第四話『癒しの姫君Ⅲ』
「なに……あれ?」
ファングを覆い隠していた光の繭が消え、その中から現れたファングを見たユキナが呆然と呟いた。
筋肉隆々の体を覆う黒いアンダースーツ。その上には濁った銀色の革鎧が装備されていた。
胸部を覆う革鎧の他は目立った装備もなく、体に密着したアンダースーツの下から主張するように、腹筋が浮き出ていた。
ユキナやセクハラを受けた女性は視線を下へと下げると、頬を真っ赤にして、直ぐさま視線を逸らす。
その理由は、ファングの腹筋が浮き出る程フィットしたアンダースーツを考えれば察しがつく。
思わぬ形で男性の象徴を目にしたユキナは茹だった表情でファングを睨んだ。
「この……変態ッ!」
「この凄さがわからねえのか?」
「わかるわけないでしょ! 鏡で自分の姿見てみなさいよ!」
ユキナが顔を真っ赤にして否定する。
確かに、下着同然のアンダースーツに胸部の革鎧だけの姿は誰が見ても変態そのものだ。
何の理由もなくそんな姿になったとすれば、ファングの正気を疑う。
ユキナの苦言に顔を顰めたファングは自身の姿を見て、僅かに首をひねる。
「何故だ? あのガキが使った時は、もっと……」
纏った鎧姿に首を傾げていたファング。その一瞬の隙を見逃さす、ユキナは魔力を生みだしていく。
ユキナが生みだした魔力はそれ程多くない。
精々使える魔術は基礎や護身用と揶揄されるF級魔術やE級魔術が使える程度の魔力量だ。
だが、その判断は間違いじゃない。
殺傷力が生じるD級魔術以上はこの小さな酒場では不向きだ。
もし、関係のない人に当たれば、軽い怪我では済まされない。
鎮圧目的でユキナは練り上げた魔力を魔術へと変換していく。
その魔術はユキナの指先で、水の塊となり出現する。
魔力から魔術へと変換していくその速度は神懸かり的な速度で、魔術生成速度はシドウを遙かに上回っている。
さらに、ユキナは魔力を魔術へと変換する為の呪文を省略しており、『詠唱破棄』と呼ばれる高等技術を用いて、E級魔術【アクア・ショット】を完成させていた。
後は、魔術名を唱えるだけだが、こればかりはユキナもまだ必要としていた。
「《水の弾丸よ》――【アクア・ショット】!」
かつて、レッドドラゴン相手にシドウが使用した魔術を最短速度で放つユキナ。
その速度、威力共に申し分なく、成人男性一人を吹き飛ばすには十分すぎる威力だ。
ファングが一瞬見せた隙を正確に狙った一撃。
酒場にいた誰もが呆気ない幕切れに呆然とする中、シドウだけは額に汗を浮かばせていた。
その理由は――ユキナの魔術が直撃したにも関わらず、無傷で佇むファングを予知していたからだ。
シドウはファングが纏っていた鎧に心当たりがあった。この光景を見る事により、その心当たりは確信に変わる。
「魔導――兵装」
シドウは誰にも聞き取れない声で呟く。
その声は心なしか震えていた。
魔導兵装――それは魔術と似て非なる力を発揮する武器の総称だ。
アーチスに召喚された召喚者達はアーチス既存の魔術を学ぶ術がない。
なぜなら、ユキナのような例外を除けば、召喚された召喚者のほとんどがその命をアーチスに住む人々に狙われるからだ。命を狙う相手が律儀に魔術という技術を教える筈がない。
アーチスに住む人達から向けられるのは敵意のみで、友好的な関係を築く事は今の時代では難しいのだ。
しかも、召喚された時に特異な力を身に付けたといっても、その異能を学び、訓練する余裕すらない。
本来、アーチスに召喚された召喚者達は狩られるだけの存在だった。
