-天敵-
「たくっ…しっつけーんだよ!!」
白薙は悪態をつきながら、後方を振り返った。
赤い満月をバックに、追ってくる十人の男性の姿が見える。
皆、手には鉄砲や長刀など物騒な武器を携えていた。
十人共、顔は黒い頭巾で覆われ、全身は灰色のコートに包まれているため、性別すらわからない。
彼らとの距離は、わずか二十メートルほどだった。
「…振り返るな、白薙。今は逃げ切ることが最優先事項だ。」
そう忠言したのは、彼の一つ前を浮遊している蒼影。
背中には、弓矢…雷上動がしっかりとくくりつけられている。
「でもよ…蒼影!最強のハートブレイカーの俺様達が逃げるなんて、かっこ悪いだろうが!!」
「だったらー、白薙だけ戦うー?」
蒼影の前を行く紅羽が、振り向かずに尋ねた。
「うっ…よ、よっし!逃げ切ってやっぞ、野郎共ー!!」
「まあ、このまま逃げててもいずれ追いつかれるだろうけどね。」
「揚げ足とんなよ…黄涙。」
最後尾を浮遊している黄涙は、クスクス笑いながらごめんねと返した。
「うーん…じゃあ、どうすればいいのー、黄涙ー?」
「そうだね………こうしようか。」
そう言うと、彼はくるりと反転し、追跡する者達に向き直る。
追跡者達は彼の態度に警戒したのか、ほんの少し追跡速度を緩めた。
驚いたように目を見開き振り返る紅羽。
「えっ…黄涙!?」
「ふふっ…今の内に行きなよ、日本へ。俺のことは…お構いなく。」
「かっこつけのアホーが…本当に行っちまうからな!!」
白薙は更にスピードを上げ、紅羽と蒼影を抜き、最前線に躍り出る。
そして、小槌を縦に振り空間の裂け目を作った。
「先に行けっ、紅羽!蒼影!」
「だけど…」
「行けっつんてんだろうが!!」
白薙に怒鳴りつけられ、紅羽はビクッと体を震わせ一目散に裂け目へ入っていった。
「…借りができるな、白薙、黄涙。」
蒼影もすぐに裂け目へ入る。
「いつか返してもらうぜ、二人共!…俺もあいつに返さねえとな。」
白薙は裂け目に左足をかけ、ちらっと黄涙の方を見る。
黄涙は右手に掲げたクルタナを、二度横に振ってみせた。
既に、追跡者達は彼の周りを輪をつくるように囲んでいた。
「へっ…いい様だぜ、黄涙…。」
白薙は消え入りそうな声で呟くと、もう片方の足も裂け目に踏み入れ奥深くに入っていく。
裂け目は三人を呑み込むと修復され、何も無かったかのように辺りの空間と同化した。
「粋な真似をするんだな、おまえさんは。」
黄涙の真前に居た追跡者が、押し殺したような低い声で言った。
「男に誉められてもあまり嬉しくないけど…」
「永遠に減らず口叩けないようにしてやろうか、優男?」
右真横に居た追跡者の長刀がヒュッ…と振られ、黄涙の横髪を数本切る。
切られた黄色い髪は、パラパラと地面に落ちていった。
他の追跡者の銃口や武器の矛先も、黄涙の頭に向けられている。
「それはさすがに困るかな。ふふっ…降参するよ。」
黄涙はクルタナを腰の刀筒にしまい、両手を高く上げた。
言葉とは裏腹に、表情はにっこり笑顔だ。
「今回は三日だ…黄涙。三日後…おまえさんを処刑する。」
真後ろに居る追跡者は冷たく言い放つと、黄涙の体に縄を巻き付け始めたのだった…。
「ねえ、君達…本当に守る気ある…?」
昼間の公園。
他のハートブレイカーと攻防戦を繰り広げる三人に、山茶花がため息混じりに訊いた。
体はボーラでベンチに括りつけられ、おでこには“ZOKKAです”と書かれた紙が張り付けられている。
「あるに…決まってんだろうが!だから、こうやって…戦ってんだよ!」
