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つきのゆめ  作者: mink
2/9

Lesson 2

(いくら瑠那だって32回も回れるわけ・・・え!?うそ・・・っ)

愛華は目の前の光景に目を瞠る。

同時に周囲からも感嘆の声が次々とあがっていた。

「へぇ、大人でも難しい技なのに、あんなにきれいに回るとはね。あんなにくるくる回ってるのに、最初の場所から全然動いてない」

未だ瑠那を見つめたまま、一樹がそう呟く。するとすぐに結香が口を開いた。

「そう、しかもまだまだ余裕ありそうな感じでしょ?」

結香は満足そうにそう述べる。

「うん、っていうか結香は全部知ってたんだね」

「ええ、じゃなきゃ彼女を黒鳥にしたりしないわ」

「でも、何で知ってたの?」

ふと疑問に思ったことを口にする。

すると結香は少し目をそらした。

「前にちょっと、ね」

結香はそう言うと愛華を見る。

「これで文句はないわよね」

「・・・は、い」

(いつのまにあんなに・・・)

愛華は頷くと同時にぎゅっと手を握った。




「これでいいですか?」

32回、きっちり回りきった瑠那が、結香の方を振り返る。

「ええ、十分よ。」

すぐにそんな言葉が返ってきて、瑠那はほっと息をつく。

(よかった。久々だったから、不安だったんだけど)

瑠那は心の中でそんなことを呟きつつ、足早にフロア中央から退いた。

「すごかったよ、瑠那ちゃん」

「ありがとうございます」

一樹の満面の笑みの言葉に、とりあえず瑠那も笑顔を返す。

(32回転より何より、私はこの人とのパ・ド・ドゥが1番心配なんだけどな・・・)

