-狩り-
夕日があらゆる建物を赤く染める通学路。
「それにしても…この前は大変だったよね、山茶花。」
オレンジ色に染まった空を仰ぎながら、椿が何気なく言った。
紫色の髪が風にふわりとなびく。
「うん…まあね。」
山茶花にとっては、あまり思い出したくない出来事のようで、その表情は浮かない。
右が黒、左が緑というオッドアイの瞳もわずかに歪んでいた。
「あの後、警察は来るわ、窓ガラスの代わりとしてサランラップを貼るわ、長い朝会が三日間続くわ…災難としか言えないよね。」
「………一番の被害者は私だけど。」
「犯人は消えちゃうし、山茶花を助けてくれたっていう青年もどこの誰だかわかんないし…本当、不思議な事件だったなあ。」
その言葉に反応したかのように、山茶花はピタッと立ち止まった。
(言えない…。その青年とまた会って、前よりも災難なことに巻き込まれたなんて。)
「ん?どしたの、山茶花?何か顔色悪いけど…。」
「へっ…?だ、大丈夫。」
「そう?何でもないなら、早く帰ろうよ。」
「う…うん。」
三メートルほど前方を歩く椿の元まで駆けながら、山茶花は昨日のことを思い出していたのだった…。
前日の夜、九時頃。
「やあ、また会ったね、ZOKKAのお嬢さん。」
山茶花は、黄色髪の青年の姿を窓の外に見つけ、声も出ないほど驚愕してしまった。
額からは冷や汗が流れている。
それというのも、山茶花の部屋は二階でベランダは無い。
つまり、彼は窓の外に“立っている”のではなく“浮いている”ということだ。
「あっ…えっ…なっ…んで…」
「…ああ、こんなところから挨拶するなんて失礼だったね。」
青年はにっこり笑って言うと、窓を開けてひょいと部屋の中へ降り立つ。
反動で位置がズレてしまった小さなドクロの帽子を手で直し、山茶花の近くまで歩み寄ってきた。
山茶花は身を引くこともなく、呆然と立ちすくしている。
「こんな遅くにごめんね。この前は自己紹介しそびれちゃったから…改めて…」
「黄涙ー!置いてかないでよー!!」
黄涙というらしい青年の声を遮って泣き叫んだのは、彼と同じく窓から入ってきた紅い髪の少年。
「みんな方向音痴だし…真っ暗だし…もう会えないかと思ったよ…。」
「大げさだなぁ、紅羽は。」
大きな山吹色の瞳を潤ませ青年の背中にしがみつく紅髪の少年。
右目の下には泣きぼくろ。
黄色髪の青年は、困ったように眉を下げつつも苦笑していた。
「そうだ、紅羽。蒼影と白薙は?どこかで道を間違えて迷ってるとか?」
「ん…。」
黄色髪の少年は、ぐずぐずと鼻をすすりながら、窓の外を指差す。
その瞬間、
「迷子みてえな言い方すんなっつーの、黄涙!!」
「…我々はここだ。」
開け放たれた窓から、先の二人と同じように二人の青年が入ってきた。
大声で怒鳴った方が、オレンジ色の髪と桃色の瞳を持つ青年。
耳には親指大の輪ピアス。
冷静に返したのが、顔の右半分を覆い隠す漆黒の髪と蒼い瞳を持つ青年だった。
耳からズボンにかけてイヤホンのようなコードが伸びている。
山茶花は、もはや驚きを通り越して、呆れているようだった。
冷めた瞳で四人の姿じっと見つめている。
「こんな時間に大きい声を出さないの、白薙。近所迷惑だろ。それに…ZOKKAのお嬢さんも困ってるよ。」
「黄涙の言うとーりだよ!女の子を困らせる男の子は、紳士しっかーく!」
「あの…結局、何なの?」
山茶花の質問に、四人は一斉に彼女に視線を移した。
「黄涙…だっけ。自己紹介しに来たんじゃ…?」
「ああ、そうだったね。危うく、用件を忘れるとこだったよ。」
黄涙と呼ばれた青年は、ありがとうと礼を言って自己紹介を始めた。
「俺は黄涙。トランプでは、ダイヤを担当しているよ。所持武器は、片手剣…クルタナ。ハートブレイカー歴は、十年さ。」
