Lesson 3
「でも、さっきのところ、こうするともっといいかもしれないわね」
玲は瑠那の手足を取りながら、よりよいポーズになるように指導する。
瑠那もそれに従うように身体を動かした。
「そうそう、さっきよりもいいわ」
玲はにこにことしながら満足そうに言う。
「ありがとうございます」
瑠那はぺこりと頭を下げながら、指導に対してのお礼を述べた。
そこで、愛華がハッとする。
「って、ちょっとお母さん、何してるの!?」
先ほどまで和やかな2人の様子をぼーっと眺めていた愛華が、突然に声をあげた。
しかし、玲は別段驚く様子もなく、にこやかな笑顔のままだった。
「あら、今日は"ママ"って呼んでくれないの?」
「なっ!?人のいるところでは言わないでって・・・!」
返ってきた玲の言葉に愛華はまたも声をあげるが、それでも玲の笑みは崩れることはなかった。
「でも、さっきは瑠那ちゃんが居ても呼んでくれたじゃない」
(なるほど、他人の居ないところでは、愛華はお母さんのこと"ママ"って呼ぶのか)
だんだんと顔の赤くなっていく愛華と、笑みを絶やすことない玲を見ながら、瑠那はどこか遠くでそんなことを考えていた。
「そ、それは・・・っ、それよりも練習してるんだから、さっさと出て行ってよ!」
「せっかくだから、練習見てあげようかと思ったのに」
「そんなの必要・・・」
「本当ですか!?」
2人のやりとりをただ見ているだけだった瑠那が、急に瞳を輝かせながら声をあげた。
そんな瑠那を見て、愛華は少し焦りを覚える。
「ちょ、瑠那!?」
「ご迷惑でなければ、お願いします!」
慌てて声をあげた愛華をよそに、瑠那は深々と頭を下げ、愛華はますます焦りだした。
「勝手に何言ってるのよ!」
「だって愛華、せっかく見てくださるって言うし。さっきのことを考えても、私たち2人だけより、愛華のお母さんが居てくれた方が絶対いいに決まってるでしょ?」
「・・・っ、勝手にすれば」
確かに瑠那の言うとおりではあるので、愛華はどこか釈然としないながらもそれを受け入れた。
そして、笑顔の瑠那を見てはこっそりとため息をついた。
(どうなっても知らないんだから!)
そんな愛華の心の声は誰にも届くことはなく。
「じゃあ、はじめましょうか」
そんな玲の言葉で、レッスンが開始された。
(こんなにきびしい人だったんだ・・・)
さきほどと雰囲気がガラリと変わり、突如きびしい指導を始めた玲に、瑠那は戸惑いを隠せない。
ちらりと愛華へ視線を向けてみると、だから言ったのだ、とでも言わんばかりのきつい視線が帰ってくる。
そうして数時間ほど玲によるスパルタなレッスンが行われたのだった。
「つ、疲れたぁ・・・」
休みを入れることなく、ぶっ通しで続けられたレッスンに、瑠那も愛華もくたくたになっていて、レッスンが終わって玲が部屋を出るや否や、瑠那はそう言って手足を投げ出した。
「だから止めたのよ」
疲れきった様子の瑠那を見て、愛華は壁に凭れて座りつつ、力なく瑠那を睨んだ。
そんな愛華に瑠那は苦笑する。
「愛華のお母さん、なんか急に厳しくなるからびっくりしちゃった」
「お母さん、バレエとなると人が変わっちゃうのよね」
「そう、だったんだ・・・」
瑠那は何度か愛華の家を訪れたことがある。
最初に訪れたのは、2人がはじめてコンクールに出場することが決まったときであった。
その時はコンクール出場についてあまり詳しくない瑠那や瑠那の母親のために、玲が自分の家へと2人を招いてあれこれと教えてくれた。
そしてその後の初のコンクールの瑠那の踊りがきっかけで、玲は瑠那のことが気に入ったらしく、時々玲に招かれては城崎家を訪れている。
