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召喚殺しの異世界譚  作者: 松秋葉夏
第三章『ベルナール騎士学院 学院編』
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第十八話『シドウ=クーリッジの過去』

 だらりと、シドウは構えていたレギンレイヴを下げた。

 洞窟内には、十にも及ぶ亡骸が転がり、その中央に佇むシドウは、さながら死を呼ぶ死神といったところ。

 ユキナは、ただ呆然とシドウを見つめる事しか出来なかった。

 命が助かったという安堵よりも、シドウがなんの躊躇いもなく、人を殺した――その事実にユキナは青を通り越した白い表情を浮かべた。


「し、シドウ……?」


 ユキナは震える声で、シドウの名を囁く。

 この一年間、冗談を言い合い、喧嘩をする事はあっても、ここまでシドウに脅えた事は一度もなかった。

 ユキナに向けるひどく冷めた視線も、彼の頬に付く返り血も。そして、彼が見せた雄叫びも全てが記憶に焼き付き、これまでの鮮やかな思い出を跡形もなく砕いた。


(怖い……)


 ユキナは、初めてシドウにその感情を抱く。これまでの好意に近しい感情が一気にマイナスへと傾き、シドウがまったくの別人に見える。

 助けてもらった感謝の言葉が出ない。シドウが一歩近づく度に、ユキナは後退る。


「……っ」


 シドウは僅かに表情を歪め、事切れたように、膝から崩れ堕ちた。

 ドサリと倒れ込むシドウ。血の池に沈んだシドウの名を叫び、ユキナがおっかなびっくりと近づいた。


 気を失ったシドウは、肌が土気色で呼吸が浅い。加えて、胸の怪我も無視出来ない。出血が止まらない。このまま放っておけば、遠からず死に至るだろう。


「し、シドウ……」


 だが、ユキナは手を伸ばす事が出来なかった。

 かつて、学院で倒れたシドウを見つけた時は迷うことなく駆けつける事が出来たのに、今はその一歩を踏み出す事が出来ない。


 そうしている間にもどんどん血が流れ、呼吸が荒くなる。


(どうすればいいのよ……)


 シドウを助ける――その事に戸惑いを覚える。目を覚ました瞬間に、またあの目を向けられ、冷静でいられる自信が、シドウを仲間として見る自信がない。


(私なんかに、何が出来るっていうの? そ、そうよ。アリアを呼べば……)


 ユキナはスカートのポケットをまさぐる。試験合格祝いに三人で買った携帯には、アリシアとシドウの番号がある。

 アリシアに助けを求める――

 ユキナがアリシアの番号を見つけた時、ユキナの指がピタリと止まった。


(どう、説明すれば、いいの?)


 洞窟内の惨状を、説明するには、ユキナには選べる言葉が少なすぎる。

 シドウの怪我を、戦いの原因を話す――ということは、アリシアにユキナが召喚者であることを告げる事になる。


 それは、怖い。


 この世界の召喚者を見る目、そして、彼らの向ける憎悪を今し方見たばかりだ。

 ユキナには、もうこの世界の誰も信じる事が出来なかった。


 親友だと思っていたアリシアと顔を合わせるだけでも怖い。


 シドウを助ける事も、アリシアを呼ぶ事も、シドウのあの目を思い出すのも、何もかもが怖い。


 いっそ、全てを捨てて、逃げ出したい。

 誰もユキナの事を知らない場所へ、ユキナと同じ境遇の集う場所――つまりは召喚者の集まる組織へと駆け込みたい――とユキナは本気で思っていた。


 それが、たとえ、シドウやテイル――これまで、ユキナの事を支えてくれた人達を裏切る行為になろうとも、ユキナはもう、怖い思いだけはしたくなかった。


 ユキナは血に濡れたシドウの手を握り、深く頭を下げた。


「ゴメン、シドウ……私は……」


 あなたを見捨てる――


 そう口にしかけた時、シドウの瞼が開き、虚ろな瞳がユキナを捉えた。


「ゆ……きな……」

「……っ」


 慌てて手を振りほどく。力なく横たわったシドウからユキナは全力で後退った。

 恨み辛みを言われても、どうする事も出来ない。耳を塞ごうとしたユキナに届いた掠れるような声音は、ユキナの予想を裏切るものだった。


「無事で……よかった」

「――!!」


 その瞬間、ユキナに電流が走る。

 

