Lesson 7
「「行ってきます」」
「「行ってらっしゃい」」
新学期を迎えて、瑠那と龍は新しい制服に身を包み、2人の母親に見送られながら家を出た。
「ふふ、久しぶりだなぁ、こうやって龍と一緒に学校行くの」
「嬉しそうだな、おまえ」
「だって、嬉しいもん!」
瑠那は龍の言葉に当然のようにそう言った。
だが、本当に嬉しそうな瑠那を見て、龍も同じく嬉しそうに微笑んだ。
「ね、それよりもさ、新しい制服似合ってる?」
そう訊ねて、瑠那は少し立ち止まってくるりと回る。
紺色のブレザーに、赤いチェックのスカート、ブレザーの中の真っ白なブラウスの胸元にはスカートと同じ赤いチェックのリボンがしてある。
回ると同時に、ふわりと赤いスカートが舞った。
「別に〜」
龍はちらりと視線を寄越すと、そのままスタスタと先へ行ってしまう。
瑠那は講義の声をあげながら、慌ててその後を追った。
「え〜っ!?そういうときは嘘でも似合うって言ってくれるんじゃないの!?」
「嘘でもいいのか?」
急に立ち止まり、くるりと振り返って訊ねられる。
「うっ、そ、それは・・・」
瑠那はそう言われると、言葉に詰まってしまって。
龍はそんな瑠那はおもしろそうに見つめて、くすりと笑みをこぼした。
「冗談、ちゃんと似合ってるよ」
「本当?」
「ああ」
「本当に本当?」
「ああ」
「本当に本当に・・・」
「しつこい!似合ってるって言ってるだろ!」
不安で何度も何度も訊ねてくる瑠那に、龍は堪らず声を張り上げた。
しかし瑠那はそれで驚くこともなければ脅えることもなく、ただふわりと笑ってみせた。
「えへへ、嬉しいな。あ、龍もちゃんと似合ってるよ」
同じく紺色のブレザーに、淡いブルーのチェックのズボン、ブレザーの中の真っ白なカッターシャツにはズボンと同じく淡いブルーのチェックのネクタイがきっちりと締められている。
それを瑠那は下から順番に見て、にっこりと笑って言った。
すると、龍もにっと笑う。
「当然だろ?」
「むー、かわいくない!」
自信満々な龍がどこかおもしろくなくて、瑠那はぷくりと頬を膨らませた。
「瑠那、龍くん、おはよー!」
「おはよう、沙羅」
「おはよ、沙羅ちゃん」
学校に着くと、沙羅がパタパタと二人に駆け寄ってくる。
そんな沙羅に、二人は笑顔で挨拶を返した。
「瑠那、私たち同じクラスだったよ!」
先にクラス分けの表を見てきたらしい沙羅が、笑顔で瑠那に告げる。
そしてそれを聞いた瑠那もまた、嬉しそうに笑った。
「本当?じゃあ、また1年同じクラスだね、よろしく!」
「こちらこそ」
龍はそんな風ににっこりと笑い合う瑠那と沙羅を優しい目で見つめていた。
「それで、他には誰が同じクラスだった?」
「う〜ん、愛華が一緒だったような気がするけど・・・とりあえず私と瑠那の名前しか確認してない」
訊ねられて沙羅は記憶を辿る。
首を捻って考えてはみるものの、沙羅の頭は瑠那と自分が同じクラスであるかどうかだけで頭がいっぱいだったために、それ以外のことははっきりとしなかった。
「じゃあ、見に行こうか」
「うん!」
沙羅の手を引いて促す瑠那に、沙羅もこくんと頷いて2人で駆け出す。
駆け出しながら、瑠那は後方を向くと後ろにいる龍に対して叫んだ。
「龍も行こう!ほら、早く!」
「はいはい」
しょうがないな、なんて言いながら、駆け出した2人とは対象的にのんびりとした歩調で、龍は2人の後を追った。
「あ、美奈子ちゃん、おはよ!」
「おはよ、美奈子」
「あ、瑠那ちゃん、沙羅ちゃんおはよう」
クラス分けの表が貼られている場所で、瑠那と沙羅はちょうどそれを眺めている美奈子を見つけた。
そして2人は挨拶をしながら美奈子に近づく。
「美奈子ちゃん、クラス分け見た?」
瑠那がそう訊ねると、美奈子はすぐに首を縦に振った。
「うん」
「何組だった?」
「1組」
「じゃあ、美奈子も私たちと一緒だね」
美奈子の答えを聞いた沙羅が、にこりと笑って言う。