しかし、いつもお茶をしたり話したりが目的で、共にバレエを踊るということは1度もなかった。
なので瑠那の中での玲は常ににこにことしている印象でしかなく、愛華の言葉に瑠那は驚かずにはいられなかった。
「でも、愛華のお母さんのおかげで短時間でお互いに合わせられるようになったし、感謝しないと」
数日は通うことになるかもしれない、と思っていたがたった1日できれいに合わせられるようになったことで、瑠那は満足そうにそう言った。
その点に関しては愛華も同意見であったため、頷く。
「まぁ、それはそうね。あと公演までに残る課題は、残りの後ろで踊るメンバーがどれだけ合わせられるかってことよね」
顎に手をあてながら愛華が呟く。
その言葉に、瑠那が反応するようにすぐに口を開いた。
「それなら、まだ時間もあるし、徐々に練習していけば・・・」
「大丈夫、かしらね。自分達の振り付けをこなすことで、いっぱいいっぱいに見えたけど」
「大丈夫、きっと大丈夫だよ」
大丈夫!そう言おうとした瑠那の言葉を遮るようにして、愛華は疑問をぶつけた。
しかし、瑠那から帰ってきたのはさきほど愛華に遮られて言えなかった言葉と、とびっきりの笑顔だった。
「ちょっとあなたたちやる気あるの!?」
愛華の声がレッスン室に響き渡る。
(どこかで聞いたような台詞だなぁ)
瑠那は怒りを顕わにする愛華を目の前に、ぼんやりとそんなことを考えていた。
この日は卒業公演のレッスンのため、また6年生だけで集まってレッスンをしていた。
フロアに曲を流し、何度も何度も通して練習する。
愛華と瑠那の足並みは、玲との練習のおかげもあってか完璧に揃っていた。
しかし、後ろのメンバーの足並みは未だ見事にバラバラであった。
それでも自分たちが揃っているのだから、何度か練習を繰り返せば少しずつでも自分たちに合わせてくれるだろう、そんな考えで瑠那を愛華は何度も曲を流し、そして何度も通して踊り続けた。
しかし、何度繰り返してもメンバーには何の進歩も見られない。
そんな状況にいよいよ愛華がイライラしてきた、そんなときだった。
「もう疲れた」
「休憩しようよ」
そんな声が次々とあがりはじめ、愛華は怒りをぶちまけたのである。
「あ、愛華・・・?」
「そんなに怒らなくても」
「愛華だって、疲れたでしょ?」
美沙、由紀、江里子がそれぞれに取り繕うように愛華に声をかけていく。
しかしそれで愛華の機嫌が直ることはなく、愛華は鋭い視線で3人を睨みつけた。
そんな愛華にそれ以上は何も言うことはできず、3人は黙り込む。
そんな状況に、今度は別の人物が声をあげた。
「なによ、休憩するぐらい構わないじゃない、さっきから何回も踊ってみんな疲れたって言ってるのよ。何が気に入らないわけ!?」
「さ、沙羅っ!ちょ、ちょっと落ち着いて、ね?」
声をあげたのは沙羅だった。
そのあきらかに愛華を刺激するような沙羅の言葉に、瑠那は慌てて沙羅を止めようとする。
すると沙羅は勢いよく瑠那を振り返った。
「瑠那だって休憩した方がいいと思うでしょ?」
「え、えーと・・・」
突如投げかけられた質問に、瑠那は返答に困る。
「瑠那はまだ続けるべきだって思ってるに決まってるでしょう!あなたみたいな考え方じゃないわ」
困っている瑠那の代わりに、とまるで瑠那の心のうちを代弁するように愛華が答える。
するとそれが気に入らなかったらしく、沙羅は声を荒げる。
「勝手なこと言わないでよ!あなたに瑠那の何がわかるの!?ね、瑠那、瑠那も休憩したいってはっきり言ってよ!」
沙羅がそう言うと、周囲の瞳が期待するように瑠那を見つめる。
おそらく瑠那が言えば休憩になる、そう思っているのだろう。
しかし、瑠那はゆっくりと首を左右に振った。
「瑠那?」