瑠那は気づかれないようにこっそりとため息をついた。


「今日はコールドだけで終わってしまいそうだね」

「そんな感じよね」

瑠那がフロアから退いた後、すぐに再開されたコールドの振り付けを見て、一樹と結香は時計を見ながらそう呟く。

「あと少しで終わりだし、2人とも先に帰る準備とかしてても大丈夫だと思うよ」

一樹はそんな言葉瑠那と愛華に投げかける。

「あ、大丈夫です。せっかくだから最後まで見てます」

「私もそうします」

しかし、瑠那も愛華もそう言ってその場から動かなかった。






程なくして、その日のレッスンは終了し、結香と一樹の予想通りに、その日はコールドの振り付けのみで終了した。

「何考えてるの?やる気あるわけ!?」

終了と同時に、そんな結香の怒鳴り声と、それをなだめる一樹の声がフロアに響き渡る。

瑠那と愛華はそんな2人の声を聞きながら、そっと先にレッスン室をあとにした。


「結香さん、すごい怒ってたわね。まぁ、気持ち、わからなくもないけど」

互いに帰る準備をしている中、そう言ったのは愛華だった。

「うん、そうだね。きっと、結香さんはそれだけ真剣なんだよね」

まだ声が聞こえてくるレッスン室を見ながら、瑠那が呟く。

「頑張らないと、ね」

瑠那はぐっと両手を握って意気込む。

そんな瑠那を見て、愛華は口を開いた。

「そうね。でも、いくら黒鳥なんて大役もらったとはいえ、私たちの方もわすれないでよね!」

「うん、わかってるよ。あ、そうだ、そのことで愛華に相談があったの」

「なに?」

ふと何か思い出したような瑠那の言葉に、愛華は首を傾げる。

「今度2人だけで練習できないかな?みんなもバラバラだったけど、私たちも全然揃ってなかったでしょ?やっぱり私たちが揃わないことには・・・」

「他のみんなもあわせ辛い」

瑠那の言葉から瑠那の意図を理解した愛華が、瑠那の言葉に続けるように言葉を紡いだ。

「うん」

「いいわよ。私も必要だと思ってたし」

こくんと頷いてみせる瑠那に対し、愛華がそんな返事を返す。

すると瑠那はにっこりと笑ってみせた。

「やっぱり」

「え?何が?」

突如発せられた瑠那の言葉の意味がわからず、愛華から疑問の言葉がこぼれる。

「愛華なら、そう言ってくれると思ってたの」

「わ、私は別に、ただ公演を成功させたいだけで・・・」

うれしそうな瑠那の言葉に、愛華は瑠那から視線をそらしながらそう言う。

「うん、絶対成功させようね!」

瑠那はさらに笑みを深めてそう言った。

「それで、日にちなんだけど・・・」

「明日、レッスン休みよね?」

愛華が確認するように瑠那に訊ねる。

「うん、そうだけど」

「なら明日、うちでやらない?」

瑠那が頷いたのを確認して、愛華はそんな提案を持ちかけた。

「え、いいの?」

「公演を成功させるためだもの。それに私のお母さん、瑠那のことは気に入ってるみたいだし。うちはわかるわよね?」

驚いた表情を見せる瑠那に、愛華はなんでもないことのようにそう言った。

「うん、前にも行ったことあるし」

「じゃあ、明日、学校が終わってからね。待ってるから」

「うん、終わったらすぐに行くよ」

「じゃあ、私急ぐからこれで」

瑠那の返事を聞くと、愛華は自分のバックを手に取った。

「あ、うん。じゃあ、明日ね」

「ええ」

そう言うと愛華は足早にその場を去った。

(きっと帰ってすぐに家で練習するんだろうな・・・)

愛華の背中を見つめながら、瑠那はそんなことを思っていた。






「あなた、高等科に来るんですってね。母に聞いたわ」

愛華が帰った後、ようやくレッスン室が静かになったかと思えば、瑠那は結香に声をかけられた。

そして、2人っきりで話がしたいという結香に連れられて、誰もいない部屋に移動した。

そうしてかけられた言葉がこれである。

「いえ、あの・・・」

「違うの?母はあなたに声をかけたと言っていたけど」

瑠那の言葉はどこか否定的に思えて、結香は首を傾げる。

「あ、えっと、そういうお話は確かに。でも、どうするかはまだ・・・」

そこまで言うと瑠那は俯く。そんな瑠那に、結香は問いかける。

「決めてないの?」

「はい」

問われてこくんと頷く。すると結香はさらに問いかける。

「迷ってるってこと?なんで?」

「中等科でも学ぶことは多いでしょうし・・・」

「そうね。でも高等科の方がもっと多いと思うわよ」

どこか迷いを含んだ瑠那の言葉に、結香ははっきりとした口調でそう返した。

「それに、結香さんだって・・・」

「私は別に中等科で学べることが多いとか、そういう理由で高等科入りを断ったわけじゃないわよ」

「・・・・・・」

(やっぱりあのコンクールで私が1位入賞しちゃったから・・・)

結香の言葉を聞き、瑠那はそう思って無言になる。

しかし、結香から飛び出した言葉は瑠那の想像とは少し違っていた。

「納得がいかなかったのよ」

「納得?」

瑠那はようやく顔をあげ、結香を凝視した。

「そう、だって私はコンクールで1位確実といわれていたにもかかわらず、初出場の小学2年生に負けたのよ。なのに、特例で高等科入りする資格なんてないでしょう?」

「そんな・・・っ」

自嘲気味に話す結香に対し、瑠那は思わず声をあげた。

しかし、その声を掻き消すように結香はさらに話を続ける。

「それに、そんな状況で高等科入りしても、沢木あかねの娘だから特別扱いなんだって思われるだけ。誰も私の実力なんだとは思わないだろうと思って。だから断った。でも、あなたの場合は違うでしょう?」

