第七話『アリシア=シーベルン』
「実際に見てもらった方が早いかな? シドウ君、手を見せて」
「怪我した方でいいのか?」
「うん。そうだよ」
実際にアリシアが治癒術を見せるという事で、先ほど暗殺者のナイフを掴んだ際に怪我を負った手を見せる事になった。
ナイフの傷そのものは浅く、暗殺者の麻痺毒のおかげで痛みも麻痺していたので、事態が終息した後、シドウがこっそりと縫合していたのだ。
怪我をしたのが利き腕だった事もあり、縫い目はかなり雑だが、何とか形にはなっている。シドウは軽く肩を落とし、包帯を解いていく。
怪我を見たユキナが「うわ……」と顔を青ざめさせて、口元を押さえていた。
「アンタ、それ痛くないの……」
「まだ、痛くないな。麻痺が効いているせいかも」
シドウは息をするように嘘を織り交ぜていた。麻痺が効いていたのは縫合するまでの間だ。今は麻酔が切れ、ズキズキと神経を直接焼かれるような痛みが脳髄を刺激していた。
医者に診せ、ちゃんとした処置を施さないと後々厄介な事になりそうだが、運が悪い事にこのカルーソには裂傷などの怪我を縫合出来る医者がいない。
村医者はいるだろうが、設備の整った医療施設は目にしなかった。昼間、シドウがこの村を散策したのは、ユキナのクッションを買うことだけが目的ではなかったのだ。
武器や保存食、または簡易的な医療器具の類い……他にも色々とあるが、まず村や町に着いて一番にする事は補給だろう――とシドウは考えていた。だからこそ、シドウはすぐにこの宿に向かわず、店を回っていたのだ。
アリシアはシドウの手を取るとマジマジと手の怪我を観察する。
その目には血に脅えた様子もなく、実に堂に入った物腰だった。馴れている――いや、肝が据わっていると言うべきだろうか?
「化膿はまだしてないけど、縫合が無茶苦茶だね。痛くないって嘘でしょ?」
「さあ? 手が痺れているし、麻痺している事は確かなんじゃないのか?」
「ねえ、シドウ、麻痺って……?」
「ん? あぁ、あの野郎、ナイフに麻痺の術式を刻んでいたらしくてな。その術が効いているんだよ」
「それ、大丈夫なの?」
「この怪我が大丈夫そうに見えるか?」
シドウは呆れたようにため息を吐いてみせる。
そもそも、敵の武器に直接触れるなんて自殺行為だ。あの時は敵の情報を引き出す為にわざと得物を掴んだが、もし、ナイフの毒が呪毒ではなく、天然の毒ならシドウにもお手上げだった。もっともその場合、掴もうと思わないだろうが。
あの時のシドウには勝算があった。ナイフに直接触れても問題ない――という確信が。
シドウの体質――欠陥と言えるそれは『魔術や異能の力を受付けない』という代物。
魔術行使の絶対的な大原則は魔力をマナから生成、分解、魔術として再構築する事だ。
シドウはその中でもとりわけ『分解』と相性が良く、『再構築』との相性がまるでなかった。
分解に強い相互性を身に付けてしまったせいで、魔術の起動にとにかく時間がかかるのだ。
ユキナのように詠唱を短縮する事も出来ず、あらゆる魔術に対して、完全詠唱を行う必要がある上に、魔術適正が無いせいで、D級魔術より上のランクの魔術が一切使えない。
魔術師としてはどこまでも三流なのだ。詠唱速度や詠唱技術、魔術理論は一流と呼べるレベルまで叩き込んでいるが、それでもシドウの腕では本気になったユキナと魔術師として真っ向から戦っても勝負にならないだろう。
それに、この体質の厄介なところは、体内に侵入した魔術を分解してしまう点にある。
暗殺者のナイフに対しては有利だった体質だが、治癒系統の魔術とは相性が最悪すぎる。
魔術を受付けないせいで、ほとんどの治癒魔術が効果を成さないのだ。超がつくほどの一流魔術師が最高ランクの治癒魔術を行使する事でやっと効果が現れてくる。
