お菓子と耳と、社畜の涙(1)
終電を逃した帰り道。
コンビニの袋を片手にぶら下げて歩く私の足取りは、まるで湿った雑巾みたいに重かった。
スーツの裾は湿気を含んだ夜風にまとわりつき、ヒールで踏みしめるアスファルトは、やけに遠く感じる。
信号を渡るだけで息が上がり、額にはじっとりと汗が滲んでいた。
見上げれば、街のネオンが滲んで見える。
今日も——いや、今日「も」だ。怒られて、謝って、飲み会を断って、資料を直して、無理に笑顔を作って。
一日が終わるころには、私は「私」であることをすっかり忘れてしまっていた。
「……もう、やだな」
吐き出したため息は、夜気に溶けて消える。
足は自然と、駅とは反対方向へ向かっていた。
しばらく歩くと、懐かしい景色が街灯に照らされて現れる。
古びた石段、黒ずんだ鳥居、苔の生えた狛犬。
都会の喧騒から少し外れるだけで、こんなにも時間が止まったような空気になるんだ、と妙に可笑しくなる。
——蒼月神社。
学生時代、テスト前や部活の大会前に通っていた、小さな神社。
特別立派でもないけど、私はここが好きだった。
この時間じゃ社務所は閉まっている。参拝者なんて、もちろんいない。
それでも、どうしてもここに来たかった。理由なんて言えない。ただ、無性に足が向いたのだ。
境内の端にある古いベンチに腰を下ろす。
コンビニ袋をごそごそとあさり、取り出したのは、ミルクせんべいとチョコまんじゅう。
それから、練乳いちごのもちもち大福。
「……これ、お供えってことにしよっか」
石の台座の上に並べると、なんだか場違いなのに、不思議と心が落ち着いた。
私は手を合わせ、目を閉じる。
「神さま……なんでもいいから、ちょっとだけ、助けてください」
声はかすれて、今にも涙がこぼれそうになる。
でも泣いたら負けな気がして、必死に空を見上げた。
冷たい夜空に、街の明かりがうっすら反射して、星は見えない。
——その時。
「……そのお菓子、俺にもちょっと、分けてくれないか?」
背中越しに、男の声がした。
「……え?」
ゆっくり振り向くと、そこに立っていたのは見知らぬ青年だった。
夜の境内に似つかわしくないほど、存在が浮いて見える。
けれど、もっとおかしかったのは——
「……え、犬耳?」
青年の頭から、ふわふわした耳が生えていた。
月明かりの下で、ぴこ、と揺れる。
(……とうとう疲れすぎて幻覚まで見えるようになった?)
本気でそう思った。
青年はのほほんとした笑みを浮かべながら、私が供えたチョコまんじゅうを指差す。
「ね、それ、俺の分ない?」
耳が動いた。ぴこぴこって。
幻覚じゃない。夢でもない。
心臓がどくんと跳ねる。
これは——本当に、ヤバいやつに出会ってしまったのかもしれない。




