国王 1章 王の資質
酒の匂いが鼻の奥をツンと突き刺す。背中に柔らかいものが当たっている感覚を次に味わう。かび臭いながらも慣れきった枕に側頭部を擦り付けた。
「離せ…眠れない」
蛇のような鋭い舌で濃密に絡める娼婦が彼を後ろから抱いていた。平均的な身長をはるかに超す娼婦と彼の関係は傍から見れば魔女と少年のようだった。
眠い目をこすりながら立ち上がった彼は、蝋燭に灯した明かりは既に消しきったせいで周囲は薄紫色の闇で広がっていた。窓から差し込む月明かりに照らされた一部の箇所を頼りに、よろよろと歩き出した。眠気で頭に回転が回らなかった彼は外へと繋がる玄関を出た。
今宵は、満月のようだった。見上げた彼はふと手首を見やる。手首に王冠の刺青が彫られていた。
いつだったか。この辺にいる名も知らなければ職業も知らないが、周りから親しまれていた老人に彫ってもらっていた。
彼は 王冠 という定められた人生に縛り付ける道具のように俯瞰していた。それでも、そのシンボルを手首に彫っていたのは――
◇◇
低い雲が広範囲に広がり、重い空気が王城を支配していた。連合王国のメンバーである諸国王達は、盟主が住まう王城に呼び出され、長方形机に座らされていた。諸国王たちが着ていた礼服はそれぞれ異なっていたが、住んでいる地域の文化から来ているモノばかりだった。
彼らがいる大広間は、豪華な装飾で作られた部屋であり、大の大人が運動不足解消で軽く往復するくらいは広かった。
上座に座る椅子は未だに空席だが、誰もそこには座らなかった。ある諸国王は、息苦しそうな自分を鼓舞するかのように軽い咳払いを何度もしていた。しかし、その頻度がしつこかったのか前方に座っていた諸国王は眉間を皺を寄せて睨んでいた。
「失礼……」
素直にその警告を受け取った彼は目を伏せて、誰かの来訪を待っていた。その時だった。装飾された豪華な大広間の一角にある扉が開かれた。先ず、扉を守る護衛騎士が入って、扉が閉じないように取っ手を握っていた。その次に入ってきたのは国王――ヴァルガ・ピーター・クラウン・チャールズ・オスプレイ――通称オスプレイ王だった。
「すまない……だが、時間が無い。会議は踊る暇もない」
早口でそうはやし立てながら、勢いよく上座に座った。髭をもみあげと繋がるまで生やした面頬に、刈り上げた側面とくるりと巻き上げた髪が真ん中を生やしていた。若く見えるが、彼は御歳49歳だ。国王の兄は前国王だったが、病弱さと周辺国とのストレスで早死してしまったのだ。今の国王には周辺国との摩擦解消を求められていたが、つい先日それと並ぶくらい厄介で連合王国及び王族にとって大変な事態が起こったのだ。
「私の息子が殺されたことは皆、承知だろう」
オスプレイの言葉を改めて言われてみると、非常にまずい事だ。 と再認識させられた諸国王は真実から目を逸らさずにオスプレイ国王を見つめた。彼らは国王に忠誠を誓い、諸国王それぞれ隔たりなく公平に接したオスプレイ国王だったからこそ今日まで仕えてきた。
だが、国王の息子は忠誠心で守ることが出来なかった。むしろ、忠誠心という嘘で殺されたのだ。
「外務卿によると、戦犬の一族の裏切りは確定だそうだ」
「その口調ですと、ザクセン公国への寝返りはまだ明らかではないようですが…?」
国王の言葉に追随するように発言したのは、ヨーク家の王だった。彼の正妻はオスプレイ国王の愛娘である王女だった。その王女は「男であれば聡明な王として国政に取り組んでいただろう」と言わしめるほど才色兼備であった。ヨーク家にとって見れば、連合王国の盟主の娘を下さるわけで丁重に扱いたい。しかしその待遇を不満に思う諸国王が少ないのは、ひとえに現国王の人間性と善政を敷いていたからであろう。
「いや……分からぬが、そこに期待してはだめだ。何事も最悪を想定しなければ〈王国〉は崩壊するであろう。 いや、崩壊しかけているが」
オスプレイは目を瞑り、己を陰口で叩くかのように嘲笑った。諸国王達は慰めの言葉や同意の言葉は掛けなかった。格は違えど、同じ国を治める王としては同情するしかなかったのだから。
