穢れの影に触れて(4)
翌朝。
私はスーツに袖を通し、家を出る。……けれど、会社へは向かわなかった。
足は自然と蒼月神社へ。
仕事を休むわけにはいかない。でも、出勤前のわずかな時間だけでも。
今の私にできることは少ないかもしれないけれど、それでも“なにか”をしたかった。
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石段をのぼると、澄んだ空気が肺にすっと入り込む。
朝の神社は、夜や夕暮れとはまったく違う顔をしていた。
鳥の声がこだまし、木漏れ日がまだやわらかい。境内の石畳は朝露に濡れて光っている。
その真ん中で、竹ぼうきを手に掃除をしていたのは神主の誠一さんだった。
背筋はまっすぐだけど、顔色はどこか冴えない。
「おや、春瀬さん」
気づいた誠一さんが、竹ぼうきを止めて微笑んだ。
けれどその笑顔は、ほんの少し苦しげに見えた。
「おはようございます。あの……今日から私も、お掃除を手伝わせてください」
「え……?」
誠一さんの手が止まる。
「いやいや、そんな。参拝客の方に手を煩わせるわけには」
「お願いします。私……神社を守りたいんです」
一瞬、驚いたように目を見開いた誠一さん。
けれどすぐに、優しく目を細め、ゆっくりと頷いた。
「……そうですか。では、境内の落ち葉を集めてもらえますか」
「はい!」
竹ぼうきを借りて、石畳を掃き始める。
さらさらと落ち葉の擦れる音が広がるたびに、不思議と胸が満ちていく。
ただの掃除なのに、どこか心が浄化されていくようだった。
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「……あれ? 玲亜?」
聞き慣れた声に振り返ると、鳥居の方からぼさぼさ頭の碧が現れた。
眠そうに目をこすりながら、ふらふらと近づいてくる。
「なんで掃除してるの?」
「おはよ。今日から、私も神社を手伝うことにしたの」
「へぇぇ……すごい……玲亜、偉い……。じゃあ俺も手伝う!」
「いや、あんたは元々ここの住人でしょ!」
「でも……玲亜がやるなら俺もやる!」
「子どもか!」
碧は元気を取り戻したみたいに竹ぼうきを奪い取り、やる気満々で落ち葉をかき集め始める。
……と思ったら、風向きを読めずにせっかく集めた落ち葉を盛大に散らかした。
「兄さん、葉っぱ集めるより散らしてる……」
横から宇汰が眠たげに現れ、あきれ声を落とす。
「えっ、なんで!?」
「ほら見ろ。風、逆だから」
「うあああぁ……!」
結局、碧がはしゃいで散らした分まで、私と宇汰で片づける羽目になった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、笑っていられる自分がいた。
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掃除を終えたあと、本殿の前で誠一さんが深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。……若い方の手を借りられるのは、本当に心強い」
「そんな、大したことは……」
「いえ。実は最近、少し体調を崩しておりまして……」
その言葉に胸がざわつく。
昨日見た誠一さんの苦しげな笑みは、やっぱり気のせいじゃなかった。
「この神社を守るのは、もう私ひとりでは難しくなってきています」
静かな声。
けれど、その奥に確かな不安が滲んでいた。
私は竹ぼうきをぎゅっと握りしめた。
「……だったら、私にできることは全部やります」
碧が、きょとんと私を見つめる。
宇汰は目を伏せて、静かに息をついた。
けれどその沈黙は、私の決意をちゃんと受け止めてくれたように思えた。
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朝の光が鳥居を照らし、境内を明るく染める。
それはまるで、私の決意を祝福してくれているかのようだった。




