12.ペリーが草葉の陰で泣いている・その2&スコア1~25
今回は、いわゆる“棋譜編”です。
物語の内容がサッパリ???に感じる方もいると思われます。
対処法は・・・さあチェスを始めましょう。・・・なんてね。
6月11日20:30頃―。
“鈴木くれは”がおバカな例えをして猪苗代・恐子の頭を悩ませていた時間よりも12時間ほど遡り―。
宿題を終えたライク・スティール・ドラコーンがリビングルームへと降りてきた。
「神父様、また飲んでいらっしゃるのですか?」
ワイングラスを傾けながら、霜月神父はライクへと視線を移した。
ライクが霜月神父の前のソファーへと静かに腰掛けた。
「神父様、懺悔をしたいのですが」
切り出すライクに。
「いいのかい?君たちの神様は“こちらの世界”の神様じゃないよ。もっとも、主は誰であろうと信じる者は分け隔て無く御救いになられるがね」
空けたワイングラスをテーブルの上に置いた。と、すぐさまグラスにワインを注ぐ。この勢いだと30分もしないうちにボトルを空けてしまいそうだ。
「主に向かわれるのは敬謙な姿勢ではあるけど、君の犯した罪は思いつめるほど重いものなのかい?」
遠まわしに“懺悔”なるものを“軽く扱わないで欲しい”と嗜めた。罪とは償うべきものではあるけれど、一生背負って行かねばならないものだと、今の彼には知ってもらわねば。だが、ライクの答えは。
「はい。僕が犯した罪は、自身に対して一生償えない失態でした」
少し趣が違う。
彼は“この世界”の神たる“主”でも“彼らの世界”の神でもなく、自分自身に懺悔したいと申し出ているようだ。「聞こうか」霜月神父はライクの話に耳を傾けた。
すると、ライクはチェス盤を持ち出してくると駒を並べ始めた。初期配置では無く、途中の盤面を再現した。
「これは?君たちの行っているグリモワール・チェスの盤面かい?」
霜月神父が訊ねた。
「はい。第23手現在を再現したものです。丁度、昨日の夜の時点でこの状態でした」
そう言えば、深海霊のカムロが訪ねてきた時に、「明日か明後日」にアンデスィデが発生するとか言っていたのを思い出した。
ライクが魔道書のチェス盤を開いて見せてくれた。
第24手現在の盤面。
2つの盤面の違いは・・・。
白側ココミの手は、f4の白ビショップをe5へと移動。f6黒ナイトに攻撃が効いている。
対してライクは、f6黒ナイトをh5へと移動、避難させている。
特別ルールの“アンデスィデ”が発生したならば2騎のビショップ相手に不利な戦いを強いられるのだから、この場は逃げるのが妥当なのだが・・・。
「これが?」
訊ねずにはいられない。
「正直に申し上げます。僕は逃げたんだ。ココミを恐れて逃げてしまったのです」
「何を言っているのかな?」
確かに逃げているね。だけど、彼が何を悔しがっているのか?まるで掴めない。
「今日、ツウラから連絡があったのです。マスター条件を満たしている人物が、天馬学府高等部には3年生に“5人”、2年生に“鈴木・くれは”と“猪苗代・恐子“そしてすでにマスターの “高砂・飛遊午”とトモエの“4人”、一年生に“御陵・御伽”、“御手洗・達郎”の他オロチのマスターも含めて“3人”いたとの報告がありました」
「12人かぁ。あれ?トモエちゃんは天馬の娘だったのか・・・。いや、それでも11人だとすると、ははっ、これは参ったな。これじゃあ、まるで天馬と黒玉との戦いじゃないか」
霜月神父は膝を叩いて声を上げて笑った。「それで?」不謹慎にも笑いながら訊ねた。
「白のビショップが黒のナイトに迫ってきた時、僕はこの中の誰かが、すでに白のビショップと契約を結んでいるものと思い、恐れをなして黒のナイトを避難させたのです。今日はあのベルタを3対1で叩きのめすハズだったのに」
妥当な手だとは思うのだが。
黒のナイトを避難させたのが、そんなに悔しいのか?気持ちは解らないでもないが、理由にするには少し弱い。何か他にも理由がありそうだ。
人間とは案外下らない事でつまづくものだ。中にはそれを一生引きずる人もいる。
こんな少年期にどんな挫折を味わったのか?理由さえ分かれば、今後の道標になるかもしれない。
とは思うものの、彼の過去を詮索するべきではない。何しろ彼は異なる世界の住人なのだから。違う文化や思想を安易にこちらの世界のそれと比較してはいけない。
やっぱり“神サマ”に任せてしまおうか?いや、それでは“投げっぱなし”になってしまうな。
(こういう自分に真剣に向き合っているヤツとか族(暴走族の事)には居なかったんだよなぁ・・・)
何だかんだ言っても、今まで出会った連中は、他人と何ら変わらぬ“形”にハマった人生送っている。世の中のしがらみに縛られるのがイヤだと暴れていても、結局は組織内の上下関係にキッチリ縛られていたし、それこそ他の人と変わらぬ生活を送っている。むしろ世の中“普通”に生きている人こそ“自由”に生きている気すらする。
大人になれば観えないモノでもあるのかな?ガキの目線で考えろ・・・自身に言い聞かせつつ考えてみるも、やはり解らない。
ま、しょうが無ぇや。ここは一緒に考えている“フリ”をして乗り切ろう。
「ライク君。私は今まで通りこれからも君たちのグリモワール・チェスには干渉するつもりは無いけれど、差し支え無ければ今までの経緯を教えてくれないか?」
とりあえず話をさせておけば、そのうち気が紛れるだろう。
ライクは頷いて盤を初期配置に並べ直した。
チェスをプレイする訳でもないので、二人から白側の視点となるチェス盤配置を取る。
第1手。
白d4:クィーン前のポーンを2マス前進。
黒Nc6:対してクィーンズ・ナイトをc6へと移動。いきなりポーンを射程に捉えた。
第2手。
白d5:d4に前進したポーンをさらに1マス前進。逆にナイトを捉えた。
黒Ne5:黒も先程のc6ナイトをe5へと移動させてポーンの攻撃を回避。
(スゴいな・・・。お互いに同じ駒を動かすか?)
