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隙間から覗く眼

作者: ツネ吉

 私の母校であるN大学は市の外れにある山間部に位置していた。


 山肌を削るように建てられたキャンパスへの交通は不便で、歩いて通学しようと思うとかなり骨が折れた。よほどの物好きでなければ駅から出る専用のシャトルバスを利用する。


 私はその大学で、Kという男と出会った。


 Kとは学科が同じためよく講義で一緒になった。Kは寡黙な男で生真面目、お世辞にも愛想のいい性格とは言えない。


 しかし私とKは不思議と馬があった。行動を共にするようなるまでそう時間はかからなかった。


 Kは駅近くのアパートに住んでいた。


 N大学へ直通のバスが出ている駅の周辺は当然のように学生の街で、学生専用のアパートや貧相な懐には優しい飲食店が多く立ち並んでいた。


 私はというと、その周辺から二駅ほどかかる街に住んでいた。経済的な事情で大学近くのアパートが借りれなかったのだ。


 学生街から離れた住まいが私はどうにも煩わしかった。


 もしこの学生街に住むことができたら、終電など気にせず遊び歩けるというのに。


 私は何度かKに部屋に泊めてくれないかと頼んだ。Kの部屋に泊まれば前日どれだけ夜更かししようが、大学まですぐだ。


 しかしKはその度に断られた。頑なに私を部屋に招いてはくれなかった。


 なぜか? と聞くと、Kは真面目腐った顔でこう言った。


「人を招くことができる部屋ではないんだ」


 神経質な。そんなに他人を部屋に入れたくないのか。この時はそう思っていた。

 

 そんな不満はありつつもKとの付き合いは続き、しばらくが経った。


 ある日のこと……その時は酒が飲めるようになって、まだ日が浅い頃だったか。


 学生街にある居酒屋でKと飲み明かしていると、ついつい終電を逃してしまった。


 さて困った。タクシーで帰ろとすると金がかかる。ホテルなんかの宿泊施設にも心当たりはない。


「なあ、今回ばかりは部屋に泊めてくれないか?」


 私がそう頼み込むと、Kは苦い表情を見せる。


「……いやだ。歩いて帰れ」

「できるわけないだろう」


 事実、その日は飲みすぎたせいで足元がおぼつかなかった。


 このまま歩いて帰ろうとすれば途中で事故を起こすか、道端で酔い潰れて朝を迎えるのが席の山となるだろう。


 私が同情を誘うように必死に頼み込むと、最後にはKも渋々と言った様子で宿泊を許可してくれた。


「今日だけだぞ」

 

 何度も念押ししてくるKに空返事で答えながら彼の部屋に上がり込む。


 Kの部屋は存外綺麗だった。


 部屋の広さは8畳ほど。そこにちゃぶ台やベッドに本棚、パソコンの置かれた机なんかが設置されている。


「なんだ。人を招いても問題ない部屋じゃないか」

 