三叉槍を振り回す群青色の髪のハートブレイカーに対し、打ち出の小槌で応戦しながら、白薙が答える。
金属と木の擦れ合う鈍い音が辺りに響いていた。
「これって…守られてるんじゃなくて、おとりにされてるんじゃ…?」
「そんなことないよー!僕達には、茶花ちゃんをだしにしてトランプを集めようなんてひどいことはできないもん。」
「…言葉と行動、矛盾してるんだけど。」
「きっと気のせいだよー!」
紅羽はブリューナクで群青髪のハートブレイカーの背後を突く。
「挟み打ちとは…卑怯だぞ!」
群青髪のハートブレイカーは悪態をつきながら、素早く身を伏せた。
「うわあ!?」
「うおっ!?」
危うく相打ちになりかけ、紅羽も白薙もバッと後ろに飛び退く。
「隙あり!」
群青髪のハートブレイカーはチャンスとばかりに移動し、山茶花の首元に三叉槍の先端を突きつける。
「わっ!?」
「山花ちゃん!」
「茶花!」
白薙と紅羽はすぐに態勢を立て直し、ハートブレイカーに向き直る。
しかし、安易に動けない状況と理解し、二人に近づくことはできなかった。
「近づくと、ZOKKAの命は無いぞ!!」
「…近付かなければ、いいんだな?」
「な、何をする気だ…?」
群青髪のハートブレイカーは、蒼影の方を見てややたじろぐ。
蒼影は、雷上動を引き絞り、狙いをハートブレイカーの左胸部に合わせていた。
「蒼影…。」
「や、止めろ…!ZOKKAがどうなっても…ぐうっ!?」
彼が言葉を言い終わらない内に、雷上動から射られた矢は左肩に深々と刺さっていた。
「あっ…ありがと。」
ハートブレイカーが肩を押さえて数歩後ずさる間に、山茶花は彼からサッと離れた。
「くそっ…こうなりゃ、おまえら全員道連れに…っ…!?」
「…気色悪いこと言ってんじゃねえよ!誰が男と心中なんかすっかっつーの!!」
「蒼影ー、準備オッケーだよー!」
ハートブレイカーの腕を、白薙と紅羽がガシッと掴む。
「えっ…おい…これはいくら何でもずるくねえか!?」
「…女子を人質にする者よりはマシだ。」
蒼影は弦をギリギリまで引き絞り…躊躇なく弓を射た。
「ち、ちょっとタンマ…がはっ!?」
矢は群青髪のハートブレイカーの胸の中央に浅く突き刺さった。
ハートブレイカーの体は、ドサッ…と地面に崩れ落ちる。
やはり、出血は無かった。
代わりに…
「やっと、スペードが一枚出たぜ!」
ハートブレイカーの胸から一枚のトランプカードが浮き出てきた。
白薙が嬉しそうに言った通り、マークはスペードで、数字は六だった。
「良かったねー、白薙。」
「へへっ…この調子で俺様が一番に自分のマークを揃えてやっよ!」
紅羽に言葉を返しながら、白薙はカードに触れる。
すると、カードは吸い寄せられるように白薙の手に瞬時に移動した。
「…調子のいい奴だな、おまえは。」
蒼影は雷上動を背中に背負い直しながら、ぽつりと呟いた。
「これで、トランプカードは七枚目ー。順調だねー。」
「ねえ…盛り上がってるところに悪いんだけど…今日の君達、何か変じゃない?」
山茶花の唐突な質問に、紅羽が反応するようにピクッと肩を震わせた。
「ママー、あのお兄ちゃん達、浮いてたよー!ママも見たでしょ!」
「しっ!いいから、目を合わさないで早く行くわよ!」
一組の親子が、公園の横路をそそくさと歩き去って行く。
「へ、変かなー、山花ちゃん?ぼ、僕達、いつもどーりなんだけど…。」
「明らかに変。カード集めのやり方が妙に強引だし…黄涙が居ない。」