「ごめん、沙羅。私はもう少し頑張って続けるべきだと思う」
少なくともまだ何の成果も現れていないまま、一旦休憩を入れてしまうのはどうかと思う。
それに、そこまで酷く疲れるほど長時間踊ったわけでもない。
普段のレッスンなどを考えれば、まだまだ続けられる余力も残っているはずである。
瑠那は言葉にはしなかったが、そう考えて答えを出した。
「愛華もそう思うよね?」
「ええ」
言葉に出してはいない部分も同意してくれるであろう、そんな意味を込めて訊ねると、愛華は深く頷いた。
「ふざけないでよ!」
突如沙羅の声が響き渡った。
突如あがった大きな声に、皆驚いたように沙羅へと視線を向ける。
一方沙羅はというと、瑠那と愛華に鋭い視線を向けていた。
「ね、沙羅、もう少しだけ、あともう少しだけ頑張ってみようよ、ね?」
瑠那はなるべく柔らかな口調で沙羅に声をかけてみる。
だが、沙羅はあいかわらず鋭い視線を向けるだけだった。
「疲れたんだから少し休憩したって・・・っ」
「へぇ、この程度で疲れたの?」
勢いよく声をあげた沙羅の言葉を、遮るように愛華が訊ねる。
その言葉に、沙羅はうっと詰まり、一瞬の沈黙が生まれた。
「・・・あなたたち2人とは違うのよ」
ポツリと沙羅からこぼれてくる小さな小さな呟き。
瑠那はわけがわからないというように首を傾げ、逆に愛華はなんとなくわかってしまった、そんな表情を浮かべていた。
「沙羅?」
「そりゃ、瑠那や愛華は天才だもの。この程度の練習、なんともないかもしれないけど。他はみんな疲れたって言ってるのよ!?少しくらい休憩入れたって・・・!!」
「それだけ大きな声をあげられるなら、まだそんなに疲れてないんじゃないの?だいたい、あなたたちと瑠那や私、どちらの方がたくさん動いてると思ってるの?それにこの程度、普段のレッスンの半分にも満たないはずだけど、あなたこの程度で根をあげるんだ」
「ふ、普段のレッスンとは違うでしょ、今は・・・」
「普段のレッスンと違えば、あなたは手を抜くんだ」
「誰もそんなこと言って・・・」
「なら、どうして普段のレッスンではできて、今はできないの?」
「・・・・・・っ」
愛華の言葉は尤もで、沙羅は言葉を失う。
それを見た愛華はすぐに口を開いた。
「さ、時間がもったいないわ。続けましょう」
愛華が声をかけ、数名がしぶしぶと動きはじめる。
だが、沙羅は動く気配がまったくない。
「沙羅?」
瑠那が声をかけ、肩に手を置こうとする。
すると、その手はパシリと音を立てて弾かれた。
そうして沙羅はきっと瑠那を睨みつける。
瑠那はそんな沙羅を見て小さくため息をつくと、愛華の方を振り返る。
「今日は止めよう。きっとこんな状態じゃ、なんの練習にもならない」
諦めたような瑠那の言葉に、一人の少女がおずおずと口を開いた。
「どういう意味?」
少し震えたような、か細い声が響く。
「今の練習での1番の課題は、まずみんながきちんと揃って踊ること、だから」
瑠那が少女の問いかけにそう答えた。
だが、少女は未だ首をかしげたままである。
「わからない?今のあなたたちはバラバラなのよ。全然揃ってないの。さっき何度も通して踊ったけどそれは変わらなかった。もちろんすぐにぴったり揃って踊れるようになんては言わないけれど、少しずつでも揃えようという意思くらいは見えてもいいでしょう」
今度は愛華がそう説明した。
そして言葉を繋ぐように瑠那が口を開く。
「私と愛華もね、最初はバラバラだった。でも私たちがちゃんと揃えば、みんなも揃えられるかなって思っていたんだけど、今日の練習ではまだ何も見られなかった。それでとりあえず何か変化が見られるまで、通し続けようって思っていたんだけど、少なくともこんな状態じゃ揃うものも揃わないでしょう?」