「…はい?今、さりげなくハートブレイカーって…」
「質問は全員の紹介が終わってからね、お嬢さん。」
疑問をぶつけようとしたところを一刀両断され、あ…うんと山茶花は素直に口を閉じる。
「僕は、紅羽!ハートの担当だよー。持ってる武器はねー、えっと…ボーラって縄とブリューナクっていう光の槍ー。」
紅髪の少年…紅羽は、よろしくねーと人懐っこい笑顔を見せた。
「俺様は白薙だ。トランプでは、スペードを預かってる。武器は、打ち出の小槌!」
そう言って、小槌を空間から取り出してみせるオレンジ髪の青年…白薙。
「…蒼影。クローバー担当。弓矢…雷上動を使用している。」
漆黒の髪の青年…蒼影が最後に自己紹介した。
「それで…ZOKKAのお嬢さん。」
「あの…その言い方は止めてくれない?私には、涼原 山茶花って名前があるんだけど。」
山茶花の控えめな意見に、
「では…山茶花嬢。」
黄涙は言い直してから、話を続ける。
「なぜに、嬢…?」
「呼び捨ては失礼と思ってね。まあ、自己紹介はこのぐらいにして…本題に入るよ。俺達は、君達が住む世界…日本のパラレルワールド“ジャンハン”から来たハートブレイカーなんだ。」
「ハートブレイカー…心を壊して廃人を生み出す化け物だって聞いたけど。」
化け物はひどいよーと紅羽が嘆いた。
「僕達はー、世の中に絶望した人達を救ってあげてるだけなのにー!」
「廃人は救われた人間には、見えないんだけど…。」
「ま、俺様達ぐれえのレベルになると、ちまちました仕事には飽きちまうんだけどな。」
白薙は頭の後ろで腕を組み、にやりと不気味な笑みを浮かべた。
「廃人は…ただの負け組だよ。むしろ、俺達が救うのは“ハートブレイカーの素質を持つ人間”かな。」
「…ますます、わかんなくなってきたんだけど。」
「ふふっ…近い内に実際に見せてあげるよ。だけどまあ、俺達の今回の仕事は、いつものハートブレイカーのそれとは違うんだけどね。わざわざ、あの幻想的な世界…ジャンハンから出て、こっちに来たのは…トランプを集めるためさ。」
「トランプ集めのため…?」
蒼影が、無言で頷く。
前髪が少しだけ浮き、隠れていたもう片方の瞳がちらっと見えた。
「ZOKKA…こちらではJOKKERであるおまえを守りながら、五十二枚のトランプを集める。それが、我々の目的だ。」
「山茶花だって言ってるのに…。話はわかったけど…そのZOKKAとかいう役は他の人じゃダメなの?」
「ダメだよー。今更、他の人を守るのはめんどくさいしー、三花ちゃんを守るって決めたんだもん、僕達!」
光の槍…ブリューナクを右手に掲げ、意気込む紅羽。
「かっこいいこと言ってるけど、名前…間違ってるから。」
「ZOKKAの茶花を守ってトランプを全部集める…最強のハートブレイカー四人組、トランプ四重奏にかかりゃ楽勝だぜ!」
「…もう、何でもいいよ。」
山茶花は突っ込み疲れたのか、窓から入り込み月の光に視線を移し、投げやりな態度で言った。
「…とまあ、今日はこのぐらいにして…帰るね。」
「えー、もう帰るのー?僕はまだ山花ちゃんと話したいよー!」
「紅羽…紳士の心得第十条を言ってみてごらん。」
駄々をこねる紅羽に、黄涙が問いかける。
「えっと…うーんっと…“夜は女性にとって最もプライベートな時間。長居は無用”………あっ。」
「ふふっ…よく覚えていたね。じゃ、帰るよ。」
「…はーい。」
素直に返事をして、紅羽は窓べりにちょこんと座った。
「へっ!別に俺は紳士になりたくはねえから、帰らな…っておわっ!?」
「…帰るよ、白薙?それとも…」
「わ、わーった、わーった!!帰るから、その先は言うなー!」
首根っこを黄涙に捕まえられ、白薙も渋々窓際に寄った。
「帰るの?」
「………日本の空気はあまり好かん。」
山茶花の問いかけに短く答え、蒼影もまた窓際に移動した。