第3手。
白b4:クィーンズ・ナイト前のポーンを2マス前進。
黒e6:キング前のポーンを1マス前進。このポーンで白のd5ポーンに攻撃緒可能。当然白からも攻撃可能となるのだが、後方にポーンが控えているから獲れば“痛み分け”のカタチとなる。同時に黒キングス・ビショップがb4ポーンを射程に入れた。
第4手。
白b5:先程動かしたポーンを1マス前進。これによって黒ビショップからの攻撃を回避。
黒e×d5:eファイルのポーンでd5のポーンをテイクス。棋譜の×印はテイクスを意味する。(獲った駒×獲られた駒と表記される)
「初めてのアンデスィデだったので興奮しましたよ。だけどココミはマスターを立てる事ができていなかったのでナイトとポーンのマスターが早い者勝ちだと息巻いていましたが、性能で勝るナイトに軍配が上がりましたよ」
アンデスィデのルールは霜月神父も心得ている。テイクスされた駒を中心に周囲8マス全ての駒が参戦するのだと。複数騎対単騎の構図はアンデスィデにおいてセオリーとなる。
倒したのはナイトであるが、棋譜及び盤面ではeポーンがテイクスした事になる。
第5手。
白Nc3:クィーンズ・ナイトをc3へと移動させてd5へと進んだポーン(飢屍のソネ)を射程内に。
黒d4:1マス前進して逆にナイトを攻撃範囲へ。
第6手。
白Ne4:ナイトをe4へと避難させた。
黒a6:クィーンズ・ルーク前のポーンを1マス前進。b5の白ポーンを捉えた。
第7手。
白Nf3:ココミは強気にもキングス・ナイトをf3へと進めてe5ナイトを捉えた。
黒Ng4:2対2の構図ではあるが、さすがにナイト2騎相手ではツライ。g4へと避難させた。
第8手。
白g3:キングス・ナイト前のポーンを1マス前進。ナイトの隣に置いてアンデスィデ対策のつもりなのだろう。
黒a×b5:aファイルのポーン(骸骨亡者のキャサリンでb5ポーンをテイクス。
「この時の敵の盤上戦騎のカタチが面白いんですよ。襟に腕と同じパーツを5本もぶら下げているんです。アレはたぶん、スペアの腕なんじゃないかなぁ・・。この駒も動かなかったので定かではありませんが」
第9手。
白Bh3:キングス・ビショップをh3へ移動&黒ナイトを捉えた。
黒Nf6:次にビショップが来ればナイト・ポーン・ビショップの3騎をナイト1騎で相手にしなくてはならない。f6へと避難させた。
第10手。
白Ng5:eファイルのナイトをg5へと移動。意図が解らない。
黒d6:クィーン前のポーンを1マス前進。射線が開いた!クィーンズ・ビショップでh3ビショップが狙える。
第11手。
白Bf1:h3ビショップを元のf1へと戻した。
黒h6:g5ナイトを捉えた。
第12手。
白Nh7:g5ナイトをh7へ。避難させたつもりのようだが敵の真っただ中だ。
黒R×h7:そのナイトをキングス・ルークでテイクス。
「この時は単なるココミのミスだろうと思っていましたが、今思えばマスター契約を果たしていない駒が多数存在していたのなら、僕の注意を引き付ける手段としては悪くは無かったと思います」
第13手。
白a3:クィーンズ・ルーク前のポーンを1マス前進。
黒b6:クィーンズ・ナイト前のポーンを1マス前進。面倒な事に“ダブル・ポーンとなってしまった。
第14手。
白Bf4:クィーンズ・ビショップをf4へと移動。
黒Bb7:クィーンズ・ビショップをb7へと移動。f3ナイトが射線に入ったが周囲に駒が多すぎる。
第15手。
白Nh4:ナイトは逃げた。h4へと移動。しかし、射線は後ろのキングス・ルークへと延びた。 黒B×h1:では、遠慮無くb7ビショップでルークを頂いた。それだけじゃ終わらせない!h2ポーンもついでに始末した。
思った通り、揃ってマスター契約を果たしていなかった。
*棋譜表記が黒B×h1(&h2)に変化した。
カッコ内には“&”記号の後に同時に倒された駒が表記される、本来のチェスでは有り得ない棋譜表記である。
第16手。
白Bh3:キングの通り道を作ったのか?f1ビショップをh3へと上げた。
黒b4:b5ポーンを1マス前進。a3ポーンを捉えた。
