「しばらく留守は、おまえに預けておく。」
「お気を付けて、私の大事な主…紫月様。」
光幻の言葉を背に受けながら、紫月と呼ばれた少年は立ち上がり右手の剣を空間にヒュッと一振り。
斬られた空間に、子供なら余裕で入れるほどの大きさの裂け目ができた。
「待っていなよ、トランプ四重奏…壊してあげるから。」
口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、紫月は空間の奥へ入っていったのだった。
最近できたばかりの本屋“水森書店”の雑誌コーナーの前。
山茶花は、ある一冊のファッション雑誌をかぶりつくように真剣に読んでいた。
(まずは、肩幅ほどに足を開き…)
「“絶対にリバウンドしないダイエット法・入門編”…か。嘘くせえな。」
「あっ…。」
不意に彼女の手から、雑誌が奪われた。
誰かと思って振り返ると、そこに居たのは、オレンジ髪と桃色の瞳を持つ少年…
「白薙…!?なんで、こんなところに…?」
「俺様が本屋に居たら悪ぃのかよ?」
白薙だった。
山茶花から奪った雑誌を、けだるそうな表情でパラパラめくっている。
「いや、悪くはないけど…ってそうじゃなくて。…他の三人は?ハートブレイカーが普通にこんなところに居て大丈夫なの?」
「蒼影はCDコーナーで音楽を試聴中。紅羽は二階のゲームコーナーで遊んでる。黄涙は、外で女子高生と雑談してっぜ。…ハートブレイカーっつっても、浮いたり武器振り回したりしなけりゃ、人間と同じ。バレはしねえよ。」
「…何しに来たの?」
雑誌を閉じ元の棚に戻し、白薙は山茶花の方を向いた。
「茶花…おまえの後を尾けてきただけだっつの。」
「うん、それはなんとなくわかるけど…中まで入って来なくてもいいんじゃないかなって思うけど。」
「まあ…俺様もそう思ったんだけどよ…黄涙が…」
「俺を呼んだかな、白薙?」
「おわっ!?驚かすんじゃねえよ!」
唐突に目前に現れた黄涙に、声を荒げ身を引く白薙。
「なんだね…騒がしい。」
「これだから、最近の若者は…。」
「本屋では静かにするのはマナーだろうが…。」
本を立ち読みしていた周りの人間が、訝しげに二人に視線を向けている。
「あ…すみません…って、なんで私が謝ってんだろう…?」
疑問を口に出しながらも、山茶花は周りの人間に向けて頭を下げた。
それを見た周りの人は、
「やれやれ…迷惑な人間はいつの時代にもいるな。」
「そろそろ帰らないとね…占いコーナー読んでから帰りましょっと。」
ぶつぶつ呟きながら、立ち読み姿勢に戻っていた。
「うっ…くそっ、だから昔から好きじゃねえんだよ…本屋とか図書館とか。早く出っぞ、こんなとこはよ!」
「出るって…まだ本選んでないんだけど…」
「山茶花嬢、大事な話があるんだ…ここは白薙の言う通り、外に出ようか。」
「えっ…ちょっと…わかったから押さないで…」
山茶花は、二人に背中を押され半ば無理矢理な形で書店の外まで出された。
ウィィーンと自動ドアの開閉音が鳴り、ドアが閉じた。
「それで…大事な話って?」
「聞きたくないかい、山茶花嬢?俺達がなぜ、安全に見える店の中まで入って君のことを見守っているのかを。」
「それは確かに気になるけど…。」
「ふふっ…歩きながら話そうか。ここに居ると、落ち着いて話ができそうもないんでね。」
黄涙は微笑をたたえて言いながら、チラと後ろを振り返った。
彼の一メートルほど後ろでは、セーラー服を着た女子高生三人組がキャーキャー騒ぎながら、黄涙をケータイで写していた。