「皆、私は息子を殺されて苦しい。私の妻なんて部屋から出てこなかった。 だが、それでも王は歩みを止めてはいけないのだ。連合王国は結束こそ血肉であり、結束から逃れた戦犬の一族に鉄槌を下さなければならない」
毅然たるオスプレイに、諸国王達は大きく頷いた。オスプレイは秘書官に持たせていた書簡を諸国王に渡させた。
「ここからは、時間との問題だ。いつ戦犬の一族が攻勢を仕掛けるかは分からない。諸国で軍事体制を整えることを王の特命で許可する。各々、王冠の為に王座を捧げてくれ」
秘書官から配られた書簡を顎髭を擦りながら読む者もいれば、何やら辛そうな表情で読もうと頑張る若者の王もいた。オスプレイは書簡を読む諸国王たちを見渡しながら、本来なら満席であるはずの長机に一つ空いた席があった。その席は、オスプレイの左手から三席目であった。その席は、戦犬の一族の代表者だった。
◇◇
先程の大広間と異なり、王城の一角に作られた質素な宰相執務室で五人がいた。一人は執務机一式に座っており、四人はそれを囲むように座っていた。
「では、そのように進めていきます」
「いいか? 絶対に弱気な姿勢を見せるな。いつものお前を見せていくのだ。あのクソガキにな」
「ええ、私もそのようにやりますよ。そうしなければ王冠に示しがつかない」
「……」
汚い言葉で叱咤をかけた宰相――ギデオン・グレイは、好物である豆を潰しながら紙面と睨めっこをしていた。
宰相政務室では、四人の大臣と宰相が主に集められていた。その他に大臣直下の者達もいたが、五人の邪魔にならないように静かに大臣たちの後ろで会議を見守っていた。部下達は大臣と宰相の政には心配していなかった。むしろ、過激な結果に終わらないかハラハラしていたほどだった。
グレイ宰相に倍返しを宣言した外務卿――カイル・シャイ。彼は女性と見間違うくらい中性的であり、ショートボブな髪型で黒と白をベースとした宗教を意識させるような衣服を着ていた。戦犬の一族の裏切りは、他国との関係や戦争させる意欲を高めさせるきっかけになりかねない。外務卿としては、戦犬の一族は恨んでも恨みしきれないくらい最悪の相手だった。
「だからといって、国内を放置していたらそれこそ本末転倒ですよぉ? それを承知で進めていますよねこれ」
気乗りしないような気持ちで横槍したのは、内務卿――ナザール・ケルだった。四大臣で唯一民衆出身の彼は、大きくおでこを見せた髪型をしており、良い意味で貴族らしくなかった。
「今は、国内よりも国外が重要かと?」
「確かに、国王の王太子が崩御されたのは重大な事であります。しかし、だからこそ国内を引き締めないと第二の戦犬の一族が現れる可能性がありますよ」
「それを両立しなさいと言っているのです」
「そんな事ができると思っているのなら、滑稽です」
「落ち着けなされよ内務卿。 貴方の言うことも理解できるが、今は戦犬の一族の借地問題なども貴方も関わってくるのでは?」
「う……そうですね……それなら、両立しなければ」
白熱すぎてハラハラしていた部下達でも止められなかった逸れた議論に、戻させた軍務大臣――クラウディオ・リコラ。彼は軍人でありながらも後方勤務期間が長く、前線に立った事は少ない稀有な経歴を持つ。それでめ国内軍隊から揶揄されることは少ない。それは、彼の後方支援を重視した戦術が勝利を導いてるからだ。
丸坊主に掘り深い日焼けした顔つきで、もみあげが顎まで伸びていた。だが、四大臣の中では冷静に落ち着いた性格で、いつも外務卿と内務卿の対立を止めていたのは彼だった。話を追っていたクラウディオは話をまとめようと、手を組み太ももに置いた。
「戦犬の一族が攻撃を仕掛けた時の事も考えて、先に一軍団をモロニー王族へ派遣しておきます。 外務卿はモロニー王族にそのような通達を」
「既にそのように進めています」
クラウディオは外務卿の後ろに控えていた部下を見たが、一人減っていた。先に部屋を退出して、文書通達などをしているのだろう。クラウディオは対応に感謝するように頷いた。