それとは対照的に瑠那は首を傾げた。
「そうなの?」
瑠那は未だにクラス分けの表を見ておらず、自分が沙羅と同じクラスであることしかしらない。
そんな瑠那に、沙羅は表に書かれた自分の名前と瑠那の名前を指差してみせる。
「うん。ほら瑠那、ここだよ。見て見て!ね、瑠那も私も同じ1組」
「あ、本当だ・・・」
瑠那はそう言いながら1組の名簿を順番に見ていく、それからハッとした表情になり、慌てて2組の名簿を見た。
「気づいたようね」
「「うわっ!!」」
突如後方より声がかかり、瑠那と沙羅はひどく驚いてみせる。
そんな二人を見て、声をかけた人物である愛華は不快そうな顔つきになった。
「ちょっと、何よ2人して、人を化け物みたいに!」
「あ、愛華が急に現れるからでしょ!で、気づいたって何が」
愛華が声をあげ、負けじと沙羅も声をあげる。
その後沙羅は気になった愛華の発言について問う。
すると瑠那がそれに対して口を開いた。
「沙羅、1組の名簿、よく見て」
「う、うん」
言われて、とりあえず名簿を眺める。
「知らない名前、あった?」
「ううん、ない」
聞かれて端から順番に確認したが、全て知っている名前だった。
「じゃあ、次は2組の名簿を見なさい」
「うん・・・」
次に指示を出したのは愛華だった。
沙羅はおとなしく従い、今度は2組の名簿をじっと眺める。
「知ってる名前、あった?」
「う、ううん・・・ない・・・・・・ってことは・・・」
どんなに眺めても知った名前は1つも見つからず、沙羅は首を振った。
「うちからそのまま上がった生徒が1組で」
「外部からの入学生が2組ってことになるわね」
瑠那と愛華によってそう説明される。
すると後ろから納得したような呟きが聞こえてきた。
「へぇ〜」
そう言ったのはようやく瑠那と沙羅に追いついたらしい龍だった。
「龍!今来たの?」
自分と一緒に来ていたはずなのに、ようやく辿りついたらしい龍を見て、瑠那は呆気にとられる。
そんな瑠那に龍はのんびりとした様子で返事を返した。
「うん、俺はゆっくり来たからね。あ、愛華ちゃん、美奈子ちゃん、おはよ」
「おはよう」
「おはようございます」
まだ挨拶をしていなかった2人に挨拶を交わすと、龍はそのまま話を続けろとでもいうように、傍観体制に入った。
「外部からの入学生ってそんなにたくさんいるの?」
外部生だけでクラスが一つできてしまった事実に沙羅は驚かずにはいられない。
中学にあがると同時にレッスン生がそんなにたくさん増えるなど、彼女の予想するところではなかったようだ。
「っていうか、たぶん私たちより多いわよ」
愛華は1組と2組の名簿を見比べながら、冷静にそう返す。
どうやら名簿を見る限りでは、2組の方が若干名多いようだ。
「やっぱりうちみたいにバレエ教室と学校が一緒になったようなところ、なかなかないもんね」
「ええ、バレエを習うには最適の環境で勉強もバレエもできるようになってるし」
「寮があるから遠くからでも通えるしな」
瑠那、愛華、龍の3人からすれば、これだけの外部生が入学してくることも予想の範囲内だったらしく、うんうんと頷きながらその理由となったであろう事項を述べた。
沙羅はその言葉を聞き、とりあえず多くの生徒が新たに入ってきた理由は納得できた。
しかし、彼女にはまだ納得できないことがあるらしく、まだ首を捻っている。
「でも、なんでこんな風に分けられたんだろ・・・」
「これから篩いにかけられるってことじゃない?」
「どういうこと?」
返ってきた愛華の言葉の意味が理解できず、沙羅は首を傾げて説明を促した。
「まっ、とりあえず今は様子見ってとこだろうな。ある程度実力を知ったうちのバレエ教室の生徒と、実力の把握できていない外部生。それぞれ別にしておいた方が見る側としては楽ってことなんじゃない?」
龍が愛華の言葉に付け加えるようにそう言った。
しかし、沙羅はそれでも理解ができないらしく、ますますわからないという顔をする。