だがら、アリシアがシドウの傷を手当てする事になっても、シドウ自身はそれ程乗り気ではなかった。
失敗する事が目に見えている。彼女のプライドを傷つける結果になることだけに、シドウは胸に棘が刺さったような痛みを感じていた。
(やっぱ、断るのが一番か……)
アリシアが治癒に自信を持っていること。そして、シドウの怪我を見ても物怖じせず、向き合える胆力から、場馴れしていることくらいは想像が付く。
何もこの場で、彼女の自信を手折る事もない。
シドウはやんわりと手を引こうとしたところで、アリシアは店内で給仕をしていたアンネに声をかけた。
「アンネさん、すみません!」
「ん? なんだい、アリアじゃないか」
因みに『アリア』とはアリシアの愛称らしく、アンネを始めとして、一緒に働いていたユキナも今ではアリアと親しげに呼んでいる。
アンネはシドウ達のテーブルに近づくと、シドウの怪我を見て、顔を盛大に顰めた。
「怪我をしたとは聞いていたけど、随分とひどくしたじゃない。縫合も禄に出来ないの?」
「利き腕をやられたんだよ。仕方ないだろ?」
「ウチの男連中に言えばそれくらいやって貰えるよ。呼んでこようか?」
「え? 縫合とか出来るのか?」
「バカ言っちゃいけないよ。カルーソは小さな村だよ。自分の怪我くらい自分で看れなきゃやっていけない村さ。農具を扱う連中ならそのくらいの怪我は勝手に縫って治しているさ」
それは言い事を聞いた。アリシアが満足した後に改めて縫ってもらおう。
流石にこの縫合の仕方では拳も握れない。ベルナール騎士学院の受験を控える身でこのハンデは正直、洒落にならない。少しでも程度が軽くなるならそっちを選ぶべきだろう。
「アンネさん、出来ればちゃんとお医者様に看てもらって下さいね」
横で聞いていたアリシアが苦い顔を浮かべ、アンネに進言する。
「最近目が悪くなったお爺ちゃんに見てもらうよりも自分で治した方が早いと思うがね……」
「それでも、お医者様の知識は大切ですよ。化膿に効く薬草とか、痛み止めとか沢山の知識をお持ちですし、なにより、怪我を治療した後、感染症にでもなったら大変じゃないですか」
「そうは言うがね……他に医者もいないし、余所から来て貰う訳にも……」
「なら、私でよければシドウ君の治療が終わった後にでも看ましょうか?」
「アリア、それ矛盾してるよ。アリアは医者じゃないだろ?」
「ええ。けど治癒術士です。自称ですけど」
「治癒術士?」
アリシアの言葉にアンネは首を傾げた。聞き慣れない言葉だったみたいだ。
治癒術士とは治癒魔術専門の魔術師の事をそう呼ぶ。治癒に関する知識が深く、その知識量は医者にも負けないと聞く。なにより、治癒魔術は魔術による体内の活性化で怪我や病気を治療するので、感染症や薬による副作用が起きないのだ。
治癒術士を名乗るには帝国の認可が必要になる。ステータスプレートを発行し、正式に登録する事でようやくなれる職だ。だからアリシアの言う自称は間違いじゃない。
「はい。見てもらった方が早いですね。アンネさん、はさみやピンセットはありますか?」
「ちょっと待ってくれ……確か奥に仕舞っていた筈だ」
アンネはアリシアに言われるがまま、店の奥へと引っ込み、それまで成り行きを見守っていたユキナがアリシアに近寄った。
「ねえ、シドウの手、治るの?」
「うん。大丈夫だよ。見たところ大した怪我じゃないし、抜糸して、消毒した後に治癒を行えば綺麗に治ると思うよ」
「えーと、そんな無理しなくていいぞ? アンネさんも言っていただろ? 村の人なら縫合出来るって。俺はそれでいいよ……」
「ダメよ、シドウ!」「ダメだよ、シドウ君!」
シドウが否定的な発言をすると、ユキナとアリシアが揃ってシドウの言葉を否定してきた。思わず目を丸くするシドウ。
