穢れの影に触れて(3)
「……碧、大丈夫……?」
境内の木陰。石のベンチに腰を落とした碧は、ぐったりと力なく項垂れていた。
普段なら犬みたいに落ち着きなく動き回るのに──今日は違う。
顔色は悪く、額に滲んだ汗が陽の光を受けて光っている。肩が上下して、呼吸も浅い。
「……へへ、ちょっと……使いすぎただけ……」
弱々しい声。いつもの調子を装おうとする笑顔が、かえって胸を締めつけた。
「……使いすぎ?」
「……穢れを鎮めるとき……霊力いっぱい使うから……」
その言葉を口にした瞬間、碧の体がふらりと傾いた。
「っ、危ない!」
反射的に腕を伸ばす。
私の肩に預けられた体は、思っていたより熱くて、重たかった。
鼓動が伝わってくる。普段の軽口を叩く彼からは想像できないほど、必死で生きている鼓動。
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「これ、ただの疲れじゃないよ……!」
思わず焦った声が出る。
なのに碧は、微かに笑いながら呟いた。
「玲亜……近い……あったかい……」
「そんなこと言ってる場合!? ほら、横になって!」
返事を待たずに私は彼をベンチへと押し倒す。
そのまま、自分の膝を差し出した。仕方ない、こうするしかない。
「……玲亜の……ひざまくら……?」
「文句言う余裕あるなら、黙って寝て」
「……最高だ……」
「……バカ」
膝の上に碧の頭をそっと乗せると、彼は驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりまぶたを閉じた。
安堵したように吐き出される息が、私の胸をくすぐる。
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横顔を見つめる。
いつもなら無邪気な笑みでごまかしてばかりの彼が、今はとても弱々しい。
それなのに、どうしてだろう。胸の奥がぎゅっと締めつけられて、痛いのに──同時にあたたかくなる。
「……あんたが無茶してまで守ってる神社って……そんなに大事なの?」
問いかけると、碧は浅い呼吸の合間にぽつりと答えた。
「大事……だよ。だって……ここがなかったら、俺……宇汰も……消えちゃうから……」
掠れた声なのに、言葉は真剣で。
熱に浮かされたままでも、“嘘”の影は一つもなかった。
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私はそっと彼の髪を撫でた。
汗で少し湿っているはずなのに、不思議と嫌じゃなくて、むしろ安心してしまう。
耳の付け根に触れないように気をつけながら、何度も何度も撫でてやった。
「……消えるなんて、そんなの嫌だよ」
小さな声しか出なかった。
でも、それは紛れもなく心の底からの言葉だった。
夜の境内で抱きしめられたあの日。
私を「ちゃんと見てる」と言ってくれた人を、今度は私が守りたいと思った。
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この神社がなくなれば、碧も宇汰も消えてしまう。
だったら──
「……私、守るよ。この神社。
だって、ここが碧たちの居場所なんでしょ?」
膝の上で、碧が薄く目を開ける。
その瞳は熱に潤んでいて、それでもどこまでも真っ直ぐだった。
「玲亜……ほんと、変わってるな……でも……ありがと」
弱々しいのに、嬉しそうに笑う。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥に強い決意が刻まれた。
――守りたい。
この神社も、この狛犬兄弟も。
そして、私自身が好きになった、この人を。
どんな穢れが来ても、どんな願いが歪んでも。
私は、絶対に彼を見失わない。