 私がからかうように言うと、Kは顔を歪めながら鼻を鳴らす。


「もう寝ろよ」

「わかってる」


 すでに日を跨いでいる。私は大人しく寝ることにした。


 Kから借りた座布団を枕がわりに寝ようとしたその時だった。部屋に備え付けられたクローゼットの扉が少しだけ開いていることに気づいた。


 ほんのわずかな隙間。私はその隙間を見て、何やら言い表せない感覚を覚える。


 その不思議な感覚の正体がわからず、その隙間をしばらく見つめていたその時だった。



 その隙間から、こちらを覗く何者かの眼が見えた。



 最初、私は自分が目にしたものが信じられず固まってしまった。


 しばらく硬直している間、その眼と見つめ合う形になる。


 血走った眼。おそらく人間のものだと思われる眼が一つ、クローゼットの扉の隙間からじっとこちらを見つめている。


 クローゼットの暗闇の中、その眼だけがやけに鮮明だった。


「うわ!」


 遅れて、私は短い悲鳴をあげた。


「どうした?」


 Kの声を無視して私はクローゼットを開け放った。


 誰もいなかった。


 クローゼットの中には服が何着かと、積み上げられた段ボールがいくつか。それだけ。


「おい、なんだ急に?」 


 訝しげに問いかけるKに、私は自分が見たものを必死に説明した。


「く、クローゼットの中に、人が!」

「はあ?」

「う、嘘じゃない! 扉の隙間から誰かがこっちを見てたんだ!」


 そう言って、自分がどれだけ馬鹿げたことを言っているか気づいた。


 クローゼットの中には当然誰もいない。そもそも人が入り込めるスペースなんてないのだ。


「本当なんだ、酔ってるわけじゃないんだ」

「わかった、わかった。信じるから落ち着け」


 Kは穏やかに諭してくる。


「クローゼットの隙間に、何か見たんだな?」

「そ、そうだ」

「人の目玉だったか?」

「……ああ」


 ようやく少し落ち着き始めた私は、Kの様子に奇妙なものを感じた。


 あまりに落ち着きすぎている。


 酔っ払いの戯言だと聞き流している様子ではない。


 慣れた様子だった。


「そうか、お前にも見えたのか」


 Kはやれやれとため息をついた。


「だから部屋に入れたくなかったんだ」

「K、お前アレがなんなのか知ってるのか?」


 Kはコクリと頷く。


「アレは……まあ、幽霊みたいなものだ」

「幽霊!?」


 あっさりと告げられ、私は絶句した。


「幽霊が出るのかこの部屋は? 事故物件か?」

「いや。どちらかと言うと俺に取り憑いているんだ」

「お前に? 大丈夫なのか?」

「ああ。害はない」


 あまりに落ち着き払ったその態度が私には信じられなかった。


 幽霊に取り憑かれている、なんてことを淡々と話す友人が不気味な存在に思えた。


 そして、Kは驚くべきことを口にした。


「アレはな、親父なんだ」



 Kの語るところによると、父親に取り憑かれたのは小学生に上がる頃だそうだ。


 小学生になったKは生まれて初めて自室を与えられた。


 Kの生家は古い木造建築で、与えられた自室も随分とオンボロだったが、Kはそれでも嬉しかったという。


 それまで母親と同じ部屋で寝ていたKだが、自室を得たのを機に1人で寝るようになった。


「真っ暗な部屋が怖くてな。その日は電気をつけたまま寝ようとしたんだ」


 興奮と、1人で寝ることの心細さで全然眠くはならなかったそうだ。


 布団に入ってしばらく、Kはふと誰かの視線を感じた。


 寝返りを打って振り向くと、襖が少しだけ開いていた。

 

 そしてその隙間から、こちらを覗く眼を見たそうだ。


「ギョロっとした目玉がこちらを見ててな。俺は悲鳴をあげてお袋の部屋に逃げ込んだよ」

  

 そしてその日は結局、母親の部屋で寝たという。


 それからしばらく、Kは自室で何度もその眼を目撃した。


 本棚に収められた本と本の間。机の引き出し。置かれたタンスと壁のわずかな隙間。


 その眼は決まって、何かの隙間に現れたそうだ。


 Kは怯えた。


 ふとした瞬間に現れる得体の知れない眼が怖くて仕方なかった。


 そしてKは母に泣きついた。部屋にお化けが出る。もうあの部屋は嫌だと。


「そこで泣きじゃくる俺にお袋が言ったんだ。アレはお前のお父さんだってな」


 Kに父親の記憶はない。Kが物心つく前に亡くなっているからだ。


 部屋に現れる眼はKのお父さんで、自分の子供のことが心配だから時々お前を見ているんだと、Kの母は告げた。


 それを聞いたKは不思議なほど恐怖心がなくなったそうだ。


「まあ、それ以来の付き合いだ。これまでずっと実家でしか見たことなかったんだが、俺がこっちに越してきた時についてきたらしい」

「……怖くないのか?」

「ああ。親父を怖がる理由はないしな」


 もうすでに慣れっこになっているそうで、眼の出現に驚くことすらないそうだ。


 むしろ、あの眼に親しみを覚えているとのこと。


「さっき言った通り、父親のことは全然覚えてなくてな。古い写真でしか父の顔を知らない。だからあの眼が出てくるとむしろホッとするんだ。ああ、また親父が俺のこと見てくれてるんだな、って」


 Kの様子は照れくさそうで、眼に対する恐怖心は微塵も感じ取れない。


「基本的に俺にしか見えないんだが、たまに見えるやつがいてな。俺が子供の頃、実家に遊びにきた友達が眼を見てパニックになってな。それ以来部屋に人を呼ばないようにしてたんだ」