「ジャンハンには女性のハートブレイカーも居るんだけどね…人間の女性ほどは騒いでくれないんだよ。」
「へっ…いい気なもんだよな、色男はよお!俺様は、茶花を守るっていう役目をしっかり果たしていたってのによ!」
「ひがんでいるのかい、白薙?今度、ナンパのやり方をレクチャーしようか?」
「…っざけんな!!誰がおまえなんかに…!」
「あー!また、ケンカしてるー。」
書店から出てきた少年が、間延びした口調で言った。
紅いサラサラの髪に山吹色の瞳と泣きボクロ。
「紅羽…この二人をどうにかしてくれない?目立つし…うるさいんだけど。」
「うーん…放っとけば仲直りすると思うけど…うわあ!?」
紅羽は思わずぺたんと尻餅をついてしまった。
女子高生達の騒ぎ声の矛先が紅羽に移り、彼を囲むように集まってきたからである。
「何、この子ー?まぢ小っちゃーい!髪サラサラだし、かっわいいんですけど!!」
「ヤバい!連れて帰りたいわ!!」
「君、何て名前?どこから来たの?」
「あうう…た、助けて、蒼影ー!」
紅羽の叫び声に反応するかのように、自動ドアから青年が一人駆け出てきた。
顔の右半分を覆い隠す漆黒の前髪に青い瞳。
耳からズボンにかけてイヤホンコード。
「何事だ、紅羽!?」
「きゃあ!そっちの人もなかなかイケてるし!マヂで何の集まりなわけ、これって!?」
「イ、イケてる…?マヂ…?生け花のことか?」
女子高生の一人に歩み寄られ、蒼影というらしい青年は幾分かたじろいでいた。
「蒼影…ピュアすぎるのも問題だと思うよ。」
「ピュア?日本語では新鮮という意味…。つまり…何だ?」
「………。」
呆れ果てて遠い目をする山茶花の肩を、いつの間にやら隣に移動してきた黄涙がぽんっと叩く。
「蒼影には俺からよーく教えとくよ。とりあえず、今は…」
「こ、ここから脱出するのが先ー!」
「走っぞ!遅れんなよ!!」
先導するように、真っ先に白薙が走り出す。
続いて、紅羽と蒼影もダッと全速力で駆ける。
「行こうか、山茶花嬢。」
「えっ…あ、うん。」
山茶花の手を引いた黄涙も、三人の後を追う。
「待ってー!カラオケでも行こうよー!」
「送信…と。次はオレンジ髪の人、写させてー!!」
「えー、走るの?」
いろいろぼやいたり叫んだりしながら、女子高生三人も彼らの後を小走りで追うのだった…。
「ここまで来れば…はあ…もう大丈夫だよね…?」
肩で大息をつきながら、紅羽が誰にともなく尋ねる。
「とりあえず撒いたみてえだしな…少し休もうぜ!俺様、喉が乾きまくっちまってよ…。」
「…休めば?誰も止めないと思うし、水ならそこにあるから。」
公園の中心にある水飲み場を指差して、山茶花は特に何の感情も込めずに白薙に言った。
言われなくてもわかってるっつうのと言葉を返しながら、白薙は水飲み場に近づき蛇口をひねる。
飴のような形をした水道の先端から、水が上向きに吹き出した。
「何度も訊くようだけど…大事な話って?」
ブランコを支える水色の柱にもたれかかって白薙を見ていた黄涙に、山茶花が思い出したように訊いた。
「実は…厄介な人物がこっちに来たって話を聞いてね…。念のため、君の守護を強化することにしたんだよ。」
「厄介な人物…?」
「…天才と呼ばれるハートブレイカーのことだ。」
黄涙に代わって、蒼影が答える。
満足のいくまで水を飲み終え、ぷはあと息を吐く白薙の姿が彼の後ろに見えた。
「彼の名前は紫の月と書いて紫月と…」
「“様”だ。」
「えっ…?」
乱入してきた声に、トランプ四重奏の四人と山茶花は一斉に声の主を目で探す。
「あっ!あの滑り台の上ー!」