瑠那の言葉を聞いて、少女はようやく納得したらしく、こくんと頷いてみせた。
「瑠那と愛華はちゃんと揃ってたの?」
「私はわかんない。自分のことでいっぱいいっぱいだったもの」
「私も」
「私もよ。人の踊りまで見てる余裕ないもの」
「そうよね」
そんな声が少女たちから次々とあがってくる。
瑠那と愛華は思わず顔を見合わせた。
そして、同時に小さくため息をついた。
「全然大丈夫なんかじゃないじゃない!」
他には聞こえないくらいの、小さな小さな声が瑠那の耳に届く。
「だ、大丈夫、大丈夫・・・」
瑠那は自分にも言い聞かせるようにそう呟いた。
「じゃ、じゃあ、とりあえずちょっと方針を変えよっか?」
苦し紛れに瑠那が提案を持ちかけてみる。
すると、周囲の視線が瑠那に集中する。
「どんな風に?」
「う〜ん、とりあえず、私と愛華の2人だけで踊ってみるってどう?私たちの踊りをちゃんと見ることで、より合せやすくなるかもしれないし・・・どう、かな?」
「・・・考えるよりやってみた方が早そうね」
瑠那がおずおずと愛華に訊ねてみる。
愛華は一瞬迷ったものの、とりあえず他に何か案があるわけでもないし、今のままでは何も変わらない気がしたので、乗ってみることにした。
フロアに音楽が流れ、瑠那と愛華はその音楽にあわせて軽快な踊りを見せる。
そして周囲の少女たちは、ただじっとそんな2人をみつめていた。
「すご〜い!!」
「2人ともきれいだね!」
「うん、上手だった」
「バッチリ揃ってたね」
すごい、上手、などの称賛の声が次々とあがり、少女たちはキラキラとした視線を瑠那や愛華に向けていた。
「これでわかったでしょ?私たちはちゃんと揃ってるんだから、あとはあなた達がそれにあわせてくれれば、全体的に揃うはずよ」
愛華は称賛の言葉を受けたためか、少し得意気にそう言った。
だが、そんな愛華の言葉にも、みんなはこくこくと頷いてみせる。
そうして周囲に自分達も少しずつ頑張ろう、そんな意気込みが見られ始めていた、ただ一人を除いては。
この案は結構よかったのかもしれない、瑠那と愛華がそう思ったときだった。
「どうせ瑠那が全部愛華にあわせてあげてるだけでしょ?」
突如そんな声が聞こえてきて、愛華は声のする方をキッと睨みつけた。
「なんですって!?」
心外だ、というように愛華が声をあげる。
また同時に瑠那も声のする方へ視線を向け、そして目を丸くする。
「瑠那は愛華と違って天才で、なんでもできるもの。だから瑠那が愛華にあわせただけで、別に愛華が何かしたわけじゃないでしょ?」
だから偉そうにするな、とでも言いたげな言葉。
その言葉は他でもない沙羅から発せられたもので、愛華がその言葉に不機嫌さを顕にする一方で、瑠那はショックで固まってしまっていた。
「沙羅?どうしちゃったの・・・?」
瑠那はおそるおそる沙羅に声をかける。
すると沙羅の視線がゆっくり瑠那に向けられる。
「ねぇ、そうなんでしょう?瑠那は天才だもの、全部瑠那の実力よね?瑠那なら簡単にできることでしょう?」
沙羅はそう言って瑠那に詰め寄る。
瑠那はそんな沙羅が自分の知る人物とは別人にさえ思えて、困惑を隠しきれない。
そんな中で口を開いたのは、怒りに震える愛華だった。
「さっきから聞いてれば、いったい何なわけ?瑠那が天才だ天才だって、まるで瑠那が何の努力もしてないみたいに」
「当たり前でしょう?愛華とは違うのよ、瑠那は。天才なんだもの、努力なんかしなくたって・・・」
愛華の言葉に対し、沙羅がそう言ったところで、突如パチーンと大きな音が響く。
「あ、愛華・・・?」
