第十五話『脅えた拳』
無我夢中で叫んだ名前は、ユキナの意思と呼応し、白銀の鎧を顕現させた。
召喚者がこのアーチスで戦う為に生みだした兵器『リアクター』
その『リアクター』に内蔵された機能が、今のユキナに適した鎧を選んだのだ。
全身を覆う鎧は、以前、同じ『リアクター』を使ったファングとは大きな違いを見せていた。
まず、革鎧だった胸当てが、灰色がかった銀のプレートアーマーへと変化している。鎧の下にある黒いアンダースーツは水着のようなノースリーブのスーツだが、騎士学院の制服と同じなのか、寒さや暑さといった居心地の悪さを感じない。
また、腰には防護性能のある魔力糸で編まれた腰布、さらには腰当てが現出し、足は胸当てと同じく銀のレザーブーツを纏っていた。
素肌の腕に直接装備された銀のガントレットや、プレート、ブーツは鎧を身につけた重量や、鉄の感触など一切なく、普段と変わらない動きが出来る。
さらに、戦いの邪魔にならないように、普段は飾り気なく腰まで伸びたユキナの白銀の髪が、一房に纏められ、ポニーテールとなっていた。
身に纏った鎧は、絶えずユキナの魔力を強引に吸収しているが、元々SSランクと規格外の魔力量を有するユキナにはそれ程苦とならない。
数時間は纏っていられる自信がある。
「これが、ヴァイスリヒト……」
リアクター【リヒトシリーズ】の二番機。
アースライトが誇る、世界を変える力――
その性能は――
「クソがッ! リアクターを隠し持ってたのか!?」
「ひっ――ッ!?」
リーダー格の男が叫んだ事で、ユキナは鎧から視線を戻した。
ユキナはそこまでで情報をシャットダウンしようとした。
直後、脳内に警鐘がなる。
『ヴァイスリヒトの更新を止めますか? 今後、情報の更新は出来なくなります――』
「――ッ」
ユキナは苦い表情を浮かべ、リアクターから提示された内容を読んだ。
今は緊急事態だ。
偶然纏えたリアクターの情報よりも、この場から逃げる事が第一優先だ。
今はリアクターから直接脳裏に次々と送り込まれる情報を精査する時間はなかった。
(とにかく、ここから逃げなきゃ!)
ユキナはゴクリと生唾を呑み込み、リアクターからの情報流出を止めた。
プツリと、これまで送り込まれてきたヴァイスリヒトの更新が途絶え、思考がクリアになる。
今は知り得た情報だけで生き延びるしかない。
ヴァイスリヒトは、所有者の魔力を吸収する性能がある。
今、ユキナが実感しているように、ユキナの魔力が枯渇するまで魔力を吸収し続けるのだ。
デメリットである欠陥機能だが、ユキナにとってはプラスに働いている。
今のユキナは、本来の魔力量を全て扱う事が出来ない。
腕が未熟すぎて、マナを変換しきれていないのだ。
だが、ヴァイスリヒトは強引にユキナのマナを魔力へと変換している。
普段は手をつけていない本領まで、その魔の手は及んでいるのだ。
使っていないマナを強引に魔力に変換――それは、今、満足に魔力を生み出せないユキナにとって唯一残された生命線だった。
そして、ヴァイスリヒトはただ、魔力を吸収するだけではない。
吸収した魔力は鎧の維持に消費されるが、それだけではないのだ。
「くそ、魔術を放て!」
リーダー格の男の命令に、それまで詠唱を行っていた周囲の黒服が一斉に魔術を発動した。
そのどれもがD級以上の魔術。魔術を相殺しようにも、数が多すぎて間に合わない。
ユキナは咄嗟にヴァイスリヒトに搭載された機能を発動させた。
「い、いやあああああああああああああああああああっ!」
ユキナの叫びと共に、各部の鎧が光出す。
鎧から白銀の魔力が放出され、全ての魔術を受け止めた。
轟音が鳴り響き、魔術の爆撃がユキナの放った光の障壁にぶつかる。
振動で、洞窟が地鳴りを響かせ、周りに無造作に置かれていた拷問器具の数々は、今の魔術の衝撃で吹き飛んだ。
だが、爆撃の中心にいたユキナは無傷。