「き、黄涙は…その…えっと…」
「別にいいだろーが、黄涙が居なくてもよ!たまには、三人でやりてえ時もあんだよ。」
左手親指を唇に当てて口ごもる紅羽に代わり、白薙が言った。
蒼影は、ただ無言で空をじっと見上げている。
「そういうもの?」
「俺様は、あいつが居ねえ方がやりやすいしな!すかしてるわ、ナンパ調だわ…好きなタイプでは無えんだよ。」
「…ケンカしたの?」
「そ、そういうわけじゃねえけど…茶花には関係ねえ…おわっ!」
白薙は目を丸くして少し後ずさった。
山茶花が、彼の五十センチ前まで詰め寄ってきたからである。
黒と緑のオッドアイの瞳が太陽に照らされ、ギラリと鋭く光ったように見えた。
「な…何だよ、茶花?」
「………。」
「なんで無言なんだよ!言いてえことがあんなら、さっさと言いやがれ…」
「嘘…ついてる。君達と黄涙は、ケンカなんかしてない。…違う?」
「な、何言い出すんだよ、おまえ…。」
山茶花は、ふぅと小さくため息をつくと、白薙から視線を外し、蒼影の方に向けた。
「蒼影…。本当は何があったの?」
「………何も無い。」
「…僕、もう隠してられないよ!山花ちゃん、あのね…」
「話さなくていいっつーの、紅羽!!」
白薙はムッとしたような表情で紅羽を怒鳴ったが、紅羽は怯まず言葉を続ける。
「黄涙は…捕まっちゃったの。僕達の天敵…ジャンハン警備局に…。」
「ジャンハン警備局…?」
「うん…。」
四人の髪が、微かに風に靡いた…。
薄暗くかび臭いランガ(ハートブレイカーの力を封印する牢)の中、黄涙はぼうっと地面を見つめていた。
両手には手錠がかけられ、その鎖は天井近くに繋がっている。
同様に、両足には足枷がかかり、鎖には直径三十センチほどの鉄球が結びつけられていた。
「二日後に処刑される気分はどうだ…黄涙?」
懐中電灯の光が、黄涙の顔を明々と照らし出す。
声の主は男性で、黒頭巾と灰色のコートを着ている。
黄涙は、ゆっくりと顔を上げた。
その口元には、弱々しいながらも笑みがあった。
「こんな姿じゃねえ…最高の気分とはいえないよ。」
「“最悪”とは、言わないんだな。」
「まあね。喧騒から離れた静かな場所ってのも悪くないからなあ。久々の余暇の時間だと思って、残り二日間を気ままに過ごすつもりさ。…あっ、帽子を取らないでくれたことは、礼を言っておくよ。」
彼がぺこっと頭を下げたため、帽子はずれて地面に落ち、ファサ…と音を立てた。
「黄涙…おまえさんは、何年経っても変わらないな。」
「そう言うあなたこそ…変わらないね、叔父上。」
「まだその呼び方で呼ぶのか…私を。」
男は呆れたように眉を下げ、苦笑した。
そうして、左手で頭巾をとる。
耳までしかない緑色の短い髪と茶色い瞳が露わになった。
「十回目の監禁だ。義親子とはいえ、さすがに庇いきれん。」
「庇ってほしいなんて言ったことあるかな、俺?」
「ははっ、そういえば一度も言われたことは無いな。私のお節介だったな、すまん。」
叔父上と呼ばれた男は、腕組みをして豪快に笑ってみせた。
「まあ、どうしても、俺の助けになりたいっていうなら…足枷と鉄球を外してほしいかな。」
「…調子にのりなさんな、黄涙。」
「ふふっ…やっぱりダメか。」
口元に浮かべた笑みは絶やさないまま、黄涙は眉を下げた。
その時。
パンポンと警戒なリズムが鳴り響き、
『警備局長。至急、会議室へ!』
そんな放送がかかった。
「呼ばれてるよ、叔父上。」
「…やれやれ、昨日から騒がしいな。じゃあな、黄涙。」