第17手。
白a4:a3ポーンを1マス進めてb4ポーンからの攻撃をしのいだ。
黒R×a4:どちらにしても逃がしはしない。2対1のアンデスィデに突入。
「敵の盤上戦騎の名前は“エ・クレア”と言って、体のほとんどを覆ってしまう“シールド・ハンドガン”を持った頑丈そうな騎体でした。そうしたら、ルークのマスターのベンケイが張り切って力任せに殴ったら、あっけなく壊れまして。後でデータを調べたら、本体は非常に貧弱な騎体なのですが、宇宙空間に“衛星軌道兵器”を隠し持っている“超遠距離戦特化仕様騎”だったのです」
盤上戦騎が常軌を逸脱したロボット兵器だと聞いていたが、あまりにもSF作品さえもビックリなトンデモ兵器じゃないか。
霜月神父は「続けて」チェスに話を戻させた。
第18手。
白Bf5:h3ビショップをf5へと移動。ダブル・ポーンならぬ“ダブル・ビショップ”の陣形を築いた。
黒R×a1:続けてa4でポーンを粉砕したルークでa1ルークを粉砕。豪快な笑い声を飛ばすベンケイを見るのはこれが最後となった。
第19手。悲劇は起こった―。
白Q×a1:白のクィーンがa1ルークをテイクス。
「ココミの方からテイクスを仕掛けてくるなんて初めてでした。彼女がどんなマスターを得たのか?とても興味がありました。だけどそれは僕は勘違いで、僕たちはゲームでは無くて戦争をしているのだという事をすっかりと忘れて、「戦いぶりを楽しみにしている」と無邪気にベンケイを送り出してしまったんです」
ライクが両手で頭を抱えた。
「坊ちゃま」
ウォーフィールドが居間へと入ってきた。就寝を促しにきたのだ。
「どうされました!!」
ライクの異変に気づき彼の元へと駆け寄る。
「神父様、一体何をなさったのですか!?お答え次第では―」
狂気に走ろうとするウォーフィールドの肩をライクが掴んだ。
「神父様に無礼を働くな。僕はもう少しここにいるから、お前は下がっていろ!」
ライクの言葉を聞き、ウォーフィールドは霜月神父へと顔を向けるも、神父は頭を振って何も言わずに大人しくライクの言う通りにするよう無言で伝えた。
ウォーフィールドが一礼して居間から立ち去った。
「ベンケイか・・・。彼は残念な事をしたな」
グラスに注がれたワインを手向けの杯とばかりに飲みほした。
「恐るべき盤上戦騎でした。九頭竜のオロチ・・。攻撃そのものを食らい、一つ目巨人の騎体までもそれぞれの頭で五肢と胴体を同時に食らうなんて。今でもベンケイの悲痛な叫び声が耳の奥で木霊しているのですよ。だから、僕は夜が嫌いなんです」
子供にはまだお酒は無理だなと思いつつも手にしたワインボトルを見つめてしまう。
彼は王族ではあるが、やはり人間。目の前で起きた“兵”の死を“一人の人間”の死と割り切れずにショックを受けているのだろう。
黒b3:b4ポーンをb3へ移動。c2ポーン(ベルタ)を捉えた。
そして運命の第20手―。
白c4:クィーンズ・ビショップ・ポーン(ベルタ)を2マス前進。
黒d×c3e.p:d4ポーン(飢屍のソネ)でc4ポーン(ベルタ)にアンパッサンを仕掛けた。
*注意:e.pとはアンパッサンを意味する棋譜表記です。
そして2度目となる“生きた駒”同士のアンデスィデが発生した。
飢屍のソネ&骸骨亡者のキャサリン、迎え撃つは6つ脚火竜のベルタ。
しかし、結果は“前代未聞”のテイクスした側の駒が獲られる、しかも2騎揃っての“返り討ち”となった。
結果、棋譜にも変更が加えられた。
*第20手~改訂後~
白c4「c3」:クィーンズ・ビショップ・ポーンを2マス前進させた。→アンパッサンを仕掛けられたが返り討ちにしたので、本来敵駒が移動すべきc3のマスに留まる。
黒d×c3e.p(&b3):d4のポーンでc4ポーンにアンパッサンを仕掛けたが、“b3ポーンと共に返り討ちに遭った”。
黒側の棋譜のみ赤文字で表記されている。これは本来のチェスでは有り得ない“返り討ちに遭った”事を意味する。カッコ内は共に倒されたキャサリンの駒。
それにしても驚くばかりである。こんな無茶苦茶なルールでゲームそのものが破綻しないものなのだろうか?
