狛犬の告白(1)
週末の午後。少し風は強いけど、空は綺麗に晴れていた。
今日は、ちょっとだけ特別な日。
……いや、別に何があるってわけじゃない。
「おやつ持ってくから、どっかでゆっくり食べよっか」なんて、そんなふうに碧が誘ってきたのは初めてで。
それを私が断らなかったのも──たぶん、初めてだった。
「おー! これ全部、玲亜が作ったの?」
「“全部”って言っても、簡単なやつばっかだけど……」
拝殿裏の広場。木陰に敷いたレジャーシートの上に、小さな保冷バッグを広げると、碧が子どもみたいに目を輝かせた。
「おにぎりに、卵焼きに、甘いちっちゃいホットケーキ……これ、どこから食べればいいのか迷うやつ!」
「……テンション上がりすぎじゃない?」
「だってだって、玲亜のお手製ピクニックだよ? これはもう、今年一番の奇跡!」
「まだ春入ったばっかりだけど?」
「じゃあ暫定一位!」
ほんと、いつもこうなんだ、この人は。
見てるだけで疲れが吹き飛ぶくらい、調子が良くて、無邪気で。
……時々、ズルいくらいに。
「……ほら、お茶も持ってきたから。食べすぎないでよ」
「食べすぎる予定だよ!」
もぐもぐと夢中で食べている碧の横で、私はおにぎりをひと口かじった。
春風が吹き抜けて、木の葉がざわめく。
こんなに静かで、のんびりした時間があるなんて、思わなかった。
「なあ玲亜」
「ん?」
「俺さ、こういうの、初めてかも」
「……“こういうの”?」
「誰かとご飯食べたり、並んで座って、笑ったりするの。
神さまの使いって、わりと孤独なんだよ? 知らなかったでしょ」
「……うん、知らなかった。ていうか、碧の口から“孤独”なんて単語が出てくるとも思ってなかった」
「ひどっ」
拗ねたふりをして、膨らんだホットケーキの端をちぎって私の皿に乗せてくる。
……こういうとこが反則なんだ。心の奥にふわっと甘さを残していくから。
「……そういえばさ」
ふと、私の視線が吸い寄せられていたものに気づかれて、碧が首を傾げる。
「ん? どうしたの?」
「……その、前から思ってたんだけど……」
私は指先で、空をさすようにそっと示す。
「その耳、……どんな感じなのかなって」
「耳?」
「うん。犬耳……それ、本当に、感覚あるの?」
「あー……あるよ。ちゃんと聞こえるし、触られたら、くすぐったい」
「そっか……」
少し迷って、でもやっぱり気になって。
私は思いきって、訊いた。
「……触ってもいい?」
一瞬、碧の目がまんまるになって、それからにへらっと笑った。
「玲亜に触られるなら、やぶさかではない!」
「その言い方やめて!」
「はいはい、どーぞ。優しくね?」
「もう……」
私はそっと、碧の耳に指を伸ばした。
指先が、やわらかい毛に触れた瞬間――
「……わ」
あったかくて、ふわふわで、
ほんのり体温を感じて、なぜかちょっとドキドキした。
「……あの」
「うん?」
「これ、ぬいぐるみみたい……」
「うんうん、それよく言われる!」
「言われてるんだ……」
「宇汰に」
「弟かい……」
でも、撫でているうちに、ふと、碧の耳がぴくんと揺れた。
「っ……あっ」
「……動いた?」
「……玲亜、それ以上やると……」
「え?」
「……耳、弱いんだよね。……そこ、くすぐったいっていうか、ゾワって……っ」
……やばい。なんか、反応が、可愛すぎる。
「ちょ……! や、だめ、そこっ、撫でないで……!」
碧がじたばたし始めて、私の手を避ける。
でも、なんかもう、楽しくなってきて、ちょっと意地悪したくなって──
「ここ? ここがいいの?」
「っ……ちが、そこは……っくすぐった……あぁー!!」
ぐしゃっと、私の手を掴んで、碧が顔を真っ赤にしたまま叫んだ。
「っ、ストーーップ! 耳さわり禁止ーー!!」
「……あははは!」
もう、ダメだ。
お腹の底から笑ってしまった。
こんなに笑ったの、ほんと久しぶり。
隣で拗ねた顔の碧がむくれてるのが、可愛くて、ちょっと罪悪感あるけど。
でも、それ以上に、心があったかい。
──ふたりだけの時間は、静かに、ゆっくり、甘く流れていった。