「………さよなら、叔父上。」
去って行く男の背中に向かって、黄涙は誰にも聞こえないような小声で言ったのだった…。
「大体の事情はわかった。それで…君達はどうするつもり?」
窓から差し込む夕日が、山茶花の顔を赤く照らす。
ポニーテールに結わえられた茶色い髪も、夕日色に染め上げられていた。
彼女達四人は夕暮れと共に、公園から山茶花の家に移動していのだった。
「どうするつもりって…俺様達は、普段通りトランプ集めをするだけだぜ。」
「黄涙を…助けには行かないの?」
「…行かねえよ。あいつは、めちゃくちゃプライド高え奴なんだ。一回目に助けに行ったら、すっげえ怒りやがってよ…。“他にやるべきことがあるだろ”とか言いやがったしな!!」
白薙はその時の苛立ちを思い出したのか、床を拳でダンッと激しく叩いた。
「…他人の家の床に当たらないで。それは照れ隠しで言っただけで、本当は嬉しかったんじゃないかな。今も…君達を待ってるかもよ?」
「んー…どうなのかなー。黄涙…いっつも自分一人でランガを脱出してくるし…僕達はあんまり助けに行かないんだよねー。僕は心配なんだけど…白薙と蒼影に止められるしー。」
紅羽は体育座りをして、胸の前で両手人差し指を突き合わせていた。
山吹色の瞳はあちこち動き回り、落ち着かない様子である。
「白薙はわかるけど…蒼影も?」
山茶花の視線に気づき、蒼影は顔を彼女の方に向けた。。
「…事情は、白薙の説明した通りだ。我々には…他にすべきことがある。」
「君達は…もっと友情に厚いのかと思っていたけど…。私の思い違いだったのかな。」
哀れむように目を伏せる山茶花に対し、そんなものは元から無えんだよと白薙が返答した。
「元から…無い?」
「俺様達は、“友達”じゃなくて“チーム”。だから、友情なんてものは持ち合わせてねえんだよ。」
「友情じゃないなら…何で繋がってるの?」
「それはだな…」
「…“強さ”だ。」
白薙が答える前に、蒼影が言った。
「横入りすんなよ、蒼影!」
「…誰が言っても言葉の意味は変わらぬ。」
「そういう問題じゃ無え…」
「“強さ”で繋がってるって…どういうこと?」
わめく白薙を無視し、山茶花は蒼影に訊いた。
蒼影が口を開こうとした時、ずいっと紅羽が押しのけて前に出てきた。
「僕達ねー、強さに惹かれ合ってチームを組んだんだよー。」
「違えだろ、紅羽!たまたま同じ場所に同じ時間に居たから、周りが俺達をチームみてえに言い出したんだろうが!」
「あれっ?そうだっけ?でも、黄涙がそう言ってた…」
「黄涙の話はすんなっつーの!!…あいつが居ねえとこで、あいつの話は聞きたくねえんだよ…。」
白薙は大声で怒鳴りつけると、罰が悪そうにうつむき、三人に背を向けた。
「うっ…ご、ごめん。」
「そんなに怒らなくてもいいじゃない、白薙。…なんだかんだ言って一番心配してるんだね。」
山茶花は後の方の言葉は聞こえないような小声で言った。
「…帰るか、紅羽…白薙。明日に備えて早めに休んでおくべきだ。」
「…うん、帰ろー。」
「………。」
紅羽は元気なく返事し、白薙は無言で立ち上がる。
「またな…ZOKKA。」
山茶花に別れの挨拶をすると、蒼影は窓の外に向けて一本の矢を放つ。
矢は藍色の光を帯び、空間に一メートルほどの穴を開けた。
(どっちもどっちだね…。)
空間の穴に消えていく紅羽達の背中を見送りながら、山茶花はそう思っていた…。
『叔父上ー!叔父上、待ってー!』
『………。』
『叔父上ってば!!』