「え・・・?」

瑠那はパチパチと2、3回ほど瞬きをして、首を傾げる。

「小学2年生でコンクールに初出場で、しかも1位入賞。十分資格があるわ」

そう言われて瑠那はまたも俯く。

そうして呟いた言葉によって、結香の周囲の空気が大きく変わった。

「そんな、私があのとき入賞できたのは、結香さんのおかげなのに・・・」

「それ、どういうこと?優勝候補だったにもかかわらず、たいした踊りじゃなかったとでも言いたいわけ?」

「ち、違います!!」

結香は突如ものすごく不機嫌なオーラを纏い、幾分か声のトーンも低くなった。

そんな結香に対し、瑠那は慌てて否定の声をあげた。

「声をかけてくださったでしょう、私と愛華に。私も愛華もはじめてのコンクールで、うちのバレエスクールからの小学2年生の出場は私と愛華だけ。コンクール全体でも同じ年の人はあまりいなくて、私も愛華もものすごく緊張してました。でも、結香さんはそんな私たちを見て、声をかけてくださった。だから私は・・・」

瑠那の脳裏に4年前のコンクールの出来事がよみがえる。




『ね、ね、愛華、きんちょーするねっ!』

2人して衣装を身に纏い、自分の出番をどきどきしながら待っていた。

瑠那は緊張に耐えられなくなり、身近にいた愛華に声をかける。

『う、うるさいわよ、瑠那』

瑠那と同じく緊張し、カタカタと震えている愛華は、逆に話す余裕がなかった。

けれども緊張をどうにかしたい瑠那は、さらに愛華に話しかける。

『だ、だって、みんなすっごい上手そう・・・』

『だから、うるさいって言ってるでしょ』

それは2度目の言葉。

だから1度目よりも強く発したつもりだった。

けれどもそれは緊張で声が震え、どこか弱々しく聞こえた。

そしてそんな愛華の言葉で、瑠那はようやくあることに気がつく。

『愛華、震えてるよ?愛華もきんちょーしてるの?』

『う、うるさいっ!』

そんな会話をする二人に、ふとクスクスと笑い声が聞こえてきた。

二人がともにそちらを見ると、そこには衣装を纏った結香の姿。

『大丈夫よ、誰もあなたたちになんて期待してないんだから。だからせっかく出れたコンクールだし、おもいっきり楽しんだら?まぁ、私クラスになるとそうもいかなくなるんだけどね』

結香はそれだけ言うと、その場を去った。

『なによ、あれ。嫌味を言いに来たわけ?』

愛華はどこか不機嫌そうに言う。

だが、瑠那は違った。

『そっか、そーだよね!』

『瑠那?』

笑顔を浮かべ、納得している瑠那に愛華は首を傾げる。

しかし続いた言葉に、愛華の言葉は勢いを得る。

『誰も私達になんか期待してないんだもんね!』

『ちょっと待ちなさいよ!私はあんたとは違うわよ!私はあの城崎玲の娘なんだから!』

『あ、そっか。そーだね。そーいえば愛華は「城崎玲の娘、コンクール出場!」とかいって注目されてたもんね』

愛華の言葉に、瑠那は結香のときと同様にまたも笑みを浮かべて一人納得する。

『あたりまえよ!』

『そっか、結香さんは1位を期待されてて、愛華は有名バレリーナの娘として注目されてて、それに比べたら私なんて何にも期待されてない分気楽だよね』

そう話す瑠那には、いつの間にか緊張の色はなくなっていた。

『そりゃそうでしょ。あんたなんて、この歳で出場させてもらえるだけで、奇跡なんだから』

『うん、そーだよね!よし、せっかくのコンクールだもん。あんな大きな舞台で大好きなバレエを躍らせてもらえるんだもん。おもいっきり楽しまなきゃ損だよね!』

そう話す瑠那は本当に楽しそうな表情だった。




「ただ、楽しんで踊っただけで、とにかくコンクールをおもいっきり楽しんでおこうと思っただけで、でもそうしたら1位に入賞してて・・・だから、結香さんのおかげなんです。結香さんの一言がなかったら、きっとあんな風には考えられなかった。あんな風に楽しく踊ることなんてできなかった」