その一方的な力関係を覆したのが――『魔導器』と呼ばれる道具の数々。
元は遙か昔、まだ召喚者とアーチスが友好的な関係を築けていた時代に、召喚者が元の世界の技術を再現しようと生まれた異端技術の事を、アーチスでは『魔導技術』と呼び、その道具の事を『魔導器』と呼んでいた。
この魔導器こそが召喚者の不利を押しのける唯一の力だった。
魔術を学べないなら、異世界の力を再現するのみ。
そうして生まれた兵器は近接武器や魔術しかなかったアーチスに重火器という概念を生みだし、アーチスと召喚者が戦争を始めて以降、互角の戦いを繰り広げてきた要因にもなってきた。
魔術に引けをとらない異世界兵器――その中でもさらに異端の兵器が『魔導兵装』と呼ばれる鎧だ。
『リアクター』と呼ばれる魔力や魔術を一時的に保存する魔晶石に、魔力で編み込まれた鎧を保存。
使用者の魔力量に合わせて、適した鎧を再構築し、魔術耐性の高い鎧を身に纏うことが出来るのだ。
元は魔術に対抗する為に作られた鎧で、ユキナの放ったE級魔術程度なら物ともしない防御力を誇る。
さらに厄介なのが――
「さて、次は俺の番だ!」
ファングの姿が残像を残し、掻き消える。
「え……?」
ファングの痴態に怒りを見せいたが、それでも注意を逸らさなかったユキナが驚愕に声を詰まらせる。
あの筋肉質な体からは予想も付かない速度に一瞬、姿を見失ったのだ。
ユキナは背後にいた少女の手をとり、咄嗟にバックステップ。
ほとんど無意識の回避行動だろうが、そのおかげで顔面を狙った拳を避ける事に成功していた。
これは一年間みっちりテイルと模擬戦を詰んできた成果だ。
元帝国騎士団のテイルの実力は引退した今でも健在だ。
少なくとも、上級冒険者並の実力は持っているだろう。
魔術の手ほどきに加え、模擬戦で嫌と言うほどテイルに戦い方を叩き込まれたユキナだ。
敵を見失った時の対応も、本能レベルで刷り込まれている。何度も泣かされた経験がなせる賜物だ。
拳を避けたユキナは再び指先を向けると魔術を発動。
今度も同じくE級魔術――【エア・ショット】だ。
「《風の散弾よ》――【エア・ショット】!」
ギンと呼ばれる悪党を一瞬で吹き飛ばした魔術。
だが、その魔術も魔導兵装を纏ったファングには足止めにすらならない。
魔導兵装の魔術耐性を突破するなら、少なくともC級以上の魔術が必要だ。
だが、人が密集する場所でE級以上の魔術は使い勝手が悪すぎる。
誰かを傷つける可能性がある以上、ユキナは絶対にE級魔術より上の魔術は使わないだろう。
再度、接近され、繰り出される拳をギリギリで回避していくユキナ。
その顔には焦りが浮かび、ファングの猛攻に魔術を生成する余裕すらなくなっていく。
だが、この局面になっても、シドウは手を出すような真似はしなかった。
身に纏うだけで身体能力を十倍まで引き上げる魔導兵装の能力は厄介だ。
魔術耐性、身体強化が常に付与された魔導兵装を相手にするには骨が折れるだろう。
だが、問題はない。
一つはファングが魔導兵装を使いこなせていないからだ。
その証拠があの革鎧の姿。
魔導兵装は使用者の魔力量に比例して出力を上げる。革鎧しか生み出せない時点で、ファングの魔力量は底が知れている。常に膨大な魔力を消費し続ける魔導兵装だ。ファングの青ざめた顔を見るに、もって後数秒が限界だろう。
付け加えるなら、魔導兵装は『召喚者の武器』だ。ただの人間が纏える代物じゃない。あの武器を使った時点でファングに勝機はなかった。
