巫女見習いのはじまりと小さな訪問者(1)
お守りを受け取ってから、数日が経った。
その朝、私は蒼月神社の拝殿の前に立っていた。
身にまとっているのは、真っ白な小袖に朱の袴――祖母・美津江が昔着ていたのと同じ、巫女の装束。
「……まさか、本当に着ることになるなんて」
胸の前で衣の紐を整えながら、思わず苦笑する。
鏡越しに見た自分は、普段の会社員の顔じゃなくて、まるで祖母の若い頃の姿を追いかけているようだった。
「似合ってる!」
境内の石畳をぱたぱた駆けてきた碧が、満面の笑顔で叫ぶ。
青髪が陽に透け、耳がぴこぴことリズムを刻んでいる。
「ちょっ……そんな大声で言わないで!」
「だって! 本当に似合ってるんだもん! あ、耳が勝手にピコピコしてる、やばい止まんない!」
「兄さん、騒ぎすぎ」
半目の宇汰が、団扇を片手にたしなめる。
でもその口元は、いつもより柔らかく緩んでいた。兄のはしゃぎぶりを笑っているようにも、少し誇らしげに見ているようにも。
「玲亜ちゃん」
拝殿の奥から、神主の誠一さんがゆっくり姿を現す。
白髪交じりの眉がわずかに震え、私を見つめてしみじみと頷いた。
「……美津江さんを思い出すよ。あの方も、こうしてこの神社に立っていた」
その一言に胸が熱くなる。
祖母と自分が、時を越えてこの場所に並んでいるようで――思わず背筋が伸びた。
「今日から、あなたには神事の補助をお願いしたい。
祝詞のときに鈴を鳴らし、榊を整える。どれも基本は簡単なことばかりだが、心を込めて行うのが大切だ」
「……はい!」
緊張で喉が渇いたけれど、不思議と胸の奥が温かく満たされる。
“ここにいるんだ”という感覚が、全身に広がっていった。
祝詞が始まる。
誠一さんの低い声が拝殿を満たし、空気が澄んでいく。
私は指示どおりに鈴を振り、榊を整えた。
その瞬間――ふわりと、淡い光が視界に舞い降りる。
祈りのかけら。
前にも見えた、あの柔らかな光が、今度はゆっくり私の周囲に寄り添うように漂い、やがて空へと昇っていった。
---
「……玲亜、今……」
「うん、また見えた」
小声で答えると、碧の耳がぴくりと動いた。
「やっぱり玲亜は特別だよ! 俺たちと同じ景色を見てる!」
「兄さん、静かに」
「だって!」
「しーっ」
宇汰が無言で碧の口元を押さえる。
じたばた暴れる兄と、それを無表情で押さえ込む弟――その光景に思わず笑い声がこぼれた。
---
祈祷が終わり、拝殿を出ると、誠一さんが穏やかな声で言った。
「玲亜ちゃん。あなたはきっと、この神社を支える大きな力になる。
ただ……決して無理はしないで。祈りも、力も、均衡が大事なのだから」
「……はい」
その言葉を胸に刻み、私は青空を仰いだ。
祖母も、きっとどこかで同じ空を見て、微笑んでいる気がした。
そのとき。
「……あれ?」
鳥居の脇から、小さな人影がこちらを覗いていた。
近所の子どもだろうか。まだ幼稚園くらいの女の子が、小さな手に折れた花を握って立っていた。
「お姉ちゃん……ここに、お花あげてもいい?」
おそるおそる差し出された花。
私はしゃがみこんで、やさしく微笑んだ。
「もちろん。神さま、きっと喜ぶよ」
少女はぱっと顔を輝かせ、拝殿の前に小さな花をそっと置いた。
その仕草が、まるで祈りの光のかけらのように眩しくて。
碧が隣で目を細め、宇汰は小さく「……いい祈りだ」と呟いた。
---
境内に風が渡り、鈴が涼やかに鳴る。
私は胸に手を当てた。
──祖母から、そして今は小さな子どもへ。
祈りはこうして、時を越えて繋がっていく。
私にできることは、きっとまだ小さい。
けれど、この神社に立ち、碧や宇汰と共に、ひとつひとつ守っていきたい。
装束の裾を握りしめながら、私は静かにそう決意した。