「つまり私は、敵に塩を送ったわけね」

そう言うと結香はふっとため息をついた。



「あの頃の私は少し天狗になってた」

結香は当時を思い出すように呟いた。

「みんなにすごいって褒められて、沢木あかねの娘だってちやほやされて」

そう言うと、結香は瑠那を見る。

「あなたの存在すら目に入ってなかったしね」

そしてその視線は瑠那からゆっくりと天井の方へと向けられた。

「どっちかっていうと、城崎さんばかり注目してた。私と同じだったから」

「同じ?」

その言葉に瑠那は首を傾げる。

するとすぐに結香が言葉を紡いだ。

「そう、城崎さんのお母さんは今も現役のバレリーナだけれど、うちの母だって昔は有名なバレリーナだったのよ」

「知ってます」

「え?」

沢木がバレリーナだったのはかなり昔のことでもあったので、結香は少し驚いて瑠那を見つめる。

「私の母が沢木先生のファンだったんです。だから、私がバレエを習いたいって言ったとき、母は私をここに通わせることにしたそうですから」

瑠那の説明に納得した結香は、再度その視線を天井へ向けた。

「そう。私の母はね、私が生まれたことでバレリーナを止めてしまったけれど、ちょうど城崎さんのお母さんの先輩にあたるの。おそらく、だから城崎さんのお母さんは城崎さんをここに通わせてるんだと思うんだけどね。そして、私の母と城崎さんのお母さんは同時にライバルでもあった。だからね、バレリーナの娘として私と同じように小さい頃から注目されてた城崎さんに私も同じように注目して、同時に彼女に負けたくないと思った。そしてそれ以外の人は誰も目に入ってなかったの、あなたでさえね」

そこまで言うと結香は自嘲気味に笑う。

瑠那はなんと言っていいかわからず、黙ったままただそんな結香を見つめるだけだった。

「あのときはね、正直母が理解できないとさえ思ったのよ」

「あのとき?」

ようやく瑠那が口にした言葉はそんな短い疑問の言葉。

結香はぽかんとした様子の瑠那に軽く笑みを漏らすと、続けた。

「あなたがはじめてコンクールに出たとき。小2でコンクール出場が許されるのは限られた人だけでしょう?城崎さんは当然だと思ったけど、あなたに関しては全く理解できなかった。でも、今ならはっきり言える。母は全てが見えていて、私は何にも見えてなかったんだって」

そう言った結香の瞳と、瑠那の瞳が交差する。

瑠那はなんだかいたたまれないような気持ちになり、慌てて視線をそらし、そして慌てて言葉を探した。

「そんな、だからあれは結香さんのおかげで・・・それに当時は私より愛華の方が注目されてたし、私だってなんで自分が出場できたのか・・・」

「あれは私なんか関係なく、あなたの実力よ。母はちゃんとそれを見ていて、あなたを出場させた。それだけのこと。私はあれから注意してあなたを見るようになった。そしてその結果、今ならは自信を持ってそう言えるようになった。」

結香はきっぱりとそう言うと視線を再び瑠那に向ける。

「あのコンクールからちょうど半年くらい経った頃だったかな。あの頃はまだコンクールの結果を不満に思ってた。そんなときにね、偶然あなたを見つけたの。レッスンが終わった後、もうかなり時間が経った頃だった。私は母に用があって、母を探すためにスクールをうろうろしてた。そうしたら、使われてないはずの教室からトウシューズの音がして、そしてその教室ではあなたが一人で踊ってた」

そこまで言うと、その時のことを思い出すように結香はゆっくりと目を閉じる。

まぶたの奥には今でも忘れらない情景が、ひどく鮮明に見えていた。






(トウシューズの音?なんで?)

本当なら何も聞こえてこないはずの場所から聞こえてきた軽快なその音に、結香は惹かれるようにその部屋を覗いた。



(望月さん?なんで?)

