祈りの光(1)
夜風に揺れる風鈴の音が、かすかに境内を満たしていた。
静かな夜。蒼月神社の石段に腰かけた私は、深く息を吐く。
その隣には、宇汰がいた。
いつも通り眠たげな顔。けれど、その瞳の奥に漂う影が、どうしても気になっていた。
「ねえ、宇汰」
「……なに?」
「前に言ってたよね。……“昔、俺たちを守りたいって言った人がいた”って」
宇汰の耳がぴくりと動く。
けれど彼はすぐに答えず、しばらく石段の先の木々をぼんやりと見つめていた。
「……俺たちは狛犬。祈りを守るのが役目」
「うん」
「その人は……俺たちを“ただの神さまの使い”じゃなく、“一緒に笑っていられる相手”だって言ってくれた」
淡々とした声。
けれどその響きの奥には、かすかな熱があった。
「……でも、穢れに触れて……体を壊して……最後には、俺たちの前から消えた」
その言葉に胸が痛む。
宇汰は眠たげな顔を崩さず、けれど耳だけが小さく震えていた。
「……助けられなかったの?」
気づけば、私は声を潜めて問いかけていた。
宇汰は目を伏せる。
「……うん。俺たちには、祓うことはできても、人間を守り続けることはできなかった」
夜風が吹き抜ける。
石灯籠の火がかすかに揺らぎ、鈴の音がちりんと鳴った。
沈黙の中で、宇汰の言葉が重くのしかかる。
どんな人だったのか、なぜそこまで深く宇汰の心に残っているのか。
想像するだけで胸が締めつけられた。
「だから俺は、人間がどれだけ“守りたい”って言っても信じない。
結局、去っていく。……玲亜さんだって」
「……私も?」
「そう。俺たちの世界は、人の命にとって危うすぎる」
冷たい響き。
でも、それは本当に突き放したいからじゃない。
痛みを繰り返したくないから。
……そんな気がした。
「……宇汰」
「なに」
「私は、去らないよ」
驚いたように、宇汰の目がこちらを向いた。
いつもの眠たげな瞳に、わずかな揺らぎが差し込む。
「確かに私にできることなんて小さいかもしれない。
でも、碧と宇汰が必死で守ってるのを、ただ見てるだけなんてできない」
言い切った瞬間、胸の奥が熱くなった。
嘘じゃない。これは今の私のすべてだ。
宇汰はしばらく黙っていた。
風が木々を揺らし、夜の匂いが境内を包む。
やがて彼は小さくため息をついた。
「……やっぱり、兄さんが惹かれるの、わかる気がする」
「え?」
「……なんでもない」
眠そうな顔に戻した宇汰は、それ以上語らなかった。
けれど、その横顔はほんの少しだけ柔らかく見えた。
──彼の中にある深い傷を、いつかちゃんと知りたい。
そして、その痛みごと受け止めたい。
風鈴の音を聞きながら、私は静かにそう思った。




