狛犬の告白(4)
その日も、私は神社に来ていた。
拝殿の脇に敷いたレジャーシートの上で、碧は相変わらず無邪気におやつを頬張っている。
「ん~……この芋ようかん、やっぱ最高だな~!」
「……そんな嬉しそうに食べる?」
「玲亜がくれるものはだいたい最高だよ?」
そう言って笑うその顔に、私は慌てて目を逸らした。
最近、目が合うだけで、胸の奥がぎゅっとなる。
碧の笑顔は、あたたかくて、素直で、どこまでも無垢で。
それなのに、時々、とんでもなくずるい。
「……玲亜、食べないの? あ、もしかして……俺の顔見て満足しちゃった?」
「誰がだ!」
「えー? 照れ顔も込みで可愛いんだけどな~」
「……もう黙って食べてて」
自分でも分かるくらい、顔が熱い。
わかってる。
これはただの“癒し”じゃない。
笑顔を見たい。声が聞きたい。会いたいって思うたびに、私はどんどんこの人に、惹かれてる。
──でも、それを自覚すればするほど、怖くなる。
彼は、ちょっと天然で、すごく優しくて、たぶん鈍感で。
私のこの気持ちに、いつまでたっても気づかないような気がして──
「……あれ?」
「なに?」
「玲亜の心臓、ドキドキしてる気がする。手が、ちょっと震えてるし……」
「なっ……!?」
「もしかして熱でもある? 大丈夫?」
「いっ……意味わかんないこと言わないで!」
「え、でも心臓の音すごく近い気がして……なんで?」
「こっちの台詞だわ!!」
何なの、本当に。
この人は、どこまで天然なの?
そんなやりとりを、ふと後ろから見ていた影があった。
「……兄さん、人間に本気になるのはまずいよ」
静かな声。
振り返ると、鳥居の柱の陰から、宇汰がいつの間にか現れていた。
赤髪と垂れ耳を揺らしながら、眠たげな表情でこちらをじっと見ている。
「……え?」
「玲亜さんが兄さんのことを“特別”に思ってるのは、見ればわかる。
でも兄さんが、それに応えようとしてるように見えたから──止めたくなった」
「宇汰……」
私はその言葉をどう受け止めていいのか、分からなかった。
でも、その一言のあと、碧の空気がふっと変わった。
「……そんなつもり、じゃないけど」
碧がぽつりと、低い声で呟く。
それが、いつもの能天気な調子じゃなくて。
なにかをこらえるような、寂しさを含んでいて。
「でも、もしかしたら……俺も“特別”って、思ってたのかもしれない」
私は、碧を見つめた。
その目が、少しだけ揺れている。
「玲亜」
「……うん」
「俺たち、ただの耳のある人間じゃないんだ」
「……え?」
「俺と宇汰は、“この神社の狛犬の化身”なんだよ」
思わず息が止まった。
「……狛犬?」
「うん。神社の前にいる、あの石の獅子。右と左。あれが俺たちの“本体”っていうか、象徴」
「……そんな、冗談……」
「神さまの時代がまだ強かった頃は、もっと“形ある存在”だった。
けど、願う人も、祈る人も減って……俺たちも、こうして人の姿に留まるしかなくなった」
それでも、玲亜が来てから。
おやつを供えて、話しかけて、名前を呼んでくれて。
「玲亜の“祈り”が、俺たちの存在をもう一度ここに繋ぎ止めてくれたんだ」
碧は、まっすぐに私を見る。
あのいつもの無邪気な笑顔じゃない、真剣な目だった。
「……信じられないかもしれない。でも、これが本当の俺。
“人間じゃない存在”って、知ったうえで……それでも、まだ俺と話してくれる?」
言葉が出なかった。
けど、胸が、苦しくなるくらいに鳴っていた。
目の前にいるのは、耳の生えたちょっと変わった青年じゃない。
人じゃない存在だと分かってしまったのに。
なのにどうして、こんなにも、触れたくなってしまうんだろう。