そっと覗いたその部屋の中、結香の瞳に映った人物は間違いなく自分と同じ初等科クラスの望月瑠那、そして同時に結香が最も嫌いで会いたくない人物でもあった。

(なんでここで一人で踊ってるんだろう、居残りでもさせられてるのかしら)

そんな疑問を抱きつつも、たいして気にすることなく結香はその場を離れようとした。

しかし、そんな彼女の行動を遮るように後方から声をかけられ、結香はそこに留まった。

「あら、結香?何してるの?」

「あ、お母さん・・・」

現れた自分の母、沢木を結香は見つめる。

一方の沢木は、先ほどまで結香が見ていた部屋の中を覗いた。

そうして、納得したように言った。

「ああ、あなたも気がついていたのね」

そんな言葉が降ってきて、結香は首を傾げずにはいられなかった。

「お母さん?」

「望月さんが小学校にあがったくらいの頃からかなぁ。もっといっぱいレッスンがしたいって言うから、それならレッスン室が空いてる時に、勝手にレッスン室使ってレッスンしてもいいのよって言ったの。そうしたらね、それからレッスンの前後やレッスンがお休みの日、こうして一人でレッスンするようになっちゃってね。たまに時間を忘れて夜遅くまでやってしまって、心配した望月さんのご家族が迎えに来た、なんてこともあったのよ」

「へぇ、そう、なんだ・・・」

沢木の言葉を聞いて、再び部屋の中を覗く。

それから、じっと瑠那の踊りを見つめた。

(こうやって望月さんの踊りちゃんと見るの、はじめてかもしれない)

結香がそう思ったとき、沢木が気になる言葉を発した。

「あ、そろそろかもね」

「え、なに?」

「見てればわかるわ。ちょうどいい機会だし、あなたもしっかり見ておきなさい」

疑問符を浮かべる結香に、沢木はそれだけ言うとしっかりと結香の頭を固定し、視線を瑠那へと向けさせる。

そして、結香は目の前で起こったことに、驚き目を見張った。

(あれってあの黒鳥に出てくるフェッテ?もう、トウシューズで回れるの!?)

しかし結香はすぐにふるふると首を振る。

(わ、私だって16回なら、この間回れるようになったもの!)

すぐにそう思い直した。しかし、そんな考えもすぐに目の前にいる瑠那に崩される。

結香が最近ようやく成功させた16回という回数を、瑠那はなんなく超え、そして尚も回り続けていたのである。


・・・38・・・39・・・40・・・!!

結香の目の前で瑠那は40回も回り、そしてピタリと止まった。

(40回も回った!?)