そう呟いたのは誰だったのか、もはやわからないくらいその場にいたメンバーはしばし呆然とした。
「な、なにすんのよ!!」
そう叫んだのはいち早く我に返った沙羅である。
沙羅の左頬はほんのりと赤く腫れ、沙羅の左手に押さえられていた。
「愛華、どうしたの?いくらなんでもこれは・・・」
次に声をあげたのは瑠那だった。
瑠那は目の前で起きた愛華が沙羅を平手打ちする、などという行為にひどく驚きつつも愛華に理由を問う。
そして、返ってきた言葉に瑠那は目を丸くする。
「あなたは悔しくないの!?あんなこと言われたのに!」
それだけ言うと愛華は沙羅をキッと睨みつける。
「あなた本当に瑠那の親友なの?」
「当たり前でしょ!!」
「じゃあ、今まで瑠那の何を見てきたのよ!瑠那が努力してない!?天才だから何でもできる?そんなわけないでしょう!!」
「あ、愛華、いいよ。もういい・・・」
瑠那の手が弱々しくも愛華の手首を握った。
「あなたがよくても、私がよくない!だって私は何の努力もしてない人間に負けたわけじゃない!」
鋭い視線を瑠那に浴びせながら、愛華は瑠那の手を振り解く。
そしてまた沙羅を睨みつけた。
「どんなバレリーナだって、みんなたくさんの努力をして上達していった。瑠那が天才だって言われるほど上手くなったのだって、ここにいる誰よりもたくさんの努力をしたからに決まってるじゃない!!」
「う、うそよ、だって、瑠那は・・・」
『愛華だって何もせずにあんなに上手になったわけじゃないよ』
言いかけた沙羅の言葉を途中で勢いを失って止まる。
同時に以前瑠那が言った言葉が蘇える。
(お互いにそう言えるのは、それぞれが努力したから・・・?)
沙羅がそんなことを考えていると瑠那がつかつかと沙羅の前までやってくる。
「愛華に謝って」
「瑠那・・・?」
「私だけの力じゃないよ。私は沙羅が思ってるほどすごくないもの。ちゃんと愛華が協力してくれたから、2人で何度も練習したからできるようになったの。だから愛華に謝って、沙羅」
「・・・・・・」
瑠那の言葉に沙羅は無言で俯く。
すると第三者からの声が瑠那に届く。
「瑠那と愛華、一緒に練習したの!?」
驚きつつもそう訊ねたのは江里子だった。
「そうよ」
「うそ、信じられない・・・」
すぐに愛華から答えが返ってくる。
しかし、その答えに江里子はさらに目を丸くした。
「公演を成功させるためだもの。そのくらいはするわ」
愛華はなんでもないことのように答える。
そして、その答えを聞いた瞬間、沙羅が勢いよく部屋を飛び出した。
「え、ちょ、沙羅っ!!」
瑠那が慌てて声をあげるも、沙羅は止まる気配もなく、結局そのまま荷物を掴んでバレエ教室を後にした。
(なんで急に・・・)
瑠那はそんな疑問を抱く中、ふと視線を感じる。
(なんだろ・・・)
そっとそちらへ視線を向けると、自分を凝視している美奈子とパチっと瞳があった。
だが美奈子は尚もじっと瑠那を見つめ続けている。
(美奈子ちゃん?どうしたんだろう・・・)
瑠那はわけがわからないまま、一人首を傾げていた。
「ごめんね、愛華」
結局沙羅がレッスン室を去ったことで練習は中止となり、ほとんどのメンバーが帰ってしまった。
その中で残っていたメンバーの一人である瑠那は、唯一レッスン室に残っていた愛華に声をかけた。
「どうして謝るの?」
突然謝罪の言葉を述べてくる瑠那に、愛華は少々驚きつつも訊ねる。
「だって、嫌な思いさせたでしょう?」
「別にあなたには何もされてないと思うけど」
「それは・・・」
愛華の言葉に瑠那は俯いて黙り込む。
すると愛華は深くため息をついた。
「私は別に気にしてないから。沙羅との言い合いは今日がはじめてじゃないもの。だから少なくともあなたが何か気にする必要はないわ」
