Lesson 6
(愛華の言う通り・・・私が失敗でもすれば、舞台は簡単に壊れちゃう。気合、入れなきゃ!)
瑠那は絶対にいい舞台にするんだと舞台の袖でキッと気を引き締め、舞台へと足を進めていった。
「悔しいわね・・・」
「え?」
愛華がただじっと瑠那の踊りを眺めていると、気がつけば結香がそばでため息をついていた。
「オディールの踊りなんて目に入らないくらいのオデットを踊ってやろうと思ったのに・・・」
結香はそこまで言うとまたため息をついた。
愛華はそれでだいたいのことを察し、言葉を繋げる。
「むしろ観客は今、先ほどまでのオデットの踊りを忘れているかのようにオディールに釘付けですね」
そしてまた、そう言った愛華自身もその一人だった。
「全部持っていかれちゃったわね・・・」
もちろん結香とてそれで終わるつもりはない。
それでも自分がどれだけすばらしいオデットをこの先踊ったとしても、観客の中にオディールの存在は残ってしまうだろう、結香はそう感じていた。
「やっぱり、本物には敵わなかったのかしら」
瑠那の踊りを眺めながら、何度目になるかわからないため息をつく。
そうして深いため息とともに発せられた言葉に、愛華は疑問を抱いた。
「本物?」
「ええ、舞台の前にね、彼女のオデットを参考にさせてもらったの。それを見て、それ以上のものを踊ってみせようって思っていたんだけど、その時点でもう、負けていたのかもしれないわね」
「瑠那がオデットを?」
「ええ、それはきれいに踊ってみせたわよ。たぶん私のなんかよりもずっとね。うかうかしてると、あなたも私も、彼女にどんどん引き離されてしまいそうね」
結香は自嘲気味に笑いながら、その場を後にした。
残された愛華には、信じられないという表情が浮かぶ。
瑠那がオデットを踊ったことも、結香のオデットが瑠那を参考にしたものであったことも、愛華にとっては信じられないことだった。
(ってことは、瑠那はさっきの結香さん以上のオデットを踊ったかもしれないってこと・・・)
結香の話を総合すると、そういうことになる。
そう考え愛華の表情は一瞬青ざめた。
(負けて、いられない・・・)
もっと練習しなくてはと、愛華はすごい歓声と拍手の中の瑠那を眺めながら強くそう思った。
その後再びオデットが登場し、その踊りにまた会場が沸く。
そうして盛大な歓声と拍手の中で、無事に『白鳥の湖』の舞台もまた幕を閉じたのだった。
「おつかれさま、きれいだったよ、瑠那」
「ありがとう、沙羅」
舞台が終わって最初に駆け寄ってきたのは沙羅だった。
それをきっかけに初等科の生徒が次々と集まってくる。
「ホント、2人とも上手だった」
「うんうん、でも特に瑠那のオディールはびっくりしちゃった」
「32回転も回っちゃうんだもんね」
「愛華もきれいだったよ、コールドの中では1番目立ってたもん」
集まった生徒たちは瑠那と愛華を囲んでわいわいと騒いでいた。
そんななごやかな雰囲気の中、突如きりっとした声が響き渡る。
「何してるの、望月さん!カーテンコールよ!」
結香のそんな声が響いて、なごやかな雰囲気が一瞬でピリッとしたものに変わり、初等科の生徒たちは急に静かになってしまった。
「は?」
「だから、カーテンコール!」
パチパチと瞬きをした後、こてんと首を傾げてみせる瑠那に、結香は先ほどよりも強い口調でそう言った。
そのすぐそばで一樹が微笑みながら、瑠那に声をかける。
「カーテンコールはオデットとオディール、揃ってないと、ね?」
それはおそらく主役だけいればいいのではないか、そう思ってしまっているであろう瑠那の心中を察してのことだった。
「え、でも・・・」
「ほら、早くして!」
「さ、行こう?」
尚も戸惑う瑠那に対し、結香は急かすように声をかけ、一樹はそっと手を差し伸べる。
そのとき、ふっと誰かの手が瑠那の背中を軽く押した。
瑠那は慌ててそちらを振り返る。
「ほら瑠那、行っておいでよ!お客様、みんな待ってるよ!」
瑠那の背を押して、そう言って笑ったのは沙羅だった。