 思い出したのはかつての記憶。初めてシドウと出会った頃だ。

 言ったではないか。シドウは全てを敵に回してもユキナを守ると。

 その時のユキナは、本当の意味でシドウの言葉を理解していなかった。

 けど、今ならわかる。


 ユキナは――小日向雪菜はどこまでいってもこの世界にとって、害悪そのものだ。

 けれど、シドウはそれを知りながら、それでも、ユキナを助けてくれた。

 シドウだけだ。

 全てが嘘と偽りで出来たユキナの絆で、ただ一つの本物は。

 シドウとの絆だけが、この世界でのユキナにとっての真実。


「私は……」


 何を恐れているの?

 かつて、シドウはアルディとの戦いのあと、恐怖で悲鳴を上げた。

 シドウだって、怖いのだ。人を殺すことも、殺される事も。

 なんの抵抗もなく人を殺した? それはユキナの勘違いではないのか?

 少なくとも、シドウの口から、真実を聞き出すまでは、シドウに勝手な幻想を抱きたくない。

 嫌悪も憎悪もする。人を殺めたシドウを許す事はやはり出来ない。

 けど、それは誰の為?


 シドウが戦い、怪我を負ったのは? 望まない戦いに身を投じたのは誰のせい?


「私のせいじゃない……」


 なら、ユキナのする事は逃避じゃない。

 その心の傷を一緒に受け止め、シドウの重荷を背負う事だ。

 この世界の悪意から、シドウは守ってくれる。なら、ユキナに出来るのは、その悪意にシドウが殺されないように、支えることだ。


 この世界で生まれた本当の絆。たった一つだけの宝物を守り抜く為に、ユキナはシドウの背中から目を背けない。


「私の進む道になってやるか――追いかけるから。あなたが遠くに行ってしまわないように私も追いかけるから。だから、死なないで」


 ユキナは恐怖を振り払い、シドウに手を乗せる。

 魔術の発動を阻害するヴァイスリヒトを解除し、魔術を発動。

 ユキナの知り得る全てを駆使して、シドウを死の淵からすくい上げるのだった。



 ◆



 暗い意識の奥底で、シドウはかつての記憶を夢見る。

 こんな夢を見るのは嘱託騎士を辞めて以来だ。

 ノイズ交じりの光景に幼いシドウが映し出される。


 シドウは、どちらかといえば、母親よりだった。黒い髪も、瞳も母親譲り。

 だが、シドウは、実の母親と会話した事がほとんどなかった。


 物心ついた時から、シドウは父親――オルバート=クーリッジに育てられてきた。

 オルバートは二メートルを超える大柄な男で、ぼさぼさに伸びた髪を一房に纏め、無精ひげを蓄えた大柄な男だった。

 がっしりと鍛え上げられた肉体はまさに大男と呼ぶに相応しく、常にシャツを全開にし、鍛え上げた肉体をこれでもかと見せつけるような男だった。


 オルバートが最初にシドウに教えたのは、ペンの握り方でも、ご飯の食べ方でもない。


 人を殺す事だった。


 オルバートから初めて貰ったのは短剣。

 厳しい指導の下、短剣をマスターした頃にはシドウの体格もできあがり、剣と魔術を教わるようになっていた。

 一般的な家庭環境ではまず考えられないような教育だ。その理由はオルバートにあった。


――私設騎士団【フォーゲルリッター】


 その団長を務めるのがオルバートだった。

 オルバートはシドウを兵士として育て、教育していたのだ。いつか、自分の後継者と仕立て上げる為に。

 訓練は過酷だった。

 血反吐を見る毎日。

 だが、その頃のシドウには、まだ人間味があった。

 それが潰えたのは、シドウの特性にオルバートが気付いた頃だ。


【分解】


 魔術構築を阻害する欠陥とも呼べるシドウの特性。

 魔術師としては大成する事はない。加えて、シドウの成長も優秀とは言い難かった。

 どこまで成長出来たとしても、シドウは三流止まり。そこからの成長は望めない。

 それを知ったオルバートは激昂した。

 シドウにもそうだが、シドウを産んだ母親にさえ、怒鳴り散らしたのだ。


 そして、地獄はそこから始まる。


 食事に盛られた薬を飲んだシドウは、オルバートの傀儡へと落ちる。

 幸い、シドウの【分解】の特性のお陰で、後遺症状は残っていないが、当時、立て続けに呑まされた薬により、シドウはオルバートの命令だけを聞く忠実な人形へと成り下がっていたのだ。