結香が目の前の光景に驚く中、沢木が結香に声をかける。

「なかなかすごい子でしょう?」

そう言った沢木の表情は、結香のバレエを見ているときよりもずっと、今までにないくらい満足そうな表情に結香には思えた。

「・・・負けない」

小さな小さな声が響いた。

「絶対に負けない」

それだけ呟くと、結香はそのままその場を去った。

後に残った沢木は、どこか楽しそうにそんな結香の後ろ姿を見つめていた。

結香はその日ようやく瑠那を認め、同時に瑠那をライバル視するようになったのである。




その数ヶ月後、沢木から結香に一つの話が舞い込んだ。

中学入学と同時に、バレエの勉強は高等科で受けないか、そんな内容の誘いだった。

その話を聞いたとき、結香の脳裏に浮かんだのは瑠那の存在だった。

自分はまだ瑠那に追いついてはいない、結香の中ではそんな考えが浮かび、そうしてその誘いは断られてしまった。

しかし、そのとき沢木はその答えに満足そうに笑ってみせた。

「あなたらしくていいわ」

そんな言葉をかけながら。

その時結香はなぜか、はじめて母に認められた、そんな風に思った。






「あのときは本当に驚いた。まさかあなたが40回もフェッテを回るなんて思ってなかったもの」

当時を回想しつつ結香は話す。

そこで瑠那にひとつの疑問が生じ、瑠那はそれを口にしてみた。

「・・・だから、私を黒鳥にしたんですか?」

「ええ、そうよ。母がコールドが足りないからあなたに頼むと言った時、あなたにはコールドよりも黒鳥の方がいい、そう思ったから」

「・・・・・・」

当然だ、というような結香の言葉に、瑠那はなぜか言葉が出て来ず無言になった。

「それに、あなたはどうか知らないけれど、少なくとも私は今はあなたのことをライバルだとも思ってるしね。私が主役でライバルがコールドじゃ、張り合いがないでしょう?」

「・・・・・・」

結香のそんな問いかけに、瑠那はまたも無言で結香の機嫌が少し下降する。

「何?不服なの?」

「い、いえ、そんな・・・。私にとって結香さんは今も昔もずっとあこがれの人で、そんな結香さんが私のことをそんな風に思っていたなんて、ちょっとびっくりしてしまって・・・」

瑠那がようやく発したのはそんな言葉。

あこがれの人間が自分をそこまで気にしていたことに、そして過去にそんなことを見られていたということに、瑠那はひどく驚いていた。

結香はそんな瑠那を見て、少し納得した表情に変わる。

「私にとって、あの出来事は大きな転機にもなったから。あれからバレエに対する考え方も大きく変わったしね」

「あのとき私がフェッテを練習していたのは、夢があったから、ただそれだけです」

瑠那にとって、それは決してすごいことではなかった。

ただ夢を叶えたくて、フェッテを1回でも多く回れるようになったり、白鳥や黒鳥の振りを少しでも踊れるようになれば、少しでも自分の夢に近づく、そんな気がしていたのである。

もちろんそれ以外の踊りや基礎的なレッスンももちろんしたが、練習の大半は大好きな『白鳥の湖』の練習だった。

だからこそ、それは決してすごいことでも、褒められるようなことでもない、そんな意味を込めて瑠那はそう言った。

しかし、結香は別の部分が気になったようである。

「夢?」

その単語が気にかかり、結香は首を傾げた。

そしてそんな結香の視線を受け、瑠那は簡単に説明をする。

「はい。いつか大きな舞台で『白鳥の湖』の白鳥と黒鳥を踊ること、それが小さい頃からの夢なんです。それに少しでも近づきたくて、白鳥や黒鳥の踊りをよく練習してました」

「だから黒鳥の振り付けもすべて完璧だったのね」

結香は瑠那の言葉にポンと手を打ち、謎が解けた、とでも言うようにそう言った。

「え?」

「この間、久々に初等科のレッスン室を覗いたら、丁度あなたが黒鳥を通して踊ってたのよ。もちろん一人だったから、さすがにリフトなんかはできてなかったけど、他は完璧だった」

首を傾げる瑠那に、結香は少し前に見た光景を簡潔に述べた。



『黒鳥の振りは、全部覚えてるわよね?』

『え?』

『覚えてるんでしょう?』



(だから結香さんはあんなことを・・・)

瑠那は数時間前に言われた言葉を思い出し、一人納得する。

「はい、黒鳥はよく難しいって言われるし、私は白鳥よりも黒鳥にあこがれていたので、よく練習していました。結香さんのおかげで、また一歩夢に近づけそうです。だからその感謝の意味も込めて、今度の舞台、精一杯頑張ります!」

結香のためにも、自分のためにも、そう思って瑠那はきっぱりとそう言い放った。

しかし、返ってきたのは瑠那の想像とは随分かけ離れた言葉だった。

「感謝するのはまだ早いわ」

「へ?」

「夢に近づけるかどうかわからないわよ。だって私は、黒鳥の存在を観客が忘れ去ってしまうくらい素敵に白鳥を踊るつもりだもの」

(うわぁ、すごい自信・・・でも!)

