悪魔の血に注ぐ月光
重苦しい空気、ジメジメと空気が肌にまとわりついてくる中に、むせかえるような鉄の臭いが混じる。否、少女の血の臭いである。薄汚れた肌に付けられた浅い傷口からじわじわと赤く染まり、人ならざる色の肌に、見たものは悪魔が出たと騒ぎ出すだろう。少女は傷だらけの体ゆっくりとを起こした。痛みには慣れているが、今日は特にひどいやられようで意識が朦朧とする。今日の食事当番はよっぽど機嫌が悪かったらしい。
少女に名前は存在しない。幼い頃の記憶はなく、もちろん親の顔も愛も知らない。物心ついた時から彼女はこの地下牢に閉じ込められおり、明かりといえば高い壁にある鉄格子から差し込むもののみ。そんな明かりも今宵は曇り空に邪魔をされて、彼女を慰めてくれる光は無い。
キー、、、。ふと、ひっそりと戸が開く音がした。なんとか視線だけ牢の前に向ける。そこには旅人らしき出立ちの青年が立っていた。一度見たら忘れられない整った愛らしい顔立ちに、流れるような銀髪が光を帯びたように輝く。宝石のように澄んだ瞳を抱えるまつ毛は女性と見間違うほど長く、鳥の羽毛のように柔らかい。驚愕したような表情で牢につかみかかった彼は、何かをこちらに語りかけてきた。しかし少女の瞼は重くなり、意識は闇へと沈んでいった。
痛みと食器が割れる音で目を覚ます。
「さっさと食べなさい、悪魔の子。朝食を持ってきてあげたんだから」
髪を掴まれ、カビ臭いパンを口に捩じ込まれた。知らぬ間に夜が開けていたらしい。今日の食事当番は若い村娘で、やけに綺麗な服を着ている。
「ほんとめんどくさい、今日は彼とデートの予定だっていうのに。こんな汚い忌み子と同じ空気すわされるとか最悪」
どうやら予定があるようだ。今朝はあまり痛い思いをせずに済むかもしれない。
「見てないで食べなさいよ!気持ち悪い!」
ヒステリックな娘は食器も下げずに勢いよく牢の戸を閉め、去っていった。這って近くのパンを掴み、貪る。普通の感覚の人間は触れることも抵抗があるだろうが、食べ物だった物はこれしかない。砂を含んだ時もあったため、口に入れられるだけマシである。
少女が横たわったまま貪っていると、キー、と牢の戸が空いた。そこには昨夜見た青年が立っていた。
「こんにちは」
男性らしくない澄んだ鳥の囀りのような声が響く。
「お名前、なんていうの」
少女は首を傾げ、口を開ける。そこには、言葉をか交わすための舌がなかった。青年は痛々しい姿に眉を顰めたが、続ける。
「面白い異国の食べ物を持ってるんだ、君にも見てほしい」
二人の特別な関係はそこから始まった。
牢の中に刺すように冷たい月光が少女の赤黒い傷を照らす。少女は寂しさを紛らわせるように足を抱え、青年を待っている。ここ数日、青年は毎日のように少女の元に通い続けている。普段は牢の鍵が閉まっているために初対面の頃のように対面することはないが、それでも彼は時に話で、時に食べ物で少女に人の温かみを教えてくれていた。初めは警戒していた少女であったが、彼の清らかな微笑みに少しずつ心を開いていった。
そんな彼が今日は訪れない。胸に静かな絶望が広がる。彼も私を、と嫌な考えが全身に広がっていき、指先まで冷たく染まる。
すると。いつもは彼の柔らかい声が聞こえるはずの牢の窓から酔いに溺れた男衆の雑音が降ってきた。
「いやあ傑作!見たかあの情けない表情!」
「見たとも!あの旅人の男、前から女みたいな顔して気味悪かったんだ!」
「呪いの子に慈悲をやってたんだろ?」
「とにかくあいつを捕えられたんだ、今夜は宴だ!」
だらしない笑い声と共に男衆が遠ざかる。少女は目の前が暗くなった。今、奴らは誰のことを話していたのだろうか。枯れ枝のように弱った少女であっても、それが誰なのか想像がついた。少女の胸 にどす黒い炎がつく。その炎の勢いは彼のことを思うたびに勢いを増していき、ついには火の粉が彼女の周りにちらつき始めた。
少女は復讐を決意した。
血のように空が染まった夕暮れの日。
少女は綿密な計画を立てた。幸い、ヒステリックな村娘のズボラな行動により、物資も不足なく蓄えることもできた。今日も娘のおかげで牢の鍵が開いている。普段であれば立ち上がる力もないが、復讐心と青年を救いたいという願いが少女を動かした。
ナイフを握り締め、震える足で駆け出す。あの青年は、今日村から生死を問わずに追放されると聞いた。
牢を出ると、広場の中央が賑わっているのがわかる。きっとそこに彼がいるんだ。全力でかけていく少女の姿は地獄から這ってきたかのような炎に包まれ、周囲の建物にも飛び火していく。もはや聖職者であっても、彼女を止めることのできる者はいないだろう。
復讐は簡単だった。
恐怖に叫ぶ声、許しを乞う声、火傷に苦しむうめき声。彼女を苦しめた全てに復讐することができた。
その身に流れる魔族の血は少女を忌み子としたが、最愛の家族を救うことができた。
しかし、命は意外と脆いものである。村から逃げる際に、少女の傷に猛毒の葉が触れ、今にも息を引き取ろうとしている。
青年の宝石の瞳は輝きを失っていなかったが、今は涙で前も見えていない。
少女は自由になった世界で、もう自由に動けなくなってしまうのだ。
でも、少女は幸せなのかもしれない。
たった一人の、最愛の家族である青年に抱かれて息絶えるのだから。
初めての投稿です。
授業で制作したものですが、気に入っているので投稿してみました。
2000字になるよう調整したので展開が少し無理やりです、ごめんなさい。