「へっ!やっぱり来やがったか!」
白薙が口の左側だけを吊り上げて、不適に笑った。
「低俗な会話に興味は無い。トランプ四重奏…あんた達を壊してあげるよ。」
滑り台の上から、地面にひょいと降り、少年は言った。
クリーム色の髪が、上向きにふわりとなびき、紫色の瞳には四人と山茶花の姿が移っていた。
上半身に羽織った白いポンチョの下から、左肩に彫られた大鎌のタトゥーが見え隠れしている。
大人びた口調の割には背が低く、まだ十代前半ほどに見える。
「………あの子より厄介な四人組が、私の目の前に居るんだけど。」
巻き込まれたことに気付いた山茶花が、皮肉気に呟いた。
「何をごちゃごちゃ話している?」
「へっ!てめえみたいなガキには関係ねえよ!」
ガキという言葉を聞いて、紫月の瞼がピクッと動いた。
「…ガキだと?」
「天才っつう肩書きにうぬぼれて、他のハートブレイカーにちょっかい出してるって噂を聞いたぜ?これがガキじゃねえなら、何…」
「黙れ。」
紫月は白薙に鋭い眼光を向けると、空間から一つの剣を取り出した。
刃幅は狭く先端は鋭く尖っていて、一見すると槍のようにも見える。
「気が変わった。壊す前に…最強と呼ばれる実力がどの程度なのか…見てあげるよ。このマン・ゴーシュで…ね。」
取り出した特殊短剣…マン・ゴーシュを左手に構えると、紫月は地面をタンッと強く蹴り一直線に白薙の方へ。
「うおっ!?」
自分の体に真っ直ぐ振り下ろされた短剣を、白薙は打ち出の小槌で受け止める。
ガッと擦れたような音が辺り一体に響いた。
「白薙ー!」
「白薙…!」
「…っ…来んじゃねえ、紅羽、茶花!!俺様一人で…こいつを泣かせてやんからな!」
駆け寄ろうとした二人を厳しい言葉で制止しながら、白薙は思い切り紫月のマン・ゴーシュを振り払う。
「………くっ。」
二メートルほど遠ざけられた紫月は、空中で体制を整え直した。
「すっかり油断しちまったぜ…。けどよ、次は俺様の番だぜ!!」
威勢のよいかけ声を出すと、白薙は目で追いつくのがやっとなほどの猛スピードで紫月の前へ移動する。
「………っ!?」
「たあっ!!」
面食らい怯む紫月の眉間に、白薙の小槌が振り下ろされ…
「…なーんてね。」
「なっ…うああっ!?」
…なかった。
紫月は左に身を交わし、体制が前のめりになった白薙の脇腹に素早くもう一つの剣…タルワールで斬りつけたのだ。
創傷部からはパッと鮮血が飛び散り、タルワールの刃と白いポンチョを赤く染めた。
白薙の体は人形のように脆くドサッと地面に崩れ落ちる。
右手に携えていた小槌も、数メートル離れた場所に転がっていった。
「白薙…!」
「ぐっ…やりやがった…な…ガキ…っあ!」
「まだガキというか…学習しない愚か者が。」
脇腹を押さえて呻き声を上げる白薙の創傷部を蹴り上げる紫月。
「止めろ…!」
「んっ…!?」
蒼影の雷上動から放たれた矢が、真っ直ぐに紫月の左肩に刺さった。
だが、紫月は痛みを感じる様子は無く、蒼影の方に顔を向ける。
「白薙から離れろ。さもなくば…」
「いいよ、離れてあげる。」
「むっ…!?」
一瞬、見ていた全ての者には、紫月の姿が消えたように見えた。
しかし、実際は光速で高く飛翔しただけだった。
「上…だと!?」
「気付いたところでもう遅い。」
紫月は雷上動を構え直す蒼影を見下ろし、彼の右肩にマン・ゴーシュを突き立てた。
ドスッという貫音と
「うぐっ!?」
蒼影の短く低い驚声。
白薙の時と同じように、傷部分からはパッと鮮血が舞い上がる。
そしてそれは、血に汚れていなかったマン・ゴーシュにたっぷりと血を吸わせた。