「……そういうことだったのか」


 これまでのKの頑なな態度にようやく合点がいった。


「さっきも言ったが、出てきても害はないから安心してくれ。ただ隙間からこちらの様子を見てくるだけだ」


 Kはそう言うが、私は微塵も安心できなかった。


 いくら友人の父とはいえ、相手は得体の知れない心霊現象だ。


 酔いはすっかり覚め、その日は結局眠れないまま朝を迎えることになった。



 それからしばらく、Kとの友人関係は続いた。


 あの日以降、私はKの部屋を訪れていない。訪れようとも思わなかった。


 そして長期休暇明けのある日のこと、大学にKがいないことに気づいた。


 最初は体調でも崩したのかと思ったが、連絡も取れないまま1週間も経ち、これはただ事ではないと私はKのアパートに向かった。


 アパートを訪れた私はチャイムを鳴らすが反応はない。


 まさか部屋にもいないのかと思った私はKに電話した。すると部屋の中から着信音が聞こえてきた。


「おい! いるのか!」


 乱暴に部屋の扉を叩くとややあって、扉を開けてKが出てきた。


「ああ、お前か」


 Kの姿を一目見てギョッとする。顔には生気がなく、まるで死人のようだった。


「おい、どうした? 1週間も講義サボりやがって」

「……入れよ。説明する」


 Kに促され部屋に入ると、空気の澱んだすえた匂いが鼻をついた。


 部屋の中の様子も尋常ではなかった。


 窓、クローゼット、トイレの扉。あらゆるところが閉じられ、ガムテープで目張りされている。


 本棚は大きな布がかけられ、完全に覆われている。


 テレビ台、ベッドなどの家具と床にできたわずかな隙間が何枚ものタオルで敷き詰められている。


 私はそれを見て、Kがあらゆる隙間を埋めようとしていることに気づいた。


「なんだ? 何があった?」


 明らかに様子がおかしいKを問い詰めると、Kは震えながら話し出す。



「親父が……親父が生きてたんだ」



 Kは長期休暇を利用して実家に帰省していた。


 久しぶりに実家の自室でのんびりと過ごしていたところ、にわかに玄関先が騒がしくなった。


 玄関に向かうと、そこでは見たことのない形相で怒鳴り声を上げる母親と、見知らぬ男がいた。


 いや、見知らぬ男ではなかった。


 写真に写っていた姿よりも歳をとり、頭髪も薄くなっていたが、それは確かにKの父親だった。


 呆然とするKの横で、母親は玄関に置いてあった箒を振り上げ父親を追い払った。


 そして、Kにこれまで隠していた真実を話した。


「……親父は生きてた。死んだって聞かされてたけど、嘘だったんだ」


 Kが生まれてすぐ、Kの父親は妻と赤ん坊だったKを置いて行方知れずとなった。どうやら他に女がいたそうだ。


 そしておよそ20年ぶりに、金の無心をしにKの実家を訪れたそうだ。


 まだ幼かったKには父は死んだと嘘をついていた。


 つまり、Kの自室の隙間に現れる眼の正体が父親であるという話も嘘。いもしない幽霊を怖がる幼い息子のためについた優しい嘘だったのだ。


 だが、Kにとってあの眼は確かに存在する事実だった。


「親父は生きてた……じゃあ、アレはなんだ? 一体誰の眼なんだ?」


 ひどく怯えた様子のKに、私はなんと声をかけてやればいいのかわからなかった。


 Kはその後一度も大学へ来ることはなかった。私の知らぬ間にアパートの部屋を引き払い、実家へと帰った。


 別れを言えないまま去っていった友人に寂しさを覚えながら、私は考えた。


 この世で最も怖いものは、命を脅かす存在ではなく、自分には理解できない全く未知のものではないだろうか、と。


 親しみを覚える、とまでKが言っていたあの眼。


 幼い頃から当たり前に身近にあった心霊現象。しかしその正体が父でないと知ったKの怯え様が私の脳裏から離れなかった。


 一度、Kが住んでいた部屋に新しく入った住人と話をしたことがある。


 その部屋で心霊現象が起きたことは全くないそうだ。

 

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