巫女見習いのはじまりと小さな訪問者(2)
境内の掃き掃除をしていたときだった。
竹ぼうきの先で砂利を集めていると、背後からひょいと軽い声が降ってきた。
「ねえねえ、お姉さん」
「え?」
振り返ると、そこに立っていたのは竹ぼうきより少し背が高いくらいの少年。
年の頃は中学生くらいだろうか。
黒髪がさらりと額にかかり、目はきらきらしている。
──けれど何より目を引いたのは、頭の上にちょこんと生えた、赤茶色の狐耳だった。
小動物のようにぴくぴくと動き、笑みと一緒にいたずらっぽさを強調している。
「……え、誰?」
「オレ? ただの通りすがりの……えーっと、甘いものに目がない者!」
胸を張って名乗ったようでいて、まったく名乗っていない。
狐耳が得意げにぴんと立つ。
「自己紹介になってないんだけど」
「いーじゃんいーじゃん。名前より大事なことって“好きな食べ物”でしょ?」
「……強引な理屈だね」
少年──いや、狐耳の少年は、私の手元をじぃっと凝視していた。
掃除の合間に口に入れようとポケットに忍ばせていたクッキー。
「それさ、それ! ちょっとだけでいいからくれない?」
「……お供え用に買ったやつなんだけど」
「ひと口、ひと口でいいから! オレすっごいお菓子に詳しいし、食レポもうまいし! “甘味評論家蘭丸”って呼ばれてんの!」
「誰に」
「オレに!」
狐耳をぱたぱた揺らして胸を張る。
そのあまりの堂々さに、思わず苦笑いが漏れた、その時だった。
「──あっ!! またお前か!! 化け狐!!」
境内に碧の大声が響きわたった。
見ると、耳をぴんと立て、仁王立ちした碧がこちらを睨んでいる。
「げっ! 見つかった!?」
「お供え物盗み食い常習犯! 蘭丸ーー!!」
「ば、ばれてるぅ!?」
狐耳がばたばた揺れて、わかりやすいほど動揺していた。
……いや、今“化け狐”って言った?
「待てコラァ! 今度こそ神主さんに突き出すからな!」
碧が地を蹴って駆け出す。
蘭丸は「ひゃっ!」と声を上げ、境内をくるくる駆け回り始めた。
「やーだよ! オレ捕まったら断食生活になっちゃうじゃん!」
「断食の前に反省しろ!!」
鳥居を飛び越え、石段を駆け下り、拝殿の柱の影に身を隠す。
……と思ったら、ひょいと飛び出してまた逃げる。
そのたびに碧が耳と尾をばたばたさせて追いかける。
境内の真ん中で私は竹ぼうきを持ったまま、ぽかんとその光景を眺めていた。
「……なにこの光景」
「お姉さん、ねえねえ! オレに味方してよ! クッキーひと口でいいから!」
「玲亜! 渡しちゃダメだ! それがコイツの魂胆なんだから!」
「玲亜さん、渡したら兄さんが三日は説教やめない」
宇汰までいつの間にか現れ、冷ややかに付け加える。
でもその口元にはうっすら笑みが浮かんでいて、あまり本気で止める気がなさそうだった。
「うわぁぁぁ! 宇汰までいる!? これじゃオレ大ピンチ!」
「最初から大ピンチだ!」
「だったらせめて! 最後の晩餐にクッキーを!」
「勝手に死刑宣告すんな!!」
境内を追いかけっこする碧と蘭丸。
石畳に砂埃が立ち、蝉の声さえかき消すほどのドタバタ。
私はため息をつきながらも、胸の奥がふっと温かくなるのを感じていた。
……静かな神社も好きだけど、こんなにぎやかな午後も悪くないかもしれない。