「蒼影…!!」
「迂闊…だった…。」
蒼影は仰向けにドッと地面に倒れた。
顔からは血の気が引いており、意識をも失ってしまったのか、微動だにしなくなった。
「次は…誰?」
紫月は血で濡れたままのマン・ゴーシュの剣先を、残りの三人に向けた。
「蒼影までやられるなんてね…さすが、最年少十歳の天才ハートブレイカーだね、紫月。」
「…“紫月様”だ。次は誰だと訊いている。」
黄涙は、つれないねとわざとらしく眉を下げてみせた。
「どうするの…黄涙、紅羽…?」
「次は…僕が出るよ!!」
小声で問いかけた山茶花に、彼女を守るかのように前に出る紅羽。
普段のあどけない顔とは違い、至って真剣な表情である。
「子供…?バカにしているのか?」
「僕はこう見えても十六歳なんだからー!君の方が子供でしょー!」
「まあ、いい………遊んであげるよ。」
紫月は上の歯全てが見えるほど口を開けて笑ってみせた。
その笑顔は、彼の歳には不釣り合いなほど不気味で残酷な笑みだ。
「むぅ…僕は子供じゃないって言ってるのにー!」
紅羽は口をつーんと尖らせて言うと、右手にブリューナクを携え左方向に浮遊した。
「…遅い。それでフェイントをかけたつもりか?」
紫月はぽつりと呟くと、紅羽の浮遊した方向とは反対方向へ浮遊し、一気に距離を詰める。
そうして、
「終わりだ!」
ヒュッと風を斬りながら、タルワールを紅羽の左脇腹目掛けて、横凪ぎに振る。
「わっ!?」
「紅羽…!」
山茶花は思わず息を呑んだ。
しかし…次の瞬間。
聞こえたのは紅羽の悲鳴ではなく、ガチッと何かが擦れたような鈍い音だった。
「………なっ!?」
「えっへへ…捕まえたよー、紫月!」
紫月は、目を見開いて多少たじろいでいた。
紅羽を仕留めたはずのタルワールが、細い縄…ボーラで捉えられていたのだ。
縄の先端には、重さ二キロの石がくくりつけられていて、ガチッという音はそれに当たった音である。
「くっ…ならば、マン・ゴーシュで…」
「それも…捕まえたーっと!」
「………!?」
紅羽は二本の内のもう片方の縄を、紫月の左手にあるマン・ゴーシュに向けてひゅっと投げる。
縄はマン・ゴーシュの鞘部分に引っかかり、くるくると固く巻きついた。
「ちっ…こんな物…!」
紫月は両方の武器をブンブンと上下に激しく振ったが、ボーラの先端の石がおもりの役目を果たしており、容易には外れない。
「観念しなよー、紫月!ごめんなさいしたら許すから…わあっ!?」
ブリューナクの先を紫月に突きつけようとした紅羽の体が、重力に逆らって上向きに浮き上がる。
しかし彼は、自分から浮き上がったのではない。
紫月がボーラに巻かれた二つの武器を、上向きに振り上げたためであった。
「調子に…乗るな。」
「うっ…!!」
そのまま紅羽の体は公園の端にひっそり立っていた木に、ドッと打ちつけられる。
「強さの絆?最強…?甘すぎるんだよ、あんた達は…!」
木がミシミシと軋む。
押し付けられる力が徐々に強くなり、紅羽は耐えきれずうああっと呻いた。
「紅羽…!助けないと…」
見かねて駆け出そうとした山茶花の左腕を、黄涙がパシッと掴む。
そうして、振り向いた彼女に黄涙は二度首を振ってみせた。
「行っても無駄だよ、山茶花嬢。」
「無駄かどうかは…私が決める。離してよ、黄涙…!」
「ううっ…。」
二人が問答している間に、紅羽の体はズッと木に反って下がり動かなくなってしまった。
「あっ…!」
「…この程度なのか、トランプ四重奏の力は。」
紫月は両方の剣に絡まっていたボーラをほどき、山茶花と黄涙に向き直る。