瑠那はその言葉に頷くと、にっこりと笑い返して、それからカーテンコールに答えるべく再度舞台へと向かった。
舞台の中央部分のカーテンが上へと上がり、3人はそこから顔を出す。
そうしてゆっくりとお辞儀をすれば、またもや盛大な拍手が巻き起こった。
さらにはあちこちから花束が寄せられ、あっという間に瑠那の手の中も、結香の手の中も、そして一樹の手の中も花束でいっぱいになる。
それがなによりも舞台の成功を示していて、瑠那は自然と顔が緩んでくるのを止められない。
ただ嬉しさいっぱいで、もらった花束を抱きしめていた。
「ねぇ、オディールのお姉ちゃん、これ、もらってくれる?」
ふと聞こえてきたかわいらしい少女の声、瑠那は慌てて辺りを見渡す。
すると自分の真下から小さな女の子が精一杯手を伸ばして花束を差し出していた。
瑠那はその少女ににっこりと微笑んでみせると、しゃがんでその花束を受け取った。
「ありがとう」
そう言うと少女は嬉しそうに笑って、それからたたっと音を響かせて駆けて行った。
(ちょうどあのくらいの時だったなぁ、私がはじめて『白鳥の湖』を見たの)
自分がそうであったように、あの少女の心の中にも何かしらこの舞台が残ってくれればいいな、瑠那はそんなことを思いながら、カーテンコールを終え舞台の袖へと戻った。
「お疲れ様、素敵だったよ、瑠那」
舞台の袖にはいつの間に観客席に居たはずの龍がいて、しかも手には花束を持っている。
おそらくその花束は瑠那へのものだろう。
瑠那はその今にも自分に贈られそうな花束を見て、慌てて声をあげた。
「あ、待って、待って!今これ以上持てない!後にして!」
すでに両手に花をたくさんかかえた瑠那の、必死のお願いだった。
しかし、返ってくるのはどこか意地の悪い笑み。
その笑みに瑠那はものすごく嫌な予感を感じ取った。
そしてその予感は見事に当たり。
「あと1つくらい平気だって」
などと言うと、龍はぽんと花束を瑠那の手の中に置いたのである。
「え、わ、ちょっと・・・」
瑠那は他の花を落としそうになりつつも必死にそれを抱える。
「もー、後にしてって言ってるのにぃ」
「ははは」
ぷくりと頬を膨らます瑠那を見て、龍はそれはそれは楽しそうに笑っていた。
「瑠那、私が少し持ってあげようか?」
少し辛そうな瑠那の状況を見て、先ほどまで黙って2人の様子を見ていた沙羅が声をかける。
それは瑠那にとってはありがたい一声で、瑠那の表情はパァッと輝く。
だが、それも一瞬のことだった。
「ああ、いいよ沙羅ちゃん、沙羅ちゃんがそんなことしなくても」
答えたのはもちろん瑠那ではない。
「ちょっと、なんで龍が返事するのよ!」
だから瑠那のそんな怒りも尤もである。
しかし、龍の方は悪びれた様子もなく、言葉を発する。
「なんだ?持って欲しかったのか?」
「そりゃ、ちょっと大変だし、少し持ってくれたら嬉しいなって・・・」
できれば沙羅に持たせないことが一番であると、瑠那は思う。
それでも今の状態はやっぱり少し助けて欲しくて、気まずそうにそう言うと龍がくすりと笑った。
「しょうがないな・・・」
そう言うと龍は瑠那の腕の中から大半の花束を奪う。
そして、瑠那は驚いたように自分の腕にほんの少しだけ残った花束を見た。
「なぁ〜んだ、結局龍くんは瑠那に甘いんだ」
「そうそう、俺って優しいから」
「〜〜〜〜〜っ、優しかったら、さっきの時点で私に花束渡したりしないでしょ!」
にっといたずらな笑みを見せる龍に対し、瑠那はおもいっきり声をあげた。
「ところでみんなは?」
「先に楽屋に戻ってるって。だから私たちも早く行こう?」
「うん、そうだね」
そう言って瑠那と沙羅は楽屋へと足を向け、龍もまたそれを追うように瑠那たちの楽屋へと向かった。
「そんな、だって、私は何も聞いてないわよ!!」
もうすぐ楽屋に着くというところで、瑠那たちはそんな声を聞いた。
そしてそれは紛れもなく自分達の楽屋から聞こえてくるもので、瑠那と沙羅は顔を見合わせる。
「さっきの声って・・・」
