祈りの光(4)
その日の夕刻。
西の空は赤く染まり、境内に長い影を落としていた。
「玲亜ちゃん、こちらへ」
誠一さんに呼ばれて、私は初めて拝殿の奥へ足を踏み入れた。
畳の香りがほんのりと漂い、正面には白木の机と榊が静かに置かれている。
日常とはまるで違う、きりりと張りつめた空気。蝉の声すら遠くに感じてしまうほどだ。
「今日は“正式な祈祷”を行う。……見ておくといい」
「……はい」
私は正座をして息を整える。
碧と宇汰も左右に座り込み、普段のやりとりが嘘のように表情を引き締めていた。
耳がぴんと立ち、尾の光がわずかに揺れる。
狛犬の化身としての彼らの姿が、今ははっきりと感じ取れた。
祝詞が唱えられ始めた瞬間。
空気が変わった。
静かな波が広がるように、心臓の鼓動が自然と早くなる。
一音ごとに、境内全体が澄んでいく。
けれど澄んだその奥に、何か別の気配も混じっている気がした。
「……っ」
視界の端に光が滲んだ。
机の上の榊から、淡い光の粒が立ちのぼっている。
花びらにも、雪片にも見えるその粒は、やさしく震えながら天へと昇っていった。
「……これ、なに……?」
思わず声が漏れる。
「……玲亜?」
碧が驚いたように振り返り、宇汰も一瞬目を見開いた。
「……玲亜さん、見えてるの?」
「え……見えちゃいけないものなの?」
「人間には本来、見えない。これは……祈りの形だ」
宇汰の低い声が拝殿に響く。
祈り。
それは温かく、胸の奥にやさしい波を広げていく。
長い一日で擦り切れた心を、少しずつ癒していくような光だった。
──けれど。
拝殿の隅に、異質なものが見えた。
「……あそこ……」
私は指をさしていた。
そこには黒い靄が渦を巻き、祈りの光をじわじわと侵食している。
形を持たず、しかし確かに“負の感情”が凝縮されたものだと直感でわかる。
次の瞬間、碧が立ち上がった。
「玲亜、下がって!」
声と同時に、碧の尾がぱっと輝く。
強い光がほとばしり、黒い靄を弾き飛ばした。
──ぱしん、と小さな音を立てて靄が砕け、霧散する。
拝殿の空気が一気に軽くなった。
「今の……なに?」
震える声で問うと、宇汰が静かに答えた。
「祈りに紛れて入り込んだ“穢れ”。
人の願いが歪んだときに生まれる負の欠片……普通の人間には絶対に見えないはずなんだけど」
宇汰の視線が私を射抜く。
驚きと、わずかな警戒が混じった目。
誠一さんが祝詞を終えると、再び静けさが訪れた。
けれど私の心臓は、まだ早鐘のように打ち続けている。
「玲亜」
碧がそっと私の肩に手を置いた。
真剣な目で、まっすぐに。
「やっぱり、玲亜は……俺たちと同じ場所に立つ人なんだ」
その言葉が胸の奥に深く響いた。
祈りの光も、穢れの影も。
両方を見てしまった自分は、もうただの「参拝者」ではいられない。
――私も、この神社の一部なのだ。
その事実が、はっきりと心に刻まれた。