血で汚れていたはずの二つの剣は、いつの間にか元の輝く銀色に戻っていた。
「黄涙…」
「そう睨まないで、山茶花嬢。理由は後で話すから。」
山茶花に極上の笑顔を見せると、黄涙はクルタナを胸の前に構えた。
「やっと異結界が解けたよ、紫月。俺だけ除け者にするのはあんまりじゃないかい?」
「………クルタナ使いの黄涙。要注意ハートブレイカーリストに載っていた…。」
「ふふっ…そんなリストがあるんだね。まあ、何と呼ばれていようと俺には関係ないけど。」
「…二人だけで話を進めないでくれる?」
全く話の意味を理解できない山茶花が、怪訝そうに眉を潜めて会話に乱入してきた。
「ああ…ごめんね、山茶花嬢。異結界というのは、異空間を作り出す結界のことさ。」
「………わかりやすく、手短かによろしく。」
「簡潔に言うと…Aという空間とBという空間が混じり合ってCという空間ができているとする。その中に異結界を作ると、AとBの空間が完全に分離してしまうんだ。だから、同じCの空間に居るように見えても、実際は位相のズレた二つの空間が存在していて、互いに干渉できなくなるって仕組みさ。わかったかい?」
「なんとなくわかったような…わからないような…?」
腕組みをして首を傾げる山茶花。
黄涙は、ちなみにZOKKAである君も異結界をくぐることはできなかったのさと補足した。
「…話は終わったか?」
「待たせてごめんね…紫月。始めようか。山茶花嬢は危ないから下がっててね。」
辺りの空気が、ピリピリと突き刺すような空気に変わる。
紫月が動く。
地面をタンッと蹴って素早く黄涙の背後に回り込むと、左手のマン・ゴーシュで首元を狙う。
「ふふっ…いい動きだね。」
黄涙は微笑しながら誉めると、くるっと身を翻し、右手のクルタナで攻撃を受け止めた。
剣と剣が擦れ合い、ガチッと鈍い金属音を立てる。
「くっ…。」
「どうしたのかな、紫月?暑いのかい?」
鍔迫り合いになった途端に、紫月の額から一筋の汗が流れる。
「暑くなど…ない!」
「そうかい?じゃあ、その汗は…」
「うるさい!!」
「おっと!」
紫月が右手のタルワールで、黄涙のクルタナの鍔を打つ。
黄涙は、空中で宙返りをするように回り、距離を置いた。
紫月の刃の先端が当たったようで、右手の親指に二ミリほどの斬り傷ができていてそこからタラリと鮮血が流れる。
「やってくれたね…紫月。今度は俺の番だよ。」
「壊す…!」
二人は同時に動く。
紫月はタルワールを手に急降下し、黄涙はクルタナを左手に持ち替え上空へ舞い上がる。
登り棒より弱冠低めの高さで、両者の剣はぶつかり合った。
激しく擦れ合った二つの剣の中心から、バチバチッと火花が散る。
「ぼうっと見てるだけでいいのかな…?でも、手伝おうとしたところで、却って邪魔になるだろうし…。」
「うっ…のやろう…しやがって…。」
「あっ…大丈夫、白薙?」
何か呟きながら上半身を起こそうとする白薙に気付き、山茶花が小走りで駆け寄った。
傷口からの出血はもう止まっているようだったが、服にはべったりと鮮血がついていた。
「大丈夫に…っ…見えるのかよ…?」
「見えないけど…一応、定番の質問だから。」
「茶花…おまえなあ……っ…冷静すぎっぞ…。」
「だって、止血できそうなものは持ってないんだから、仕方ないでしょ。助太刀しようにも、下がってろって言われたし…。」
白薙と山茶花が漫才のような会話をしている間にも、黄涙と紫月は熾烈な戦いを繰り広げていた。
「ふふっ…疲れてきているようだね、紫月。剣さばきが悪くなってきているよ?」