実際愛華と沙羅の言い合いはよくあった。
そしてその大半は瑠那のことが絡んでいたりする。
そんなこともあって、実際愛華がさほど気にしていないのもまた事実であり、愛華は瑠那に気にする必要はないのだと声をかけた。
「それよりあなたの方は大丈夫なの?思いっきり沈んでるみたいだけど」
見るからに落ち込んでしまっている瑠那を気遣うように声をかける。
すると瑠那がゆっくりと顔をあげ、愛華を見た。
「うん、さすがに今日のはショックだったから。でも、大丈夫。心配してくれてありがとう」
「別に私は心配したわけじゃ・・・」
愛華はすぐさま否定しようとしたが、瑠那の笑顔に勢いを削がれそのまま気まずそうに視線を彷徨わせた。
「でも、今日の沙羅、本当にどうしちゃったんだろ・・・」
瑠那がポツリと呟く。
すると愛華がすぐに反応を返した。
「あなたにわからないのに、私にはわからないわよ」
「そうだよね・・・」
愛華の言葉を聞き、瑠那はまた俯いて黙り込む。
「私に言わせれば、あなた達が親友だって方がわからないけど」
「・・・・・・さっきのことは確かにショックだったけど、でも少なくとも私は今でも親友だと思ってるよ、沙羅のこと」
瑠那がきっぱりとそう言うと、愛華は目を丸くする。
「あんなことがあったのに?」
「うん」
驚きつつも訊ねてくる愛華に、瑠那はこくんと頷いてみせた。
「ふーん、私にはよくわからないな、そういうの」
「でも、愛華にもいるでしょ?」
「それって由紀たちのこと?」
瑠那が首を傾げつつも訊ねると、愛華が少し考えた後に訊ね返してきた。
そんな愛華の言葉に、瑠那は首を縦に振る。
「うん、いつも一緒にいるでしょ?」
「あれは向こうが勝手にくっついてくるだけよ」
「でも、居ないと寂しいんじゃない?」
「べつに、そんなこと・・・」
「そうかなぁ」
ふいっと顔を逸らした愛華を見て、瑠那はクスクスと笑った。
「ねぇ、愛華たちはどうやって仲良くなったの?」
「そっちはどうなのよ」
瑠那が興味津々で訊ねると、そっくりそのまま訊ね返される。
「え?私?私は・・・」
瑠那はふっと6年前のことを思い浮かべた。
「沙羅がね、声をかけてくれたの」
「は?」
「ほら、私ってあんまり人に話しかけたりする方じゃないでしょ?対して沙羅はあんな性格だし、誰にでも話しかけるタイプじゃない?それでね、小学校に入学したばかりの頃、一人で居た私に沙羅が声をかけてくれたの」
『ねぇ、名前、なんていうの?』
『え?』
『私は石津沙羅。あなたは?』
『えっと、望月瑠那』
『そう、瑠那っていうの?よろしくね』
『よろしく、えっと・・・沙羅、ちゃん?』
『沙羅でいいよ』
『うん、じゃあ、沙羅、よろしくね』
『うん!』
『瑠那、バレエやってるの?』
『うん、そうだよ、3歳からずっと』
『おもしろいの?』
『うん、すっごく楽しいよ!そうだ、沙羅も一緒にやらない?』
『私にもできるかな?』
『うん、できるよ、きっと!』
「それからはね、ずっと一緒だった。バレエでも、学校でも。あいつが居なくなっても寂しくなかったのは、沙羅のおかげだし」
「それ、龍くんのこと?」
「うん、で、愛華は?」
自分のことを話し終えた瑠那はすぐさま愛華へと話を振る。
突然のことに、愛華は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「え?」
「私は話したでしょ?愛華は?」
「ああ、私のは別にいいでしょ?」
首を傾げて興味津々に訊ねてくる瑠那に、愛華は話さないで済むように、とそう言ってみる。
だが瑠那はふるふると首を振ってそれを許さない。
「ダメだよ、聞きたいもん」
