甘やかす心と守る心(1)
翌日の夕方。
会社を終えて蒼月神社の石段を上がると、境内の灯籠がもう灯されていた。
その柔らかな明かりの下で、碧が耳をぴんと立てながら待ち構えている。
「玲亜ー! お疲れさま!」
駆け寄ってきた碧が、紙袋を掲げてにかっと笑った。
袋の中から漂ってくるのは、甘く濃厚な香り。
「見て見て! ケーキ! 今日は玲亜を甘やかす日だから!」
「え、また……? この前もシュークリーム食べたばっかりじゃん」
「いいんだよ! 玲亜はがんばりすぎてるんだから! 俺が甘やかさないと!」
強引に手を取られ、拝殿脇の縁側へと引っ張られる。
そこに座らされ、箱を開けると色とりどりのケーキが並んでいて、思わず目を丸くした。
「ちょ、こんなに……!」
「玲亜はチョコ系でしょ? 俺はショートケーキ! 宇汰は……あれ? どこ行った?」
碧が首を傾げるちょうどそのとき、境内の奥から宇汰が姿を現した。
眠そうな顔をしていたが、碧の持つ箱を一目見て、ふうっと大きな溜め息をつく。
「……兄さん、また?」
「だって玲亜が無理してるんだよ! だったら俺が癒してあげなきゃ!」
「甘やかすのと、負担を増やすのは違う」
「え?」
宇汰は真っ直ぐ碧を見据えた。
普段はどこか気の抜けたような彼の声が、今は芯の通った強さを持っている。
「玲亜さんは“巫”になってから、力の消耗が大きい。
疲れているときに無理に甘いものを押しつけても、余計に体調を崩すだけ」
「でも……!」
「兄さんは気づいてないだけ。……玲亜さんの顔色、ちゃんと見て」
その一言に、碧の耳がぴくりと震えた。
驚いたようにこちらを振り返り、真剣な眼差しで覗き込んでくる。
「……玲亜、本当に……無理してるの?」
心配そうに揺れるその瞳に、胸が詰まった。
慌てて笑みを作り、言葉を返す。
「……私は大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」
「でも——」
「兄さん」
宇汰が遮った。
夜風に揺れる声は低く、けれどどこまでも真剣だ。
「“大丈夫”は、一番大丈夫じゃないときに言う言葉だよ」
胸の奥を射抜かれたように、息が詰まる。
——彼の言葉は正しい。わかっている。
祈るたびに体が重くなるのに、無理を重ねて「大丈夫」と言い聞かせてきた。
碧は拳を握りしめ、唇を噛みしめて俯いた。
宇汰は黙ったまま、眠たげな瞳の奥に強い光を宿して私を見つめている。
どちらも、私を想ってくれている。
その想いが痛いほど伝わってきて、胸がぎゅっと締めつけられた。
「……ありがと。ふたりとも」
小さく呟くと、碧と宇汰は同時に顔を上げた。
私の声は震えていたけれど、心の奥から出た素直な言葉だった。
「ちゃんと、気をつけるから。……ひとりで突っ走ったりしない」
その答えに、宇汰は静かに頷き、碧はようやく安心したように笑った。
緊張がほどけたのか、耳がぴこぴこと揺れ、笑顔に幼さが戻っている。
「……よかった」
その小さな安堵の声に、思わず私も笑みを零した。
縁側を抜けていく夜風が鈴を揺らし、涼やかな音が境内に広がる。
三人の間には、さっきまでの張りつめた空気とは違う、柔らかな沈黙が流れていた。
(……ほんと、私って守られてばかりだな)
そう思いながらも、胸の奥がほんのり温かくなる。