 そして、シドウが初めて手にかけた人が――シドウの母親だった。


 出来損ないを産んだ母を、出来損ないが手にかける。

 オルバートの命令でやった事とはいえ、思い出しても吐き気がする。


 その後もシドウの暗殺は続いた。


【フォーゲルリッター】は言ってしまえば戦争狂の集まりだ。

 戦いのない日々に退屈し、戦う時だけ生きている事を実感出来る――そんな狂った連中の集まりだった。


 戦えるならどこでもよかった。時には騎士団に味方して、時には召喚者を影ながら支援して、【フォーゲルリッター】はまるでゲーム感覚のように、アーチスと召喚者の戦争をかき乱した。



 その頃に、シドウは『キルルド』のリーダーであるシーカーと出会ったのだが、薬漬けにされた当時のシドウは、そこまで興味を抱いていなかった。

 シドウの中にあるのは、オルバートの甘い囁きだけ。

 殺せ――と、戦争を引き起こせ――とオルバートがシドウに仕掛けたマインドコントロールだ。

 それが、今のシドウの中にも深く根付いている事は、シドウ自身よく理解している。


 そして、オルバートはシドウを使い捨てるような命令を出した。シドウが十二歳の頃だ。


 膠着状態である騎士団と召喚者の戦いの火種になれ。


 それが、オルバートの最後の命令だった。


 これまで使ってきた【鋼月】も没収され、着の身着のまま戦場へと放り出されたシドウ。

 黒髪、黒目と召喚者に似た容姿を利用し、召喚者に成りすましたシドウは、騎士団の駐屯地に潜入。

 そこで、高位魔術による自爆を決行しようとして――失敗に終わった。


(そこから、俺は、騎士団に拾われ、二年を過ごし……そして、取り戻した)


 今のシドウを。

 大切な全てを引き替えに、シドウは全てを取り戻した。

 いや、思い出したと言うべきか――



 前世の記憶を。


 もう一人の人格を。


(俺も、召喚者だっていえば、どんな顔するだろうな、皆――)


 その事実を知るのは、シドウただ一人。


 シドウの前世は、日本で何不自由なく暮らしていた少年だった。

 恋をし、恋人を作り、順風満帆の日常だった。

 だが、不幸な事にアーチスに召喚される事になる。

 それだけじゃない。

 アーチスに召喚される直前、前世のシドウは、交通事故にあった。

 助かる怪我ではなかった。

 シドウは死した後、アーチスに召喚された、極めて異例な【転生者】と呼ばれる存在だったのだ。


 シドウに前世の記憶が蘇ったのは、嘱託騎士を辞める直前。

 そして、前世の記憶を思い出し、全ての歯車がかみ合った。


 なぜ、シドウに【分解】という特性が備わっていたのか――


 千人に一人の逸材と呼ばれるにはあまりにも稚拙な異能の力は、事故に遭い、転生したが為に不完全な代物だったからだ。

 事故に遭わなければ、死ななければ、完全な形で目覚めたであろうシドウの異能の力は、転生という障害によって不完全なものとして、シドウに根付いた。


 だが、それを悔いる暇もなかった。既にシドウは失いすぎていた。日本での記憶も、そして、この世界でも――


 だから、シドウは騎士を辞めてからユキナに出会うまでの一年間――死んでいた。

 思い出した記憶を弄び、アーチスで身に付けた力を腐らせ、ただ、死んでいた。


 ユキナに出会うまでは――


(俺は、変われたのだろうか……)


 ユキナと出会い、彼女を守ると決め、確かにシドウは変わった。

 彼女を守る為に生きようと思った。

 それが、後悔から来る感情だとしても、生きたいと、守りたいと願った気持ちだけは本物だった。


 だから――


(生きていてもいいんだよな? アイツの側で?)


 シドウは暗闇に射した光に手を伸ばす――




 周囲が光に照らされ、シドウは重たい瞼をゆっくりと開けた。


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