すると、愛華がため息をつきながら口を開いた。
「あなたも知ってるでしょう?うちは確かにバレエ教室と学校が一緒になったスクールでよりバレエに取り組みやすい環境を作ってる。でも、だからといって勉強をおろそかにしたりするわけではなくて、中学のうちは一般の私立中学と同じようにきちんと学校教育を行うって」
そう、沢木バレエスクールは中学のうちは授業は一般的な私立中学と同じだと考えていい。
バレエスクールだからといって、授業内容にバレエが入ったり、バレエの専門的なことばかりを習う、などということは義務教育期間である中学生に対しては行わない。
沙羅もそれはよく知っていた。
むしろ沙羅はそれだからこそ安心してこの学校を選べたのだから。
だが、そのこととクラス分けのことが結びつかず、沙羅はやっぱり疑問を抱えたままである。
「実際にバレエ専門って感じになってくるのはたぶん高等部にあがってから。それまではバレエ教室と学校が同じ場所だから、学校が終わり次第そのままレッスンに励めるってくらいの違いしかないんだよね」
それでも学校が終わった後にできるレッスンの量が、普通のバレエ教室とは大きく異なる。
また沢木バレエスクールの講師である沢木あかねも有名であるため、このバレエスクールに入りたいと思う生徒は結構いるのだ。
「そして、高等部に上がればきれいに2つに分けられる。1つはバレエ科、言わなくてもわかると思うけど正式にバレエのプロを目指していく学科、こっちに進めば授業の中にバレエが入り込んでくるようになる。おそらく今以上にバレエ付けだな」
「そしてもう1つが普通科。こちらは普通一般の私立高校と同じような授業内容で、バレエはあくまでも習い事の一環として続けるだけにとどまるわ」
「それが、このクラス分けとどういう関係があるの?」
瑠那、龍、愛華と続けられた高等部の説明。
しかし、それを聞いてもやはり沙羅には理解ができなかった。
「分からない?さっき龍くんが『見る側にとって楽』だって言ったでしょ?つまり3年かけて私たちはバレエ科に進むに値するかどうか、つまりプロになれるかどうか見極められるってわけよ」
愛華が深いため息の中そう言うと同時に、ようやく沙羅にも全てが理解できたようで、沙羅の顔色が少し変わる。
「え、うそ、でも・・・私は・・・・・・」
「大丈夫だよ、沙羅。沙羅は趣味で続けていくんでしょ?そういう人もこのバレエスクールは拒んだりしないから。それにここの高等科に進む場合自分の希望で普通科を選ぶことは可能だし、普通科に進めばちゃんと大学進学もできるような授業をしてくれるよ」
沙羅は決してバレエを専門的に勉強しようとは思っていない。
このバレエスクールを選んだのだって、まだバレエを習い続けていたいという気持ちが強かったのと、中学も瑠那と同じ学校に通えればいい、そう思ったからだ。
決して、ここでプロのバレリーナになれるかどうか選定してもらおうなどとは思っていない。
瑠那もそのことはよく知っていたので、安心させるように沙羅に声をかける。
すると沙羅は安堵の表情を浮かべた。
「そ、そうだよね、よかった・・・瑠那と愛華はやっぱりバレエ科とか目指してるの?」
「う〜ん、まだちゃんと考えてないけど、ずっとバレエ続けられたいいな、とは思ってるから・・・」
瑠那は言外にやんわりとであるが、そういう方面を目指していることを告げる。
それに対して、愛華はきっぱりと告げた。
「私はもちろん目指してるわ。だからといってここの団員になる気はないけど」
「ああ、愛華はお母さんが居るバレエ団があるもんね」
「ええ」
おそらくは母である城崎玲と同じバレエ団へ入団するつもりでいるのだろう、そんな意味がこめられた沙羅の言葉は当然の如く愛華に肯定された。
「龍くんや美奈子は?」
2人のことを聞けば、なんだか他の人も気になってきて、沙羅は続けてそばにいた龍や美奈子にも訊ねてみることにした。
「俺?俺は・・・」
