繋いだ手と、覚悟の影(3)
黒い靄が散っていったあと、境内にはふたたび夏の風が吹き抜けていた。
木々がざわめき、蝉の声が戻ってきても、胸の奥に残る緊張はすぐには消えなかった。
「……ふぅ……」
大きく息をつき、胸元に手を当てる。
懐に入れていた蒼い糸のお守りが、まだかすかに温もりを放っている。
さっき確かに私を支えてくれた、小さな光の証拠。
「玲亜、大丈夫?」
すぐ隣から声がして顔を上げると、碧が心配そうに覗き込んできた。
耳はぴんと立ち、尻尾の気配がそわそわと揺れている。
普段は笑顔ばかりの彼が、こんなに真剣な目をするなんて。
「うん……平気。お守りのおかげかな」
なんとか笑ってみせると、碧は眉を寄せて首を振った。
「でも無茶しただろ。玲亜がいなくなったら……俺、ほんと困るから」
真剣な声音に、胸がちくりと痛んだ。
でも、どうしようもなく嬉しくもあった。
「……困るって、なに」
「だってさ。玲亜といると、俺……安心するんだよ」
碧は少し照れくさそうに笑って、続ける。
「お菓子食べてるときみたいに“幸せ”ってなる」
「例えが雑!」
「でも本当だよ?」
あっけらかんとした笑顔なのに、その言葉は胸の奥を真っ直ぐに突いてくる。
戦った直後とは思えない無邪気さに、心臓がまた跳ねてしまった。
碧は私の手をそっと握った。
指先から伝わる体温がじんわり広がって、頬が一気に熱くなる。
「……碧」
「俺さ。玲亜と一緒なら、もっと強くなれる気がする」
「……」
「だから、これからも隣にいてほしい」
ストレートすぎる言葉に、頭が真っ白になる。
“隣にいてほしい”なんて、そんなふうに言われたら──。
答えを返す勇気はまだ出せなかったけれど、それでも私は、そっと手を握り返してしまっていた。
「……ほんと、ずるいんだから」
小さな声でそう呟くと、碧は「へへっ」と子どもみたいに笑って、さらに手をぎゅっと握りしめてきた。
その無邪気さが、胸を苦しくも温かくする。
ふと、少し離れた縁側から視線を感じる。
団扇をあおぎながら、宇汰がこちらを見ていた。
「……兄さんが玲亜さんを巻き込んでいくなら、本当に覚悟してもらわないと」
低く静かな声。
その言葉には、さっきの戦いよりも重たい現実の影が潜んでいた。
「宇汰……」
呼びかけようとしたけれど、彼はそれ以上言葉を続けなかった。
眠たげな表情に戻した横顔は、しかしどこか寂しげで。
境内に蝉の声が響く。
夏の陽射しはいつもと同じなのに、心の奥に残った冷たさは消えない。
けれど私は、碧の手を離さなかった。
どんな危うさが待っていても、もう目を逸らさない。
彼らと共に歩むと決めたから。
──繋いだ手の温もりは、私にとっての「居場所」の証だった。