自信満々に言う結香に、瑠那は圧倒されそうになる。

それでもなんとかぐっと全身に力を入れた。

「わ、私も負けないように頑張ります!!」

「そう来なくちゃね」

先ほどよりも強い瞳を向けてきた瑠那を見て、結香は軽く微笑んで見せる。

それにつられるように瑠那も笑顔になった。



「ねぇ、やっぱりあなた高等科に来なさい」

結香にとってはいろいろと話した上で、やっぱりそれが1番だと判断したものだった。

しかし、瑠那のとっては唐突でやっぱりまだ戸惑いがある。

「え、でも・・・」

「私が絶対に後悔させない。中等科では決して学べないものを、私が学ばせてみせる。だから、高等科に来なさい」

未だに迷いが消えず曖昧な答えしか出せない瑠那に、結香は自信ありげにそう言った。

結香の強い視線が、すべて瑠那へと注がれる。

「どうして私にそこまで・・・」

結香の視線を受け、瑠那の中で戸惑いがますます大きくなる。

しかし、続いた結香の言葉は瑠那にとって転機をもたらすきっかけになった。

「強力なライバルがいる方が、私にとってもいいことだもの。だから・・・」

瑠那の瞳がゆっくりと閉じられる。

それからしばらくして、その瞳が開かれると同時に瑠那の口から答えが出た。

「・・・・・・わかりました。近いうちに沢木先生に、お受けすると伝えておきます」

その答えに結香は満足そうに笑って見せた。

(この人がいるなら・・・)

結香とともに学ぶことで、今度は瑠那にとって大きな転機が訪れる、そんな気がして瑠那は結香の言葉を承諾した。











(いつ来ても大きな家・・・)

大きな屋敷を前にして、瑠那はしばし呆然としてしまう。

(いけない、いけない!)