そして、
「それじゃ…またね、山茶花嬢。」
黄涙は頭のドクロ帽子を右手で押さえ、
「まったねー、山花ちゃん!」
紅羽は大きく左手を振り、
「俺様達が次来る時まで攫われんじゃねえぞ!」
白薙は小鎚を背負い直し、
「………また。」
蒼影は会釈して、それから四人は一斉に窓からスッと飛び降りた。
「えっ…!?」
山茶花は慌てて、窓から地面を見下ろす。
部屋は二階だが、かなりの高さがある。
安易に飛び降りたりすれば、ケガをしかねないと思ったからだ。
しかし、庭の黄緑色の芝生の上には四人の姿はなかった。
すぐ近くの犬小屋で眠っていた飼い犬も、吠えることはなくスヤスヤ眠っているようだった。
(本当に自己紹介だけなんだ…変な人達。)
山茶花は、あー眠いと呟くと、目をこすりながらベッドに寝転がったのだった…。
話は戻って…翌日の夕方。
「じゃあね、山茶花ー!」
「うん…また明日。」
夕日を背に受けながら、椿は元気よく言って駆けていった。
山茶花は、椿が帰る方とは違う道を歩き始める。
何歩か歩く内に、道端に落ちてあった缶を蹴ってしまった。
「………あっ、しまった。」
蹴られた缶は半円を描いて、斜め前右側にあった茂みに落ちる。
すると、
「痛っ!?」
茂みの中から、高い声が聞こえてきた。
「紅羽…?」
山茶花は茂みに近づき、中腰体制で訊いた。
「わっ!?見つかっちゃった…。」
ごぞごそと茂みから出てきたのは、紅羽だった。
紅い髪に引っかかった葉っぱを、一生懸命払っている。
「こんなところで何してんの?それに…他の三人は?」
「山花ちゃんが狙われないように、見張ってたんだよー。黄涙と白薙と蒼影は、狩りに行ってるのー。僕は置いてけぼり…。」
「狩り?」
「ハートブレイカーが、ジャンハンに迷い込んだ人間の心を壊すことを、“狩り”って呼んでるんだよー。普段の僕達はー、狩りをするハートブレイカーを見物してるだけなんだけど、たまに参加するんだー。」
紅羽は、“狩り”についてを至極楽しそうに語った。
「僕も参加したかったのになあ…。」
「…私は、放っとかれても大丈夫だから、行って来たら?」
「行きたいけど…山花ちゃんを守ることの方が大事だから…我慢するー。」
「そう…。私の家、もうすぐそこだから、着いたら帰っていいよ。」
そう言って、再び歩き出そうとした山茶花の左腕を紅羽がぎゅっと掴んだ。
山吹色の瞳を潤ませ、すがるような目つきで山茶花を見上げている。
「一人で居たくないよ…。僕、夜は暗くて怖いの…。山花ちゃん家…居てもいい?」
「………別に構わないけど。他の三人が迎えに来たら帰ってよ?」
「やったあ!みんなが来るまで、いっぱいお話ししてようねー!よーし、急いで帰ろー!!」
「あ…迷子になるよ。」
先に駆けていく紅羽の背中を、山茶花は早足で追いかけた。
「はあ…い、一体何なんだよ、ここは!?」
二十代前半ほどに見える男性は、全速力で路地を駆けていた。
短い金色の髪は額や頬にべっとりと張り付き、茶色い瞳にも汗の滴がポタポタとかかっている。
あまりに走り過ぎたためか、チョーカーについていた錨マークは外れかかっていた。
「おうおう…頑張ってんじゃねえか!」
「五分も逃げ切れる人間は珍しいね。」
「…見た目によらず、根性がある者のようだ。」
その男性を上空からスコープで観察している男が三人居た。
白薙、黄涙、蒼影である。
彼らの居る位置からは、走る男性を狙うハートブレイカー達の姿もよく見えていた。
「一…二…三…十人は居んな。おっ…茶夢も参加してんのか!…大捕りもんだな。」
「ふふっ…俺達もそろそろ始めようか。月に一度の参加日だからね。早く狩りたくて、うずうずしてるのさ。」
「…行くか。」
蒼影は、雷上動という弓矢を胸の前に構えた。
狙うのは、走り疲れて歩みが遅くなってきた男性の右足。
