神主不在の神社と蒼月の巫(2)
翌朝。
いつものように境内に出て、竹ぼうきを握る。
けれど、昨日から胸の奥が重たくて、思うように手が動かなかった。
落ち葉を集めようとしても、風が吹けばまた散ってしまう。
ため息をひとつついた、そのときだった。
──す、と風が止む。
境内を包んでいた朝のざわめきが、まるで切り取られたように静まった。
「……玲亜」
背後から呼ばれる声。
振り返った瞬間、胸が凍りついた。
碧の姿が、ふっと揺らいでいた。
輪郭が薄れて、透けたかと思えば、また戻る。
その繰り返し。
「碧!? また……!」
「はは……ごめん。ちょっと立ってるだけで息切れするんだ」
にかっと笑おうとする碧。
けれど、その笑顔が痛々しい。
まるで、無理に元気を装っているみたいで──胸がぎゅっと締めつけられる。
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「このままじゃ、兄さんは長く保てない……俺も」
静かに言ったのは宇汰だった。
縁側の柱に寄りかかりながら、眠たげな瞳の奥に焦りを宿している。
彼がそんな目をするのを、私は初めて見た。
「……玲亜さん。神社を守れるのは、人間だけなんだ」
「……私が?」
「そう。神主がいない今、この場所を繋ぎとめられるのは人間しかいない。
誰も継がなければ、この神社は終わる」
言葉は理解できた。
でも、すぐには呑み込めなかった。
「……だって、私なんかに……」
気づけば声が震えていた。
「私はただの会社員で……毎日、やっとの思いで仕事して……。
神主なんて、そんな大事なこと、できるわけない……!」
視界が滲む。
弱音と一緒に、涙があふれそうになる。
「玲亜」
そのとき、碧が一歩近づいた。
揺らぐ手で、私の手をそっと握る。
その感触はかすかで、それでも確かに温かかった。
「玲亜はさ。俺が“ここにいてほしい”って願ったとき……ちゃんと来てくれた」
「……」
「それだけで十分、神社にとっては“守ってくれる人”なんだと思う」
無邪気に、けれど真剣に。
まっすぐな瞳で、そんなふうに言われてしまったら──どうして信じられないだろう。
「……でも、私には……」
言いかけると、碧が首を横に振った。
「玲亜ならできる。俺はそう思う」
真剣すぎる声音。
胸にすとんと落ちてくる言葉。
できるかどうかなんて、わからない。
けれど──この手を離したくない。
胸元の蒼いお守りが、かすかに熱を帯びた。
祖母が残してくれた縁が、背中を押してくれるように感じられた。
「……少し、考えさせて」
絞り出すようにそう告げる。
「うん」
碧は安心したように微笑んだ。
その笑顔が、ひどく愛しくて、同時に怖かった。
失いたくない。
どんな形でも、この神社も、碧たちも──消えてほしくない。
その思いだけは、もう揺るぎようがなかった。




