神主不在の神社と蒼月の巫(3)
病室の窓から射し込む夏の光は、やわらかいのにどこか遠かった。
消毒液の匂いと規則正しい心電図の音。
それらが重なり合って、現実感をゆるやかに曇らせていた。
ベッドの上で枕にもたれる誠一さんは、目を閉じて静かに呼吸を整えていた。
けれど私の気配に気づいたのか、ゆっくりと瞼を開けて穏やかな笑みを向けてくれる。
「玲亜ちゃん……また来てくれたのか」
「はい。……あの、話が聞きたくて」
声が少し震えてしまう。
けれど、今はどうしても聞かなければならない気がした。
誠一さんは短く息を吐き、目を細めて言った。
「……やはり、美津江さんの孫だね」
「おばあちゃんを……知っているんですよね」
「知っているとも。前にも少し話したが、彼女は昔、この蒼月神社で“巫女”を務めていた」
胸が高鳴る。
何度か聞いたはずの話なのに、改めてそう告げられると、祖母の存在が急に近くなる。
「……おばあちゃんは、どうして辞めてしまったんですか」
私の問いに、誠一さんは視線を落とす。
「美津江さんは、強い感受性を持っていた。……祈りも穢れも、人より鮮明に感じ取ってしまったんだ。
若い頃、彼女は何度も異界に触れた。……だが、体がついていかなくなった」
その声には静けさと、深い痛みが混じっていた。
きっと彼自身も、若い彼女の姿をそばで見ていたのだろう。
「だから彼女は“普通の生活”を選んだ。家族を持ち、孫に恵まれ……君を育てる縁へとつながった」
「……」
「だが、彼女は最後まで言っていたよ。“蒼月神社は大切にしてほしい”と」
目の奥が熱くなる。
祖母がよく口にしていた言葉を思い出した。
──祈りはね、誰かを守るんだよ。
子どもの頃はただの言葉遊びだと思っていた。
けれど今は、その一言の重みを骨の奥で理解できる。
「……でも、私は神主じゃないし、後継ぎでもない」
弱い声が漏れる。
自分の無力さが、言葉にするといっそう鮮明になってしまう。
すると誠一さんは、少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「神社を継ぐことはできなくても……“巫”ならなれるかもしれない」
「……巫?」
「祈りを受け、神域と現世をつなぐ媒介者だ。
君が“祈りの光”を視られるのは、その素質があるからだろう」
胸が強く打つ。
本当に、自分にできることがあるのかもしれない。
ただ守られるだけじゃなく、隣に立って支えることができるかもしれない。
そして何よりも——
“あの夜、碧が私を救ってくれたように、今度は私が碧と宇汰を護りたい”。
そう願った気持ちは、決して一時の感情なんかじゃない。
あのとき芽生えた祈りは、今も胸の中で燃えている。
「……どうすれば、なれますか」
「碧くんと宇汰くんに先導してもらうといい。異界で“蒼月の巫”としての契約を結ぶんだ」
「異界で……契約を」
「ただし──代償もある」
誠一さんの瞳が、厳しさを帯びる。
「巫となれば、君は“現世と異界を行き来する体質”になる。
日常の生活にも負担は残る。……それでも、覚悟はあるか」
胸元に手を当てる。
蒼い糸のお守りが、かすかに温もりを宿していた。
祖母が残してくれた縁が、今もここで息づいている。
碧と宇汰の姿が揺らいだ、あの日の光景がよみがえる。
もしも彼らが消えてしまったら──二度と、その手を取ることはできなくなる。
そんな未来は、絶対に嫌だった。
「……あります」
声は震えていた。
でも、迷いはもうなかった。
「私、やります」
それは自分自身への誓い。
そして、祖母から受け継いだ祈りの形。
病室に流れる静かな光の中で、その言葉は確かに根を下ろした。