龍はそこで言葉を切り、ちらりと瑠那を見る。
すると瑠那と目が合い、瑠那がきょとんとする。
それにくすりと笑みを漏らすと、龍は視線を瑠那から沙羅へと戻した。
「そうだな、とりあえずどんな形であれバレエは続けていけたらいいな、とは思ってるよ」
龍の返事は瑠那と似ていたが、瑠那よりもどこか曖昧な感じだった。
「私は・・・」
一方美奈子は答えようと思うものの、そこで言葉が詰まってしまう。
すると、それを助けるように瑠那が口を開いた。
「バレエ科、行きたいんだよね?」
訊ねられてこくんと頷く。
「うん。瑠那ちゃんや愛華ちゃんみたいに上手くないから、行けるかどうかわかんないけど・・・」
「そっか、美奈子もバレエ科目指すんだ、頑張って!」
どこか自信なさ気な美奈子を励ますように、声をかける。
すると、そんな沙羅の行いに賛同するかのように、龍も美奈子に声をかけた。
「大丈夫だよ、美奈子ちゃん。去年のコンクール、入賞はしなかったけど、決勝には残ったんだろ?」
「え、はい、あの・・・なんで・・・・・・?」
美奈子は確かに昨年のコンクールではじめて決勝まで残った。
けれど美奈子はそれを自分で龍に告げた覚えはないし、そのコンクールの時期、龍は日本にいなかったはずである。
それなのに知っている龍に対し、美奈子は疑問を持たずにはいられなかった。
「ああ、瑠那が手紙に書いてたから。こいつバレエ関係のこといろいろ書いて送ってきてたんだ」
「ちょっと、瑠那、変なこと書いてないよわね?」
龍の言葉を聞くや否や、愛華が瑠那に詰め寄る。
瑠那は慌てて左右に首をぶんぶんと振った。
「か、書いてないよ。公演のこととか、コンクールのこととか、普段のレッスンのこととか、そういうことを書いてただけだもん!」
必死な瑠那の様子に、龍がくすりと笑みを漏らす。
「でも、結構おもしろいこと書いてたけどな」
おもしろがって龍がそう言うと、またしても愛華がその言葉に反応して。
「瑠那、やっぱりなんか変なこと・・・・」
「書いてないってば!」
さらに詰め寄られそうな中、瑠那は必死に首を振り続けていた。
「はは、じゃあ俺はそろそろ職員室に行ってくるな」
「職員室?」
教室ではないのだろうか、瑠那はそう思った。
どうやらそのことは龍にも伝わったらしく、龍は苦笑する。
「そう、これでも一応転校生扱いだから、俺」
すっかり忘れているらしい瑠那にそう告げると、瑠那も思い出したらしい。
「あ、そうか、じゃあまたレッスンでね」
「おう!」
そうしてひらひらと手を振って龍は職員室へ向かい、それを見送った瑠那たちは教室へと向かった。
「今日は入学式とホームルームのみで学校が午前中で終わったことはすごく嬉しいんだけど・・・」
沙羅はそこまで言うと掴んでいたミートボールをぱくりと口へと放り込んだ。
お昼の時間帯、クラスでは各々がお弁当を広げていて、瑠那は沙羅や美奈子とともに食事をしていた。
そんな穏やかな時間のことだった。
「まさか午後からずーっとレッスンするとか言うんじゃ・・・」
いったい何時間レッスンするのか、沙羅は考えただけでぞっとした。
決してレッスンが嫌いなわけではない。
しかし、やはり長時間の厳しいレッスンだけは勘弁してもらいたいと思う。
「さすがにそれはないんじゃないかな」
沙羅の言葉をあっさりと否定してみせた瑠那に、美奈子が不思議そうな顔した。
「でも、この後はみんなレッスン室へ行くんでしょ?」
そう、自分達は昼食を終えた後にレッスン室へ行くように言い聞かされているのだ。
レッスン室へ行くのならば、必然的にレッスンをすることになるであろう。
そして終わる予定の時間はいつも通りとなれば、長時間のレッスンを強いられることが予想される。
それなのにそれを否定した瑠那に、美奈子は首を傾げずにはいられなかった。
「うん、でも先生方が来られるのはたぶん夕方のいつもの時間帯からじゃないかな?」
「え?どうして?」
「レッスン、しないの?」