瑠那はそう言ってキラキラとした瞳で、愛華を見つめた。
「・・・好きだって言ってくれたのよ、私のバレエ」
「え?」
瑠那がただじっと答えを待っていると、しばしの沈黙の後ようやく返答が返ってきた。
だが瑠那はその意味が掴めず、パチパチと数回瞬きをする。
そうして愛華が詳しく話してくれるのを待った。
「はじめてのコンクール、予選落ちで終わって、あなたにも負けて、自信も何もかもなくなってしまいそうだったときに、あの3人が言ってくれたの。私のバレエが好きだって」
「私も好きだよ、愛華のバレエ」
瑠那はにっこりと笑ってそう言った。
しかし、それと同時になぜか愛華に睨まれる。
「あなたは誰にでも言うじゃない」
「そんなことないけど・・・」
「そんなことある!それにあなたに言われてもあんまり嬉しくないのよ」
「酷い・・・」
きっぱりと言われて、瑠那は少し落ち込んで見せる。
だが愛華はそれを気にする様子はない。
「でも、あの子たちに言われた時はなんだかすごく嬉しくて、これからも頑張ろうってそう思えた」
「なんか、素敵な話だね」
当時のことを思い出しながら微笑む愛華を見て、瑠那はそう言って笑ってみせる。
すると愛華も笑顔で頷いた。
「瑠那のもね。そういえば、さっきの瑠那の話で思い出したけど、沙羅も龍くんも瑠那が連れてきたのよね」
突如愛華が思い出したように瑠那に訊ねる。
「あ、そうなるね」
どちらも自分が誘ったことは間違いがないので、瑠那はすぐに肯定の返事を返した。
「あと、美奈子も一応そうなるのかしら」
「う〜ん、そうかも・・・」
美奈子に関しては瑠那が誘ったわけではない。
けれども美奈子が沢木バレエスクールへと移ったのは、瑠那がいたからである。
故意ではないにしろ、自分が要因であることは確かなため、瑠那は曖昧な返事を返した。
「それに、よく考えてみると今いるメンバーのほとんどって、小学生に上がってから入って来た子たちよね」
「そういえば、そうだね。昔居た子はほとんどみんな辞めちゃうか、別のバレエ教室に移るかしちゃったし」
瑠那も愛華も3歳の頃からいる、古い生徒である。
当時も同じ年齢の生徒を何人も居たが、その中で今でも残っているメンバーはほとんどいない。
よく考えてみると、今いるメンバーのほとんどは初等科になってから入ってきたメンバーばかりだった。
「お互い長いわね」
「そうだね。これからもよろしくね」
瑠那はそう言って愛華に手を差し出し、握手を求める。
しかし、愛華はそれをパシンと払った。
「愛華?」
瑠那は愛華の行動が理解できないというように首を傾げてみせる。
「あなたは私にとってライバルでしかないもの」
「ライバルだからって、仲良くしちゃダメってわけじゃないでしょう?」
そう言ってにこにこと笑う瑠那を、愛華はまた睨みつける。
「そうやって笑っていられるのも今のうちよ。そのうち絶対追い越してやるんだから!」
「うん、楽しみにしてるね」
力を込めて言った言葉なのに、返ってくるのはにこにことした笑顔だけ。
愛華から自然と大きなため息が漏れる。
「愛華?どうしたの?」
「なんかあなたを見てると、ときどき自分がものすごく馬鹿らしく思えてくるのよ」
よくわかっていないらしい瑠那の前で、愛華はもう一度盛大なため息をついた。
「ん?あれ?」
カチャンと小さな音が、ふと二人の耳に届く。
それからキィという音がして、ゆっくりと扉が開かれる。
「誰かしら?」
2人が首を傾げながら扉の方を見つめる。
そして扉が開ききると同時に現れた人物を見て、瑠那と愛華は思わず顔を見合わせた。
「美奈子?」
「美奈子ちゃん、どうしたの?」
2人は現れた人物に、ほぼ同時に疑問の言葉をぶつけた。