繋いだ手と、覚悟の影(2)
碧に手を握られたまま、赤くなった顔をどうにか誤魔化そうとしたその時だった。
──ぞわり。
背筋をなぞるような、重たい気配。
境内の空気が、急に冷たく変わった。
「……っ、なに、これ……」
私が呟くより早く、碧の耳がぴんと立った。
子犬のように無邪気だったさっきまでとは違う、鋭い狛犬の気配。
「玲亜、下がって!」
彼の声は、いつもの笑顔に隠れた真剣そのものだった。
次の瞬間。
拝殿の奥から、黒い靄がじわじわと漏れ出してきた。
ただの影じゃない。呻き声のような、誰かの恨みのようなざわめきを孕んでいる。
「……人の“願い”が、歪んで化けた……」
境内の影から、宇汰が現れる。
眠そうな顔に宿った瞳は鋭く、いつもと違う緊張感を漂わせていた。
「本格的に“顕現”したな」
黒い靄はのたうつように形を変え、枝のような腕を境内に伸ばしてくる。
木々の枝をなぎ倒し、石畳をきしませながら迫ってきた。
「っ、やだ……!」
「大丈夫! 玲亜は俺が守る!」
碧が前に立ち、尾を輝かせる。
青白い光が境内を照らし、黒い靄を押し返す。
けれど靄は勢いを増し、境内全体を覆い尽くそうとしていた。
「兄さん、一度じゃ祓えない……強すぎる」
「でも、やるしか──!」
碧の声に必死さが混ざる。
彼の光が押され、靄が再び迫ってきた。
「……っ、お願い……」
私は胸の前で手を合わせる。
あの日、初めて祈りが力になった時と同じように。
「……落ち着いて……ここは守られる場所……」
自然と、祖母の祈りの姿が頭に浮かぶ。
すると、掌の間に淡い光が宿った。
ふわりと境内に広がり、靄の動きが一瞬止まる。
「玲亜……!」
碧が振り返る。驚きと喜びに満ちた目で。
けれど宇汰がすぐに声を飛ばした。
「玲亜さん! 力を出しすぎるな!」
「……っ」
「人の身でこの力を扱えば、すぐに穢れに呑まれる。……無理はさせない」
その瞬間、胸元で懐に入れていた蒼い糸のお守りが、ほのかに光り始めた。
まるで内側から祈りの力を支えてくれるように、温かな光が手の中へ伝わってくる。
「……これ……」
「お守りが反応してる。玲亜さんの力を抑えて、均してくれてるんだ」
お守りのぬくもりに背中を押されるように、震えていた心が静まっていく。
私は深く息を吸い、両手を合わせ直した。
「……ありがとう」
「礼はあと。今は──抑えることに集中して」
碧と宇汰、そして私。
三人の力が重なったとき、黒い靄は大きく震え、やがて音もなく霧散していった。
境内に、蝉の声と夏の風が戻る。
私は大きく息をつき、まだ手の中で温かさを放つお守りを見つめた。
「……本当に、私も戦えるんだ」
「うん!」
碧が笑顔で頷き、私の手をぎゅっと握る。
「でも、無理はするなよ。玲亜がいなくなったら……俺、困るから」
「……碧」
胸が熱くなり、思わず視線を逸らした。
だけどその隣で、宇汰が小さくつぶやいた。
「……やっぱり、この先は“選ばなきゃ”いけない」
その声に、境内の空気がふたたび重くなった気がした。




