祭りの灯火(1)
夏の夕暮れ。
赤く染まる空の下、境内の隅から甲高い鳴き声が響いた。
「きゃんっ!? やめろぉぉ!!」
「狐……蘭丸!?」
慌てて駆け寄った私の目に映ったのは、真っ白な毛並みに赤い尾先を揺らす小狐。
蘭丸だ。普段は人の姿をしているのに、今は狐の姿に戻って拝殿の前を必死に駆け回っている。
その足元を、黒い靄がじわじわと追いかけていた。
ぬるりと腕のように形を伸ばし、小さな体を捕らえようと絡みついてくる。
「また……穢れ!」
横に立った碧の耳がぴんと立ち、尾がぱっと輝いた。
青白い光が放たれ、靄を一度は弾き飛ばす。
しかし靄はすぐ形を変え、今度は蘭丸に狙いを定めて迫っていく。
「ひゃんっ! 助けて玲亜お姉さーん!!」
「大丈夫! 私が……!」
胸元に手を当て、深く息を吸い込む。
お守りがじんわりと熱を帯び、足元の空気が震えた。
「──穢れよ、鎮まりなさい!」
掌から淡い光が広がり、靄の動きが一瞬ひるむ。
その隙に蘭丸は小さな体をひょいと柱の影へ飛び込み、尻尾をぺたんと垂らしながら震えていた。
「玲亜! ナイス!」
碧が尾を振り抜き、光を叩きつける。
靄は吹き飛んだが、完全には消えない。
「……蘭丸に引き寄せられてる。あいつ、穢れに敏感だから狙われやすいんだ」
宇汰の声はいつになく鋭い。
「じゃあ……!」
「守るしかない!」
碧と私が手を取り合った瞬間、掌から溢れる光が重なり合い、境内全体を包み込む。
祭りの提灯のように、境内の隅々まで明るく照らされ──靄は悲鳴のようなざわめきを残して、一気に霧散していった。
静寂が戻る。
聞こえるのは、遠くの祭囃子と、蝉の鳴き声だけ。
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境内の端で、蘭丸が小さな狐の姿のままへたり込んでいた。
赤い尾先がしょんぼり垂れて、目元には涙がにじんでいる。
「きゅぅん……助かったぁ……」
駆け寄ってその体を抱き上げると、蘭丸は涙目のまま私の胸元に鼻をすり寄せてきた。
「玲亜お姉さんと兄ちゃんがいなかったら、オレもう……」
「大丈夫。ちゃんと守ったから」
背を撫でると、小さな尻尾がぶんぶん振られ、きゅぅんと甘えた声が漏れる。
その顔は、さっきまでの恐怖を忘れてしまったかのようにとろけきっていた。
「……ナデナデ最高……玲亜お姉さん、大好き……」
「ふふ……ほんと、子どもみたい」
その様子を横で見ていた碧は、なんとも言えない顔をしていた。
耳をぴくぴく動かし、尻尾の先を落ち着きなく揺らしている。
「……なにその顔」
「いや……俺も……ナデナデされたいなーって」
「はあ!? 碧は子どもじゃないでしょ!」
「でも羨ましい……」
ぼそりと呟く碧に、私は思わず吹き出してしまう。
宇汰は縁側から団扇をあおぎつつ、「……兄さん、ほんと犬っぽい」と冷めた声を投げた。
「……守るって、こういうことなんだね」
胸の奥で、静かにそう思った。
腕の中で安心しきった蘭丸。
横で耳を赤くしてむくれている碧。
そして団扇をあおぎながら、黙ってすべてを見守る宇汰。
……この神社を守りたい。
この不思議で愛おしい日常を、決して壊させたくない。
まだ重ねたままの碧の手を、ぎゅっと握りしめた。
異界と現世をつなぐ巫となった意味が、ようやく実感に変わった気がした。




