甘やかす心と守る心(7)
その日は、特別な予定のない静かな日だった。
境内の掃除も終え、社務所の縁側で、私は一人、空を仰いでいた。
秋の風が木の葉を揺らし、鈴の音がどこか遠くで響く。
ふと、胸元の御守りに手を添える。
(あの夜……私は、誰かに“守られる”ことを受け入れた)
初めてだった。
自分一人で背負い込むことをやめて、二人の祈りに身体を委ねたあの瞬間。
それは、ただの無力さではなく——信頼だった。
「玲亜さん」
後ろから、静かな声がかかる。
振り返ると、宇汰がいた。
数日前と同じ制服姿。けれど、表情が少しだけ、大人びて見えた。
「少し……話せますか?」
頷いて、私は隣に腰を下ろす。
「……俺、兄さんに、負けたと思ってる」
唐突な言葉に、思わず目を見開く。
「だけど、それで良かったとも思ってるんだ。
玲亜さんが“誰に心を向けるのか”は、もうとっくに決まってる気がするから」
風が、優しく吹き抜ける。
私は、膝の上に手を置いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……私、自分では気づかないふりをしてたんだと思う」
「え?」
「“どちらも大切”って、ずっと思ってた。でもそれは、選ばないことで、誰かを傷つけないようにしてただけだったのかもしれない」
静かに目を伏せる。
碧の、まっすぐな瞳。
宇汰の、揺れるような優しさ。
どちらも、本当に私にたくさんのものをくれた。
でも——
「私が、誰に手を伸ばしたいのか。
誰の声に、心が揺れるのか。
……もう、ちゃんとわかってる」
宇汰は小さく頷いた。
「……だから、俺から先に言う。
玲亜さんの幸せを、俺はちゃんと願うよ」
その声が、とても清々しくて、少しだけ胸が痛んだ。
「……ありがとう、宇汰」
私が選んだのは、碧。
あの夜、自分のすべてを賭けて守ってくれた彼。
言葉より先に“行動”で、命を懸けて伝えてくれた人。
宇汰も、きっと私にとって大切な人であり続ける。
でも、同じ“想い”を返すことは、もうできない。
縁側から見える境内の奥、社の影からこちらを見ていた碧と、視線が合った。
彼の目が、ほんの少しだけ、驚いたように見開かれる。
それから、静かに、笑った。
私はゆっくりと立ち上がり、碧の方へと歩き出す。
今度は、誰に背中を押されるでもなく、自分の意思で。
「——碧」
呼ぶと、彼が一歩、私の方へ踏み出してくる。
「聞いて欲しいことがあるの」
目を見て、正面から。
「私……あなたのことが、好き」
その瞬間、碧の目が大きく揺れて、頬に紅がさした。
何かを言おうとして、でも言葉に詰まり、結局——
「……うん。俺も、ずっと、玲亜のことが……」
言葉を繋ごうとする彼の手を、私はそっと握る。
そうして、ようやく、ちゃんと繋がった。
誰の想いでもなく、私の想いとして。
縁側に残る宇汰の背は、少しだけ小さく見えた。
でも、彼もまた、背中でしっかりと“前を向く決意”を見せていた。
——こうして私は、自分の“心”を選んだ。
それは、きっとまだ始まったばかりの“愛”という道の、第一歩だった。