『叔父上…?誰のことを言ってるの?』
『えっ…母上…?』
『まだ私を母と思っているの?…目障りな子ね。消えてなくなってしまいなさい。』
『あっ…、母…上………。母上ー!!』
「………っ!!夢…か。」
黄涙はガバッと飛び起きた。
…といっても、両手は手錠で繋がれ、足には足枷が付けられているため、それほど体は動かなかったが。
額から流れた冷や汗が灰色の床に落下し、ポタッ…と音を立てた。
彼がチャームポイントと自負するドクロの小さな帽子は、前日と同じ場所に落ちている。
「いよいよ…明日、か。鉄球さえ無ければ、足で手錠を壊せるのにねえ。」
足を思い切り引き寄せてみようとしたが、鉄球はビクともしない。
鎖がギシッと軋んだだけだった…。
「…平和だなあ、今日は。」
春の風が、窓からそよそよと入り込んでくる教室。
山茶花は、目を細めうっとりしているような表情で呟いた。
「唐突に…どうしたの、山茶花?」
「うん、ちょっと…いろいろと。」
「えっ…どっちよ?」
戸惑ったような呆れているような複雑な顔で、椿が突っ込む。
「いやー、最近慌ただしかったから、こういうのんびりした日があることを幸せに感じちゃったようなんだよね。」
「…はい?よくわかんないけど…良かったね!」
「うん…。ああ…幸せすぎて眠く…な……る………ぅ……。」
「眠くなるって…さ、山茶花!昼休みはもう終わ…」
椿の声が聞こえなくなっていく。
山茶花は机にうっ伏し、心地よい眠りについていった。
後には、英語教師の二時間のお説教が待っているとも知らずに…。
その頃、ジャンハンでは既に夕日は沈み、夜という暗闇が全てを包んでいた。
「今日は…サボっちゃったねー、トランプ集め…。」
ビルの屋上。
地面にぺたりと座り込んだ紅羽が言った。
今宵は新月。
暗闇が苦手な彼は、絶えずペンライトを自分の手元や周りに当てていた。
「あー、くそっ!!黄涙が居ねえと、どうも調子が出ねえっつうか、やる気が出ねえっつうか…イライラするぜ!!」
「…うるさいぞ、白薙。それに…だ、紅羽にあれだけ言っておきながら、黄涙の名前を出すなど…理不尽にもほどがある。」
「…るせぇな、蒼影!あん時は、あん時。今は今!」
「…駄々っ子か、お前は。」
蒼影は冷めた瞳で白薙を見つめた。
「ちっ…行くぞ、紅羽、蒼影!」
「行くって…どこにー?」
立ち上がり歩き出す白薙の背中に、紅羽が問いかける。
「ジャンハン警備局に乗り込むに決まってんだろうが!ランガの中に無様に捕まってやがる黄涙を笑いに行ってやんだよ!!わかったら…準備して付いてきやがれ!」
「白薙…。うん、わかったー!僕も行くよー!」
「勘違いすんなよ!助けに行くんじゃねえ…笑ってやんだからな!!」
「えへへ…わかってるよー!」
「…行く前からにこにこ笑うなよな。」
嬉しそうな笑顔を見せる紅羽に、白薙はまあいっかと呟き、三人はビルの屋上を後にした…。
チャリ…チャリ…と、鎖が地面に擦れる音が響いている。
暗い暗いランガの中、黄涙の足元から発せられている音だ。
「はあ…はあ…これだけ動いても…無理、か…。万事休すかな…。」
荒い呼吸をつきながら、黄涙は何気なく言葉を吐いた。
両腕には黒い手錠跡が付き、少量の鮮血が滲み出していた。
(恐らく…夜明けまでは、あまり時間は残されていない。このままだと…かっこつかないな。)
自分の無様さに耐えきれず、フッ…と自嘲気味に黄涙が笑った時。
ガーンと何かが壊れたような音が、天井から聞こえてきた。