「愛華、だよね」
そう言って二人で頷いたところで、またしても楽屋から声が響いてくる。
「あ、愛華、少し落ちついて・・・」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ!!」
聞こえてきた声にただならぬものを感じて、瑠那と沙羅はもう1度顔を見合わせると楽屋へと急いだ。
少し遅れるようにして、龍もそれに続く。
そうして急いで楽屋の扉を開け放つと、そこには怒りに震える愛華、それを宥める江里子、そして困ったような表情の由紀と美沙がいた。
「どうしたの?」
「何の騒ぎ?」
瑠那と沙羅は中へ入るや否や、訊ねる。
「それが・・・」
「その・・・」
2人の問いに対し、美沙と由紀が同じようなリアクションで困ったように黙り込む。
愛華は答えそうにない、そう判断した瑠那と沙羅は視線を江里子へと向けた。
すると江里子はふっと軽く息を吐くと口を開いた。
「美沙と由紀がね、この卒業公演を最後に、このバレエスクールをやめるの」
「え、うそ・・・」
言われた言葉に瑠那は驚きを隠せない。
それでもなんとか落ち着こうと努めつつ、美沙と由紀に視線を向ける。
「どうしてか、聞いてもいい?」
瑠那が控えめにそう訊ねると二人とも無言でこっくりと頷く。
それから顔を見合わせた後、由紀が先に話し始めた。
「私はほら、あんまりバレエも上手くないし、もともと続けたとしても小学校卒業までって決めていたの。ほら、ここのバレエスクールって中学にあがるとよりバレエに専念できるようにって、学校もここのスクールに通うことになって、なんかバレエ専門って感じになっていくじゃない?ちょっと私には向かないかなって思っていたから」
本人がそう決めたのなら、それは仕方のないこと。
残念なことではあるが、仕方がないなと瑠那は思った。
「そっか・・・それで、美沙は?」
そうして話を振られて、今度は美沙が話し始める。
「私は少し遠くに引っ越すの。もちろんバレエは続けていくつもりだけれど、引越し先からここへ通うのは難しいから、違うバレエスクールに通うことになって・・・」
「うちのバレエスクール、寮もあるよ?」
それならば打開策が無いわけでもない、と瑠那は提案をしてみる。
だが美沙はすぐに首を横に振った。
「それも考えたんだけどね。お母さんが、せめて中学を出るまではそばに置いておきたいって」
「そりゃそうだろうな。寮から近ければいいけど、遠ければお母さんだって心配だろうし」
さっきまで何一つ言葉を発することなく黙って見ていた龍が、うんうんと頷きながら同意する。
それを聞いた瑠那は、尤もな意見だと納得し、そしてこれまた残念だけれども仕方のないことなんだと諦めた。
「そっか、でもそれじゃあ、愛華、寂しくなるね・・・」
愛華にとってとりわけ仲のよかった3人のうち2人が急にいなくなってしまうのである。
それは寂しいことだし、声をあげたくもなるだろう、瑠那はそんな意味を込めてそう言った。
しかし、その言葉を聞くや否や、愛華は声を張り上げる。
「私はそんなことで怒ってるんじゃない!」
「愛華?」
「どうしてもっと早くに一言言ってくれなかったの!?今日になって急に、そんな・・・っ」
愛華の悲痛な声が響く。
大好きな友達と離れてしまう、いつものようには会えなくなってしまう、そんな悲しみは瑠那もよく知っていた。
実際、龍に海外へ行くと言われてから、どれほど涙を流したかわからない。
それでも瑠那が耐えられたのは、龍との約束があったから、そばに沙羅がいたから、そして何よりバレエがあったから。
「愛華、大丈夫だよ。美沙はこれからもバレエを続けていくんだから、バレエを続けていればきっとまたどこかで会えると思う。それに由紀だって近くに住んでるんだから、また会えるだろうし、うちのバレエ公演を見に来てくれるかもしれないでしょ?」
瑠那はなるべく優しい声で愛華を宥めるようにそう言った。
するとそれを聞いていた美沙と由紀がすぐに言葉を繋いだ。
「そうだよ愛華、私はずっとバレエを続けていくから!」