「黙れ!自分は…あんた達のような甘い奴らには負けない…!」
「んっ…!?」
紫月は、タルワールに渾身の力を込めて黄涙のクルタナを弾き飛ばす。
黄涙の手から離れたクルタナは、カランと乾いた音を立てて数メートル離れた地面に落ちた。
「へえ…見かけによらず、けっこう怪力なんだね。」
「その余裕…へし折ってあげる!」
紫月は黄涙の胸部を斬るように、タルワールを横薙ぎに振った。
だが、黄涙は不敵な笑みを浮かべているだけで避けようとしない。
「あっ…黄涙…!」
「ばっ…避けろよ…!!」
山茶花と白薙が叫ぶ。
紫月のタルワールが黄涙の体に触れそうになった刹那。
黄涙の姿がフッと消えた。
「消えた…?」
山茶花は、信じられないといったように目を見開く。
「なっ…どこに行った!?」
「ここだよ、紫月。」
狼狽する紫月に、面白そうにクスクス笑う黄涙の声がすぐ近くから聞こえてきた。
どこかと探すまでもなく、彼の姿を紫月は確認できた。
そう…横に振られた状態のままのタルワールの刃の上である。
「へっ…かっこつけやがって…。」
「…すっごい跳躍力。」
白薙は弱々しく笑い、山茶花は普段と変わらない表情で感想を述べた。
「くっ…降りろ…!」
紫月は、タルワールを上下左右に動かすが黄涙を振り落とすことはできなかった。
「降りないなら…マン・ゴーシュで串刺しにしてあげる…!」
「おっと…!それはさすがに困るかな。」
「………っ!?」
紫月がマン・ゴーシュを構えるより早く、黄涙は真上に飛翔する。
そして、
「ふふっ…乱暴なことしたくないんだけど…ごめんね、紫月。」
「うあっ!?」
タルワールごと紫月の腹部を蹴り上げる。
紫月の体は大きく仰け反り、茂みに強く打ち付けられた。
左手のマン・ゴーシュは地面にトスッと突き刺さり、右手のタルワールは根元からパッキリと折れている。
「くっ…まだ負けたわけでは…」
「終わりだよ、紫月。それにね、最初から君は負けていたんだよ。」
胸部を襲う痛みに顔を歪めつつも体を動かそうとする紫月の眉間に、クルタナの先端を向ける黄涙。
太陽に反射して、刃かギラッと鈍く光っていた。
「あれって…どういうこと、白薙?」
「へっ…あいつが言ったままの意味だぜ。」
山茶花の質問に答えると、白薙は脇腹を抑えて立ち上がり、もう片方の手でズボンのポケットからトランプを一枚取り出す。
彼が担当するマーク…スペードのQだった。
「トランプカード…。」
「そうだよー。僕達の目的は、最初からこれを手に入れることだけだったんだよー。」
「紅羽…。」
気を失っていたはずの紅羽が、大木の上でトランプカードをくるくる回しているのが見えた。
「…そのためなら、負けたフリをすることも作戦の内というわけだ。」
「蒼影…。」
蒼影は水飲み場にもたれかかっていた。
左手にはクローバーのトランプ。
「…自分と本気で戦う気は無かった、ということか。」
「トランプを集め終えるまでは…ね。別の形で会っていたら、こうはいかなかっただろうけど。」
黄涙はクルタナは動かさず、右手で黒ベストのポケットをごそごそと探りトランプカードを取り出す。
ダイヤの三が描かれたカードだった。
「自分を…クルタナで斬るつもりか…?」
「…見ればわかるだろ、紫月。クルタナには刃の先端は無い…つまり、これで君を斬ることはできないさ。」
黄涙は説明口調で言うと、クルタナを刀鞘に収め、紫月から離れた。
「トランプを持ってねえ奴とこれ以上戦う気にはならねえよ。さっさとジャンハンに帰りやがれっつうの。」