「…おい、今の音は何だ?何があった!?」
黄涙のランガ付近に居た警備員が、無線機に話しかけているのが見えた。
『警備局の上部が…何者かに破壊された模様!至急、救援を…うわあ!?』
「おいっ、どうした!?」
『………テステステス。おっ、壊れてねえみたいだな。』
先ほどとは違う声が、無線機から聞こえてきた。
低いとも高いともつかない微妙な高さの青年の声だ。
「なっ…貴様は一体…?」
『貴様じゃねえ!俺様は、白…うっ!?』
「白…?」
『…ジャンハン警備局に宣戦布告に来た、ハートブレイカーテロリストだ。これ以上、被害を拡大したくなければ仲間に連絡し、入り口に来い。…以上だ。』
無線機の通信が、プツッ…と音を立てて途切れた。
(白薙に蒼影…だね。まったく…何やってんだか、あの二人は。こんなことされたら…俺も大人しくしてるわけにはいかないじゃないか。)
警備員が慌ててランガ付近から走り去る姿を確認し、黄涙はふと真顔になる。
「さて…何とかして鉄球を壊さないと…」
「黄涙、じっとしててー!えーいっ!!」
「んっ…?」
黄涙を天井を見上げると同時に、足枷に繋がっていた鉄球にゴツッと何かが当たった。
よく見ると、それは台形の形をした小さな石で、鉄球をぱっくりと二つに打ち砕いてしまっている。
「紅羽…。」
暗くて顔や服装は見えないが、五十センチほどの穴が開いた天井には、小柄な少年が居るようだった。
「黄涙…僕が加勢するのはこれだけだよー。黄涙の力…信じてるからねー!!僕は戻って、白薙達ともう一暴れしてくるよー!」
紅羽らしき少年は早口に言うと、さっさと天井をつたって元来た方向へ去って行った。
「これで十分だよ…紅羽。」
黄涙は満足げに呟くと、
「はっ!!」
自分の手首を拘束する手錠の鎖へ向けて、勢いよく両足を振り上げる。
鎖を繋ぐ小さな輪っかが、ペキッ…パキッと音を立てて粉砕された。
衝撃で両足を封じていた足枷も、カランと乾いた音を立てて切れた。
「ふう…この帽子を被ってないと、どうも落ち着かないなあ。」
黄涙は、数歩前進し、ドクロの帽子をひょいと拾い上げ、頭に乗せる。
(これで…よし、と。あとは、クルタナがあれば…んっ?)
辺りを見回すと、ランガから出て右斜め前にある傘立てに、クルタナが立てられていた。
(叔父上…だろうね。期待通り、俺は脱獄するよ。)
心の中で呟きながらクルタナを取り、胸の前に構える黄涙。
それから彼は、
「出遅れた分、派手にやっておこうかな。」
誰に言うともなく言って、ランガの入り口ドアに向けてクルタナを大きく振りかぶった…。
ジャンハン警備局上空。
「おうおう…やってんな、黄涙の奴も!半壊どころか、全壊しちまうんじゃねえの、ジャンハン警備局は。」
百メートルほどの高さから、白薙は壊れていく警備局を物見遊山気分で見下ろしていた。
入り口から次々と出てくる警備員の姿が、彼には働き蟻のように見えている。
「さっすが、黄涙ー!パワー最強のハートブレイカーだもんねー。」
ブリューナクを指でくるくると回しながら、紅羽が間延びした口調で言う。
「…慎め、白薙、紅羽。あの者達の気持ちにもなってみろ。」
二人を低い声でたしなめたのは、蒼影だ。
黒い瞳は怪訝そうに細められている。
「たくっ…生真面目すぎるぜ、蒼影!そんなんじゃ、モテねえよ?」
「持てない?何をだ?」
「………いや、そっちの意味じゃなくて…っと!あれ、黄涙じゃねえか?」
そう自問自答するように言うと、白薙は入り口からゆっくりと歩いて出てきた人物を指差す。