「私だって、ここのバレエ公演は絶対に見に来るつもりでいるから!」
2人は必死にそう言い募った。
だが、愛華にとってはやっぱりショックも大きかったらしく。
「それでも、それでもこんなの、やっぱり急すぎる・・・っ!!」
それだけ言うと愛華は楽屋を飛び出してしまった。
「愛華っ!!」
「待った、瑠那!」
飛び出した愛華を瑠那が慌てて追いかけようとする。
しかし、それを龍が腕を掴んで止める。
「ちょっと、龍!」
急がなくてはいけないのに、そんな非難めいた視線を龍に向ける。
しかし龍はそれで動じることはない。
「俺が行く。瑠那はここに居ろ。たぶんおまえが行くより、俺が行った方がいい」
「で、でも・・・っ」
龍の言い分は分かる。
たぶん龍が行った方がいい、瑠那もそう思う。
それでも、やっぱり愛華のことが気になって、瑠那は少し戸惑う。
そんな瑠那の頭を、龍はぽんぽんと叩く。
「大丈夫だから、な?」
「うん、愛華をお願いね」
「任せとけって!」
にっと笑うと龍は急いで愛華を追った。
残された瑠那は、江里子へと視線を向ける。
「江里子、江里子は愛華のそばにこれからも居てあげてね」
「え、うん、私はやめないけど・・・」
突然の瑠那の言葉がいまいち飲み込めない。
それでも、自分は今すぐ離れる予定はないので、江里子は頷いておく。
すると瑠那はふんわりと笑った。
「そっか、よかった。私も龍がイギリスに行っちゃったときはすごく辛かった。それでも、いつも沙羅がそばにいてくれたから耐えられた」
「瑠那・・・」
そこまでの瑠那の話を聞いた沙羅が、思わず瑠那をぎゅっと抱きしめる。
瑠那もそれを抱きしめ返して、にっこりと笑うと話を続けた。
「だからきっと、愛華だって江里子がいてくれれば大丈夫」
「でも、私たちって愛華のとってそんな・・・」
そこまで重要な存在ではなかったのではないか、普段を思い出して美沙がそう言った。
江里子や由紀もその言葉に同意するように頷く。
「そんなことないよ!愛華にとっては3人とも大事な友達だよ、これからもずっと」
「ありがとう、瑠那。本当は私も寂しかった、でも今の言葉でなんか頑張れそうな気がする」
そう言って笑ったのは江里子だった。
仲のよかった3人組でもあったのだから、そのうち2人も居なくなってしまって江里子の寂しさもかなりのものだったのであろう。
すると、続くように美沙や由紀からも声があがる。
「私も」
「もちろん、私も!」
そう言ってみんなが笑顔になるので、瑠那や沙羅からも笑顔がこぼれた。
「よかった。で、後は愛華なんだけど・・・」
愛華と龍が行った方角を見つめながら瑠那が呟く。
そんな瑠那の肩に沙羅がぽんっと手を置いた。
「それは龍くんが行ったんだから大丈夫よ、瑠那」
「うん、そうだよね」
瑠那はおとなしく2人が戻ってくるのを待つことにした。
「愛華ちゃん!」
「え・・・?」
愛華は自分を追いかけてきた存在に目を丸くする。
「ど、どうして龍くんが・・・?」
「愛華ちゃんが急に出て行くから、ちょっと心配になって追いかけてきたんだよ」
そう言って龍は柔らかく微笑む。
同時に愛華の瞳からは涙が溢れそうになり、愛華は慌てて龍から顔を背ける。
そうして、急いで涙を拭おうとしたのだが、ぽすんと音がして、気がつくと愛華は龍の腕の中に居た。
「ちょ、ちょっと、龍くん!?」
「おもいっきり泣いていいよ。みんなにはナイショにしておいてあげるからさ」
ねっ、と言って愛華の頭を優しく撫でる。
「そんなこと言って、後で瑠那に怒られても知らないんだから」
それでもやっぱり泣き顔なんて見られたくなくて、愛華は必死に最後の抵抗を試みる。
しかし、それも見事に龍の笑顔にかき消された。
「大丈夫、瑠那は悲しんでる人に優しくして怒るような奴じゃない。むしろ今の愛華ちゃんを放っておいた方が、俺後であいつに何言われるかわかったもんじゃない」
「そう、かもね・・・」
普段の瑠那を思い出し、尤もだと思った。
そしてまた、龍は瑠那のことを本当によく見ているな、とも。