ナザールは周囲に目配りして、次の議題に移行した。
「国民には王太子暗殺は伏せるにしても、有限がありますからねぇ……一番まずいのは、戦犬の一族が王太子の遺体を持ち出されること。どんな風に弄られてるかたまったものではない。――ヴァルガ王族は神の王族と言われてます。一刻も取り返すことが国内混乱を解消させるきっかけでもあるからねぇ」
「本来なら、こういう場合交渉でやるものですが、今回は私は裂けたいものです。宰相、ご理解を」
「分かってる。だから言っただろうお前にはいつも通りで行けと」
豆を鷲掴みにして食っていた宰相グレイは、一々私に許可取りするなと突っぱねた。カイルは「ですよね」とこくりと頷いた。このやり取りは見た光景だ。カイルは所謂、マニュアル人間であったのでまどろっこしいやり取りも苦としなかった。一方、内務卿のナザールは細かいことを気にせず、国民の有益になるのならと喜んで取り組んでいた。
そんな三人の大臣に恐る恐る口を動かそうと努力する者がいた。
「クラウディオ殿の軍出征には、国資金から出すか諸国王から捻出することを前提とする『借国金』にするか……どうしますか? どちらからでも払えますが、これから先の戦争を考えると長期的な資金が必要になるかと」
彼の名はサミラ・ゲバー。財務卿だ。三人と比べると内気で強い発言をしないが、宰相グレイが重宝する要人である。貴族や商会から戦資金を借りる事自体はほかの三人でもできる。だが、大金額となれば難しくなってくる。それを可能にしてかつ信頼が壊れない関係に保てるのがサミラである。
内務卿のナザールよりと身体が細いが、机にずっと座れるのは四人中でサミラが一番になるだろう。
サミラは資金が書かれてる資料を読みながら、これから先に必要になりそうな資金を読み上げていた。
財務を担当するサミラは慣れていたのでスラスラと読み上げられていたが、金額に聞き慣れていない軍務卿クラウディオと外務卿カイルはなんとも言えない表情で聞いていた。
四人の大臣からの政務報告を聞いていたグレイは知っていたものの、想定されていなかった戦争への出費に苛立ちが隠せなかった。
「この戦争で勝ったら、莫大な賠償金は勿論。 嬲り殺してやるわ」
「妥当かと」
外務卿カイルはそれに同意していた。内務卿ナザールも、裏切られたという悔しさを抱えていたがそれよりも王太子が殺された事による次の"王位継承者"に気にかかっていた。
「宰相。 この話は王の前では出来ませぬが、万が一の為に、第二王子を王城に呼び寄せることは出来ませんか?」
「とっくにやってるわ。だが、見つからないらしい」
豆をボリボリ食べながら返した宰相グレイは、老齢の身体を立たせながら六面に区切られた窓の外を見ながら
「見つからないらしい」
「んん……この情勢。安心できませぬな」
軍務卿クラウディオは、不安そうながらも王子に何かあったのかと危惧した。財務卿もそれに伴い、「あの方は王都から外れたどこかにいると聞いていますが……」
「あの馬鹿王子は、兄……亡き王太子と比べて王子としての威厳がな」
「ハハッ……ありましたねぇ。 国王と大喧嘩したのでしたっけ。 幸いにも、公の場じゃなくてよかったですが」
財務卿はあの頃を思い出すかのように話していた。彼はその場にいたわけでは無いが、その噂は大臣格まで広まっていた。国民に知られないように箝口令敷かれていたが、逆手となり国民に広く知られてしまった。
幸いなことにその王子が第二継承者だった事から大きな問題とならなかった。だが、それは王子にとっては大きな行動を引き起こしたのに、軽くあしらわれてるようだっただろう。なぜ喧嘩したのか分からない。財務卿にとっては当時、王子を探すための資金を捻出するのに苦労していた。言わば、王子に対して良くない思いを抱いてもおかしくないはずだ。
それでも彼を悪く思わなかった。
「何はともあれ、今だけは第二……第一王子を呼び出さなければまずいです」
軍務卿は話をまとめさせるために、そのように言った。皆はそれに同意したし、王子を嫌っていそうだった宰相も「当たり前だ」と吐いた。