黒く小さな帽子を被った黄色い髪の男性を。
「黄涙ー!こっち、こっちー!!」
紅羽が大きく手を振りながら呼びかけると、黄涙はそれに気づいたようで上空を見上げた。
そして、
「わっ!?」
「ふふっ…さっきはありがとう、紅羽。」
一瞬にして、三人の前に移動してきた。
「蒼影と白薙にも礼を言って…」
「つもる話は後だ。…とにかく、ここを離れなければ。」
「うん、蒼影の言うとーり!」
蒼影の冷静な意見に、他の三人も同意するように頷くと、四人は拠点にしているビルへと急ぐのだった…。
「これはまた…凄まじいことになってるな。」
半壊した警備局を見つめ、警備局長は参ったというように頭を掻いた。
二時間前…彼が用事で出て行く前にはまだ立派に建っていた警備局は、今はもう瓦礫と人間の山だ。
「あ…局長!」
入り口ドアの裏に隠れていた新人警備員が、局長の姿を見つけひょっこり顔を見せる。
局長は彼に歩み寄り、予想はつくが…何があったと訊いた。
「ハ、ハートブレイカーテロリストとか名乗る三人組に…襲撃されました!捕捉しようと奮戦したんですが…彼らの強さの前に、第一部隊…第二部隊も壊乱してしまいました。挙げ句に…脱獄者まで出て中から壊されていった始末で…。」
「………あっははは!ハートブレイカーテロリストとは、センスの欠片も無いネーミングだ。」
「き、局長…?追わなくていいんですか…?」
涙を流すほど爆笑する局長の姿に、警備員は困惑しているようだった。
「いい…そいつらの正体はわかってる。」
「で、ですが…!」
「警備局の修繕が先だ。他の精鋭部隊に連絡をとり、作業にかかれ。」
「はっ!!」
命を受けた警備員は、携帯電話を取り出しどこかに電話を始めた。
そんな彼の傍らで、
(手のかかる息子を持ったもんだ…。)
局長は思っていた。
夜が明けていく。
暗闇に覆われていたビルにも、紫色の太陽光が少しずつ差し込む。
「改めて礼を言っておくよ…ありがとう、三人とも。」
黄涙は帽子を右手で押さえ、ぺこっと頭を下げた。
「へっ…らしくねえことすんじゃねえよ。俺様は、お前を笑いに行っただけだっつうの!」
彼に対し、腕組みをしてふんっとそっぽを向く白薙。
「もーう!そんなひどいこと言ったらダメだよー、白薙ー!」
「いいんだよ…紅羽。笑えたかい、白薙?」
両腕を腰に当て、むぅ…と口を膨らませる紅羽をなだめつつ、黄涙が尋ねる。
白薙は、チラッと黄涙を一瞥する。
両手首には、痛々しいほどの手枷による傷があり、流れ出た血は黒ずんで固まっていた。
両足首にも、同じような跡がある。
「そんな姿になったおまえを笑えるほど、俺様は非道じゃねえよ…。」
「んっ?もう一回言ってくれないか、白薙。…聞こえなかったんだけど。」
「…うるせえ!これでも巻いとけ!!」
白薙は噛みつきそうな勢いで言い放つと、乱暴にを何か布のようなものを投げつけた。
「ふふっ…どうも。」
黄涙が受け取って見てみると、それは未使用の包帯だった。
「僕が巻いてあげるよー、黄涙!」
「そうだね…自分じゃ巻けないし、お願いするよ、紅羽。」
紅羽は任せてと返すと、包帯を黄涙から受け取り彼の手首にぐるぐると巻き始める。
「…痛むのか?」
「さあ…?マヒしてしまったのか、あまり痛みは感じないかな。」
「…そうか。」
黄涙との会話をそんな言葉で終えると、蒼影は明けていく空を見上げる。
紫がかった空を、雁の群れが飛んでいく風景が彼の瞳に鮮やかに映っていた…。
-To be continued…-