――もし仮にファングが魔導兵装を使いこなせていたとしても、今のユキナの敵じゃなかっただろう。
シドウは確信に似た眼差しで戦闘を見つめ、ユキナの戦いぶりを改めて観察した。
まだまだ粗さは残るがテイルにしごかれただけはある。
基礎の部分はしっかりとしているし、体の捌き方だって手本のような動かし方だ。
シドウのように戦い馴れしただけのケンカ上等の戦闘スタイルとは違い、しっかりと武術を身に付けた動きはさながら演舞のようでもあった。
魔術を練る余裕はないが、武術だけを頼るならまだ幾ばくか余裕がある。
腰のナイフを使っていないのがその証拠だ。
躱しきれない拳は合気の容量で捌き、上手く力を逸らしている。
攻撃の先読みも防御の手札もユキナが上回っていた。勝負以前の問題だ。力量が違いすぎていた。
「この、クソがあああああああ!」
一向に攻撃が当たらない事に苛ついたファングが大振りの一撃を放つ。
だが、それは悪手だ。ユキナの胸を狙った一撃だったようだが、ユキナはファングの腕を絡め取ると、拳の勢いを殺すことなく、逆にその勢いを利用し、ユキナより超重量であるファングを投げ飛ばしたのだ。
身体強化で上乗せした力を全てを利用され、吹き飛ばされたファング。
大きな放物線を描いて、床に叩きつけられたファングは苦痛に喘ぐ。
年下のユキナにいいようにあしらわれて、相当頭にきているのか、直ぐさま起き上がろうと四肢に力を込める。
だが――時間切れだ。
「な……力が……」
起き上がろうとしたファングが再び崩れ落ちる。
その衝撃で、身に纏っていた魔導兵装が解除され、球形状の宝石のような形に戻った『リアクター』がユキナの足元に転がった。
目の前でファングが倒れた光景に驚愕を見せるユキナ。
どうやら、ファングが力尽きた原因を理解していない様子。
理由は単純。生命エネルギーたる魔力を根こそぎ魔導兵装に食われたからだ。
魔力とは生命エネルギーの根源たるマナを変換したもの。無尽蔵に奪われ続ければ、すぐに力尽きてしまう。
元々、高魔力を有する召喚者用に設計されている武器だ。ただの人間が使えば魔力不足に陥ることなど誰でも想像が付く。
ファングの敗因は、身の丈以上の力に手を伸ばしたこと。
そして、もう一つが――
「ユキナを敵に回したことか」
騎士学院を目指す為にこの一年、訓練に明け暮れたユキナ。
召喚者との戦闘を想定して、この一年、戦い方を学んだユキナに中級冒険者程度が敵う訳がない。
魔力枯渇により、意識を失ったファングを見た店の客達が歓声を上げる中、呆気ない幕切れに釈然としない表情を浮かべていたユキナが足元に転がった『リアクター』を拾い上げると、それまでユキナの背中で守られていた少女がユキナの背中に飛びついた。
「わっ! な、なに!?」
「そ、その……あ、ありがとうございました!」
慌て驚くユキナに涙交じりの感謝の声が囁かれる。
いきなり奴隷のように扱われ、公衆の面前で辱めを受けていたのだ。
その状況を救ったユキナには感謝しかないのだろう。
ユキナは居心地が悪そうに頬を掻きながら、満更でもない面持ちで苦笑を浮かべ、
「そんなの当たり前じゃない」
そう呟いていた。
苦笑を浮かべるユキナの顔には疲労の色が見受けられる。
小さく肩で息をし、汗を浮かべるユキナ。
馴れない実践で相当に疲労しているのだろう。
本当に頑張っていた。
ユキナの戦いはここまでだ。
後の処理はシドウの役目だろう。
「……お疲れ様」
シドウは普段滅多に見せない優しい口調でユキナの奮闘を称えながら、ゆっくりと腰を持上げるのだった。