「うん、だからおもいっきり泣いていいよ。こうしていれば、誰にも見えないから」
「うん・・・」
ぎゅーっと抱きしめられて、頷くと同時に愛華の瞳からポロポロと涙が溢れ、それはしばらく止まることはなかった。
「こ、んな・・・突、然に、もう、今日で、さ、いご・・な・・て・・・」
「うん」
「もっと・・・早、くに、言って・・く、れれば・・・!」
「うん」
「そ、したら、何か、でき、たかもしれ・・・な、いのに・・・」
「うん」
涙と同時に言葉もどんどん溢れてくる。
それに龍がやさしく頷き続けると、途切れ途切れだった言葉もだんだんと勢いを持ってきて。
「あの子たちには、いっぱいいっぱい感謝してるのに、私、何にも返せなかった、何にも・・・っ!それなのにこのまま居なくなっちゃうなんてっ!」
愛華は力の限り、今の精一杯の声でそう言った。
すると龍は優しく愛華の涙を拭う。
「愛華ちゃん、まだ、できること残ってるよ」
「え?」
龍の言葉に、愛華は涙に濡れた瞳をめいいっぱい開いて、龍を見つめた。
「最後にさ、ちゃんと愛華ちゃんの笑顔で、2人を見送ってあげよう。精一杯の笑顔で。きっと2人も喜ぶよ」
そう言って笑う龍を見て、愛華の中にあることが思い浮かぶ。
「龍くんもそうだったの?」
「俺?」
訊ねられたことが理解できずに、龍が首を捻る。
すると、愛華がさらに言葉を重ねた。
「瑠那が笑顔で見送ってくれたの?」
愛華がそう訊ねた途端、龍ははじかれたように笑いはじめた。
「はは、俺が覚えてる最後の瑠那はね、涙で顔を濡らして、しかもまだたくさん涙を流しながら、それでも一生懸命笑ってる、そんな瑠那だったよ」
それでも、いやだからこそ、龍は絶対に戻って来なくてはいけない、そう思ったのだけれど。
くすくすと笑いながらそう言った龍に、愛華もつられるように笑みをこぼした。
「ほら、2人にとっての最後の愛華ちゃんが、怒ってる顔や泣いてる顔じゃ嫌だろ?だから、ね?」
「そうね」
確かにそうだ、愛華は素直にそう思えた。
そうして、愛華はふんわりと笑って見せる。
それを見た、龍は満足そうに笑って、それから愛華の頭を撫でる。
「愛華ちゃん、忘れないで。瑠那の言った通り、愛華ちゃんがバレエを続けていれば、きっと美沙ちゃんにも、由紀ちゃんにもまた絶対に会えるよ。だってどっちもバレエをしていたからこそ会えたんだから」
無言で愛華が頷いたのを確認し、龍は愛華に手を差し出す。
「ほら、戻ろう?」
そう言って差し出された手を愛華はきゅっと握って、2人は瑠那たちのいる楽屋へと戻っていった。
「「「愛華!!」」」
かちゃりと扉の開く音がして、皆一斉にそちらを向く。
そして同時に現れた人の名を呼んだ。
「さっきは急に飛び出してごめん。私、今度2人に会えるまでに、今よりももっとバレエ上手くなっておくから」
だから絶対にまた会おう、と言外そう告げて、愛華はふわりと笑った。
その笑顔に、2人は思わず愛華に飛びつく。
「ちょ、ちょっと、あなたたち・・・」
「私、これからもずっと愛華のバレエが大好きだから」
「私も。だから、絶対愛華のバレエを見に来るよ」
「ええ、待ってるわ」
ぎゅっとしがみつかれて、少し照れながらも愛華は笑顔でそう答えた。
「うまくいったみたいだね」
「龍!」
音を立てないようにそっと入ってきた龍に、瑠那が駆け寄る。
「龍、ありがとね」
そう言った瑠那の頭を、龍はくしゃくしゃと撫でた。
その後、もう会えなくなるわけではないけれど、一応一緒にバレエの勉強をするのはこれが最後になってしまうのだからと、愛華が3人を自分の家に招待し、楽屋に残ったのは瑠那と沙羅、そして龍の3人となった。
「龍、いつまでこっちに?」
「明日の飛行機で戻るよ」
「じゃあ、今日は家に泊まっていかない?」
自分の親に了承を得たわけではないけれど、もともと瑠那の家と龍の家は隣同士であり、家族ぐるみの付き合いだった。
父も母も龍を泊めることに反対はしないだろう、そう思って訊ねてみた。
