狛犬の告白(6)
神社の風鈴が、小さく揺れた。
午後の陽射しが差し込む境内に、鳥の声がぽつぽつ響く。
この時間帯は、人も少なくて静かで──それがとても、好きだった。
私はいつものように、木陰のベンチに腰を下ろし、紙袋を広げる。
「今日は、さつまいもケーキ。焼きたてのやつ、近くのお店にあったからつい」
「おお~! これは当たりの匂い!」
目をきらきらさせた碧が、ベンチにぴょんと飛び乗るように隣に座ってくる。
その隣には、あいかわらず眠たげな宇汰。
「兄さん、今日もテンション高いね……」
「玲亜の手土産つき登場だぞ? テンション上がるに決まってるでしょ~?」
「はいはい、あげるから落ち着いて」
私がケーキを手渡すと、碧はうっとりした顔でひと口。
「ん~~! うまっ……! 玲亜、ほんとおやつ選び天才だなぁ……。絶対なんかの才能あるって……“甘やかしの神”とか……」
「……神さまの使いがそれ言う?」
「むしろ同業としてリスペクトしてる!」
呆れながらも笑ってしまう。
このテンポ、この空気。この人たち。
もう、神社の静けさに溶け込んでる感じがする。
「……そういえばさ」
ケーキを食べ終えた碧が、ふと空を見上げながら言った。
「玲亜って、最初ここで“助けてください”って願ったよね?」
「……うん」
「……あれって、叶った?」
その言葉に、私は少しだけ息を飲んだ。
急に“神さま”みたいなこと言うから、なんだか面食らってしまった。
「……どうかな。仕事は相変わらずだし、疲れることも多いし、うまくいかないことばっかだけど」
「うんうん」
「でも……ここに来ると、ちょっと楽になるっていうか……なんだろ。心が空っぽにならなくて済む、みたいな?」
「それって……」
碧が、すっと私を見つめる。
「叶ってるってことじゃない?」
その瞳には、からかいも冗談もなかった。
ただ、真っ直ぐで、優しくて。
胸の奥に、静かに触れてくる言葉だった。
「……玲亜の“助けて”って、たぶん“救って”とかじゃなくて、“見てて”とか、“わかって”って意味だったんじゃないかな」
「……かもしれない」
「そういう願いって、ちゃんと届くよ」
気づけば、私の手のひらは、碧の手にそっと包まれていた。
ぬくもりが、じわじわと広がっていく。
「……あのとき、来てくれてありがとう」
私がそう言うと、碧はふわっと笑って。
「うん、俺も。玲亜が来てくれて、ほんとによかった」
その横で、宇汰が小さくつぶやいた。
「……願いは“見ててくれる誰か”がいると、強くなる。……でも、強すぎる願いは、ときどき“歪む”こともあるんだよ」
「歪む?」
私が問い返すと、宇汰は静かに頷いた。
「うん……たとえば、“誰かを好きでいたい”って願いが、“ずっと自分だけを見ていて”って変わったり。
“幸せになりたい”が、“他の誰かを不幸にしてでも”に、変わったり」
それは、笑いながら聞ける話じゃなかった。
碧も真顔になって、私の手をそっと離す。
「……最近、神社の気が少し重くなってる。俺たちも、ちょっと感じてる」
「それって……」
「まだ“何かが起きてる”ってわけじゃないけど……」
碧が言いかけたそのとき。
──きぃぃぃぃん……
突如、拝殿奥の鈴が、誰も触れていないのに小さく鳴った。
風もない。人もいない。
けれど確かに、“何か”が通り抜けた気がした。
「……今の、なに?」
「……たぶん、誰かの“強すぎる願い”が、境界を揺らした」
宇汰の声が、低く響いた。
ただ楽しいだけじゃない。
この神社には、私の知らない“何か”が確かにある。
──そしてその“何か”に、
碧と宇汰は、ちゃんと向き合って生きているのだと、私はようやく理解し始めていた。