「また元気になったら、遊んでもいいよー。でも、荒っぽい遊びじゃなくてー、缶蹴りとか鬼ゴッコがいいなー。」
「…我々も次に会う時までは、おまえがより退屈しない戦い方を身につけておく。」
白薙、紅羽、蒼影の順で声をかけると、三人は公園から歩き去って行く。
「紫月…それじゃ、またね。」
黄涙もヒラヒラと手を振りながら、三人の後を追って走り出す。
公園には、山茶花と紫月の二人が残された。
「…あんたも、自分のことをまじまじ見てないで行けよ。」
「うん…行くけどその前に…武器、壊してごめん。あと、弁償しろって言われてもできないことも謝っとく。」
「なんで、あんたが謝るんだ…?」
怪訝顔の紫月に、なんとなくと言葉を返すと山茶花もトランプ四重奏の後を追って公園から出て行った。
一人になった紫月は、
「また餌を用意して…遊んであげる。覚悟してろよ…トランプ四重奏…!」
不穏な言葉を呟き、マン・ゴーシュで空間を切り裂いたのだった…。
「…ってえ!!もっとしみねえようにできねえのかよ!?」
「…無茶なこと言わないでくれる?それに、文句言うなら自分でやればいいでしょ。」
壁時計の長針が数字の三を指す頃。
白薙は山茶花の家で、ケガの処置を受けていた。
他のトランプ四重奏のメンバーは大したことないケガだったが、白薙だけは思ったより深い傷を負っていたからだ。
「自分でやれって…おまえが消毒するとか言い出したんだろうが!責任持って、最後までやりやがれっつうの!!」
「…元気のいいケガ人だこと。」
「へっ…大体、こんくらいの傷で消毒なんて、大げさすぎんだよ!」
(このくらいって…かなり染みるほどの大ケガしてるくせに。)
心の中で思ったが、ケンカになると面倒くさいと口には出さない山茶花。
「…あと、包帯巻いたら終わり。これくらいは、自分でできるよね?」
「できるに決まってんだろうが。貸しやがれ…」
「たっだいまー、山花ちゃん、白薙ー!おやつ、買ってきたよー。」
「うおっ!?」
突如、窓から入ってきた紅羽に後ろからドンッと体当たりされ前のめりに倒れる白薙。
山茶花から奪った包帯が、黄緑色の絨毯に落ちてコロコロ転がっていった。
「あれー?白薙は?」
「…たった今、君が突き飛ばした物体が白薙だけど。」
「えっ…僕が突き飛ばした…?」
紅羽は額から冷や汗をかきながら、恐々と目の前に倒れている白薙に視線を移した。
白薙は両手を床につきむくりと起き上がると、猛獣のような鋭い目つきで紅羽を睨む。
「紅羽…やりやがったな、この野郎がっ!!」
「うっ…わああん!わざとじゃないんだってばー!!」
「待ちやがれ!!今日という今日は許さねえ!!」
泣きながら逃げ回る紅羽と打ち出の小槌を振り回しながら追いかけ回す白薙。
ドタドタという足音が響く。
「平和になった途端、これだからね…。」
「…呆れた奴らだ。」
「外でやってよね…はあ。」
そんな二人を、白薙と蒼影と山茶花は、冷めた瞳で眺めているのだった…。
紫色の太陽が沈みかけていた。
「月はきれい…。けれど…今日は闇夜…。月は…出ない。」
ジャンハン警備局の屋根の上。
紫から黒に染まりつつある空を見上げ、紫月がぽつりと呟く。
「お帰りなさいませ…紫月様。」
「ただいま…光幻。勝てなかった…彼らには。」
光幻は、そうですかと返すと紫月の隣に座った。
「今回はたまたま運が無かったのでしょう。次こそは…紫月様の勝利を。」
「…当然。」
紫月は短く返すと、タルワールを光幻の手に預けて沈みゆく太陽にマン・ゴーシュを重ね合わせた…。
-To be continued…-