しかし、返ってきた言葉に唖然とする。
「うん、最初からそのつもり」
「え!?」
「瑠那のお母さんには連絡しておいたんだ。だから空港までも瑠那のお母さんが迎えに来てくれたし・・・」
にっこりと笑いながら言う龍に、瑠那はもしや、と思い当たることを口にしてみる。
「ひょっとして公演もお母さんと一緒に?」
母も見に来ると言っていたのだ。
空港まで迎えに行っていたのなら、一緒に来ていてもおかしくはない。
そんな瑠那の予想はどうやら大当たりのようで、龍はあっさりと頷いてみせた。
「うん、帰りは瑠那と帰るからって言ってあるけどね」
「うそ・・・お母さん、今日はそんなこと一言も・・・」
朝顔をあわせたとき、母はいつものように笑って送り出してくれただけだったのだ。
少なからずそのことにショックを受ける瑠那に、龍はけろりとその理由を述べた。
「そりゃ、俺が瑠那には内緒にしてくれって、お願いしたからだよ」
「ってことは、私だけ知らなかったんだ・・・」
「だから、拗ねない、拗ねない」
どうせ自分の母親が知っていたのなら、父親も知っていたはずである。
自分だけが知らなかったことに、瑠那はまた頬を膨らませることとなり、龍はまたその頬をつんつんとつついていた。
「まぁ、いいじゃない、瑠那。それでも龍くん、瑠那のためにわざわざ見に来てくれたんだから」
沙羅にそう言われて、確かにそうだ、瑠那は一瞬そう思いかけた。
しかし、続いた龍の言葉にそれは崩される。
「そうそう、沙羅ちゃんの言う通りだよ」
「龍に言われたくないっ!」
相変わらずいたずらな笑みを浮かべて言う龍に、瑠那はおもいっきり声を張り上げた。
「まぁまぁ、ほら、帰る準備して帰ろう?遅くなっちゃうよ」
沙羅にそう宥められ、瑠那はこくりと頷くと手早く準備をする。
そうして3人そろって楽屋を後にした。
「瑠那」
俯く瑠那に、龍はそっと声をかける。
「ほら、顔あげて」
そう言うと瑠那はしぶしぶと言ったように顔をあげ、龍を見た。
「4月になったら、今度は家族みんなで戻ってくるから。そしたら、またしばらくはお隣同士だ。だからもうちょっとだけ待ってろよ、な?」
諭すようにそう言われてこくんと頷く。
わかっている、すぐにまた会えるのは。
それでもやっぱりこうして別れるのはどこか寂しくて。
瑠那がそう思っていると、龍がそっと瑠那の頭を撫でる。
「瑠那、笑って?」
そう言われたとき、ああ同じだ、と瑠那は思った。
別れるのが辛くて泣きじゃくったあの日も、龍は同じことを言った。
龍のために笑おうと思っても、涙が次から次へと溢れて、あの日は結局上手く笑えないままに別れてしまった。
(今度はちゃんと!だってすぐに会えるんだから!)
瑠那はにっこりと笑う。
その笑顔に龍も満足そうに笑って。
2人とも無事に笑顔で空港での別れを終えることができたのだった。
それから少し時が経ち、瑠那が待ちに待った4月が訪れた。
瑠那は部屋で一人そわそわとしていた。
というのも。前日に今日に戻ってくると龍からの連絡があった。
最初は空港へ迎えに行こうかとも思ったのだが、龍がどうせ隣なんだから家で待っていろというので、じっと待っている。
そして、おそらくはもうそろそろこちらに着くだろう時間になって、瑠那は龍にもうすぐ会えると思うとどこか落ち着かないのである。
そんな中、瑠那はふと隣に騒がしい気配を感じ、急いで家を飛び出した。
靴もきちんと履けていないような状態で外へ出ると、これからまさに引越し作業であろう如月一家の姿が見える。
「龍!」
瑠那はその中に龍を見つけて駆け寄った。
「瑠那」
「龍、おかえりなさい!」
そのまま抱きつく瑠那を龍は荷物を置いて受け止める。
「ただいま、瑠那」
そうして2人は約1ヶ月ぶりの再会を果たしたのである。
「こんにちは、お久しぶりです」
瑠那は久々に会ったよく見知った人物である龍の父と母に挨拶し、それからふと龍の母の足元を見る。
そこには、4、5歳くらいの男の子が立って、瑠那はことりと首を傾げた。
「・・・ひょっとして、駿くん?」