立て続けにユキナとアリシアの猛攻がシドウを襲った。
「怪我が悪化したらどうするのよ! せ、切断とか……するかもしれないじゃない!」
「そ、そこまで大げさにしなくても……」
「ユキナの言うことは正しいよ。そもそもこんな縫い方じゃ、傷跡も残るし、治りが遅い。この村じゃちゃんとした治療は受けられないんだから、治癒魔術で治しておかないと」
「け、けどな……」
「「口答えしない」で!」
二人揃って目くじらを立てて怒るものだから、シドウも反論する事が出来ず……
気付けば、アンネがハサミとピンセットを持って、シドウのテーブルに戻って来ていた。
もう言い逃れは出来ないと腹を括り、シドウが見守る中、アリシアはアンネからハサミとピンセットを受け取る。
アンネさんが厨房から持ってきたお湯で消毒を行った後、ピンセットで糸を持上げ、ハサミで切っていく。難なく抜糸が終わった後、開いた傷口にアリシアは手をかざした。
「《癒しの神手よ》【リ・ヒール】」
続く詠唱も短縮されたもので、淀みなく紡がれ、唱えた詠唱はC級魔術の【リ・ヒール】と呼ばれる魔術だ。細胞再生を活性化させる魔術で、裂傷などを塞ぐには適した魔術だが――
C級魔術程度なら、シドウの体質がその効力全てを分解してしまう。
この治療は失敗に終わる。シドウはそう確信していた。
「な……に……?」
だからこそ、シドウは目の前の光景に目を奪われる事になった。
ゆっくりだが、シドウの分解の力に当てられながらも、傷口がゆっくりと塞がっていく。
そして、三分もしない間に手の怪我が跡形もなく消え去り、シドウは驚きを隠す事が出来ないまま、マジマジと完治した手を見つめていた。
あっという間に治療を終えたアリシアはどこか不満げな表情を浮かべ、シドウの手を観察する。
「ゴメンね。いつもならすぐに終わるんだけど、今日は調子が悪かったみたい……」
「い、いや……そんな事は……」
ないはずだ。C級魔術程度でシドウの分解を耐え抜き、治療してみせたその技量にシドウは感服する他なかった。これほどの技術を持つ治癒術士などシドウは見たことがない。
ユキナも目尻に涙を浮かべ、アリシアに抱きつくと、何度も御礼の言葉を口にしていた。シドウの手の怪我を心から心配していたのだろう。アリシアもユキナの背中に腕を回し、抱き合いながら、涙を流すユキナを慰めていた。
「本当に凄いもんだね。魔術ってヤツは……」
横からシドウの手をマジマジと見ていたアンネも感心したように口を零す。それから、アリシアに向き直り、改めて頭を下げていた。
「悪い。アリアを少し疑っていたよ。こんな凄い力を持っているんだね。驚いちまった」
「いえ、そんな事は……」
「その、それで、さっきの約束なんだが……」
アンネの言いたい事を察したアリシアは快く頷く。
「ええ。大丈夫ですよ。私なんかでよければ治療させて下さい」
「いや、ぜひ頼むよ! 私は男どもを呼んで来るから少し待って貰えるかい?」
「はい。それは構いませんよ。けど……」
「ん? 何かあるのかい?」
「はい。その見返りと言っては何ですが、私達三人分の今晩の宿代を報酬として頂けないでしょうか?」
アリシアはちゃっかりと治療の報酬として、シドウたち三人の宿代を要求してきた。シドウ達の分も含めたのは、アリシアがユキナの事を友人と思ってくれているからだろう。
さりげなく、シドウが含まれていたが、ただで宿が手に入るなら文句は言わない。むしろ渡りに船だ。
アンネはアリシアの要求を快く受諾する。
そして、その日の晩は日付が変わる直前まで、アリシアによる治療が続く事になった。
シドウとユキナが改めてアリシアと話せるようになったのは、アリシアがアンネから借りた部屋に戻って来てからの事だった。