ライクたちが行っているグリモワール・チェスが“ただの”チェスでない事は重々承知している。こんなルールでキングをチェック・メイトするなんて果たして出来るのだろうか?いささか疑問だ。
「少し良いかな?」
唐突にライクに一声掛けた。
「何でしょう?神父様」
「少しばかりペースが早かったみたいだ」
ワインボトルを手に取り少し振って見せた。
言っている意味を理解したライクが少し笑って「どうぞ」、霜月神父を送り出した。
席を外して廊下へと出る。
何気なく用を足しに向かう素振りを見せつつ静かにドアを閉めた。
と、腕を組むと、廊下にてスマホを手に佇むウォーフィールドに向かって咳払いした。
「聞こえてしまいましたか?神父様」
「聞こえてはいないが、君の行動はバレバレなんだよ。護衛を兼ねているにせよ、もう少し距離を取ったらどうなんだ。ライク君にも気づかれてしまうよ」
「配慮が至らず―」
「いや、それは良いんだ。それよりも、また何処かの特殊部隊でも来ているのかい?」
謝罪するウォーフィールドを、手をかざして制しながら訊ねた。
「はい。今回は人種から判断して中国軍と思われます。しかも、この黒玉門前教会ではなく、ココミ様たちがご滞在されている天馬教会を狙って周りを囲んでいるそうです」
霜月神父はウォーフィールドに腕時計を見せてもらい時間を確認する。
「オイ、まだ9時を過ぎたところだぞ。カチコミだって周囲が寝静まってから仕掛けるものなのに、これじゃあただの押し込み強盗じゃないか」
あまりの荒っぽさに驚くばかり。
「に、しても、ロシア、アメリカに続いて今度は中国と来たか。そんなに盤上戦騎の特性を利用して敵対もしくは周辺国家にダメージを与えたいものなのかねぇ」
レーダーはもちろんカメラにさえ捉えられず、しかも目撃者がいたとしてもすぐさま記憶から消え去る盤上戦騎は他国の経済やインフラにダメージを与えるには最適の手段だ。さらに復興支援というマッチポンプのオマケ付き。
法王庁と繋がりのあるごく僅かな国家だけが知り得る情報を駆使しての襲撃であったが、ライクを拉致しようとしたロシア、アメリカ両国の特殊部隊は先日、身元不明の遺体として市松市内の公園に山積みにされて遺棄された。身元判別の手掛かりとなる装備及び“身体の部位”は警告も兼ねて、後日彼らの乗ってきた車両に乗せて両領事館へと返却された。
「この事はライク君に報告しなくて良いのかね?」
「これは“法王庁”との密約を破る行為であり、同時に法王庁の顔に泥を塗る行為と見なされ、こちらが独断で報復を与えても非難される謂れはありません」
理屈で言えばそうなのだが、ライクに心労を抱え込ませない配慮ならばこの際仕方がない。もはや死者続出は避けられないが、自業自得として受け止めてもらうしかない
「と、なると、あとは人選だね。じゃあ、またジェレミーアとかいう朝までじっくり相手を嬲っていた狂人を使うのかい?それとも連絡してきた包帯男に任せるか?」
「本来ならば、ココミ様たちの方で自力での対処を願うところですが、天馬教会で現在確認されている魔者はルーティとベルタの2名のみ。数に圧されてみすみすココミ様を拉致されてしまうか、ルーティが戦車をも破壊する火の玉を吐いて騒ぎを大きくするか、いずれにしても事は穏やかに済みそうにはありません」
まったく世話の焼けるハナシだ。敵方の面倒まで見るハメになろうとは。
「なので、今回はココミ様たちに悟られぬよう迅速に事を運ぶ必要があります。それと“包帯男”は上位騎なので万が一にも白側の目に触れる事だけは避けなくてはなりません」
とはいえ、スグルとカムロはアンデスィデを控えているので霊力を消耗させる訳にもいかないし、ツウラは即答で人殺しを拒否しそうだ。なにぶんベルタが邪魔過ぎる。
散々頭を巡らせた揚句。
「仕方ないですね。一度に複数の標的に対処できる“ロボ”に動いてもらうとしましょうか。ベルタの搖動には“ウォレス”と“ナバリィ”に御願いしましょう」
「搖動とは考えたね。でもあの二人で大丈夫かい?それにロボだって上位騎だし、彼を使ったらトモエちゃんへの負担も相当なものだよ。彼には前回と同じく遺体の処分と装備などの返却も任せるのだろう?」
「彼なら問題はありません。例え目撃されたとしても彼の能力を見破るのは不可能ですし、人間相手ならさほど負担にはならないはずです。ウォレスたちの心配も無用です。今回はあくまでも搖動ですから」
告げつつ“包帯男”に引き続き監視を、ロボ、ウォレス、ナバリィにはそれぞれの役割をチャットで伝えた。
さすがに“ただの亜世界の人間”に過ぎない“アッチソン”だけはスルーされるのも無理も無い。霜月神父も、その事にはあえて触れずにいた。
天馬教会周辺はいつもと変わりなく静けさに包まれていた。
教会とは元々日曜日のミサなどで聖歌を歌う習慣があるため、建物そのものが隣家と密接しているケースは希である。ほとんどが塀もしくは生垣で隔てて隣家とは距離を置いている。
天馬教会も例に漏れず生垣で周囲を囲んでいる。
早くも中国軍の特殊部隊が配置を終えた。もはや無線で連絡を取り合う事などしない。指揮官と思しき人物が腕時計に目をやり時間を確認する。
午前9時14分27秒。あと30秒少々で突入開始の時刻。
ココミたちは刻一刻と迫る危機に気付かずに、いつもと変わらぬ生活を営んでいた。
こちらの世界で女子大生をしているココミは、風呂から上るなり中学生のルーティの勉強を見てやっている。そろそろ期末試験を念頭に入れなければならない時期、詰め込みはギリギリになってからの最終手段と、今はより理解を深める反復学習を行っていた。
ベルタはココミの次に風呂を頂いており、先程上がったばかりで、部屋で髪を乾かしていた。
普段はポニーテールに結っている髪も下せば背中辺りまでと長く、ドライヤーを最大出力で吹かせても乾かすのに結構時間が掛かかってしまう。ようやく半乾きになったところ。
突然、彼女の部屋が大きく揺れた。振動が迫る気配は全く感じなかった。直下型地震か!?