慌ててふるふると首を振ると、瑠那はゆっくりとインターホンに手を伸ばした。




ピンポーン


「いらっしゃい、瑠那ちゃんでしょう?早く入って、待ってたのよ!」

チャイムの音が鳴り響くとすぐにそんな言葉が聞こえてくる。

瑠那がその言葉の通り、門をくぐると玄関の扉が開いた。

そして声の主である愛華の母、城崎玲が満面の笑みを浮かべて立っていた。


「ちょっとママ、瑠那は遊びに来たんじゃないのよ!」

すぐに慌しい足音とともに現れた愛華が、玲に言う。

愛華が現れたことで、瑠那はほっとしたように息を吐いた。

「知ってるわよ。練習しに来たのよね、わざわざ家まで」

玲は瑠那に微笑みかけながら言う。

その言葉に愛華は深いため息をついた。

「わかってるんなら・・・」

「練習なら私がいてもいいでしょう?」

何か言いかけた愛華を遮るように、微笑んだまま玲が言う。

そして同時にまたもや愛華からため息が漏れる。

「ただの練習じゃなくて、卒業公演のなの!瑠那、行くわよ!」

そう言うと愛華は瑠那を引っ張る。

「愛華、いいの?」

瑠那はちらりと玲の方を見ながら聞く。

「いいの!」

愛華はきっぱりと言うと、そのまま瑠那をレッスン室まで引っ張っていった。

「せっかく久々に瑠那ちゃんが家に来たのに・・・つまらないわね」

玲は2人の背中を見ながらぽつりと呟く。

だが、すぐに笑みを浮かべ2人の後を追うように屋敷の中へと入って行った。




「本当によかったのかな・・・」

玲のいるであろう方向を見つめて、瑠那が呟く。

するとその声に反応するように、すぐに愛華が声をあげた。

「いいのよ!」

「でも、レッスン室使わせてもらうのに、私挨拶すらしてないよ?」

「いいの!うちのお母さん、瑠那のことが気に入ってるみたいだし、きっと話し込むに決まってるんだから!」

尚も気にする瑠那に、愛華は現在そばに居ない自分の母を思い浮かべながら力説した。

「でも、せめて『おじゃまします』くらいは・・・」

「いいんだってば!」

それだけで済むはずがない。

きっと自分の母親に連行されてしばらく付き合わされるに決まっている。

そう思う愛華は未だ気にする瑠那に対し、力いっぱい声をあげてそう言った。

「あ、ところで愛華・・・」

「なに?」

瑠那がふと思い出したように声をあげる。

その様子を見て、ようやく話題が変わったのだ、と愛華はほんの一瞬ほっとした。

しかしそれもつかの間のことであった。

「愛華って普段お母さんのこと『ママ』って呼ぶの?」

「え?な、なんで・・・?」

続いた瑠那の言葉に、愛華は目に見えて狼狽していく。

それでもなんとか紡ぎだした疑問の言葉。

瑠那はその言葉を受けて、すぐに答えを返そうとした。

しかし、自分で訊ねておきながら、愛華はすぐにその言葉を遮られることとなった。

「だって、さっき・・・」

「そ、それよりも練習!!軽くバーレッスンしてすぐ、でいいわよね?」

「うん、そうだね。じゃあ、早くやろうか」

そう呼んでいたでしょう?

告げられるはずだったその言葉は、愛華の耳に届く前に瑠那の中で消えてしまった。

瑠那の頭の中は、どうやら練習の文字でいっぱいになったらしく、すぐに仕度をはじめる。

その姿に愛華はようやくほっと息を吐いた。

それから瑠那と愛華はバレエシューズに足を通し、バーレッスンを簡単に済ませた。






「じゃあ、はじめよっか」

「そうね」

そんな2人の言葉をきっかけにフロアには卒業公演用の音楽が流れ始める。

「とりあえず、まずは音にあわせてそれぞれ踊ってみようか」

そんな瑠那の提案をもとに、2人はとりあえず曲にあわせて踊ってみた。

最初の4小節くらいは、息はピッタリとはいかなくてもそれなりにあっていた。

しかしその後すぐにみごとに崩れてバラバラになった。

「ちょっと瑠那、そこはもっと早く!」

「愛華、もうちょっとゆっくり踊って!」

二人の声が同時にあがり、互いにしばらく見つめあう。

その後、愛華は一旦音を止めるとすぐに瑠那に向き直って声をあげた。

「ここはもっとテンポよくステップを踏んだ方がいいでしょ?」

「え、でも、もっと音ギリギリまでポーズを引っ張った感じにした方がきれいなんじゃ・・・」

そこで2人は考え込む。

お互いに分かっているのだ。

自分の言い分はもちろん、相手の言い分も分かる。

細かなステップが多いので軽やかにテンポよく踊るのがいいだろう、しかし同時にきれいなポーズも多いので瑠那の言うように踊ればきれいに見えるのも事実である。

そうしてしばらく2人して考え込んでいると、突如フロアに第3者の声が響く。


「そこはね、ここまでは瑠那ちゃんの言う通りゆっくりにして、ここから愛華の言うように早くステップを踏むの。そうすると全体的にもまとまってきれいに見えるわよ」


声の主である玲は実際にその部分を踊って見せながら、そんなことを言う。

(うわぁ・・・ホントだ、すごい・・・)

瑠那はただぼーっと玲の踊りをみつめる。

愛華も同じように見つめていた。

しかし、愛華はすぐに我に返って声をあげた。

「な、なんでいるの!?まさかずっと見てたんじゃ・・・」

「見てたわよ」

愛華の言葉に、玲はケロッとした表情でそう言った。

そんな玲に対し、愛華はさらに声をあげる。

「いつから!?」

「最初からず〜っとね」

最初ってどこなんだろう、バーレッスンか、それともこの公演用の曲をかけてからなのか、愛華の頭でぐるぐるとそんな疑問が回る。

(たしかこんな感じ・・・)

一方の瑠那は覚えているうちにと、玲を真似るように踊ってみる。

するとすぐに玲から感嘆の声があがる。

「さすがねぇ。愛華も随分上達したけど、瑠那ちゃんもまた上手くなったわね」

「そ、そんなことないです」

「謙虚なのね」

ピタリと踊りを止め、慌てて否定する瑠那を見て、玲はくすりと笑いながらそう言った。

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