ヴァイスリヒトが放出したユキナの魔力が障壁となり、ユキナの身を纏ったのだ。
【魔力障壁】――使用者から吸収した魔力を高濃度に展開する事で鎧と成す機能だ。
ユキナは涙で滲んだ視界で、爆撃が止んだ事を確認すると、光の射す洞窟の出口へと駆けだした。
今のユキナの思考は、ここから逃げる事だけを考えていた。
戦うなんてもっての他。
あんな恐ろしい連中に勝てるわけがない。捕まれば、嬲られ、殺される未来が待っている。
いくら強力な鎧を身に纏おうとも、ユキナは本気の命のやり取りをした事が一度もなかった。
人の命を奪う覚悟も、命を狙われる覚悟も持ち合わせていないのだ。
ただただ臆病な十七歳の少女。
恐怖に心を折られ、壊れたユキナに戦意は欠片も存在していなかった。
本来は、脚力、拳の力を引き上げる機能である筈の鎧の魔力放出を利用した【ブースト】機能すら、ただ逃げる事だけに使用し、レザーブーツから噴出した魔力を推進力に疾風のごとき速さでユキナは、出口を目指した。
そして、逃げ出したユキナを見て、『キルルド』に所属する暗殺者全員が同時に理解した。
ユキナの壊れた心を。自分達に恐怖し、脅えている事を。泣き叫ぶしか能のない生娘である事を――
「なるほどな……」
ユキナの臆病な心を見抜いたリーダー格の男は、指で指示を飛ばす。
出口の周りに集まった黒服達を見て、ユキナは絶叫した。
「ああああああああああああああああああああああああああああッ!」
ガントレットから魔力を噴出。肘から放出された魔力は拳の力を増幅させる推進剤となる。
ユキナは拳を構えながら、壁となった黒服を睨んだ。
ユキナの振り抜いた拳が、黒服に届く直前、水を打ったように、リーダー格の男の声がユキナの心の奥深くまで潜り込んだ。
「いいのか? そんな攻撃喰らわせたら、そいつらが死ぬぞ?」
「――ッ!?」
その刹那、ユキナの体が硬直する。
振り抜かれた拳がピタリと止まる。目をこれ以上ないほど見開き、体中から汗が一気に噴出する。
拳が震え、動かない。
萎縮したユキナに呼応するように、ヴァイスリヒトから魔力放出が収まる。
「押さえろ」
リーダー格の男がその決定的な隙を逃す筈もなく、ユキナの眼前にいた黒服達がユキナを押さえにかかった。
「い、嫌ッ! 止めてッ!」
必死になって腕を振りほどくが、力を込めそうになった時に限って、リーダー格の男の声が蛇のようにユキナの体を這いずり回る。
小動物のように竦み上がったユキナを捕まえるのは、簡単だった。
地面に押し倒され、体を押さえつけられるユキナ。
いかに強力無比な力があろうと、それを扱えるだけの覚悟がなければ、それはただの玩具だ。
「お、お願いします……止めて下さい……殺さないで……」
麻痺が切れ、切に願った懇願の言葉が震え上がった唇から漏れる。
だが、『キルルド』にとって、それは何においても代え難い美酒だ。
その絶望に染まった表情を、死に脅える顔を、人として、女としての尊厳を奪われ、瞳から光が消える事を何よりもの至福と考える連中にとって、ユキナの言葉は褒美でしかなかった。
あとは待つだけだ。
ユキナの纏ったヴァイスリヒトが消え去るその瞬間を。
その時こそが、小日向雪菜の最後であり、『キルルド』にとっての晩餐になるのだから――
醜悪の笑みを浮かべた『キルルド』のメンバー。そして、涙を枯らしたユキナ。
静寂に満ちた狂気の中に、突如――
ズガン!
一発の銃声が鳴り響く。
「へ……?」
誰もがその光景に目を疑った。
一方的な狩りだと決めてかかった『キルルド』の仲間の一人の頭蓋が突如、飛び散ったのだ。
血の華が咲き、倒れ伏す仲間を目にしたリーダー格の男の耳に、その声は届いた。
「悪いが、お楽しみはそこまでだ」
レギンレイヴを構えたシドウが悠然と光の射す出口から姿を現したのと、その言葉が洞窟内に鳴り響いたのはほぼ同時だった。