本棚に収められている本が一斉に羽ばたくようにして棚から飛び出し、壁に掛けられている抽象的な風景画も床へと落ちた。
幸い、ガラス窓はけたたましく鳴ったものの、割れる事は無かった。
数秒後に揺れは収まったが、部屋の中はものの見事に嵐が過ぎ去った後のよう。
ベルタは急いでココミとルーティが寝泊まりしている屋根裏を改装した部屋へと駆けて行った。
“屋根裏部屋(便宜上)”へと続く道のりは元々物置きとして使用されていたもので、捨てれば良いのにと思える古い備品ばかりが山のように置かれている。しかし、不思議と崩れた様子は無い。
部屋のドアの前に立つと、ベルタはノックをしようとドアに手をかざし―。
ふと抱いた不自然さに、ベルタは周囲を見回した。
ノックなど上品な事はしていられない!「ココミ!ルーティ!無事ですか!?」激しくドアを叩いて中の二人を呼ぶ。
「そんなに大声を出して、どうしたのですか?ベルタさん。また神父さんに叱られますよ」
中からドアが開けられると、ココミが何事も無かったように平然と訊ねてきた。
「やはり揺れたのは私の部屋だけでしたか・・。ココミ、落ち着いて聞いて下さい。敵の襲撃です」
「襲撃??ですか?私たちを襲ってライクに何かメリットがあるのでしょうか?」
ココミが首を傾げるのも無理も無い。グリモワール・チェスの勝利条件はあくまでもチェスで勝利を収める事で、相手のプレイヤーを殺害しても勝利を得る事は出来ずに、むしろ違反行為に及んだと反則負けを喫してしまう。
さらに殺害されたプレイヤーは、こちらの体を失っただけなので、また復活して“勝利者”となり勝ち上がる。
なので、襲撃者は相手プレイヤーのライクではないと断言できる。
「なあココミ。襲撃なんやったら、本で魔者の居場所を突き止めたらどないやろ?」
ルーティの提案に、ココミは本の魔者探知ページを開いた。
ベルタとルーティの反応を除外して、天馬教会を中心に半径500m内に反応がひとつ。もう少し倍率を上げて部屋の間取りを確認できるくらいに拡大した。
「さほど霊力の強くない魔者が一人、私たちと重なっていますね」
と、いう事は、この屋根裏部屋の上か下か。だが、ベルタは下の階から駆け上がってきた。さらに下の1階もしくは2階からだろうか?
「ココミッ。私はこれから迎撃に向かいますが、貴女たちは絶対に部屋から出ないで下さい。ルーティ!!ココミを頼みますよ!」
「お任せあれ!」
心強い返答に「それと勉強の方も頑張って下さい」付け加えると窓を開けた。
窓から身を乗り出すと、屋根の上を目指してボルダリングするようによじ登る。
屋根の上に到着。
すると先立って屋根の上に上がっていた男性がベルタの姿を見にするなり「チッ!」舌打ちを鳴らした。
軽装の皮製鎧をまとった、足元は足袋のように親指の離れたブーツを履いた出で立ち。どこか勘違い全開なアメリカ忍者みたい。そして手にはすでに青竜刀を携えて「チッ!」
ベルタは男性の姿を捉えるなり足元に赤く光る魔法陣を展開させて。
魔法陣が上へと昇り切ると甲冑姿へと変身!すかさず両腰の脇差しを抜刀!構えた。
「さっきの地震は貴方の仕業か!」
ベルタの問いに、男は「チッ!」背を向けて走り出した。
「『待て』とは言いませんが、せめて問いには答えられよ!」
男の態度に不快感を覚えつつ、ベルタは追跡を開始。
「チッ!」
男は余所の屋根瓦を敷いた屋根に飛び移ると急に振り返りその場にしゃがんだ。両手を屋根瓦の上へと乗せると「チッ!」男の周囲の屋根瓦が一斉にベルタ目がけて飛び立った。
まるでイワシの群れのように塊になってベルタに襲い迫る。
彼が場所を変えたのは、教会の屋根はスレート屋根なので攻撃できなかったと推測される。
「これが貴方の能力か!?」
襲いくる無数の凶器と化した屋根瓦を両手の脇差しで次々と切り払ってゆく。直撃でない屋根瓦が、甲冑から覗く衣裳やスカートをいくら切り裂こうとも物ともしない。
そして、そのまま突き進み、頬を掠めようとも男との距離をとにかく果敢に縮めてゆく。
「チッ!たまげたな。まさに“鬼神の如く”を体現してやがる。チッ!」
後ろへと飛び退いて次の家へと移ると、再び屋根瓦を凶器へと変えてベルタに襲い掛かった。それでもベルタの勢いは止まる事は無く男との距離をさらに縮めてゆく。
男はもう一度後方へと飛び退いて別の家へと飛び移った。が、ベルタの突進力はすさまじく、もはや男の眼前に迫っていた。
脇差しの間合いに男を捉えた!