そう尋ねると、龍の母親が笑顔で頷く。
「そうよ、大きくなったでしょう?」
「ええ、びっくりしました」
瑠那が最後に見た龍の弟である駿の姿は、まだ赤ちゃんだった。
それが今では立って歩きまわるようになっているのだから、驚かずにはいられない。
そして同時に、あれから随分と時が経ってしまったのだと改めて実感させられたのだった。
「そっかぁ、駿くんもこんなに大きくなったんだぁ」
瑠那は駿と目線を合わせるようにしゃがみ込むと、駿の頭を撫でる。
一方でされるがままの俊はというと、不思議そうに瑠那を見つめていた。
「おねえちゃん、だぁれ?」
ことんと首を傾げてそう訊ねる。
すると、その言葉を聴いた龍が駿のそばまでやってきて、瑠那を同じようにしゃがみ込む。
「やっぱり覚えてないか」
「当たり前でしょ!」
確かにはじめて会ったわけではない。
そればかりか、当時の瑠那は赤ちゃんが余程めずらしかったのか、よく龍の家を訪れては駿にかまっていた。
だからといって、それを当時赤ちゃんだった駿が覚えているかというと、そんなことは普通はありえないことである。
「あんなに瑠那のこと気に入ってたのになぁ」
そう言う龍を瑠那はすっぱりと無視して、駿と視線を合わせる。
「私は瑠那っていうの」
「るな?」
瑠那の名前を聞いて、駿はそのまま呼び捨てで呼んでみる。
すると、龍が頭をコンと叩いた。
「こら、瑠那じゃなくて瑠那お姉ちゃん、だろ」
「るな、おねえちゃん?」
龍に言われて、言い直す。
そんな仕草がなんだかかわいらしくて、瑠那はまた頭を撫でた。
「うん、よろしくね、駿くん」
「うん!」
にぱっと笑う駿を見て、瑠那は思わず駿を抱きしめる。
「龍と違って、駿くんはかわいいなぁ」
「なんだよ、その『龍と違って』っていうのは!」
気に入らない、というように龍が声をあげる。
だが瑠那はくすくすと笑って。
「そのままの意味だよ、ねー?」
「ねー」
首を傾げて駿に同意を求めると、駿も同じように首傾げる。
おそらく駿は何もわかってはいないのだろうけれど。
そんな2人の様子に、龍は小さくため息をついた。
「あ、その荷物、運ぶんですか?」
いくつものダンボール箱が積み重ねられた小さな山。
そこから龍の父と母が少しずつダンボール箱を家の中へと運んでいるのを見て、問いかける。
「ええ、そうなのよ」
「あ、じゃあ、手伝います!」
龍の母の返答を聞いて、瑠那がそう申し出る。
しかし、龍の母は首を縦には振らなかった。
「あら、悪いわ」
「大丈夫ですよ。それに、もうすぐうちの父と母も手伝いにくると思います。さっきすぐに行くって言ってましたから」
「あら、そうなの。助かるわ。実は人手が足りないなぁ、とは思っていたの。家具類はそのままにしていったから大丈夫なんだけど、細かい荷物が多くて。それに家の中も4年も使っていないから、念入りに掃除しないといけないでしょう?」
瑠那の発言を聞いて、龍の母はうれしそうに笑った。
駿にはあまり期待ができないから、3人でやるしかない。
しかもそのうちの一人は駿の面倒も見なくてはならないだろうから、実質3人がきっちり動けるわけでもない。
そんな中の瑠那の家からの手伝いの申し出は、ひどくありがたかったのだ。
「あ、あと、母からの伝言がもう一つ」
「何かしら」
思い当たることがなくて、龍の母は首を傾げる。
「実は私、明日母と一緒に制服とかいろいろ買いに行くんです。龍もまだ買っていないだろうから、一緒にどうかって」
「ふふ、是非お願いするわ」
龍の母がそう答えると同時に、勝手に決めるなという龍の声も聞こえてくる。
だが瑠那も龍の母もそれは無視してにっこりと笑った。
「それじゃあ、まずはこれ、運びましょうか」
「そうね、じゃあ、お願いするわね」
「はい」
そう言ってそれぞれダンボール箱の山からダンボールを持って、家の中へと入る。
そうして次のダンボール箱を取りに戻る頃には、瑠那の父と母も参加していて、二家族総出により如月家の引越し作業は無事に終了した。