エノラゲイを撃墜セヨ。こちらホンダ
343航空隊所属の本田稔氏は事実、原爆投下時に川西で最後の紫電改を受領してます。彼がB29を迎撃できてたら?と言うIfSSです。
32型は妄想ですので・・。(^_^.)
昭和20年、8月6日。
私こと本田稔は343航空隊の補充機である紫電改32型を受領してた。
テスト飛行も兼ねての受領だが、おそらくコレが我が343航空隊最後の補充となるだろう。
紫電改に高空加給装置装備し、高空でも時速600kmを出す俊足機であるそうだ。
B29でも一撃で撃破出来る40mm機銃を2門装備。
予備に二十ミリ機銃もあるので40mmはB29専用で良いとの事。
地上での試運転も上々で早速部隊のある大村に向けて川西航空機付近の鳴尾飛行場を離陸。
0700に付近の電探観測所からB29の少数編隊が接近中。
迎撃可能なら迎撃せよ!との命令が下る。
単機だがこの機のテストも兼ねて迎撃を覚悟。
「こちらホンダ、我コレよりB29編隊を迎撃ス。」
大村の司令部からは、「了解、ムリはするな!コチラ司令。」
酸素マスクを装備し、12000mの高空まで紫電改32型は駆け上る。
ラバウルで鍛えた鷹の目は敵を見逃さなかった。
場所は四国沖の太平洋上空。
「こちらホンダ、敵発見。攻撃開始ス。」
私はタービンと新型誉エンジンの快調な鼓動を確認し10000m付近を遊弋するB29に接近。
迎撃体勢は満点。
思わずニヤリと笑ってしまった。
目標は尾翼に大きくRに○が書いてある機。
他にも数機いたが何故かアレを逃してはならぬ。
そう思い、ほぼ垂直の角度で接近、弾庫から主翼付近を目標に射撃。
敵も応戦して来たが角度が悪く全然違う方向に射撃してた。
20mmも同時に発射!
整備も万全だったので全てが主翼に命中!!
R尾翼のB29は翼をへし折りキリもみとなって墜落。
次の機を迎撃するため9000mから再び12000まで駆け上ろうとしてると・・。
墜落したB29が海面に激突。
凄まじい爆発が起こり巨大なキノコ雲を発生。
「・・・・ナンダ、こりゃ!!??」
雲は数千メートルの高さまで上り、海面は泡だち沸騰してるみたいに見えた。
残りのB29は遁走を開始。
迎撃を考えたが司令に報告をしないといけない。
「コチラ本田、RマークのB29一機撃墜。ただし巨大な爆弾を搭載してたらしく四国沖で巨大なキノコ雲を観測。」
「ホンダ、すぐに帰れ!!」
「・・了解・・。」
戦後分かった事だが、アレは原爆搭載のエノラゲイ号と言うB29で廣島を爆撃予定だったと言う。
もしアレが落とされていたら・・・。
10万以上の廣島市民が消滅してただろう。
後日、日向灘でも我が343空がB29編隊を迎撃。
やはり原爆搭載機であったとの事。
帝國は次の爆撃を恐れ、陛下が玉音放送を放送。
我が国は降伏を受諾した。
現実には不可能でしたが、ターボ付きの紫電改があれば、あるいは?です。
敗北は変えませんが、廣島と長崎は無傷で戦後を迎えさせます。