すると、突然ベルタの右側面からサーベルの突きが繰り出された。
咄嗟に体を捻ってサーベルの突きを数センチの距離でかわし、さらなるサーベルのバックハンドによる斬撃を『キンッ!!』脇差しで切り払う。大きく飛び退いて二人の魔者を視界に納めて両者に脇差しの切っ先を向けた。
乱入してきた女性は、裾の広がった黒色のドレスに宝石を散りばめた黄金に輝く貴婦人仕様の軽装甲冑。頭には黒の羽根飾りをあしらった髪飾りを載せている。
いきなり空間から姿を現したことから、どうやら彼女はヒューゴの言っていた“ナバリィ”なる魔者と思われる。「その能力、貴女がナバリィか!?」。
「やはり我の情報を伝えておったか、其方の“元マスター殿”は」
抜け目ないヒューゴを称しながら、ナバリィはサーベルで横一閃を放ち、空を斬って見せた。
「チッ!出てくるのが早すぎるぞ!ナバリィ」
「貴公の脚が遅すぎるのだ!」男の声に眉をひそめる。
言い争う二人の会話から、連携攻撃を仕掛けたものの、残念ながら失敗に終わったものと観られる。
ナバリィは目線だけを男に向けると。
「ウォレス!ここは開け過ぎている。場所を変えるぞ!」
告げると、二人して屋根から飛び降りた。
ナバリィの姿は見当たらない。出てきた時と同じくまた空間に開けた穴に身を隠したか・・・。ならばウォレスと呼ばれた男の方を追うしか無いようだ。
ココミの本に全く反応の無かったナバリィの能力は“空間転移”の類と思われる。連携攻撃の失敗から察するに、“落とし穴”を仕掛けるように事前に転移先を設定する必要があるのだろう。対処策として、ウォレスを直線的に追跡しなければ、先ほどのような不意打ちは食らわないはず。
そして現在追跡しているウォレスの能力は恐らく“遠隔物体操作だろう。こちらは―。
ウォレスは、相も変わらず「チッ!」癖だと思われる舌打ちを鳴らしながら道端のゴミ箱や植木を“能力”で飛ばしながら逃走している。霊力の消耗が著しいようで、飛んで来る物体の重量は軽くなってきている上に、飛距離さえも先程に比べてはるかに短い。この様子だと対策を練るまでも無さそうだ。
ベルタはそれらをことごとく脇差しで叩き落としながら、さらに接近。
交差路でとうとうウォレスを射程内に捉えた!
「敵が一人の場合は逃げながらの戦いは得策ではない!」
追う者の足の速さのばらつきを好機に変えて敵の数を減らしてゆくのが“撤退戦”の定石であるが、ウォレスの行為は、ただの時間稼ぎに過ぎない。
勘違いは正される事無くベルタはウォレス目がけて斬撃を繰り出した。
ところが、交差路の左側から、サーベルを手に接近する人影が。
先ほどよりも剣速が遅い!ベルタは疲弊しているウォレスをひとまず放置して、独楽のように回転しながら標的をナバリィへと変えて斬撃を繰り出した。
だが!
斬撃に入ったベルタの視界に入ったのはナバリィでは無く。
「この女性は!?」
攻撃をためらったばかりに先手を許し、サーベルによる袈裟斬りを交差させた脇差しで受けざるを得ない。
サーベルを手にしているものの、先ほど出逢ったナバリィとは似ても似つかない、ただの一般人女性。しかも残業か飲み会で帰りの遅くなったパンツスタイルのスーツ姿のOLさんではないか!?どうして、この女性がサーベルを手に自分を攻撃してきたのか?