レッスン室へ行くのにレッスンをしないならばいったい何をするのか、そんな2人の疑問が瑠那へとぶつけられる。
「たぶん、自己紹介とか新入生と上級生の交流とか、そういうことをすると思うよ。幼等科から初等科に上がったときとは違って外部生も多いし。私達だって小学校のときからここでバレエを習っているとはいえ、先輩たちの半分以上は名前と顔が分からない状態でしょ?」
「あ〜、たしかに。初等科のときからいる先輩たちは分かるけど」
「うん、中等科から入って来た先輩たちはさすがにちょっと・・・」
瑠那の返答を聞き、2人は納得したように頷く。
たしかに新入生と在校生、互いに知らない人間が多すぎる。
最低でも1年は一緒にバレエのレッスンをするのだから、最初にそういう交流を持つ時間があってもおかしくはないかもしれない、と。
「でしょ?だから、たぶんね」
「でも、瑠那、どうしてそんなこと知ってるの?」
瑠那の言葉に、沙羅は確かに納得した。
しかし、自分たちが予想できなかったことに瑠那だけが気づいたことに沙羅は疑問を持つ。
いくら高等科でのレッスンが決まっているとはいえ、瑠那だって自分達と同様に新入生なのだから。
「さっき廊下で結香さんと会って・・・」
「教えてもらったの?」
「う〜ん・・・まぁ、そんな感じかな?」
(ちょっと違うけど・・・)
瑠那は先ほど結香とした会話を思い出し、どこか苦笑する。
実際はっきりとそう言われたわけではない。
だから、結局は瑠那の言葉も憶測の域を出ないものである。
その証拠に瑠那は決してはっきりと言い切ったりはしていない。
「へぇ、でもそれならちょっと楽しみかも。でも、これから瑠那とは一緒にレッスンできないんだよね」
まだ会って会話もしてない2組の生徒や、外部から入ってきた先輩たち。
どんな人たちがいるのだろう、と沙羅は期待に胸を躍らせる。
だが、同時にその場に瑠那が居ることはないということを思い出し、少し表情を曇らせた。
「うん、まぁ・・・」
同様に瑠那も表情を曇らせた。
中等部へ来る前から分かっていたこととはいえ、いざそのときを迎えるとやはり寂しさもあって。
「残念だなぁ、ねぇ美奈子」
「うん」
本当に残念そうに呟いて、沙羅は美奈子にも同意を求めた。
瑠那の踊りが大好きだった美奈子はもちろんそれに頷く。
なごやかだった雰囲気が少ししんみりしてしまって、瑠那は少しでも明るくしようと慌てて口を開く。
「まぁ、たまには中等科にも顔出しに行くから!それに学校ではずっと一緒なんだし、ね?」
瑠那がそう言うと、2人の顔に少しばかり笑顔が戻る。
「そうだよね。きっと瑠那ちゃんだって1人で寂しいんだろうし」
自分だけではない、むしろ1人高等科へ行く瑠那の方がきっと。
美奈子はそう思って言ったのだが、なぜか同時に沙羅からくすりと笑みが漏れる。
「ああ、美奈子、それなら大丈夫だよ」
「え?」
言われた言葉の意味がすぐに理解できず、美奈子は首を傾げた。
すると沙羅がピッと人差し指を立て、説明をはじめる。
「だって、ほら、瑠那にはちゃんと龍くんが居るわけだし」
「ああ、なるほど」
確かに1年からは瑠那1人である。
しかし同様に瑠那の幼馴染であり、瑠那の最も気心の知れた人物でもある龍も一緒に高等科で勉強するのだ。
それを考えれば、確かに瑠那は大丈夫だろう。
2人は顔を見合わせて笑みを零した。
「え?そ、それで納得しちゃうの?」
「だって・・・」
「ねぇ・・・」
「な、なに?」
首を傾げる瑠那とは対照的に、沙羅と美奈子からはくすくすと笑みがこぼれる。
ここに居る2人は、龍が卒業公演を見に帰国したときの瑠那の本当に嬉しそうな様子を知っている。
そしてそのときのことを思い出し、2人は龍がいれば瑠那は大丈夫だと確信していた。
「さぁて、じゃあ、さっさと食べてレッスン室へ行こうか」
「そうだね」
瑠那の疑問を無視するように、2人はそう言って笑った。