「茶夢には負けられねえもんな!行くぜ!!」
「さあ…ショータイムの始まりだ。」
言葉と同時に、白薙と黄涙が動く。
二人は、各々の武器を利き手に携え、男性に向かって一直線に降下していく。
「ト、トランプ四重奏だ!」
「やべっ…みんな、今回の獲物は諦めて散れっ!!巻き込まれるぞ!!」
他のハートブレイカー達から悲鳴が上がり、わあっと四方に散っていく。
「へっ…よくわかってんじゃねえか、他の奴ら!…たあっ!!」
嬉しそうに口元を綻ばせて、小槌を縦方向に振る白薙。
「のあっ…!?」
小槌は、金髪男性の背中をどかっと激しく打った。
男性はわけもわからない内に、前のめりに地面に倒れた。
「な…なっ…なんだ…?」
「今晩は、俺達の獲物君。せっかくなら…楽しませてね?」
「ひいいいっ!!」
蔑むような瞳で、自分を見下ろす黄涙に男性は倒れたままの態勢で後ずさる。
普段の彼なら無様で到底出来ない動作だが、今は得体の知れないハートブレイカーから逃げることしか頭に無かった。
「怖くないよ…一瞬だからね?…はっ!!」
「や、やめて…わああああっ!!」
男性の眉間に、黄涙のクルタナが振り下ろされる。
男性は両手で頭を庇うように覆った…。
だが、
「…なんてね。残念ながら、俺が手を下すまでもないんだよな、これがさ。」
「………?」
男性は恐る恐る顔を上げる。
黄涙の右手にはクルタナがあったが、どこにも痛みは無い。
「た、助かっ…ぐはっ!?」
ほっと息をつこうとした男性は、言葉を継げなくなった。
…背中に木製の矢が突き刺さっている。
その深さは一センチほどで出血も無いが、男性はそのまま気を失いガクッと地面に付した。
「さすがは蒼影。見事に心だけを射てるね。」
「いいとこどりされっのは、納得いかねえけど…腕が確かなのは認めてやるよ。」
手を打ちながら賞賛する黄涙と、ふんっと鼻を鳴らして言う白薙。
蒼影はそれらには答えず、無言で金髪男性の側に降り立った。
「…紅羽が居ぬと、手順が違ってやりにくい。」
「それは俺も思ったよ、蒼影。いつもの狩りは、蒼影の雷上動で射止めて怯ませて、紅羽がボーラで足止め。俺のクルタナに獲物の意識を集中させている間に、白薙が小槌でブレイクする…ってものだからね。…なぜ、紅羽だけ見張りにつかせたのかな、白薙?」
黄涙の質問に、白薙はふいっと顔を逸らして答える。
「たまにはいいだろうが、紅羽のピーピー泣く声が聞こえねえ狩りってのもよ。…あいつは、もうガキじゃねえんだから、一人で何かできるようになんねえと困るだろうしな。」
「ん?最後の方が聞こえなかったよ、白薙。」
「聞こえねえように小声で言ったんだってえの!二回は言わねえよ!!」
白薙は大声で返すと、金髪男性の背中から矢を引き抜いた。
不思議なことに、そんなことをされても、男性は微動だにしなかった。
「…戻っぞ、ビルに。」
「ふふっ…素直じゃないね、白薙は。」
「放っとけてえの!!」
ビルに向かって浮遊しながらハハッと笑う黄涙に、小槌を振り回し追いかける白薙。
「…紅羽もホームシックにかかってくる頃だろう。急ぎ…迎えに行くべきだな。」
一足遅れた蒼影は、雷上動を背中にかけ直し二人の後を浮遊して追っていった…。
その頃、紅羽は…
「うーんと………これ!………やったあ、あーがり!!」
「うっ…また負けた…。」
山茶花の部屋でババ抜きをしていた。
「ポーカー…七並べ…大富豪…真剣衰弱…ババ抜き…僕の五連勝だねー!次は何しよっかなあ…。」
(早く連れて帰ってくれないかな…あの三人。もう寝たいんだけど…。)
トランプをかき集めて丁寧に揃える紅羽の傍らで、山茶花はハアアと深いため息をつく。
左半月がそんな二人を明るく照らしていたのだった…。
-To be continued…-