攻撃を仕掛けておきながら、OLの目は虚ろでまるで生気を感じさせない。
「卑怯だぞ!ナバリィ!関係無き者を人形のように操るなど言語道断!」
すると、目の前の女性が急にクスクスと笑い出した。と、高笑いまで始めた。
「盤上戦騎となって戦う我らはすでに汝の言う“関係無き者”たちを巻き込む戦をしているのだぞ。今更我を卑怯者呼ばわりするとは笑止!滑稽でならぬ」
女性の言葉を振り払うかの如く「違う!!」強く否定し、押し飛ばして周囲をうかがう。
「ナバリィ!何処だッ!姿を現せ!」
怒りを露わに叫ぶもナバリィの姿は何処にも見当らない。
「我はココだと言ったら、汝は我を斬れるか?」
OLは胸に手を当ててベルタに告げた。「取り憑いているのか?貴様ぁ・・」
胸から手を下すと、金のチェーンにサファイアのペンダントが大きく揺れた。
「この格好はとても動き易いのだが、どうにも我の趣味には合わぬ」
OLは自らの恰好を眺めながら呟くと、視線をベルタへと向けた。
ユラリと身体に芯が通っていないような不安定な動きでベルタに迫ると両手に握ったサーベルをベルタ目がけて振り下ろす。反撃してくれと言わんばかりに隙だらけの動きではあるが、反撃できず、ただ剣撃を受け流すだけ。
するとOLは踏み込んで強烈な一閃を振り下ろした。
バックステップ!そしてすかさず剣を振り下した女性の背後へと回り込み相手に腕を回して組み付くと、「すまない」OLに謝るなりとベルタは瞬間的にグッと力を込めて彼女の両腕を絞め上げると上腕骨から軽い音が鳴った。骨折の痛みにOLは小さく悲鳴を上げた後、サーベルが地に落ちる音、さらに呻き声を発して吐血した。
同時にベルタも腹部に痛みを覚え、呻き声を上げた。
「貴様ぁ・・・ナバリィ・・」
OL越しに正面に立つナバリィを睨み付ける。
ナバリィはOLごとベルタをサーベルで貫いたのだ。
「その女ごと私を斬っておけば勝てたものを。ふふ。何とも愚かな、ベルタ」
まさかの勝利に腹の底から笑いが込み上げてくる。ナバリィは高らかに笑った。
「随分と腑抜けたものよ。戦いの場に赴きながら、乙女の嗜みに花の香りをまとうばかりか、先の戦で多くの敵を打ちのめし英雄と称された汝が、まさか“捨て駒”ごときに気を取られて腹に剣を突き立てられようとは」
お風呂上りの入浴剤とシャンプーの残り香を“乙女の嗜み”と勘違いされているのは捨て置くとして、彼女の言う通り、明らかにOLは捨て駒だった。
だけど、彼女の言う“捨て駒ごと構わず斬り捨てるなんて発想は微塵も思い浮かばなかった。これもきっとシルヴィアやヒューゴと出会って得た“守りたいと願う”意志の表れなのだろう。
そしてその代償に傷を負ってしまった事を“不覚”とも思わない。むしろ、無関係のOLに深手を負わせてしまい、それこそ“不覚”でならない。
「つまらぬな!マスターより我らを圧倒する剣技を授かっておきながら、それを駆使する事もせずにみすみす深手の傷を負うとは、どこまでも愚かか!?」
ナバリィから笑みは消えて、激しい憎悪をベルタにぶつけてきた。
「あ、貴女は何を?・・・」
好機を喜ばないナバリィに、ベルタは戸惑う。
「もう我は何も言わぬ。さっさと貴様の首を刎ねて『止めろ!剣を抜くな!』」
ナバリィが告げ終えるのを待たずしてベルタの制止する声が重なった。
「ええい!無礼者!私が話している最中に声を被せるな!お前の『剣を引き抜けば、この女性が死んでしまう!』」
再び声を被せて制止するベルタに、ナバリィは冷めた視線を向けて「構うものか」サーベルを引く手に力を込めた。が、思うように引き抜けない。ベルタがサーベルを掴んで離さないのだ。サーベルを引き抜かれては傷口から大量の血が吹き出てしまう。串刺しの状態ではあるが、何としてもこれを阻止せねば。
ナバリィはOLに足を掛けて地面から大根を引き抜くように、不恰好にもサーベルを引き抜きに掛かった。だが、ベルタも負けてはいない。
「おのれぃ!往生際の悪いッ!さっさと『彼女を死なせるものか!』
「ええぃ!何度も何度も腹立たしい!運命を切り開く力を駆使せぬ者が他人の命の心配など、おこがましいにも程がある!」
ナバリィは二人に突き刺さったサーベルを諦めて、新たなサーベルを2本空間に空けた穴から調達すると「その体を失い、とくと後悔するがよい!」
まさに双手のサーベルが振り下ろされようとした、その時。
「―ッ!?」
ハッとナバリィは急にベルタたちから距離を置くべく飛び退いた。
ナバリィの視線の向く先には―。
一匹の黒猫がゆっくりとベルタの元へと歩み寄っていた。
「ナバリィ!ロボの旦那が仕事を終えた。とっととズラかるぞ!」
ウォレスがナバリィに告げるも「それどころではない!急ぎ我らも退くぞ。来い!ウォレス!」
慌てた様子でナバリィたちは開けた空間の穴に飛び込んで撤退した。
敵の撤退を見届けると、「・・ロボ?新し・・い名前・・」足元の血溜りを撥ね上げてOLと串刺しのままベルタはその場に倒れ伏した。
「おーおー、尻尾を巻いて逃げよったか。さすがに探知系でないあ奴らでも霊力を全開して見せてやれば恐れをなしてくれるか」
もはや姿の消え失せたナバリィたちに告げるように呟きながら黒猫が歩み寄る。
「オ、オロチ様です・・か?」
重傷の上、霊力を消耗し切っている今は声を発するのさえ厳しい。
「共に先の戦に参戦した間柄ではあるが、逢うのは初めてじゃな。ベルタよ」