瑠那もなんだかつられるように笑って、昼食の楽しい時間が過ぎていった。
「う、わぁ・・・いっぱいいる・・・・」
高等科の広いレッスン室に集まった大勢の人数を見て、瑠那は思わず声をあげた。
「ま、だってこれ、高等科全員いるんだろ」
驚いている瑠那に対し、龍は平然とそう言った。
高等部に上がれば、また外部からの入学生がやってくる。
同時に高等部から別の学校を選ぶ生徒もいるのでそんなに人数の変動は無いとはいえ、やはり人数は中等部よりも多くなる。
そんな高等部の全ての人数が集まっているのだから、当然だと言外にそう告げて。
「そ、そうだけど・・・」
「安心しろよ、これからずっとこの人数ってわけじゃないんだから。まぁ全体でのレッスンも偶にはあるけど、ほとんどのレッスンはバレエ科と普通科、別々にやるんだろ?」
「う、うん」
「だったら普段のレッスンはそんなに大勢にはならないだろ、こっちは」
沢木によって高等科でのレッスンを誘われた瑠那と龍が受けるレッスンはもちろんバレエ科の方のものである。
そして、高等部の全校生徒の中でのバレエ科の人数は半数にも満たない。
バレエ科に入ることができるのは、中等部の3年間で先生方に認められたわずかな生徒と、かなり厳しいという高等部への入学のためのバレエの実技テストをパスしたわずかな外部生。
本当に限られた人たちだけなのである。
「そうだと、思うけど・・・でも、龍が居てよかった。一人じゃ絶対心細いもん」
結香や一樹など知っている人はもちろん居るが、やはりよく知った幼馴染である龍がいることは瑠那にとって心強いことだった。
「それは俺も同じだよ」
「えっ、うそ・・・」
意外だ、そんな表情で見つめられて、龍はため息をつく。
「おまえ、俺をなんだと思ってるんだ?」
「あ、いや、その・・・」
相手は高校生ばかりなのだから、龍がそんな気持ちになっていたっておかしくはない。
それでも瑠那にとって信じられなかったのは、いつも龍が瑠那にとっては兄のような存在であり、いつも自分よりしっかりしていて自分を支えてくれていたからだろう。
「だから、俺も瑠那が居てよかったって思ってるよ」
同じ気持ちなのだと伝える。
すると瑠那は自分だけではなかったことに、安堵の微笑みを見せた。
「あ、そうだ!龍、あのね、私さっき結香さんに会ったの」
急に思い出したように言われて、龍は首を傾げる。
「ん?それがどうかしたのか?」
「そのときに言われたんだけど・・・『今日のあなたの自己紹介、楽しみにしてるわ』って」
「なんだそれ」
意味がわからない、そんな表情を瑠那へと向ける。
すると瑠那は困ったように笑った。
「たぶん、今日は最初のレッスン日だし、自己紹介とか上級生との交流とか、そんなことをするんじゃないかな」
「あ、なるほど。だから全員集めてるってわけね」
瑠那の言葉を聞いて、龍は納得する。
「うん、あくまで予想だけど・・・」
さきほど沙羅や美奈子にも話したことではあるが、それはあくまで結香の言葉から瑠那が予測したことにすぎない。
瑠那はそのことが龍へと伝わるように、そう告げた。
「でも、なんで自己紹介が楽しみなんだ?おまえのことなら、結香さんはもう知ってるんじゃないか?あ、それともどんなボケたこと言っちまうかってのを楽しみにしてんのかな?だったら俺も楽しみかも」
首を捻りながら、どこか楽しそうに思いついたことを口にした。
そうして楽しそうな笑みを浮かべている龍とは対照的に、瑠那はぷうっと頬を膨らませて怒ったような表情を見せる。
「な、なによそれ〜!私そんなこと言わないよ!」
「どうだかな」
「それに、そんなの龍はともかく結香さんが楽しみにするわけ・・・」
「ま、そりゃそうか」
瑠那のことに対しては否定的な答えを返した龍だったが、結香のことに関してはそういえばそうだと思い、龍は瑠那の言葉が終わる前に肯定的な返事を返した。
「それから・・・『私だけじゃなく、おそらくは他の高等科の生徒もね。あなたは天才少女だって有名ですもの』って」
「う〜ん、確かにおまえを知らないやつなら、少しは興味を持つと思うけど、たかが自己紹介だしな」
思い出すように結香が口にした言葉を龍に継げる。
その言葉に龍はますます首を傾げた。
「私もちょっと疑問に思って訊いてみたんだけど・・・」
「答えてはもらえなかったわけね」
その様子は龍には容易に想像できてしまった。
結香は昔から、そんなに簡単に答えをくれるような人物ではなかったから。
「うん、それで龍に話せばなんかわかるかなって思って」
「残念ながら、さっぱりだな。まぁ、直にわかるさ」
龍がそう言って視線を周囲に向ければ、どうやら全ての生徒が集まったらしく何かが始まろうとしていた。
「そうだね」
同様に瑠那も周囲に目を向け、こくんと頷いた。
いよいよ、瑠那と龍の高等科でのレッスンがスタートする。
「なぁ、あれって確か高等部の生徒会長だよな?」
高等部の全生徒が集まった中、前方中央辺りに立った青年を示して龍が問う。
するとすぐに瑠那から肯定の言葉が返った。
「うん、そうだよ。有名だよね、中等部からずっと学年トップだし」
詳しいことは龍も瑠那も高等部の人間ではないから知らない。
しかし、彼は中等部に入ってからずっと成績は学年トップを維持し、全国模試でも常に上位に名を連ねている。
おそらくは超難関だと言われるような有名な大学に進むであろうと噂されていて、普通科の生徒でありながら、その存在はスクール内に広く知れ渡っていた。
「だよなぁ」
自分の記憶に間違いがなかったことを龍は確認する。
そしてその後、ようやく本来訊ねたかったことを口にした。
「じゃあ、隣に居るのは誰だ?」
その有名な生徒会長の隣に、あたかも当たり前のように立っている少女を示し、龍は問う。
瑠那は問われたことによってその少女を視界に捉え、それからああ、と納得したように声を漏らした。
「あの人、去年の定期公演でプリマを踊った人だよ」
そんな瑠那の一言によって、龍も納得したような声を出す。
「なるほど、つまり現在の高等科トップってわけね」
つまりは普通科のトップである生徒会長と、昨年プリマを踊ったという、おそらくは現在の2、3年生の中でトップの実力を誇るであろう少女。
これから先何をする予定になっているのか、龍も瑠那も知らない。
だがこの時間の仕切り、つまり進行を行っていくのは今前方にいる2人なのだろうと、2人は同時に悟ったのだ。
「でも、昨年のプリマがここに居るってことは、去年のプリマは3年じゃなかったんだな。留年したようには見えないし」
ふと思い出したように龍が言う。
普通プリマをどうしても実力からしても最高学年が務めることが多く、昨年のプリマが今年も居るということは珍しいことなのだ。
「うん、高校2年でプリマを踊ったんだよ。で、今年3年生。名前は確か・・・花音さん、だったかな」
去年のことを回想するように話した瑠那の言葉に、龍は興味深そうに耳を傾けていた。
「へぇ。2年で踊れたってことは、かなりの実力の持ち主だってことだよな」
「うん、上手だったよ、すごく」
昨年の定期公演で花音が踊ったのはシンデレラだった。
それは人々を魅了するには十分な踊りで、瑠那もその踊りに魅入ったのはまだまだ記憶に新しい。
「そっか。でも、だからといって今年もその花音さんがプリマを踊れるとは限らないけどな」
「どうして?」
龍の言葉に瑠那は首を傾げる。
昨年のプリマを踊ったのだから、今年ももちろん花音がプリマを踊るのが妥当なのではないか。
瑠那の顔には明らかにそう書いてあって、龍は苦笑する。
「だって、今年は結香さんが居るだろ?それにおまえも」
「私?私はわかんないけど・・・でも、そっか、確かに今年は結香さんが居るんだもんね」
龍の言うとおりかもしれない。
決して花音が下手だとは思わない。
だが、結香の実力もかなりのもので、おそらくは花音の実力を超えているのではないか、瑠那はそう考えた。