黒猫の足元に白く輝く魔法陣が展開された。
「この姿でも、多少は治癒魔法の心得がある。完全とは行かぬが、その者の命を繋ぎ止める事はできよう。じゃが、心配召さるな。今こちらに治癒に長けた分身を向かわせておる。安心せい」
黒猫の言葉に、ベルタは安堵の笑みを浮かべた。
「それにしても、何故“充填モード”の姿のまま戦っておったのじゃ?男の姿であったなら、あのような小物どもくらい難なく倒せたであろうに?」
黒猫の問いに、ベルタは申し訳なさそうにただ「面目ない次第です」とだけ告げた。
黒猫も、油断とおごりから来る敗北だと察して、それ以上は何も訊ねる事はしなかった。
「・・あの・・オロチ・・様。・・先程、“分身”と仰いましたが・・」
思う以上に深手を負っているため、途切れ途切れの質問となった。
「無理をして訊ねずともよい。まっ、早い話がこの体も分身のひとつよ。本体は街角でしがない占い師をしているババアでな。何せ頭が九つもあるもので、みんな各々好き勝手に道楽に励んでおるわ」
答えを聞くなりベルタはキョトンとした眼差しで黒猫を見つめた。
ならば、もう一つどうしても訊ねたいことがある。
「そ・・それでは、貴方様を何と御呼びすれば・・よろしいのですか?・・」
ベルタの問いに、黒猫はかしこまって座ると。
「ワシは8番目の頭にして、ご覧の通り体は黒一色じゃろ?なので“ハチクロ”じゃ」
「そんな人気作品に乗っかるような名前は止めてください」
瀕死に近い身ではあるが、そこはキッパリと言い切ってみせた。
霜月神父がリビングルームに戻ってきた。
「随分と長い―。っと、これは失礼」
訊ねておきながら、ライクは自らの無礼に苦笑した。
「いや、構わないよ。少し風に当たって酔いを覚ましていたものでね。前もって言っておけば良かったね」
告げつつ、果たしてロボたちはココミたちの救出に間に合ったのだろうか?中国軍が手荒な真似をしていなければ良いのだが・・・。色々と不安は絶えない。
「では、続きを聞こうか」
ソファーに浅く座ると、霜月神父は前のめりになって本のチェス盤に目を向けた。
第21手。
白c4:ココミは行く手に3騎のポーンが待ち受けているにも関わらずに、果敢にもポーン(ベルタ)を1マス前進させた。
黒c5:ライクも容赦しない。まずは白ポーンの頭を押さえるべくc7のポーンを2マス前進させて白ポーンの動きを封じた。
第22手。
白g4:ココミはチェスのルールを把握していないのか?本来のチェスのルールであるならばf4ビショップとh4ナイトを守っているはずのg3ポーンを1マス前進させてきた。もしかして、アンデスィデ対策に密集形態をとったのか。
黒d5:d6ポーンを1マス前進させて、先程のc5の隣りに布陣した。ベルタはこの駒を取ることは出来ないだろう。例え2騎のポーンを下しても、f6ナイトとd8クィーンが効いており、上位騎相手に連戦を挑むのは無謀と心得ているだろう。
第23手。
白e3:キングを守るe2ポーンを1マス前進させた。f2、e3、f4ビショップと、駒にとりあえずの守りが効いている。
黒b5:b6ポーンを1マス前進。これで3騎のポーンが横一列に並んだ。
霜月神父は驚きを隠せないでいた。
“アンデスィデ”なる特別ルールが加わる事でこれほどまでにチェスというゲームが様変わりするものなのか?
クィーンサイドに位置する白駒が2つと壊滅的な状況ではあるが、ポーンであるにも関わらずにベルタの強敵感は戦局を左右しかねない。
公平な立場を表明しているが、ベルタがこの状況をどう切り抜けるのか?思わず期待してしまう。
そして第24手。
白Be3:f4ビショップをe3へと移動。f6黒ナイトに睨みを効かせた。
黒Nh5:そのf6ナイトをh5へと避難させた。
これまでの流れを見て、イニシアティブは常にライク側にあった。それが、たった一度ココミが攻め手に回ってライクは退散を余技無くされた。ただ、それだけなんだよなぁ・・・。それが懺悔をしたい理由なのか?やはり理解できない。
「ココミはベルタにすがっていてはダメなんだ。もっと強いマスターを得て僕に挑んでくれないと」
「ライク君?何を言っているのかな?」
呟いたライクに説明を乞いたい。だけど、彼の意図が理解できないと、何を訊ねればよいのか判断できない。
不意にポケットにしまっていたスマホのバイブ機能が作動した。
「ちょっと失礼」
ライクに断りを入れてスマホを確認する。
ウォーフィールドからメールだ。メールを開いた。
中国軍の排除を完了。
ロボには引き続き遺体と装備の処理を、アルルカンには監視の続行を依頼いしました。
(別に私は報告など求めていないのだが・・・)
確認を終えると、困惑を隠せぬまま静かにスマホをポケットにしまった。
「ココミ。次の第25手で思い知るが良いよ。君の希望など、現実の前には儚いものだという事を。そしてまた必死に捜しなよ。僕たちを倒せるマスターを」
第25手。
白Qd1:a1クィーンをキングの隣りd1に戻した。
「今更クィーンを仕向けても遅いよ。ベルタなんて、ガラスの希望など僕が打ち砕いてあげるからね」
盤面に向かって笑みを浮かべるライクを眺めながら、霜月神父は異様ではあるが、彼が元気を取り戻してくれて素直とはいかないが安心した。
次回、盤上戦騎あんぷろ!:『迫撃、トリプルポーン』
解き放たれた盤上で舞い踊れ!ベルタ!!
以上、主人公が全く登場しないお話しでした~。




